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18 子供をたたいたときに起こっていること

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大人から子供にふるわれる暴力のほとんどは大人のやつあたり、うさばらしだというのが私の主張です。
しかし、世の中には理解力の乏しい幼児をしつけるにはたたくことも有効だ、言って聞かせてもわからないのだから、たたくしかない、と主張する人もいます。
痣や傷も残さない程度の軽いものなら子供の身体に影響を残さないし、記憶にも残らないだろう、と考える人もいるようです。
 はたしてそうでしょうか。
 
幼児は自分の興味関心に忠実に行動します。大人のじゃまになったり、本人にとって危険な行動をとることもあるでしょう。
包丁をさわろうとした幼児の手をぱちんとたたいたらどうなるでしょうか。
幼児はびっくりして手をひっこめるでしょう。
たたいた効果で悪さをやめたように見えるかもしれませんが、それではこの子は「包丁をさわったら危ない」ことを理解したでしょうか。
幼児が手をひっこめたのは痛い目にあってびっくりしたからです。
包丁の危険性については何の説明も受け取っていません。
学習されたのは「親は自分をたたく存在である」ということだけです。
では、手をたたく前か後で「危ないので包丁をさわってはだめ」と話して聞かせたらいいでしょうか。
言語メッセージだけを受け取ったなら幼児は理解はともかく親の話に意識を向けるでしょう。しかし、暴力の刺激は聴覚刺激よりずっと強烈ですから、たたかれたとたんに幼児の意識はそちらに気をとられてしまいます。
結果、たたかれて痛かった怖かったことだけが記憶に残り、その時に聞かされた話などふっとんでしまいます。
自分の行動と処罰を結びつけて理解できるほどに成長していない子供にとっては、親の暴力は降ってわいた災厄です。「こんどはいつたたかれるだろう」ということだけを気にして、落ち着きなく、びくびくと親の顔色をうかがうようになっていくでしょう。
エピソードとして整理された記憶が残らなくても、行動の特性はしっかり身につくものです。

では、「包丁をさわろうとしたからたたかれた」という因果関係まで理解できる子供なら体罰は有効でしょうか。
この場合も「包丁をさわると自分がけがをするかもしれないと心配して親がたたいた」なんてところまで理解がすすむことはまず困難です。それがわかるくらいに成長しているなら、話して聞かせるだけで十分のはずです。
罰を受けた理由が自分のためだと理解できない子供は「次は親の見ていないところで包丁をさわろう」と考えるだけです。

暴力によるしつけは、その場で子供の行動をコントロールしたように見えて、実は瞬間的に子供をおびえさせているだけなのです。痛みや恐れ、腹立ちの種をまくばかりで、大事なメッセージは何も含まれていません。親を怖がったり憎んだりうっとうしがったりする種をまいているだけなのです。

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