足の指の間が痒くなる心意気

2005年4月8日(金)「娘の順位表」

 気が付いたら1歳2ヶ月。子どもの成長は早い。先週から妻・わんこは育児休暇を終わり仕事に復帰。保育園での慣らし保育も始まった。もう後ちょっとで一人で歩けそうだし、時折言葉らしきモノも口から飛び出す。どんどん人間に近づいてくる。

 そしてかわいい。ホンマに、かわいい。涙が出そうになるくらい、かわいいーーーーっ!と感じる。だからなついて欲しいのだけど、現実はなかなかそううまくはいかない。娘には娘なりの「なつく順位」というのが厳然と存在するようだ。野球にたとえるとこんな感じ。

順位 チーム名 ゲーム差
ママポンズ
ジータンズ 0.5
パパス 7.0
バータンズ 3.0

 第1位は母親ことわんこ率いるママポンズ。これはしかたない。犬だってエサくれる人になつくし。それに母親自体がエサだった時期だってあるのだし。これはもう、あきらめもつくというものだし、むしろ当然であろう。

 第2位は当然このボク、……ではなくて、わんこの父親率いるジータンズ。じーたんとばーたんの二人には本当に世話になった。育児のピンチヒッターとしてここ一番には本当にお世話になった。……しかし、だからといってボクよりも、じーたんにばかり抱っこを求めるのはどういうこっちゃねん? ボクが抱っこしてもじーたんの方に行こうと身をよじらせるのは、どういうこっちゃんねん?眠いときボクが抱っこしても泣くばかりやのに、じーたんが抱っこしたらすぐ寝るって、いったいこれはどういうこっちゃねん?! あぁ?!

 悔しくて仕方ないのだが、第4位のバータンズは、抱っこ打率約3割という悲惨きわまりない有様であり、このばーたんの存在が、唯一ボクが安心できる要因なのである。

 しかし3位パパスと2位のジータンズとのこの大きなゲーム差は、今のところ如何ともしがたい状況である。それどころか逆にジータンズは首位ママポンズに肉薄してきている。ママの抱っことじーたんの抱っこ、どちらか選ばないとイケナイ状態に陥ったとき、にゃんこがじーたん抱っこを選ぶ割合が増えつつあるのだ! この現状に対しては我々夫婦揃って脅威を憶えている。

 いったい我々の留守中に、じーたんは娘になにか小細工でも施しているのではなかろうか……? まさか改造手術とか?
【抱っこ打率】…抱っこさせてもらえる割合。10回に3回しか抱っこさせてもらえないとは……。ちなみに
パパスが約7割、ジータンズ、ママポンズに至ってはほぼ10割の抱っこ打率を誇る。
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2005年4月11日(月)「柔らかくて大きなマシュマロ」

 愛娘・にゃんこの授乳期間も昨冬で終わり、いまや彼女は親とほぼ同じモノを、ガツガツ食っている。この食欲はまさに親譲り以外のナニモノでもあるまい。間違いなく、にゃんこは我々の子どもである。

 そして授乳期間が終わりを告げるとともに、妻・わんこのオッパイはみるみる萎んでいってしまった。正直申し上げて、とても寂しい。とても哀しい。あろうことか出産前よりもちっちゃくなってしまった気さえする。

 授乳期間中のオッパイは大きくはあったモノの、中身は母乳でパンパン。今にもはち切れんばかりであった。授乳の時間が近づくと、パンパンを通り越してガチガチ。時には痛みさえ憶えるらしい。そんなガチパイに触れようものならピューッ!と、それこそまさにピューーーーーッ!と母乳が白い筋を引いて飛ぶわ飛ぶわ。それはそれで壮観であったのだが。

 しかし。授乳期間のオッパイは、飽くまでも赤ちゃんのモノ。いくら夫とはいえ、おいそれと触れることは許されない、と言うか許してくれない。たっぷりと赤ちゃんに飲ませてガチパイ状態を脱して後、やっとボクの手に戻ることも月に一度くらいはあったのであった。

 しかししかし。そのオッパイはどこまでも赤ちゃん仕様に仕上がっており、例えばチクビをいくら舐めようが吸おうが転がそうが甘噛みしようが、一向に感じてくれないのであった。非常に違和感を感じるとのことで、大きなはち切れんばかりのオッパイは、夫にとっては絵に描いた餅。そして夫のヘビは生殺しなのであった。

 今やわんこのオッパイは、すっかり小さくなってしまったモノの、かつて柔らかさと感度については、ほぼ取り戻しつつある。しかししかししかし。あの大きな張りのある豊かなオッパイを一度見てしまうと、何とも言えない寂寥感に襲われる。

 嗚呼、大きくて、それでいて柔らかいマシュマロのようなオッパイ……。全く「二兎を追う者は一兎も得ず」状態、なのである。
【二兎を追う者は一兎も得ず】…よくばって、一度に二つのことをしようとすると、どちらもうまくいかない、ということ。
                   二匹のウサギを同時に捕まえようと欲ばると、一匹も捕まらない、ということから。
                   だから大きなオッパイの持主と浮気する…なんて思いもよらないのであります!

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2005年4月15日(金)「犬と似ている我が子」

 娘・にゃんこは保育園に通い出した。もう10日目なのに、未だに保育士の先生(若い女性。決して美人ではないにしろ)に抱っこで渡そうとすると、泣いて身をよじってコッチの腕の中に戻ってこようとする。もう、いじらしくていじらしくて。このまま連れて帰ってこようかと何度思ったことか。

 ……しかしだまされてはイケナイ。さっきまで泣いて逃げられていたのはこのボクではないか。そして身をよじっていこうとしてた先には、妻・わんこがいた。結局アイツは自分の中で大人を順位づけしてるだけじゃないか!?

 犬は自分の飼われている家族の人間関係を、実によく見ていて一番強い(と思われる)人に絶対服従する、という。そしてもっとも弱い(と思われる)人と散歩に行ったりすると、なめてかかってまったく言うことを聞こうとすらしない、という。

 妻・わんこと一緒にいるとき、にゃんこはボクをなめきったような行為をする。頭をシバかれたり、鼻に指を突っ込んできたり。ボクより「抱っこ順位」が下の妻の母は、もっとな非道い扱いを受けている。一緒に積み木遊びをしていると、せっかく義母が積み上げた塔をガラガラと崩されたり。部屋に入ろうとすると、目の前でドアを閉められたり。素直に近づいて来るので抱っこかなぁ、と待ちかまえていると、あと10cmのところで反転180°かまされたり。

 そしてそれらが見事に決まった後、いずれも「へへへぇ」とかわいく、実にかわいく笑ってみせるのである。犬で言えば「しっぽを振る」に相当するだろう。これは絶対に確信犯だ。

 そういえば犬の知能って3,4歳児並みらしい。ウチの子はまだ1歳2ヶ月。これはひょっとして……天才?
【犬の知能】…3,4歳児並みであると言われているが、犬によって差があることがしばしば。結局は育て方次第、ってことね。
         でも、ウチの子はもう「お手」だってできるよ! できないのは「おあずけ」だけさ。



2005年5月12日(木)「娘と風呂に入る」

 いつの間にか赤ん坊から幼児の顔になってきたにゃんこは、顔だけでなく知恵も幼児並みになってきた。今彼女のマイブームはボタン。エレベーターなんかに乗せたらもう大変。ちょっと油断した隙に、エレベーターは見事に各階(にゃんこの指の届く範囲だけ)に停止する。電話だってオモチャにしてる。

 休みの日や早く帰ってこれた日には、そんな娘・にゃんこを風呂に入れるのはボクの役目である。風呂の中にはボタンはないのだが、それでも彼女はボタンに似たものを無理矢理発見する。それは、ボクの両のチクビである。

 風呂に一緒に浸かっていると、今までアッチ向いて風呂のオモチャで遊んでたにゃんこがくるっと向き直り、ボクのチクビを押しにやってくる。ボタン、というものは押すと何かが起こるモノ、である。しかしチクビはチクビであって、ボタンではないのであるから、何も起こらない。すると彼女は、なおもグイグイ押す。

 ボクは胸に強い痛みとくすぐったさと軽いのぼせを覚えながら、「ああ、これは『何か』が起こるまで押すつもりなんやな…」とようやく思い当たった。そこで右のチクビを押されたらヤギさんの鳴き真似(メ〜〜〜ッ!)、左のチクビを押されたら(ブーブー)とブタさんの鳴き真似をしてやった。これがやたらにウケた。やった! ウケタ、ウケた! よし、これで風呂からあがれるな……。

 しかしコレが甘かった。するとなおもグイグイ押してくるのである。娘の目はなおも好奇に満ちて今やらんらんと輝いている。「あ、これは…明らかに逆効果だった。もっとつまらないことを起こせば良かったんだな…」と後悔の念でいっぱいになった胸を、娘の気が済むまで、グイグイ押され、その度に風呂場の中には牧歌的な鳴き声が響き渡るのであった。
【ボタン好き】…エレベーター、テレビ、ステレオにパソコン、電話……。もうなんでもあり。昨日は自分の服のボタンを押してたぞ。
          次の目標は「ポチっとな」と言えばボタンを押すように仕込むことだな。意味はないけど。



2005年7月某日 「にゃんこ、ついにしゃべる」

 忙しい、と言うか余裕がなくて、なかなか更新できないでいる。きっと前回とは文体とか、いろいろ違ってきてるんやろな、とか思うけど、知らんぷり。ホームページビルダーとかいろいろ使い方忘れてしまってるけど、知らんぷり。とりあえず、すんません。

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 そんなわけで、実はもう、我が娘「にゃんこ」がしゃべり始めてひと月くらいになる。最近では「パパ」「ママ」とか言い出して、かわいさ爆発である。涙出そうなくらいにかわいいぞ。ほんっまにかわいいねんぞ。うらやましいやろ。産んで良かった。産んだのは妻だったけど。

 いまでこそ「パパ」「ママ」「ジジ」「ババ」「わんわん」「もーも」「ぶーぶー」「あうあう」「ばぶー」「ちゃーん」「はーい」などもう、しゃべるしゃべる。もはやどこまでが意味のある「言語」で、どこからが意味のない「音声」なのか定かでないくらい、声だしまくりである。
 
 最近では歌詞こそ「あうあうあ」だが歌らしきものを唄ってる。メロディーも何の曲だかさっぱりわからんのだが、同時に踊ってる(ツイストかフラダンス。あるいはモンキーなんだがこれがまた、かわいさ満開! 産んで良かった)ところをみると、やっぱりどうも歌らしい。もしかしてオリジナル? コイツはうまくすりゃぁ将来は、唄って踊って作詞作曲もこなすスーパーアイドルとやらになるのではないか、おお、ありがたいことじゃありがたいことじゃ、ナマンダブナマンダブ……と妻と二人して親バカモード全開まっしぐら演歌の花道歌うヘッドライトの毎日なのである。

 ところでそんなにゃんこが最初にしゃべった「意味のある言葉」はというと、だいぶ前に書いた「どーも」とかでは残念ながらなくって、あるときふいに口をついて出た一言だった。

 ボクはテレビを見て寝転がっていた。にゃんこはボクの背後でなんやしらん、ゴソゴソしゃがみ込んで遊んでる。すると突然、なんか聞こえた。

「ょいしょ」

 ……。え? テレビ?
 ……。いや、野球や。

 ほたらウチの奥さん?
 ……。いや留守や。

 ほたら、ご先祖さん?
 ……。いや、盆にはまだ間ぁある。

 え? ほたら……この子?

 ためしにせっかく立ち上がったにゃんこを、もう一度座らせる。
「さ、立っちしよっか」
「……ぃょいしょ」

 うわ。しゃべった! しゃべったったった!
 もう一回、座らせる。
「ほら、立っち!」
「……んっしょ」
や、やった! はじめてしゃべった! うひひひ。うれしい。

 もういちど座らせる。
「ぃっしょ」
また座らせる
「ょぃっしょ」
またまた座らせる。
「んっしょっしょ」
うれしいなったらうれしいな。らんららんらんららんらんららんらん♪

 気が付いたらヒンズースクワット状態になっており、このまま行けば虐待になりかねないと思いやめたのだが、なんかもう、その日は一日ニヤニヤしっぱなしだった。

 しかし。普通は「パパ」とか「ママ」とか、そう言うのが最初の言葉っていうもんじゃないのか? だいたい一歳児が立ち上がるときに「よいしょ」て。じじむさい。そんなところまで親に似なくて良いのだ。律儀やなぁ。  
【よいしょ】……(1)力を入れて物を持ち上げるときや、動作を始めようとするときに発する掛け声。
         (2)民謡などの囃子詞(はやしことば)
         (3)ごまをすったり、おべっかを使ったりすることをいう語。 「上役に―する」(大辞林より)
         ……まさか、(3)ではあるまいな。(2)でもヤだけど。

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2005年7月某日 「子育てと子作りと」

 娘・にゃんこ(1歳半)の子育てに日々ニヤニヤしながら振り回されている。

 毎朝、出勤の準備と保育園の準備と、朝食の準備にバタバタしてる私と奥さん。そのほんのわずかな隙をついて、必殺の「遊ぼう光線」放つにゃんこ。絵本を持ってきて「読んで読んで」とかわいい仕草で繰り返す。もう、クラクラ。思わず準備そっちのけであわや遅刻、という繰り返しである。

 思えばまだにゃんこが産まれる前は、それこそラブラブで恋人気分だった私と奥さんだったが、お判りのようにその愛情の比重はどうしてもにゃんこへ傾く。そして自然と夜が疎遠になる。こうなってしまうと、「さ、今からしよう」とかいうことには、もうならない。一週間くらい前から「来週の金曜日、拝観予約お願いしま〜す!」などと前もって申告しておかなければ、夜の観音さんを拝むことができない。

 もう一つの理由としては、我々の住む町に存在するルールが挙げられる。保育園に入れた子どもが、3歳になるまでにもう一人デキちゃって育児休暇を取得すると、上の子も保育園を退園しなければならない、というルールだ。保育園に子どもを入れるためには何ヶ月も前から申請しなければならないうえに、それでも運が悪ければ「待機児童」になってしまうことすらある。せっかく保育園に入ることができて、だんだんと自分の住む世界を広げてきているにゃんこを、そこから引きはがすのは実にしのびない。

 そして一度子どもを作る、つまり「中でイク」というのを経験してしまうと、あの避妊用のゴム製品というのはなんともはや味気なく思えてしまう。中で一緒にイク、というのはホント、愛し合う男女にとっては、言葉では説明のできないくらいこの上もない大きな快感である。ソレをひとたび実感してしまうと、もうついつい二人目を作ってしまいそうになってしまう。

 そう言うわけであるから、「夜の特別拝観」はますます疎遠になり、それが徐々に自然になってきている。しかしこのままではよろしくないので、そろそろ観音堂のクモの巣払いを決行しなければならない。とりあえず竿竹につけるゴムカバーを買ってこないとなぁ。
【待機児童】……保育所に入ることを希望し、実際に入る資格を有するにもかかわらず、
           種々の理由で入ることができない状態にある児童のこと(wikipedia)
           その原因が親のガマンの足りなさだなんてことになったら、どうにも説明できない。

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