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20 被害者が誘発する暴力

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体罰は子供の成長に様々な影響を残します。
子供の変化は一方で、加害者である大人も変えていきます。

たびたび暴力をふるわれた子供は周囲の人たちの動きに過敏になります。相手がかっとなったり手を振り上げたりしたらすぐに対処しなければならないので、落ち着き無くそわそわとしています。知らない大人に出会うと、その人が殴ってくるかどうか判断して態度を決めます。
相手がちょっとでもアクションをおこしかけたら過剰に反応します。相手の強さしだいで先制攻撃をかけることもあれば、その場かぎりの言い逃れをすることもあります。
しかし、いったん状況が収束すると(暴力を回避できたときも、やられてしまったあとも)そのことはすみやかに忘れてしまいます。
次の攻撃がいつ来るかわからないのに、じっくりものを考えたりぐずぐず悩んだりしていられないからです。

このような子供の態度は、たいていの大人には否定的に評価されます。
ちょっとしたことでかっとなる、甘くされるとつけあがる、自分のことを棚に上げて他人のあらさがしばかりする、みえすいた嘘をつく、いくら叱られてもこたえていない、といった感じです。
加害者である大人は子供がますます扱いにくくなっていくことに腹をたて、さらに加害がエスカレートします。
暴力をふるう人間は、暴力をふるうことに慣れ、ためらうことが減り、暴力の及ぼす影響に鈍感になっていきます。
はじめはおしりをぱんと叩く程度であっても、子供が親の前でひよひよした態度をとり、たたかれてもすぐにけろっとしているのを見ていると、ますますいらいらしてもっとひどい暴力をふるうようになっていきます。

親以外の人間もまきこまれていきます。子供は親とのあいだで学んだ人間関係のもちかたを他の大人にも使います。他の方法を教えられていないのでしかたありません。
たとえば学校で、暴力をふるわない教師の指示は無視して一方的に自分の要求を通そうとします。また、自分より立場の弱い子供に対しては脅しや威嚇を使っていうことをきかせようとします。それを止めにはいると人が変わったように怒り出します。
普段は「暴力はいけない」と考えている大人でも、毎日てこずらされると最後には「言って聞かない子は叩いても仕方ない」というところまで追い込まれていきます。あるいは、「私は自分で手をあげることなんてしない」教師でも、同僚が体罰をふるうのを見て「いいことじゃないけど、やむをえない。批判できない」と思ってしまうかもしれません。

こうなると、私が以前に書いた「弱者に対する暴力が防げなくなる三条件」すなわち
「圧倒的な力の差」
「加害者被害者の膠着した関係」
「外部からのチェック、内部監査の不在」
がすべてそろうことになります。

被虐待児を保護したあと、里親宅や施設で虐待が再現されるのにはこういった背景があります。同じようなことが少年院や刑務所でも起こっているのでしょう。

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