ある初秋の日
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 初秋の日の朝、妻の実家のある近江の田舎町に向けて車を走らせた。名神高速道路吹田インターチェンジから入り滋賀県の竜王インターチェンジで降りる。順調に走行できれば、約二時間で到着である。このルートは結婚以来もう何十回と往復した走りなれた道であり、使う車もすでに4代目となってしまった。常に同乗していた息子も「おじいちゃん、おばあちゃんによろしく言っといてよ」ということで、最近は私達だけでの帰省が主になってしまった。迎えてくれる義父母も歳をとった。すでに何年か前に稲作は他人に委託してしまい、今では義母が畑で野菜を作るだけとなってしまった。そして受託者から頂いたお米を私達にも毎年送り届けてくれていたのだが、送って頂くお米を宅急便の取扱店まで運ぶのが大変になってしまい、それでは私達が義父母の顔を見がてら頂きに行こうということになった訳である。近江の風景

ほとんど稲刈りの終わった田園地帯を通り、お昼頃に到着すると、お腹を空かせた私達を、新米のご飯と心づくしのおかずを用意して、義父母が迎えてくれた。三杯頂いた。妻も「太るわ」と言いつつ何杯か食べた。「ビールもっとどうです?」と義母が言ってくれるのだが、さすがの私もこのときは新米のご飯の美味しさに降参であった。食べ終わり、妻と義母のおしゃべりがひと段落すると、お米を車に積み、義母が畑で作った野菜も頂く。形も大きさも不揃いで到底スーパーの店頭には並ばない、しかしそれだけに存在感のあるジャガイモ、玉ねぎ、きゅうり達である。車のトランクに入りきらないほどに頂いた。お金では買えない自然の恵みである。

 数年前に夫婦でパリ・ロンドンの旅に出かけたことがある。そしてパリからモンサンミッシェルへ日帰りのオプショナルツアーに出かけたときに圧倒されてしまった。バスで行けども行けども、広大な農園が続いているのである。国の土台のスケールが根本的に違うという気がするとともに、やはり食は自国で賄うのが基本ではないのかという疑問が自分の国に対して湧き上がってきた。敗戦からの復興という何が何でもとりあえずやらねばならないことが達成されれば、次は食ではなかったのか。世界に対して多額の売上債権・貸付債権・投資資産を持ち、必要なものは金の力でどんどん手に入れる「お金持ち国家」ではなく、自給自足の出来る「清く貧しく美しい国家」への道がなかったのだろうかと考えるのは甘いのだろうか。近江の風景

スーパーマーケットの店内に立ち止まって廻りを見回すと、ない物はないという感じで食料が並んでいる。その反面自国の穀物自給率は30%に満たないという。小さな財布が数万円もの価格で販売されているブランドショップは若い人たちで混雑している。その一方で都市銀行までもが消費者金融で利益を上げている。バランスを欠いた国といえるのではないか。そしてそんな国を待つ未来は私たちをどのように迎えてくれるのだろう。「正月には赤カブの漬物お願いします」といつもながらの勝手な注文を義母にする。新米とでこぼこ野菜で心なしか重くなった車を発車させると、義父母の姿がバックミラーのなかで次第に遠ざかっていく。近江路に夕日が美しかった。

H16/10

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