僕の体験記(炎チャレ・歴史上の人物編)

その2・「対策・対策、対策ぅ??」


いや〜、それにしても本当に出場できるとは。すでに開いては僕以外の49人に絞られているし、あとはとにかく100人の顔を把握(識別)で切ればオッケー・・・・、って、

「どうやってその判別ができるようにしよう・・・」

いや、僕の得意分野は日本史だけ。しかも文学は除く。しかし、クイズの設定範囲はあくまで「歴史上」なので「世界史」的な人物も出てくるわけだ。しかも歴史だけではなく文学・化学・スポーツなど限定不可能。時代もいつのものが出てくるか分からない。まあ写真が発明されたのがその中でも新しい時期なので「よくでる」のは19c以降だろう・・・。それにしてもこのチャレンジ、人物名を答えさせるものだがそれを「顔だけで判断して答える」ブラインドだったなぁ。今まで人物名を答えさせるクイズ番組は数多く見てきたがそんなのは初めて。あの「アタック25」の最後の旅行獲得問題も映像問題ではあるけれどあれでさえも(映像ながら)ヒントはあったわけだし。

とにかく大学の図書館に行って「人物の顔」が収められている本を探してみる。やはりない、そりゃそうだ。大学の図書館だから結構広いし蔵書数も多いと思ったんだけどなぁ。仕方ない。あきらめて本屋にも行くか。梅田には紀伊国屋もあるし。

でも無かった(涙)。しゃれにならん。

今度こそ仕方ない。でも目の前に100万円がぶら下がっているのだ。あきらめるわけにもいかない。100万円はそう簡単に取れるものであるはずが無いのだ。とりあえず、また大学の図書館へ。無いはずの本を探すのってむなしい。とおもったところでひらめいた!

百科事典になら載っているかも!?

とりあえず適当な本を一冊手にとって探してみる。しばらくページをめくると、「あ、あったぁ!」
ということでこの方法で覚えよう・・・・って、「百科事典30冊くらいあるのにどうやって持ち運ぶのだろうか?」(爆)。眺めているだけでは覚えられないのは明白である。ということは持ち帰りたいのだがそれは不可。

ってことでもう一ひねりした。そうだ!コピーしよう。ついでにそれをファイルしよう!
ということでいちいち百科事典で探し出してそれをコピー。探してはまたコピー。そんな事の繰り返し。それを「あ」から「わ」まですべての本についてする。
大学の図書館で大百科事典と「格闘」している姿がそこにあった・・・。しかも百科事典なんてはじめて見るのでそれこそページをチェックしながらになる。ということでコピー機1台を完全に占拠していたのであった・・・。

そんなこんなを数日すごしているのに作業ははかどらない。というのも百科事典には「人名」は沢山載っているのだけれども、「写真付き」となるとそれはがた減り。それでもさすがにコピーしたのもがかさばってきた。ということで「ファイル化」をあきらめて、「単語帳化」することに。これだと受験感覚で覚える事ができる。写真を表に貼って裏には人名と出来事を。そうすれば覚えるのが苦痛では無くなる。元から好きな教科だしちょっとでも効率を上げないと。

やっと軌道に乗ってきたところでまた難題が。というのも同じ人物でも長生きした人の場合、青年期と壮年期とで顔が違っている事があったのだ。年を取ってから活躍した人はともかく、若いときから活躍して、しかも息が長い人のときは非常に困る。
またもう一つは写真ではなく肖像画しかない人物の場合。これは同じ年齢の人でも書いた人によって全く画風が違ったり、また、全く違う人であっても絵を描いた人が同じなのか(または同じ画風なのか)、同じように見えたり・・・。という事で対策として1枚の単語帳(1人の人物)に肖像画が何枚も・・・ってこともしました。また微妙な違いが分かるように、似た人物には同じ所に単語帳を固めたりもしました。また手がかかる〜〜!!

僕ははこれをすべて一人でやったのです。だって、所属が陸上同好会でクイズにはほとんど関心が無い(or理解が無い)し、僕はテレビに出るという事を誰にも言ってなかったのです。(前回の事がありますし)まず、こんなことを頼むのは恥ずかしいですよ。てな訳で収録直前の頃には自作の単語帳で人物の顔を覚える自分がいました・・・。なんといっても通学に往復4時間半かかってましたから。

 

そんなこんなでやっと10月5日。この日は陸上同好会総会兼僕の激励会(←2つ目のはウソ)。
ここで初めて僕が明日東京に収録に行く事を報告。でも一同は諦めムード。そりゃそうかもね。なんたって前例が・・・。



10月6日、ついに出発の日。結局「人物の顔事典」みたいな物はどの本屋に行っても無かった。単語帳も結局は完成途上。仕方なく家を出る。

今回は前回と違ってケチケチ旅行。夕方集合なので行きは鈍行乗り継ぎ。だけど、それを忠実に実行に移しては間に合わないので静岡からは新幹線を使う。つまり交通費を節約すると同時に時間を稼いでその間に単語帳をめくる、という作戦。一方帰りは多分遅くなるだろうという事で(確かに第一問で終わったら当日の新幹線で帰れそうだが)JRの夜行バス。この組み合わせだとJRの東京ミニ周遊券が使えるのだ(今はこの切符、存在しません)。前回の「グリーン車・個室」とはえらい違いだ・・・・。

(途中、日記は存在しますが、あまりにもしょ〜もないので省略)

東京駅を経由して六本木の駅に到着。地上に上がって、

「ここが六本木かぁ!さすが、若者の町、ポンギやなぁ!」

いや、ごめんなさい。ウソついてました。首都高速がうえにバァーン!ってあってうっとうしかったです。
そこから歩いてテレビ朝日らしい建物へ。テレビ朝日の番組の宣伝看板があったりして明らかにテレ朝の建物なのだが警備員はいるし、入り口も沢山。そんなこんなして10分ぐらいぐずぐずして、やっとこさ敷地内に入りました。
入ったらすぐに分かりました。「第2リハーサル室」ってなんのことはない。ただのプレハブ小屋。そこの2Fだった。

その集合場所に来たところで時計を見ると4時半ぐらい。中に入って様子を一瞥。「いかにも」な様子。(後述)
まずは受付。この時は軽いもの。名前を言って確認を受けるだけ。そんでもって空いたところに座る。40〜50の椅子と、それに見合うだけの長机があるくらいの質素なもの。お茶・お菓子は一切出ない。でも僕にとってそんな事、どうでもいい。まずテレビに映る事(注1)、そしてクイズができる事、そして100万円をゲットできるかもしれない事(と同時にウンナン始めたくさんの有名人に会える事(注2))が同時にかなうのである。そのためなら手弁当でも日の丸弁当でも駆けつけますって!

20〜30人集まったところで改めて受付。この時にポラロイド写真も撮られる。そしてプロフィールを書く紙も渡される。でも写真を撮られるってなんかいい感じ。スタッフは勿論手慣れたものだがこっちはなかなかできない体験ですし。
机にもどってプロフィールを書く。ネタははがきに書いたのと同じ物にする。別に嘘を書いたものではないし。あとは「単語帳を作って覚えてきました」を一応アピール。まあこれはあまり当てにはならないと思うけど。

しっかし、周りは高学歴の人が多いなぁ。ちょっと見回しただけでも早稲田、慶応、東大、青学・・・・。地方の大学は少ない。そりゃそうあ。自腹やもんねぇ。応募者の絶対数も少ないだろうし。
あと挑戦者の職業もすごいよなぁ。新聞記者に学校の先生、雑誌の編集者など。はっきり言って「大卒でないと付けない職業」の人ばっかり。しかもその人たちの学歴が今あげたような大学出身者で占められているだけにすごい。あと、現役の大学生も結構多い。但しほとんどクイズ研でした(注3)。でもなかには主婦の人とか小学4年生(!)もいた。これは番組側が用意した「ネタ」なんだろうけど。
それと、「クイズ王」と呼ばれるような有名人はあまりいなかったなぁ。できれば「ウルトラ」とか「FNS」とか「ギミア」に出ていた頃の有名人を見たかったんだけど。でもテレ東の「クイズの帝王」(注4)で何週も勝ち抜いたお姉ちゃん(みたいなオバチャンとも言う・・・)は見かけましたよ。でもそばでみると、化粧ケバかった・・・。

開始時間は午後6時からと言われる。そして僕の座席番号は23番。この座席番号は結構重要。というのもこのクイズは横一列10人の列がたてに5列、という50人でチャレンジが行われる。しかも放送上では人物の顔を割り込ませる為にどうしてもそれに邪魔されるところが出てくる。後、最後列だと遠くなって映りにくいし、そうなると一番の理想は8〜10番または18〜20番が理想かな?と思う。(だから芸能人が出るときは9,10番になってるでしょう?)そうなると、芸能人の隣で、かつテレビに一番映りそうなのは、「8番!」という事になる。でも50分の一じゃねぇ。というよりも今日のは完全に受付順だよ。もうちょっと早くくれば良かったよ。

ちなみにチャレンジ待機中は何をするかといえば特に何をするでもない暇な時間。そりゃあ単語帳はめくっていたけど、すぐに飽きてきた。だからといって周りの人と話をする事もできない。というよりも周りは完全にお金の亡者と化していた(笑)。前方の机には同じ内容のチャレンジの様子(1回目)を流していた。でも僕は既に何回もそのVTRを見ており、新しい発見なんて無かった。それにしても、
ひまだ〜〜〜!

そして10分前、いよいよ移動である。貴重品だけもってスタジオへ移動とのこと。荷物は置いていって欲しいとの事(多分カンニング防止)。そして挑戦者はぞろぞろとスタジオへ。

 

「その3・長い、長い収録」

 

(注1)「いらいら棒」や、「タイムリミットエレベーター」のように一人でチャレンジする内容ではなく、50人が同時にチャレンジする内容だったのでカットされない自信はあったのです。

(注2)当たり前だが、ウンナンやその他芸能人がチャレンジを見るスタジオは僕らチャレンジャーがやったものを編集した後でそれを見せる、という形を取っています。なので当日はウンナンには会えませんでした。

(注3)まさかここでクイズ研に出会うとは思ってませんでした。正直言ってあの当時(3年前)はクイズ研が出れるようなテレビ番組がほとんど全滅していたのでクイズ研は絶滅していると思ってました。
ということで僕は当時、オープン大会の存在も知らなかったわけです。友人にクイズ研の奴もいませんでしたし。
多分インターネットが無ければ、そしてウルトラクイズが復活してなければ・・・と思うと、当時が懐かしくも思えます。

(注4)テレビ東京系列で当時放送されたクイズ番組。週に1回の夜9時から1時間の放送。辰巳啄郎(こんな字でしたっけ?)が司会。一週勝つと100万円がもらえる。これを最大10週間まで防衛できるシステムだった。
テレビの懸賞金の上限が1000万円まで上がった後にできた番組で、注目は集めたがいかんせん「カジノザウルス」と同じ運命。あまり長い事はもたずに打ちきりとなった。そう言えば、この番組、大学生は出ていなかった。そのことも僕が「大学クイズ研」が無くなったと勘違いする一因だったのかなぁ。

 

 

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