足の指の間が痒くなる心意気

2002年6月18日(火) トルコと日本」


日本とトルコの関係は、風呂だけでもなく、トルコライスだけでもない。もちろん、サッカーだけでもない。
実はこの2国は義理と仁情と恩と。そして深い友情によって固く固く結ばれているのである…





時は昭和60年(1985年)3月。

おりしも中東一帯はイラン・イラク戦争の真っ只中。

戦線は膠着状態に陥り、痺れを切らしたサダム=フセイン・イラク大統領は

ついにイランの首都・テヘランに総攻撃をかけるべく、

その一環として以下のような常軌を逸した警告を世界中に向けて発信した。

「3月20日午後2時(日本時間)を期して、テヘラン上空を航行する航空機は、それがいずれの国のものであってもたちどころに撃墜する」

テヘラン在住の日本人を含む外国人は先を争うように国外への脱出を始めた。

当然、外務省は諸外国同様、日本航空に特別救援機の派遣を要請したが日航側は

「帰りの安全が保障されない」としてこれを拒否。

外国機も自国民を脱出させるのに手一杯で、215名もの邦人が

パニック状態に陥ったままテヘラン空港に釘付けとなっていた。

…そこへどこからともなく現れた2機の航空機。

トルコ航空の旅客機だった。トルコ航空機は日本人全員を乗せて成田へと飛び立った。

実に期限とされた時刻のわずか1時間半前であったという。




何故トルコ航空機は救援に来てくれたのか?
日本政府も日本のマスコミも、当初皆目見当がつかなかった。
朝日新聞は「日本の対トルコ経済支援のここ数年の強化が影響にあるのではないか」と
およそ思い上がった、しかも全く根拠のない記事を載せた。知らないだけならいい。
しかし、この感動的な出来事の裏に隠された、真の歴史的事実を調べもせずに、
この勇気ある行動をあたかも金目当てであったかのような記事にするとは…
これを冒涜といわずして何と言おうか。





時はさらに遡り明治20年(1887年)。
皇族・小松宮彰仁殿下、同妃殿下がトルコ(当時のオスマン帝国)を訪問。
皇帝・アブドゥル=ハミト2世に謁見した。
その3年後、答礼としてオスマン=バシャ海軍少将を正使として使節団を日本に派遣。
一行の乗った軍艦・エルトゥルル号は横浜港に入港した。
それから3ヶ月に及ぶ滞在で、充分に友好を深め、
故郷に向かって日本を離れたエルトゥルル号…悲劇はこの帰路に待ち受けていた。





明治23年(1890年)9月16日夜。

エルトゥルル号が和歌山県串本沖に差し掛かったとき、

おりしもこの地方を襲っていた台風に巻き込まれてしまったのだ。

激しい暴風雨の中、一人の灯台守が聞いた爆発音。

暴風にあおられ座礁したエルトゥルル号の船体が二つに裂け、

エンジンに流れ込んだ海水で水蒸気爆発が起こる…。


灯台守から急を知らされた付近住民50世帯が懸命の救助作業に当たる。

事故現場は断崖絶壁の岩場で作業はなかなかはかどらない。

夜が白んでくると同時に海面すべてが、

船の破片と遺体とで埋めつくされているのが見えてくる。目を覆わずにいられない。

遠い外国から来て、帰ろうとしたとたんに異国の地で死ななければならない…

「一人でも多く救わなければ!」

悲壮な決意に駆り立てられ、必死の捜索が続く。

しかし、横たわったトルコ人たちの多くはすでに冷たくなっていた…

一人の村民が叫ぶ。「まだ生きてるぞ!」

しかしその水兵の体からはほとんど体温を感じられなかった。

男たちは服を脱ぎ、自分たちの体温で彼らを温め始めた。

「死ぬな!」「生きるんだ!」「目を覚ませ!」

男たちは次々に服を脱ぎ、倒れている乗組員を温める。

エルトゥルル号搭乗員600名に対し、助けることが出来たのは69名。

その69名は村でさらに手厚い看護を受ける。

台風で漁に出ることが出来ず、食べ物のたくわえも尽きた村民は、

自分たちの非常食として飼っていた鶏をすべてトルコ兵たちに差し出した。

また助けることが出来なかった多くのトルコ人も手厚く埋葬され、

さらに全国から多くの弔慰金が集められ、皇帝に手渡されたという。



なぜトルコ航空機は来てくれたのか?

あるトルコ政府関係者はのちにこう述べている。

「エルトゥルル号の事故に対して、献身的な救助活動を行ってくれた人々がいたことを、今もトルコの人たちは忘れていません。」
「トルコでは小学校の歴史の教科書にこの事故のことを載せています。私も小学校の頃、学校でこのことを学びました。」
「今の日本人が知らないだけで、トルコでは、子どもたちでさえ、知っているのです。…せめてもの恩返しに、トルコ航空機はテヘランへ向かったのです。」



いよいよ18日午後、サッカーW杯決勝トーナメントはこの深い友情で結ばれた2国。

日本vsトルコの一戦を迎える。

勝っても負けても互いに正々堂々ベストを尽くして戦ってくれることを祈るばかりである。

12人目の選手たちに対しても…

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