課題と主題
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 小中高校でのシミュレーションゲームを使った授業が全国に広まりつつあると新聞にあった。「ビジネスゲームで収益を競う」とか「家計をやりくりして、2年後の貯蓄残高を競う」あるいは「コンビニエンスストアの経営能力を競う」などといったものらしい。

 記事でとりあげられていた「ビジネスゲーム」は製品の生産、販売、設備投資、賃貸、銀行取引等を通じて、最終的に最も多く紙幣を持っていたチームを勝者とするという。民間の会社が開発したもので、経済産業省の起業家教育促進事業の対象となったゲームだそうで、その市では昨年24校3千人の小中学生が体験したという。

 市教育委員会の担当者は「課題の発見・解決の能力を伸ばすことができる。情報の大切さや協力・交渉の重要性なども自然に理解できる」という。この記事を読んで、一頃はやったらしい「マネージメントゲーム」を使用した社員教育を想い出した。

 そんな年代から「課題の発見・解決能力」を伸ばすという教育が本当に必要なのかと考えてしまう。逆行することを言うかもしれないが、むしろ「課題」のまえに「主題」そのものを子供たちが見つけ出して伸ばしていくということがあるはずで、その担い手はまず家庭そして教師ではないかと思う。その点を勘違いしてはいけない。家庭という教育の場をベースにしてこそ学校も活きてくると思う。

秋なので一首。「白玉の歯にしみとおる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり」若山牧水。行きつけの店のホワイトボードより

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