
JR天王寺駅近くに「サントリーバーMAEDA」という店がある。先日学生時代のゼミ仲間数人と27年ぶりに訪ねてみた。学生時代の我々は当然お金のない儲からない客であったが、店員の女性は我々をまるで弟のように大事にしてくれた。その時の女性が今度はオーナーとして迎えてくれた。「角」の水割りが運ばれ、和やかな時が流れ、昔日のことが少しずつそれぞれの脳裏によみがえってくる。
カラオケなどという余計なものはなく、懐かしい「ジュークボックス」が置かれ、誰かがかけた「マサチューセッツ」などの懐かしい曲がさりげなく流れてきた。メインテナンスが大変らしく、部品は日本橋で造ってもらうそうだ。静かにひとり飲んでいる女性客の背中を眺めながら、こんな雰囲気の店をよくぞ守り続けてくれた…という驚きと感謝の気持ちに満たされた。もうどこにもこんな店は残っていないはずだとあきらめていただけに、これは貴重である。客なんかカラオケを歌わせておけばいいと思っている店、あるいは客がホステスの相手をさせられているような錯覚に陥る店…そんな風潮に辟易していた。店の良心と客の良心がこのような雰囲気の場を守っていくのだと思う。世の流れに逆らって大切にしたいものがあるということは一種の快楽かもしれない。 H13/5
追伸
昭和47年〜48年にかけて、私達はT教授の「貿易論」のゼミに所属していた。今から思えば先生には本当に申し訳ないが、まったく勉強しないひどいゼミ生だったと思う。O氏、H氏と私の3人でよく行ったのが「サントリーバー●●」であり、そこで働いていたのが、前述のMAEDAさんだった。
「ジュークボックス」などといっても若い人には分からないと思う。当時音楽を聴く媒体は「レコード」という円盤だった。そのレコードか゜沢山入っている大きな箱とでも形容したらいいのだろうか。自分の好きな曲を何曲か選んでは、カウンターバーに座り、角(サントリー角瓶)のオンザロックのグラスをもてあそびながら聴いている…そんな光景がボンヤリと思い出せる。といっても高尚な音楽を聴いていたのではなく、加藤登紀子の「愛のくらし」だとかジローズの「戦争を知らない子供達」とかであり、はては小坂明子の「あなた」だったりであった。
そんな歌たちも、いまやナツメロである。つまるところ30年の時が流れたということである。過去を振り返ってばかりいても仕方ないが、なにかで疲れたときに帰っていける場所はいくつか持っておきたいと思う。
ちなみに「ジュークボックス」が現役で稼動しているのは、大阪府下ではこの店を含めても2店しかないとお聞きする。今はMAEDAさんの体調不良でお店はお休みだそうである。どうぞゆっくりなおして頂きたいと思う。今度行ったときにはマティーニを飲まして頂こうと思っている。 H16/10