魔女のメッセージ



1.二人作者(wooch&midi)

二人の作者(wooch&midi)は日本国籍をもち、戸籍上は共に女性です。
ごくフツーの二人は、ごくフツーの女性のように、恋をしたり、お洒落をしたり、美味しい物を食べたり、好きな音楽を聴いたり、その為の日々の雑事もこなし、ごくフツーに生きていたのです。
二人がであったのは、互いに18の春。そのころは互いの内面に潜む共鳴しあうはずの魂には気付かずに過ごしていました。
時は流れ、二人はさらに大人になりました。いつのまにか社会生活にとりこまれ、疎遠になることもしばしばでした。
しかし、大人になればなるほど、心の中にいつしか捨て置かれた「物を創りだしたい」という感情が膨らみ続けていることを、知らぬふりができなくなっていたのです。それでも時は容赦なく流れて行きます。そのような感情を擁きながらフツーに暮していることは少々の苦痛を伴いました。そうです。ごくフツー女にみえるこの生き物は実は魔女だったのです。

2.魔女の発露

ある時、再会した二人は、一瞬にして互いを魔女と見抜きました。その上互いに「童話を書きたい」という想いを持っていたことを知り、その幸運な偶然を喜び合いました。二人が目指していた、書きたいと願った童話、それは不思議と一致していたのです。それも魔女の因果というものです。それは、「子供のためのもの」として無菌地帯に囲い込まれてしまった“どうわ”ではなく、また、「あえて大人のために書かれた」ものとして、童話がおのずから含有するエロスや、グロテスクな部分を拡大してみせた「大人のための童話」でもありませでした。
書きたいものは、童話と呼ばれているのものに近い“おはなし”だ、としか言いようがありませんでした。カテゴライズできないから、ふたりそれぞれに“おはなし”を書いたり、またそれを互いに批評したりしながらも、発表する機会がなく、小説公募や童話公募も「なんだか違うよね」と苦笑いしながらも、魔女と人間の女としての二面を天秤に計りながら暮すのみでした。更に月日は流れて、魔女の部分が人間の女としての領域分を序々に犯しはじめていることを隠し続ける事は困難になってきたのです。
人から見れば、我々はそれなりの大人の女ですし、そのうえ夜中は魔女としての修行が目白押しです。魔女とて一日は24時間しかないわけです。日々の雑事に追われないわけはありません。が、魔女のはしくれとして、どんな時も心の中に、“おはなし”の種を生み出す子供を宿しその子は魔女の胎内でしっかり息づいていました。

3.生まれいづる命

魔女の胎内に宿るその子供は、ふたり互いの目から見れば透明なからだをしていますので、月日とともに、その身のうちに、悲しみや孤独や胸がふるえるようなよろこびや倦怠や恐怖やそれから言葉に言い表せないような感情や記憶のうねり、といったものが、消化されないままに溜まっている様子がはっきり見えるのでした。
そのため消えることも成長することもできないでいる子供を、私達は、“おはなし”という形で“産む”ことにしたのでした。 わたしたちの、「大人の女」であるこの身体を通じて。--------
そうして子供は、震えながら、この世界に、うつくしい異形の姿をもって、産まれてきたのでした。

4.アージュヴェダの物語

そうして産まれた「十一夜物語」ですが、単純に作品を寄せ集めたものではなく“花嫁に語らせる”という入れ子構造と、アージュヴェダや花嫁などの登場人物を二人の作者が個々の作品内で動かすという仕掛けは、私達にとっては面白い冒険でした。読者の方々にとってもそうであれば幸甚です。
また、舞台設定的には、包(ゲル)がでてきたりしてモンゴルを思わせますが、あくまで架空の国ですし、精霊が人の魂を喰う、などの設定も架空のものです。モンゴルにはシャーマニズムが息づいていますし、シベリアでは“精霊には悪意あるものと善意のものがある”とされているようですが、それらの文化に大いなる関心と敬意を持ちつつ、無関係な民族文化をデッチ上げさせてもらいました。

実際、花嫁の前に十一夜も目隠しして座らされ、喋っても触れてもならないなんて婚礼、普通なら誰も我慢しないだろうなあ。(笑)・・・

5.魔女の正体

戯言をここまで読んで下さってどうもありがとうございます。そうして「この魔女どもっていったい誰なんや??」と思われたあなたにだけ、そっと正体をお知らせしましょう。そっと、一人だけでごらんくださいね。「ではまた明晩、同じ時刻に」

[魔女の正体]


[十一夜物語 Top] [WHAT'S「十一夜物語」] [進行状況&データ] [GRAPHICS] [ひみつ日記]
[mail]