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19 子供のコミュニケーション能力と暴力

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言葉を話せない乳児は泣くことで親の注意をひき、空腹や不快を訴えます。
親は泣いている乳児に乳を与え、おむつを替え、抱きあげてあやしてやります。
これを繰り返すことで、乳児は自分の音声が意思伝達の手段になることを学び、やがては大声で泣きわめかなくても、ふさわしい声を出すことで相手に伝わることを学んでいきます。
親は乳児の世話をしながら声をかけることで、どのような音声がコミュニケーションの役にたつかの手本を示し、模倣をうながすことで言語表現力を育てていきます。

泣いた時にたたかれた乳児は、自分の意思表示が失敗したと学びます。驚きと恐怖で一旦行動停止したあとはどうなるでしょうか。
乳をもらえるまで、いっそう泣きわめき続ける子もいれば、泣くことをあきらめてしまう子もいるでしょう。
おだやかな音声言語が他者とつながる手段であるということを、この子供は学習しそこねたことになります。

もう少し育って手足を使えるようになった幼児は、自分の気持ちをうまく表現しきれなかったときに相手をたたいたり、噛みついたりすることがあります。
言語表現力がまだ十分でないからです。
このような時に、親は子供の伝えきれない気持ちをくみあげて、よりよい表現の方法を根気よく教える必要があります。
このとき、子供をたたくことはしつけになるでしょうか。

少し以前の新聞に、次のような笑えないエピソードが掲載されていました。

友達をたたいて泣かせたのにその場で謝れずに帰ってきた我が子を、親が頭を押さえつけて「ごめんなさいって言いなさい」としかりました。それから親は子供をつれて友達の家に行き「謝りなさい」と言いました。子供は友達の頭を押さえつけて「ごめんなさいって言いなさい」と言いました。

子供は親の行動をしっかり見てまねをして学びます。
子供の暴力を親が暴力で押さえ込めば、子供は「力の強い者は弱い者を暴力で従わせる」と学ぶだけです。

みなさんの周囲にも、「口で言えばわかることなのに、なぜそんなに安易に手をだすの?わざわざ相手が嫌がるような手段に訴えるの?」と不思議に思われるような行動をとる人がいるのではないでしょうか。
そういった人たちの一部は、幼い頃から「きちんと話をすれば相手に通じる」ことを学習していない、そういう能力を育ててもらっていないのです。
「口で言ってもきかないから体罰が必要」なのではなくて「体罰で育てたから口で言ってもわからなくなってしまった」のです。

このように育って小中学生になった子供の行動様式を修正するのは大変です。幼児期に学習し損なったところに戻って言語コミュニケーションを教えなおさないといけないからです。
ここで、教師や親以外の大人が「こいつは口で言ってもわからない」からと体罰を援用すれば、親が行った不適切な学習効果を強化するだけです。

暴力を暴力で押さえ込むという行動様式の行き着く先は、より強い暴力でないと抑えのきかない大人の誕生です。
そういった人たちを押さえ込む為に、警察や司法といった公的な暴力を使わざるを得なくなるということです。

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