十四日もとっくに過ぎたのでもはや赤穂浪士の討ち入りではないが、鶴橋のとあるところに刀を持った十数人が集まった。東雲会稽古納めの日である。みな白装束(へんな団体ではない)に身を固めると、袋から取り出した刀
の峰に油をひく。扱いやすくするためである。刀の準備が済むと、もうすっかり覚えてしまったストレッチから稽古は始まる。いつもやるのだが柔軟さにほとんど進歩はない。まあ週に二度でもやらない人よりはマシということ。
稽古納めということで、制定居合12本に続いて、無双直伝英信流の技をひととおり抜く。正座の部11本、立膝の部10本、奥居合居業の部8本、同立業の部13本、同番外の部3本。冷える日とはいえ、本身を持って真剣にやればやはり汗ばんでくる。数年ぶりに居合に復帰させて頂くときに思ったのは、とにかく何も考えずに師の技をそのとおりにできるように努力するということだったが、正直に言って納得のいく技は殆ど無い。自分の意見などは要らない、むしろ邪魔になる、頭を空っぽにして、とにかく真似る、そのことだけを目指そうと思った。ここをこう直しなさいと言われればそこを直そうと努力する、すると別のところを指摘され、今度はそちらを直そうと努力する、するとさっきのところをまた指摘される。この繰り返しだった。そんな状態で今年も暮れようとしている。まさに日暮れて道遠し、である。
ところで居合との出会いは今から20年近く前のことである。ある町に住んでいた頃、市の広報誌に居合同好会の案内があった。しばらく考えた後、「剣道という年でもないし、これからはこれや」と思い、書いてあったH先生宅に電話した。一回目はお留守だったが、二回目はいらっしゃった。気さくな感じだったが、見学に行くと驚いた。沢山の方たちがピーンと張りつめたような静寂の中で稽古しておられた。何故か鞘引きの鞘の動きが印象深い(今でもこれができない)。早速模擬刀を買うと稽古に参加させて頂いた。初心者としての一年目、たしか立膝の部まで教えて頂いたように記憶する。納会の日H先生から初心者ではあるがよく頑張ったと声をかけて頂いて、感激したという不確かな記憶がある。
東雲会の二年目、図らずもN間さんとともに東雲賞を頂いた。予期せぬ出来事とはいえ私のような者が…という気がした。居合を始めてから20年弱、間が何度も途切れているとはいえ、いまだに三段、いわゆる落ちこぼれであろう。東雲会の宴の締めくくりに必ず歌われる会の歌ともいえる歌がある。「北国の春」、H先生が好きだった歌である。H先生を知る人も知らない人も肩を組んで歌う。ふとH先生の顔が浮かんだ。肩にデキモノができて稽古を休んだ後、お会いすると「そんなもん、切ったらおわりや、ハハハ」と心配顔の私に声をかけて頂いた。誰も気はつかなかっただろうが、その優しいお顔を思い出して一瞬歌詞に詰まってしまった。来年こそはとまた思う。