「わからなくても」
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「清貧の思想」の中野孝次氏の考え方に惹かれて、氏の作品を読み進むうちに「道元断章」(岩波書店)という本に出会い一度通読した。道元には元々興味があったので、その後も断続的にではあるが、気が向いた時に拾い読みしている。当然その内容は道元の有名な「正法眼蔵」を素材にしており、原文のあとに中野氏がご自身の解釈、感想等々を書いておられる。私にとって「原文」など到底地球の言葉とは思えず、氏の説明をもっぱら頼りにしている。そして氏はその本の前書きで「好きな章だけを何度も読む」そして「自分の心を力づける章句が増えることが嬉しくて…」と書いておられた。何もその思想体系を理解する気などなかった…という主旨のことを書いておられたように思う。

 そんな前書きに勇気づけられて読んでいるのであるが、多少頭で理解できたと思うことがあっても、やはりそれは薄っぺらな「理解」のようであり、何か弱々しくて自分の心のなかにどっかりと腰をおろしてはくれない。当然だろうと思う。中野氏でさえ還暦の歳から読み始めて15年間、読書のプロが最初は「わかってもわからなくても読んだ」というのだから。世界的な名著である。読破してやろうなどという大それた気持ちはさらさら無いし、そんな能力もありはしない。しかしその中には必ず私の「心を力づけてくれる」考え方があるはずである。そしてそれに出会うためには「わからなくても、わからなくても」とにかく読むことが必要なはずである。 H14/3

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