吟講「西亭春望」


〔語 釈〕
*西亭春望ー岳陽城の西にあった。岳陽楼の亭からの春の眺め。作者が岳陽に謫居した頃の作。
*北雁ー春になって北へ帰ってゆく雁
*?冥ー遠く暗くて見えにくいことをいう。ここでは大空の遠い果て。老子第21章「窈兮冥兮」とあり、窈は冥と同じ。
*岳陽城ー岳陽楼のこと。城壁の西門の楼である。
*春心ー春の想い。ここでは春の愁いを含む。楚辞・招魂に「湛湛たる江水上に楓有り、目千里を極めて春心を傷しむ魂よ歸り来たれ、江南哀し」とある。〔備考〕参照。
〔通 釈〕
日は長くなり風は暖かで、柳は青々と芽を吹いた。ふと目を上げると、北へ帰る雁は遠く都の方へ飛んでゆき、空の果てに消えていった。(北の我が故郷の方向に向って雁が飛んで往くのを羨ましく望み、やがて遠く幽かな雲間に姿を消してしまった。)
折からの岳陽楼の上で誰かが笛を吹くのが聞こえてくる。それを聞いているとそぞろに春の愁いが立ち籠めて、洞庭湖一面に広がってゆく。
〔詩の構造〕
この詩の構造は下平声九青 青冥庭拗体。
〔作者の略伝〕
賈至(718〜772年)
盛唐の詩人字幼鄰、玄宗皇帝の開元六年の生まれ。洛陽(河南府)の人。
玄宗皇帝がその位を粛宗に譲る時に賈至は其の側近として非常に功労があった。代宗皇帝の大暦7年(772年)55歳にて没す。礼部尚書(文部大臣の様な地位)が贈られる。
賈至集20巻あり。
〔備 考〕
楚辞・招魂
戦国時代の楚の人で屈原〔前343年〜277?年〕の作(或いは屈原の弟宗宝の作とも)。
屈原が身内から遊離しようとする自己の魂を招き鎮める爲の招魂呪術に用いるために作った歌
 「湛湛江水兮上有楓 目極千里兮傷春心 魂兮歸来 哀江南」
ひたひたと湛えた揚子江の水、そのほとりには楓の木が生えている。千里の果てを眺めやって、春の心を傷ましめる。み魂よ、帰り来たりたまえ、揚子江南は悲しい。
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