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4 正当防衛にからむ実際的問題

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このシリーズでは、なるべく抽象論は避け、具体的現実的な場面について実際の記録や経験をもとに話をしていきたいと思います。
世の中にはいわゆる究極の選択論、机上の空論が山ほど流布していて、現実にはありえない前提で議論をふっかける人たちがいます。
実際にはこの世の中で何らかの行動を起こすと(あるいは起こさないと)その影響はさまざまな方向に波及していくので、そういった結果を抜きにして議論をしても実際の役には立ちません。
さて、私たちが何らかの理由で暴漢に襲われたとします。襲ってくるほうにはそれなりの動機があるはずで、個人的な恨みかもしれないし、金銭目的かもしれないし、不特定多数に向けた行動かもしれません。
おそらく共通するのは、加害者側の動機づけのなかにある欲求不満、被害感、不公平感です。
「あいつのせいで被害をこうむった」
「自分が金に不自由するのは不当な利益を得ているやつがいるからだ」
「自分ばかり嫌な目にあうのは不公平だ。幸せそうなやつにも嫌な思いをさせてやる」
といった思考が意識的にせよ無意識的にせよ、後押しをしているはずです。
このような気分でいる相手に反撃を加えるとどういう反応をひきだすでしょうか。
前にも書きましたが、人間は得てして自分に加えられた危害を過大評価し、自分が加えた危害を過少評価します。
反撃は加害者側の被害者意識をもろに刺激します。
いわゆる「逆ギレ」状態です。
「そっちがその気ならこっちだってやってやる」
的に、自分が先攻したことも忘れて反撃している気分になってしまいます。
客観的にみれば相手が悪いのですが、もとよりそのような冷静な判断ができる相手でも状況でもありません。
あげくに
「あっちも手をだしたのに、なんで自分ばかりが責められる」
「やっぱり自分は虐げられている」
「このオトシマエはいつかつけてやるから覚えていろ」
といった考えに流れていきます。
つまり、過少な反撃は加害者を刺激して暴力を増大させるだけ、過大な反撃は逆恨みされて後腐れを残すだけとなります。
レイプ被害にあった女性がなかなか抵抗できないのは力の差だけではありません。
下手に刺激したら相手が逆上して身体的にも過大な被害をこうむるとわかってしまうからです。
直接的、個人的な暴力被害にあったときには、ともかく助けを呼びながら大急ぎで逃げる、相手の気をそらすためには反撃よりも音や光の刺激のほうが安全、というのが私の結論です。


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