ネーチャンの幸せ
ホーム 上へ 「家族」のあり方

 

 

 綺麗に化粧をして、くわえ煙草で、ケータイでメールを打ちながら、履き物をカタカタさせて、悩みも個性もないという表情のオネーチャンが歩いてくる。前方への注意はほとんどしていないという感じがするので、避ける。すれ違った瞬間むせるくらいきつい化粧の匂いに、お金大変だろうなと思う半面、どうも好きになれない最近の現象なので、どうしてそう思うのかその理由を考えてみた。

@私が年をとったこと及び私の性格の偏りのため、若い人たちと共感する部分がほとんどないため。

A煙草をやめて4年半、勝手なもので最近歩行喫煙はすべきでないと考えるので。

B私はケータイを持っているが、メールはしない。だからといってメールの機能の社会的有用性を否定するつもりはないのだが、歩きながら発する情報の質と伝達の必要性に疑問を感じるので。

C履き物を引きずる歩き方、感性が嫌いだから。歩くときは前を見て歩くべきと思うから。

D若いときは大いに悩むべきではないか、人間はそれで成長するという考えが少しあるので。

E四ノ宮浩さんという映画監督の方が朝日新聞の「私の視点」というコラムに書いておられた。フィリピンのケソン市郊外のゴミ捨て場で会った少女に「幸せ?」と質問すると、その子は「いつも家族一緒で、一日3回食べていけるから幸せです」と答えてくれたという。あのネーチャンに幸せ?」と訊いたら、どんな答えが返ってくるのだろうと考えると憂鬱になるから。 H14/6

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