僕の体験記(炎チャレ・歴史上の人物編)
その3「長い、長い収録」
スタジオである。まさか、テレビでちらっとしか見た事がないあのスタジオの入り口を見れるとは。
大きい紙にタイムテーブルとかいう予定表が書かれている。「9時〜・一次リハ」などなど。それを見て改めて、今日は2本取りである事が分かる。僕らの前に行われたのが「有名人の顔・100当てて100万円」で、その後に行われるのが僕らのチャレンジ。改めて予定表を見ると予定の午後6時開始が少し遅れそうなのが分かった。
中に入って、今日の司会が大熊英司アナである事が分かる。コーヒーを飲んで待機中。どうやらみっちりリハーサルをこなしてから僕らを迎えたようだ。あとはせわしなくスタッフが動き回っている。
そして僕の座席へ。23番の座席は結構高いところにあった。作りもさすがにセットではあるけどカジノザウルスよりはまし(笑)。但し、椅子はパイプ椅子。仕方ないか。でももし長時間の収録になればと思うと・・・。あと、机の上にはフリップが山積み。あとはマジック。ゼブラの奴かどうかはあの時は確認しませんでした。
それとがっかりさせたのが、チャレンジャーに芸能人がいなかった事。前回のチャレンジのときにはいただけに残念・・・。「別室で待機」かな?って思ったのになぁ。林家ぺーとかパー子に期待したんですけどね。回答の横に誕生日とかつけてもらって(爆)。
カメラを確認したところでまずは「全体を撮りま〜す」ということで撮影開始。何気に緊張する。しかも4台のカメラ。できるだけカメラ目線はしない様にする。
次に「100万円を撮影しま〜す!」ということで、置物の中にある100万円を撮影。よく、「挑戦開始!」のときに100万円を撮っている映像があると思うけど、あれである。ただし、すぐに100万円は取り除かれた。そりゃそうか。でもちょっと幻滅。もうちょっと見たかった・・・・。
そして大熊アナからちょっとした挨拶があって、いよいよというときに「それではリハで1問やりま〜す!」という声で1問。何の事はない。前回の挑戦の第1問目であった。「聖徳太子」を答えさせるものであるがこんな問題で一人ボケをかますおっさんがいた。「額田王」ってまた分かりにくいボケを・・・。待合室の雰囲気で「今日は駄目だ」というのが分からないのだろうか?しかもカメラは写す気が全く無いのだし。
そして、いよいよ、運命の第1問目!
そんなんたいした問題じゃなかったですよ。この手のチャレンジをご覧になった事がある方は分かるでしょうけど、第1問目はテレビを見ている方でも分かるような、まして「自ら応募して、自信がある」はずのチャレンジャーにとっては楽勝のはず、はずだった・・・。
まちがえた人がいた!しかも、小学校教師!
しかし、問題の答えが「夏目漱石」ですよ。それはいかんでしょう。福沢諭吉なら
『いや〜、私、普段から一万円札に縁が無かったんですよ〜』(それでもつまらんギャクだが)
と切り返せるが1000円札では理由が・・・。しかしいかんでしょう、「野口英世」って!さらに他にもう一人。世も末だ・・・。
テレビ局側にとってはこれは「おいしい」という事でさっそくカメラが2台。大熊アナも盛んに聞く。うち、採用された部分を。
大熊アナ「小学校の先生でいらっしゃいますよねぇ」
挑戦者A「一番前の席に座っちゃったんで・・・」
その時お前はどうだったかって?余裕でしたよ(普通はそうだと思う)。というより、爆笑するのを我慢した、って感じ。でも他の挑戦者はぴくりとも動かない。どうしてこれほど爆笑する場面を笑わないのだろうか?もっと、「場を楽しむ」という精神が無いのだろうか?知らんけど。
そして第二問目。「じゃん!」と出てきたのはいいがなんか見えにくい。暗いし遠目だし・・・。ま、これも簡単、「三島・・・」あれっ、漢字を忘れた!
こりゃいかん。感じ間違いは失格になるのでここは確実に「三島ゆきお」と書く。とにかく漢字はできるだけ書かない様にしよう。多分20問目まではサービス問題のオンパレードだし・・・。と思ったら、ここでも何人か失格者が。残念ながら小学四年生もここで脱落。やっぱり、幼子に現代史は無理があったか。他にも少々。まさか第二問目から現代史をもってくるとは・・・。
実はすべての失格者にはチャレンジが終わって階段を降りるときに大熊さんにインタビューを受ける。「お疲れ様でした」だの「次回もチャレンジしてくださいね」だの・・・。全部が使われるわけがないのは目に見えているので面白いのを使うのだろう。しかし律義だなぁ。今までテレビ局って傲慢なイメージがあったけどそうでもないみたい。テレビ局に入るときもスタッフは意外(?)と腰が低かったし。
そんな事を思ったときにある女性が下に降りた。そのやり取りを聞いてまた一人で爆笑。
大熊アナ「○○さん、どうでしたか?」
とある女性「1問目からいっちゃったんで動揺して主人を追いかけてしまいました。」
この方ってまさかあの小学校教師の奥さん?まだ話は続く。
大熊アナ「えっ、ということは・・・、まさか、第1問目で失格されたあの○○さんの奥様で?」
女性「はいそうなんです。」
大熊アナ「それはまた・・・」
女性「はい。まさか夫婦して大恥をかくとは思いませんでした」
大熊アナ「ありがとうございました。また次回を・・・って大丈夫ですか?学校の方には何か?」
女性「いや・・・」
そう言い残して女性は去っていった。まずこのご夫婦は放送でも間違いなく使われるだろう。やらせでも
ここまではうまい事はいかないはずだ。多分夫婦して泣き付いても間違いなくこのVTRは使われるはず。
そこで僕の感想、 この夫婦、お、おいしすぎる・・・。こんな事を考えていた俺って・・・。
結局第2問目も笑い声が無く終わる。はぁ、テレビの番組としては最高なのに。でもこれで小学生のはカットだな。
第3問以降は淡々と進む。しかし僕の右隣はたった1問で終了。その隣も第3問で終了。この為、「23番」という座席の
僕は右側に誰もいない状況でクイズを進めるしかなかった。寂しかった・・・というよりもこれで楽な姿勢で挑めました。
はっきり言って狭かったので。ま、仕方ないですねぇ、50人も入れてくれたら。
それと困ったのが「テレビカメラ」の圧迫感。4台ものテレビに囲まれるのははじめてのこと。意識はしないつもりでも
慣れてないとつらい。
4問目、5問目・・・と進行は淡々と進んでいく。やはり自ら出る人達は違う。今回はタレントはいないし誰もギャグに走ら
ない。「淡々と」で思い出したけど、写真が出てからフリップを表示させるまで結構時間を取ってくれる。1分くらいは
見てくれたのではないだろうか?最初の内はチャレンジャーの中で「マジックのふたが開かない!」って
一人でパニくっていた人が多かったけどさすがに肩にも力が抜けたのか、そんな事で困る人はいなくなったようだ。
と、そんな時に出た問題写真にみんなは凍り付いた。コール首相だった。今から考えればどうという事はないのだが、
出たときはふいと来た。まさか本当に「現代史」が出るとは・・・。これで女性はかなり撃沈。やはり「政治史」にも繋がる
分野は苦手そうだ。
さらにはエリツィン大統領。一瞬動きが止まる。僕も度忘れした。や、やばい!「ゴルビー」の名前ばっかし頭が・・・。
しばらく「ゴルバチョフ、ゴルバチョフ」ばかりが頭の周りを巡る・・・。さいわいシンキングタイムを他問よりもたくさん
もらえたのでどうにか難を逃れた。但しこの問題で間違えた人は結構いた。みんなすごすご階段を降りていく。正直
言って何度見てもいいものではない。その中にいたぞ!あの「クイズの帝王」女が・・・。いつものように大熊さんが
コメントを求める。
とたんにブリっ子になりおった!なんか話し方が控え室のときとぜんぜん違う・・・。
そりゃ、無理ありますよ。「テレビ」と「実生活」を使い分けているんですねぇ。まあテレビに出なれている方は違うなぁ。
まさかこんなところでそんな事を知るとはなぁ。しかも芸能人ではなく「一般人」を見て、とは。(注1)
あまりに白けたので気分転換に周りを見る。するとビジョンの横にいたディレクター(らしい人)もあきれていた。そして
カメラに向ってなのか、「バツ印」を打っていた。カットするのだろうか?
そんななかでも彼女は延々と「残念ですー」とか「世界史はちょっと駄目でした」とかコメントしていた。なんかかわいそうになった・・・。
どうやらこのチャレンジに「過去の栄光」とか「実績」は関係ない様だ。でも僕みたいなものにとっては逆に好都合。
これだけの人数全員にコメントを取っているのだ。よほど面白い事が起きるか上位に行かないとカットされるだろう。
上位に行けば字幕付き、だめなら全くカット、おもしろい。やってやろうじゃないの?
っつうことでどうにかこうにか問題を正解していく。というよりもこのあたりで誤算が。それは、
まさかまだ20問ぐらいで単語帳を使うようなレベルが出てくるとは・・・
本当にこれは予想外。最初の3分の一は別に単語帳の出番はなくて自力で余裕たっぷり、そのあとにあの単語帳の
出番があるかな?そして残りの20問ぐらいは「運任せ」の積もりでいました。
それが20問過ぎたあたりですでの僕に冷や汗が。というのも筆が止まってしまう問題が出てきたのだ。たとえばピカソとか
チャイコフスキーなど。正直言って、独力ではヤバかったかもしれない。そこで役に立ったのが、
大熊さんのヒント。あれっ?そんなん、放送のどこにも無かったのでは?とお思いの方。甘い、甘い。
実際は結構ヒントを出してました。しかもみんなの筆が止まるところで。というところで一つ教訓が。
みんなができる問題での取りこぼしは絶対に許されないな。みんなができないとまたヒントをくれるかもしれないし。
30問したところで休憩が入った。この間にスタジオではたまりに溜まったフリップを処分したり打ち合わせをしていた
のである。チャレンジャーといえば嫌に落ち着いている者、そして何かぶつぶつ言いながら歩き回っている者、
落ち着きがなくトイレに2度も行っていた者・・・。僕はトイレに行った事しか覚えていません。他のチャレンジャーが何を
しているかは特には気になりませんでした。但しこれほど緊張したのは久しぶりだった記憶があります。
そして再開。しかし僕にはもう100問解く知識量&気力はありませんでした。ルソーを別の人物に書き間違えてジ・エンド。
それは確か50問ちょい過ぎたところだったと思います。もう記憶にないのです。だって終わった瞬間、
ふ〜、やっと終わった・・・
という感情が先に来ました。まあ他の実力者の中には「あの問題が出なければ・・・」という方もいらしたでしょうが僕は
違いました。何度か大熊ヒントに助けられたし、他の人は全員正解しましたし文句は言えません。
僕はトボトボと階段を降りる。そこに大熊さんがインタビューをする。誰にでもされるインタビュー・・・にはならなかった。
大:「あのー、京都からいらしたと伺いましたが。」
さ
:「はい、京都の大学生ですから。」(←この時点で意味不明の返し)
大:「ということは本番までに相当時間がありましたよねぇ。」
さ
:「(へっ!?)そうですねぇ。だから顔写真を貼って単語帳を作りました。」
大:「そ、そうなんですか!?それは確実に紹介されますよ」
さ :「ありがとうございます。」
大:「悔いはありますか?」
さ
:「一生懸命できたんで悔いはありません。」
大:「お疲れ様でした」
さ :「ありがとうございます。」
このやり取りを終えた後、僕が悔しさを忘れてしまったのは言うまでもありません。そして大熊さんが
言っていたことが現実となる。スタジオから出ようとした僕を番組のスタッフの方が止めたのである。
「あの〜、阪田さん、できればその単語帳というものを見せて頂けませんでしょうか?」
もうこっちのものである。控え室に戻って単語帳だけを取り出してもとのスタジオに。そうするとさらに「できれば勉強
している所も映したいんですけど結構ですか?」 もうウハウハである。
(それにしても半分ちょっとしか答えられなかったのにこんなんでいいのか?というツッコミは無しにしてください)
ということで残った10人の挑戦者の見えない所でライトを浴びながら僕が単語帳をめくっていました・・・。
ついでにスタッフの方に気に入られたのか、この後の問題解答を見させてもらう事に。これを見て「あ、どうせだめだ」
と思いました。というのは次の問題になったルーズベルトはともかくその次のドストエフスキー、全く知りませんでした。
いずれにしろ「与えられた100問全てに正解しないと100万円貰えない」のでダメなんです、はい。
10分ぐらいした所で夜行電車に乗る為に家路に就く事に。だって時間はもう夜10時前。スタッフのある方が
一緒に帰りましょう、とおっしゃって頂いたのでそれに甘えさせてもらう事に。
いろいろ雑談にも応じて頂いたのだが、僕が「このチャレンジ、100万円でますかねぇ?」と聞いた所、
『絶対でません、ご安心ください!』
と自信を持っていたのが印象的でした。しかしたった50問ちょっとで収録時間が4時間近くの番組って・・・。
その4 放送されて
いよいよ放送である。もう収録日から放送日まで毎週欠かさず新聞をチェックする悶々とした日々・・・。
前回は友人に宣伝しまくって失敗したので今回は控え・・・・ませんでした(オイ)。だってあんだけ取り上げてくれたら
こっちの物だと思いましたから・・・。で、
結局僕の場面はカットされました(大泣)。
これには明らかな理由がありました。僕が敗退してから後、私の単語帳を上回る人がいたからです。私の掲載人数は
200人足らず、それに対してその人は300人以上。僕は簡単な人のはカットしていたんだけどそれがあだになったんかなぁ。
結局最後は歴史マニアっぽい青学生と頭脳明晰っぽい東大生の対決。勝ったのは青学生でしたが結局80問ちょっとで敗退しました。
そして私はもう一度はがきを出したが、結局もう呼ばれる事はなかった。というのは次の「歴史上100人」で
100万円が出たのである。百万円を出した人、それは僕のテレビメジャーデビューを闇に葬り去った人だったのである。
まあ仕方ないというかなんというか・・・。
結局その番組で映ったのは2・3度。まあ分かる程度の写り具合です。カジノザウルスよりはマシっす・・・。
いや、本当はその頃僕は炎チャレにもう一つ出たんですよ。幸運のサイコロ最後まで当てたら100万円という奴。
横浜アリーナであった時のものです。その時は全く言ってないのに放送翌日、友人に「でかでかと映ってるよ〜」と
言われました。まさかねぇ・・・。
その5 炎チャレ終了に寄せて
僕が立て続けに炎チャレにお世話になったのがもう3年以上前。あの頃のテレ朝はすでに斜陽化が始まって
いたんですがそれでもこの火曜7時からの枠は結構好視聴率をマークしていたみたいです。僕も毎週見ていましたし。
しかし「家族チャレンジ」の頃からあまり見なくなりました。昔だと欠かさずビデオにとっているぐらいだったのに・・・。
そしてこの春終了される事が発表されました。まあもう仕方がないか、という気持ちがあります。
でもこの番組にはいい思い出ばかりでした。結構地方・無名人にも優しいというかなんというか・・・。
テレビ局の横柄な態度も(僕が見た範囲では)見られませんでしたし。セットの物陰でChallenger on Fireと
印刷されたTシャツを着て頑張っていたスタッフを思い出します・・・。
以上、この項おしまい(かなり遅筆になりました。申し訳ありませんでした。)
(注1)今ではそんな風には考えませんが。ただし、僕にとってはまともに「テレビに出た」といえる事がそうはなかった
ときなので(今もだけど)あういう人を見ると、「やっぱしそうだったんだ・・・」って偏見を持ってしまいますよねぇ。