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13 子育てしない大人と子供の関係

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この文章を読んでいる方のなかには、自分は子供を育てたことはないし、将来もその予定はない。したがって、児童虐待と自分とは直接関係がない、という意見もあると思います。
人権とか人道とか博愛とかいう言葉をなるべく使わずに、「親以外の大人が子供の養育を考えなければならない理由」について考えてみたいと思います。

人間は生涯の始めの十数年間を他者の庇護なしには生きていけない弱者として生きます。それに続く40年〜50年くらいの期間は一応、自立して生きることができるとされています。さらにその後はまた他者の援助なしには生きられない状態となり、必要な援助は死ぬまで増加し続けます。
年をとった私たちの扶養と介護を担うのは現在の子供たちなわけですが、自分の子供がいない人たちも、いずれ金を払って、あるいは税金を使って、サービスを買うことになります。
では資金さえ用意しておけばいいかというとそうではないですね。いくら買いたいものがあってお金をつんでも、商品そのものが品薄であれば手に入らなくなる。十数年前の米不作の年に思い知らされた事実です。

日本で生まれる子供の数は確実に減少しています。少ない労働人口で増え続ける老人を養うのは大変ですし、介護に携わる人材を確保するのも大変です。この分野は機械化や合理化がもっとも難しく、知識や経験の他に労働者の持ち前の性格や気質がサービスの質に大きく影響する分野だからです。
国内生産で労働者が間に合わなければ輸入に頼るという発想もすでにあるようですが、日本人のニーズに合った供給がうまく成立するとは限りません。

一昔前までは、日本でも余るほど子供をつくって、出来の悪いのは切り捨てる、ということが公然と行われていました。兄弟が7人も8人もいたら、成人する前にひとり死に、ひとりは行方がわからなくなり、ひとりは他の兄弟に一生食べさせてもらうというのもありだったのです。
子供の数が減っている現在、そのような無駄を見込んだ子育てをする余裕はありません。生まれてきた子供ひとりひとりがそれぞれの資質を生かして社会貢献できる道を捜さなければもったいないのです。

それに、子供達がどのような考え方をもった大人に育つかも気になるところです。「めんどうな介護をして報酬をもらうより、年寄りをさっさと殺して遺産をせしめたほうが効率的だ」なんて若者が増えたら大変です。
働けなくなった世代の面倒をちゃんとみてくれる次世代を育てることは子供のいない人たちこそが考えなければならない課題なのです。

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