週末恒例・大人の五体投地


2002年8月4日(日) 洋ピン」

 この春からケーブルテレビに加入し、あろうことかあるまいことか、「プレイボーイチャンネル」なるオプションをつけてしまった。洋モノと和モノのエロビデオやエロ映画が一日おきで放映され、それぞれ違った趣を奏で、なかなか味わい深い。実用的なのはもちろん和モノなのであるが、洋モノは洋モノでまた異文化の香りを感じることができ、見るたびに新たな発見がある。

 和モノと洋モノの最大の違いはその視点である。和モノの多くは、そのカメラはほぼ女優に固定され、モノによっては男優の顔さえ映らないものも珍しくはない。片や洋モノの場合、男優、女優はほとんど均等に映し出されている。女優のイク顔だけでなく、男優のイク顔まで拝めてしまうのだ。さすがジェンダー思想の進んだ欧米諸国。そのエロビデオはそのユーザーにまで男女の平等を押し付けてくる。

 またなぜか洋モノの場合、その行為の最中を映し出す場面では延々とバックにBGMが流れている点が、和モノとの差異を感じさせる。BGMもロック、ブルースといったハードなものから、いわゆるイージーリスニング的なものまで多種多様である。女優のアノ声が聞きたくてたまらないワタクシのような人種には、この点が最も実用性からかけ離れている部分なのではある。和モノの場合、女優はこれ見よがしにイクことが多い。まあ、十中八九演技なのであろうが、それでもモニターの前で一生懸命になっている側からすれば、そのタイミングが計りやすければ計りやすいほど実用性は増す。その点洋モノは不親切極まりない。演技するならする、しないならしないではっきりしてくれたらいいものの、のんべんだらりと続く挿入シーンには山もなければ谷もない。ただただ腰をひたすら打ち付ける男と、抑揚のないアエギ声をBGMの向こうでもらす女優の姿が、時には20分近く続くのである。見方を変えれば、なんだか平和で、ボォっと眺めるにはなかなか適しているかもしれないのだが。

 もうひとつ、大きな違い、といっていいのかどうか。やはりガイジンのはデカいのだ。あなたのイチモツがどのくらいの大きさなのかは知る由もないが、巨砲と呼ばれる方でもせいぜい二握り程度であろう。ところがアチャラの男優のソレは、軽く四握りないし五握りはあろうかと思えるサイズ。下手すればフィニッシュのときに女優の顔面近くまで持ってくるソレは、女優の顔と同じ長さを有していることすらある。もちろん女優の懐の深さもソレに対応したサイズになっていることはたやすく推測できる。ということは、いくら我々東洋人ががんばっても、欧米女子の奥底までは、ボクらの想いなんて届かないんじゃないか、と軽い失望を禁じ得ない。千昌夫が金髪の嫁はんと離合集散を繰り返すわけは、実はそのあたりにもあるのではないか、とさえ思うのである。

 いや、日本男児には類まれなる硬度がある!鉄の如き竿をもて、金髪ブロンドを迎え撃つのだ!と息巻く諸兄もいらっしゃることだと思えるが、洋モノを見る限り、残念ながらソレも幻想に過ぎない。硬さはおそらく同程度であろう。それはモザイク越しのガイジン男優のその反り返りを見れば明らかである。ただ、長すぎるのだ。長すぎるので、根元の部分の筋肉がイチモツを支えきれず、角度的には仰角を取り得ないだけである。間違いなく、奴等は固さと長さ太さ、全てを兼ね備えている。ワタクシも一度アメリカに行ったときに、ホテルの公衆便所で黒人と隣り合ったことがある。その黒人さんは男子用小便器から50cmも離れて立ち、ゆっくりとイチモツを取り出した。…そいつのソレは自身の膝くらいまでの長さがあった…ショットガンかと思ってチビってしまった。トイレで幸い。

 しかし逆にツケ目があるとすれば唯一そこかもしれない。奴等の武器はやたらと長くてデカイ。もしその内部に広がる海綿体に広がる毛細血管がすべて血液で充満する状態、いわゆる勃起状態になると、その余りのデカさに貧血を起こすやつがいはしまいか、ということである。一生懸命腰を振っている間に、哀れ、巨砲を誇る欧米男児たちは、朝飯を食ってこなかった育ち盛りの小中学生の朝礼の風景のように、バタバタと倒れていくのではあるまいか? 我々日本男児の取るべき道は、来るべき日に備え、今からレバーとほうれん草などをソテーしつつ、貧血を防止しておくこと。この不断の努力こそが、最終的な勝利への鍵を握るのではないだろうか!

 そういったバカな妄想を味わいつつ、マッタリと眺める「プレイボーイチャンネル」。まだまだ他にも面白い番組があり、なかなか目が離せない。わんこに見つからないよう、こっそりと、一体どこまで維持しつづけることができるだろうか。

日記才人の投票ボタンです

戻る     次へ    前へ

週末専用BBSはこちら