足の指の間が痒くなる心意気

2002年8月9日(金) 「下着売り場での暗闘」

 わんこと買い物に。大阪梅田のヨドバシカメラ。電気ポットが故障したので新しいモノを物色しに来たのだが。

「あ、下着売ってる!安い!」
わんこが見つけたのはワゴンセールの特設下着売り場。もちろん女性用。
「お。ホンマや」
「3太郎さん、ちょっと見てきていい?」
「え?かまへんけど。え〜と。お見立てしましょか?」
「いや、それは恥ずかしいでしょ」
「ボクは恥ずかしくはないのですが…」
「いや、周りのお客さんが恥ずかしがるでしょ」
「そうかなぁ」
「そう。ああいうところはね、女の空間なんよ」
「はい」
「だから男が立ち入ると空気が乱れるの」
「はい」
「じゃ、30分後にね。バイバ〜イ」
「………」

 女性にとっての下着と、男性にとっての女性用の下着の存在意義は明らかに違う。女性にとってはタダの「パンツ」でも、男性にとっては「パンティ」なのだ。男にとっての「パンティ」のあるべき姿とは、「この一皮をむけばそこにあるのは待ちこがれた秘密の花園…ゴクリ」という状況下でのそれであり、その一皮の部分を大胆かつ繊細に演出するのが女性の下着なのだ。必ずしも男にとっては、その一皮の下に花園のない「下着だけ」の存在は、心揺さぶられる存在ではない。が、その奥に隠された花園の存在を、如実に想像できる「下着売り場」というリアルな空間での話となれば、また格段の趣を感じざるを得ない。

 故に男性にとっては下着売り場は禁断の異空間であり、見るモノ聞くモノ手に触れるモノ全てが珍しいのである。己一人では立ち入ることすら許されないその空間に、お伴としてでも下僕としてでも特別に入場を許可されようモノならば、その時点ですでに有頂天であることもやむを得ないことなのだ。声にこそ出さないものの、(アッチのあの清楚な雰囲気を醸し出す女性が…あ、あああ。あろうことかあるまいことか! あんな大胆な下着を手にとって!! アッチのお上品な奥様がこれまたド派手な!さては最近旦那さんと…なんてことだ!あああ、オイラで良ければ…)などとあらぬ妄想に駆け込んでしまうのも、無理からぬコトであろう。

 近頃、若いカップルなんかがいちゃいちゃしながら下着を選んでいる風景を見かけたりもするのだが、そういうときの男の目線や選択する手というのは、やはりきわどいきわどい下着の方向へ得てして流れがちのようである。他にも人目があるのに、そんな衆人環視のなかで、どうして自分の彼女にそういう真っ赤な超ハイレグやら、肝心のところの布の極端に薄いヤツやら、横が完全に紐どころかビーズのチェーンになっているのやらを着せようとするのか? コイツらさてはこの後すぐ、あんな所へ行って、こんなコトやそんなコトを…などと、思わずそういう目で想像してしまうではないか。そやつの連れている彼女がまた可愛かったりしたらば、あらぬ嫉妬をしたり妙な想像をしてしまったりして、それはそれで楽しいと言えば楽しいのだが。

 逆に見られる女性の心理というのはどうであろうか? もちろん心静かにご自分の普段遣いの下着を選んでいる方もいることだろう。そういう方には下着売り場という空間における男性の存在は、あらざるべきモノなのである。
 こんなどこの馬の骨か判りもしないような男に、何故に自分がこれから履こうかというパンティを披露に及ばねばならないのか? 確かにまだ自らの肉体に装着したわけでもなく、体温を移したりしたわけでもなく、その段階ではまだタダの布きれなのである。が、それでもやはり男というモノは、そういう目で物事を捉えるようにできあがってしまっているのであり、そしてそういう目をされると女性の側は普段遣いであれ、もしくはせっかく大切な人とのめくるめく一夜のための勝負下着の購入に至ろうかという勇気や決断や興奮や緊張に冷水を浴びせられたように感じるのであろう。
 こうしてまた一組の、いずれとも知れぬカップルの幸福を、知らず知らず邪魔しているのは下着売り場で有頂天かつ無遠慮にきょろきょろしている男性諸氏であり、それはひいては我が国の人口の減少に拍車をかける行為とも言えるのである。
 されど逆に「見せたい」女性も中にはいらっしゃるようであり、その証拠が前述の「共に下着を選ぶいちゃいちゃカップル」の存在である。そういうことは、君たち以外の多くの女性のために、ぜひ通販のカタログなどで行って欲しいモノだ。日本の国の将来のために是非。と言うよりむしろうらやましいからヤメロ。

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片言隻句

キミがため 選んだパンティ 今いずこ

タンスの奥で ひっそり眠る  3太郎
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