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25 ルール違反をうらやむ前に

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加害者への報復や懲罰に否定的な意見を述べると、よく次のような反論が返ってきます。
「悪いやつが得をするのを放置していいのか」
「正直にルールを守る者が損をするのでは、誰もルールを守らなくなる」
「罰則がなければルールは守られない」
こういった主張をする人の考えでは、
「抜け駆けをして笑うやつを許さないために、みんな我慢してルールを守っているのだ」
ということのようです。
はたしてそうでしょうか。

まじめに学校の授業に出席している生徒が、不登校の生徒をうらやんだとします。
「病気でもないのに、さぼるのはずるい」
一方では
「出席しなけりゃ成績が落ちるのに、なぜ出てこないんだろ」
と考える生徒もいるでしょう。
登校してこない生徒の状況はいろいろでしょうが、最終的には自分が不利になることに気がついていないか、わかっていても身動きとれない理由があるかどちらかです。納得づくで学校に行かないことを選ぶ生徒も社会的ハンデは覚悟の上でしょう。
登校できている生徒のほうが有利な立場にいるのですから、うらやましがったり、糾弾したりする理由などありません。自分もまねをして学校をさぼるのも軽卒でしょう。

暴力の場合は不登校と違い、被害者がいるだけにもう少し複雑です。それでも現実の加害者が「うまい汁を吸ってほくそえんでいるずるいやつ」といったマンガチックなイメージにあてはまらないことは確かです。
被害感情にかられた人は加害者に対してこういった「俺得」「悪いやつほどよく眠る」イメージをいだきやすいので注意が必要です。

現実には暴力文化のなかで生きる人たちはトランプゲームの「大富豪」を一生涯続けているようなものです。
大富豪はトップに居座り続けるために貧民ド貧民を押さえ続けなければなりません。それでもいつかは転落してド貧民です。
抜け駆けや謀略が当たり前の世界に住む人たちには安心も安定もありません。法的な処罰などぬきにしても、けっしてうらやむような人生ではないのです。

被害や抑圧にさいなまれる人は「自分の幸福を横取りした悪いやつ」をみつけて取り分を奪い返そうと考えがちです。
資産や機会をうまく配分するには現状のルールでは不完全でしょうが、だからといって暴力で自分の取り分を奪い返すとか、相手にことさらにダメージを与えることの正当化はできないと思います。

たとえ法律で認められた暴力でも、仕返しの手段に堕すれば被害者の加害者化を容認することになり、さらなる暴力の連鎖に荷担するだけとなります。

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