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11 加害側の屁理屈

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八つ当たりで暴力をふるう人は、それが八つ当たりであることを自ら認めたりはしません。
たいていは被害者側に何らかの落ち度があるように言い、加害者自身も本気でそう思っていることさえあります。
やれ態度が悪いの、口の聞き方がどうの、こっち見て笑っただの、存在自体がうざいだの、言いたい放題の人もあるし、多少手のこんだもっともらしい詭弁を弄する人もいます。
実のところは、もう一段上の加害者Aには手も足も出ないなんてことを被害者Cの前で認めたくないだけなのです。
Bが述べ立てる加害の理由を真に受けて
「被害者Cにもまずいところがあった、隙があった」
などと考える第三者がいますが、これは違います。
Bのような人は自分が暴力をふるうきっかけを探し求めているので、Cが抵抗できない立場だと嗅ぎつければ理由は何とでもこじつけます。
この時の屁理屈がどれほど理不尽かは、いちゃもんをつけられたことのある人にしかわからないでしょうが、一度経験すればもう辟易するものです。
ここで問題なのは、被害にあいたくない人たちが単純に衝突を回避して自己防衛するだけでは、加害者はさらに立場が弱く、孤立した人を選びにいってしまうということです。
最後に目をつけられた被害者は自力で逃れようがありません。
本当の意味で被害を回避するためには、横つながりの連携が必要になってくるのでしょう。

ところで、最近
「動機がはっきりしない加害が増えた」
とか
「何の罪も無い人が無差別に加害されるようになった」
とか言われることが増えているようです。
これらは加害の本質が変化したわけではなく、単に加害者が八つ当たりを正当化する努力を昔ほどしなくなっただけだと私は考えています。

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