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17 暴力をひきだす環境要因

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乳幼児を養育する環境には、ふだん暴力的に見えない人でも加害者になりかねないリスクが存在する。
これが私の主張です。
そのリスクを次に並べてみます。

1。圧倒的な力の差
 人間誰しも強力な反撃の予想される相手には手をだしにくいものです。相手が乳幼児なら加害は簡単です。殴り返される心配はありませんし、言葉で抗議される心配もありません。

2。膠着した関係性
 いくら叩かれてもよちよち歩きの子供はその場から逃げられません。また、大人の庇護なしには生きていけないので、親の傍から離れるという発想がありません。一方、親の側には社会的心理的な縛りがあります。子育ての責任を負わされている、親として周囲の評価にさらされているなど、子供に縛りつけられて逃げ場がないと思いこみやすい状況があります。

3。介在者の不在
 親子だけで暮らす家のなかには、加害者の行為を注意したり、被害者を守ろうとしたり、関係を緩和しようと働く第三者がいません。乳幼児は他者に被害事実を訴えることも困難ですから、暴力行為が外の社会に知られないままになりがちです。
 もちろん、父親が子供を叩いているところに母親がいても、黙ってみているだけでは抑止力にはなりません。
 無関心な第三者は暴力を容認・荷担しているのと変わりありません。

他の場面では暴力をふるわないような人でも、自分が被害にあった体験を未消化であったり、欲求不満をためこんでいることはあるものです。そのような人が上記三つのリスク要件のそろった場面におかれた時が危険です。

「反撃のおそれがないほどの力の差」
「加害者も被害者も逃れられない膠着した関係」
「外からの介入・内部チェックの不在」

さて、これらの要件がそろうのは乳幼児養育の場だけでしょうか?

家庭内であれば「夫から妻へ」「介護者から高齢者へ」「思春期以降の子供から母親へ」などのパターンもあるでしょう。
社会的には託児施設、学校、福祉施設、医療機関、職場、宗教施設、交通機関、デートや性交渉の場面でもこのような状況は発生します。現にこのような場で暴力加害・被害が発生していることはみなさんもご存じだと思います。

正義と法的正当性の名のもとに暴力が行使される場でも、部分的に上記三つの要件がそろえば、釈明不可能な暴力がまぎれこみます。
刑務所、捕虜収容所などがいい例でしょう。

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