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10 やつあたりの連鎖と拡散

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暴力をふるった人、ふるわれた人のあいだで力の差がはっきりしている時には、報復のかわりにより弱い人への八つ当たりが選択されることがあります。
加害者の縁故者で弱い人間が標的になることもままありますが、全然関係なくても「自分が報復されない」ことだけが選択の基準になることもよくあります。

たとえば上級生Aが下級生Bを殴り、Aには対抗できないと考えたBが腹いせに新入生Cを殴ったとします。
CがBに対抗できないと考えれば、帰宅して妹を殴ることも考えられます。
暴力の連鎖は水が流れ落ちるように弱いほう低いほうへと向かいます。

こういった状況でしばしば生じるのが、「被害者が被害を覚えているほどには加害者は加害について覚えていない」という現象です。

上記のBの場合で考えてみましょう。
Aに殴られっぱなしになったことはBにとって忘れがたい被害であり屈辱です。(暴力的な性格の人ほど力関係で抑圧されることを過剰に嫌がります。)Cに八つ当たりすることは一時的なストレス発散にはなりますが、その効果は長続きしません。もともとの原因であるAとの力関係は全然変化していないからです。時間がたてばBはまたAに対する鬱憤をため(実際に殴られたのは一回きりでもそのまま関係性が固定してしまっているので)いずれまたCやCと似たような立場の人を殴るでしょう。変わりばえのしない、持続効果のない手段をまた選ぶのは、他にストレス発散の手段を知らないことと、一過性でも即効果のある手段に惹かれるからです。
暴力と依存性の薬物は似通った性質をいくつももっていますが、これがその一例です。

Bは何人もの下級生に暴力を振るい、被害者(=潜在的な次世代の加害者)を増やしながら、自身は救われることがない。変化が無いことが加害への関心を薄め、忘却を加速します。

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