足の指の間が痒くなる心意気

2002年9月4日(水) 「今どきの子どもと自然」

 最近の子どもは、虫の名前も知らない。

 先日、ウチの職場のキャンプ場にキャンプに来た子どもに、色々と虫の話をしてあげていたときのこと。

「さ、この虫、なにかわかるかなぁ?」
「カマキリ」
「バッタ!」
「は〜い。正解はカマキリ、で〜す!」
「うわー、カッチョイイ!」
「キショイ(気色悪い)!」
「これは解るよね?」
「クワガタ!」
「ミヤマクワガタ!」

などと盛り上がっていた。

 次に見つけた虫はゲンゴロウ。大阪府下ではほぼ絶滅した、と言われる希少種と言っても良いほどの虫で、水中に生活し、小魚や他の虫を捕食する。少し興奮気味で子どもたちにゲンゴロウを見せる。

「さ、この虫、なにかなぁ?」
「???」
「え? わからへんかな?」
「…うん。全然知ら〜ん」
「しゃあないなぁ。ヒントは、『人の名前みたい』です!」
「えええ? う〜ん…わかった!」
「お、わかった? なになに?」
「田中!」
思わず爆笑。
「いや、田中っていう虫はおらへんと思うけどなぁ、くっくっく」
「ほな、『佐藤』?」
「あっはっは。いや、名字ではないで」
「名前!? う〜ん『たかし』?!」
「ぼく『ひろゆき』!」
「わたし『きょうこ』!」
もう、大爆笑。
こんな黒くてガジガジした虫が「きょうこ」!

 ゲンゴロウなんて、今やもう図鑑かペットショップでしか見れないもんなぁ。ワタクシが子どもの頃は、近所のため池や田んぼなんかをちょっと探せばすぐ見つけられたものだけど。聞けばこの子どもたちの周りには、田んぼもため池もない、らしい。無理もない、と言えば無理もない、のかなぁ…。

 「虫たちの名前」に取って代わった“子どもたちの記憶”とはいったい何なんだろう?
 子どもたちにとって当然の記憶だったものや、その記憶の源であった、ため池や田んぼを奪い去ってしまったのは、やはり我々大人であり、おそらくその失われた記憶は、これからいくら世代を重ねても決して二度とよみがえることはないのかもしれない。
 
 将来自分に子どもができたとき…果たしてどんな記憶を子どもたちに伝えていけるのだろうか?

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鳥の絵に 足を4本 描く子いて

鶴亀算が 成立しないぃ(悲鳴)
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