我人生最良の一日
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仙台市の南にある名取という町に住んでいた頃、向いの家のオジサンに誘われて草ソフトボールのチ―ムに入った。帽子、ユニフォーム、スパイクを揃え、背番号は15…オジサンから巨人軍の城之内投手の番号だねと煽てられたが、その番号しか残っていなかっただけである。 しばらく日曜日早朝の練習を続けた後、ある日名取市の大会があり私もサードで7番か8番あたりの打順で出場した。ところがどういう訳か、その日私は絶好調でホームランこそ出ないもののシュアな打撃と無難な守備おまけに俊足(意外と走るのは速かった)をいかして出塁すれば必ずといっていいほど盗塁という大活躍であった。そしてチームは決勝戦まで進んでしまった。しかし決勝ともなるとやはり欲が出るのか、凡フライばかりに終わってしまい、結局準優勝で終ってしまった。町内会の方たちが残念会(?)を催してくれた。ビールかけこそ無かったものの、プロ野球選手にでもなったような晴れがましい気分で、我人生最良の一日の一つとなった。

 「巨人の松井選手」が大リーグ行きを表明したことで、新聞のスポーツ欄は色々な意見で賑やかであるが、日本のプロ野球に興味を失っていた私にとっては明るいニュースであり、「大リーグの松井選手」をはやく見たいものである。ところで私が大阪に帰任するときに、草ソフトボールの監督、向いのオジサンから「中軸打者がいなくなる」と惜しまれた…かどうかは記憶にない。22年前の秋の想い出。 H14/11

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