まことの法華経信仰

山川智應先生の「本化妙宗信條」要義より
                                           
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本化妙宗の正しい信を示した五つの原則

第一則 本化妙宗は、法華経の教理に根拠し其の旨帰の命ずる所に於て宗旨を決着し宗旨の定むる所に遵って修行を立す。(『四句要法』と『一秘即三秘』との関係)(三大秘法を明されたる聖人の御妙判

第二則 教法を判じ宗旨を決するは、専ら末法の依止師たる本化聖祖の知見指導に拠る。世間一切の学見思想を判ずるも、亦た本化の知見を以て能判能開と為す。

第三則 本化妙宗の信は、まづ依師(聖祖)に対して発生し、依師を透して以て本佛、本法を認む

第四則 本佛本法の功徳勝能は、悉く本化聖祖の知見身行に発現せられたることを確信して、之を絶対の聖境と定め、自己の色心依正を聖祖の大慈願海に摂帰して、法界円融する之を妙宗信心の成立と為す。

第五則 本化妙宗の信は、不惜身命の心地を體と為し随順歓喜の情念を用と為し勇猛精進の意気を力と為し純潔光明の意志を発作と為し人法ともに雑乱昏昧を離れて浄心信敬の実を全うするに在り、其止作の要件を 十条と為す。


  1 まずその「名」から

『本化妙宗信條』

 この『本化妙宗』とあるのは、現在『日蓮宗』とか、『法華宗』とか、『本門佛立宗』とかいうのと同じように、一つの宗教団体の名だと考えては違うので、今日まで『本化妙宗』という宗団はどこにもないし、また今日もないので、これは宗団の名ではなく、言いかえると、
 『本化上行大菩薩の應化たる日蓮大聖人の弘めたもうた、妙法蓮華経宗』
ということで、日蓮聖人の宗教の意味を、ほんとうに言い顕わした名なのである。
 若しも「日蓮宗信條」とか、「法華宗信條」とかというと、従来ある一つの限られた宗団の信條と誤られるおそれがある。また『日蓮法華宗』というのは、宗団としては用いてはいないが、『日蓮』とは聖人の垂迹凡身の名で、聖人自身すでにその宗教の中心たる、本尊御開顕の事をも、
『これ日蓮が自作にあらず、多寶塔中大牟尼世尊、分身の諸佛すりかたぎたる本尊也』(日女御前御返事)
とも仰せられ、
『後五百歳之時、上行菩薩出現於世、始弘宣之』(安房妙本寺真筆大本尊)
とお書きになり、本化上行菩薩の應化として、本佛久遠釈尊の付属のままに、この妙法蓮華経の五字七字を宗旨とする宗教を、お弘めになったのだから、その御思召にしたがって、お弘めになったお方としての垂迹凡夫の御名を取らないで、弘通の真資格者としての本化菩薩の本地の方を取って、『本化』とつけたので、また『妙宗』というのは、『妙法蓮華教宗』を略したものだが、それは『三井家の越後家』だから『三越』、『伊勢屋丹治』の創立だから『伊勢丹』といったという類の略名ではない。『妙法蓮華経』という御経の真の功徳利益を、一言に言い顕わした時に『妙』の一字に帰する。
 そのことを聖人は
『爾前(経)の秋冬の草木の如くなる九界の衆生、法華経の妙の一字の春夏の日輪にあひ奉つて、菩提心の華さき、成佛の菓成る』(法華題目鈔)
とも仰せになっている。
 『宗』というのは、聖人また
『宗とは戒定慧を備へたる者也』(聖密房書)
と仰せになって、それを信じ行ずる者が、心をも身をもそれに随って働かすことで、『本化上行菩薩の弘め給うた妙法蓮華経に、身をも心をも任せている宗教』といった意味が、『本化妙宗』ということだと心得れば、決してまちがいはない。その『信條』即ち『信仰修行』の急所を、『箇條』立てにして書いたものだから、『本化妙宗信條』というので、苟くも日蓮聖人の宗教であるなら、それは何という宗だろうと、この『信條』に違うていれば、それはその点では聖人の御思召に如はないところのあるものと申さねばならぬ。
 なぜなら、この「信條」は、田中智学先生が何れの宗団にも属さないで、専ら大聖人の御遺文を指南として、祖道復古の激しい二十餘年の折伏化導の後、明治三十六年に、日蓮正宗と顕本法華宗の外の、日蓮宗、本門宗、法華宗、本門法華宗、本妙法華宗、不受不施派、不受不施講門派という当時公認の七宗団の、最も有為なる青年僧(中には已に六十以上の元の本山貫首も、その宗学林の教師をした人も、哲学館得業士も十名近くいたが、多くは宗々の中檀林卒業者数十名を中心としていた。それ等の人々はその後その宗々の管長、学長、宗務総監、教授、部長、宗会議員、監督布教師等になった人が多い)を学生として、1カ年間「本化妙宗式目」と名けられた、組織的宗学を講ぜられた。その「式目」の中で初めてこの「信條」が発表せられたので、その後これに就いて異議を唱えた人はなかったから、正しい意味の日蓮聖人門下の「信條」として、大体認められたものといって宜しい。


  2 どういう根拠からこの「信條」はでき上ったか

 ではこの「信條」は、どういふ根拠からできあげられたのかといふと、

式目の法義を約行取要して下の五則十條の信條と定む。

 『式目の法義』といふのは、前にいった「本化妙宗式目」といふ組織宗学は、もともと日蓮聖人の御遺文が四百篇近くあり、その中に種々の御法門が出ているし、また聖人御滅後に各派が出来た。それ等は今日のやうに宗教が、何の根拠もなく出来るのではなく、それを必要とする。それ等の重要なものを悉く集めておよそ一千に近い法門教義を、大聖人の宗教の組織から見て、これは頭、顔、眼、耳、鼻、口。これは胸、腹、腰、背。これは右手、左手、右足、左足。これは皮、肉骨といった風に、それぞれその有り處を定めて整然たる一大體系とせられた。それは六百数十年來曾て無かったもので、他の佛教各宗でもまだ出来上がっていないものである。
 さういふ「本化妙宗式目」の一千條の法義を、『約行取要』といふのは、聖人の宗教の信仰修行をする場合に、約めて来て、必要缺くことのできないもののみを取って、五つの原則と、十の箇條とをさだめられた。
 さういふ根拠の確然したもので、聖人の法門教義を深く知らぬものが、よいかげんに列べたものとは、由来がちがふのである。

  3 本化妙宗の正しい信を示した五つの原則

 そこで、はじめの五つの原則はといふと、日蓮聖人の
 
『まことの法華経信仰』
といふものの、標準的の『信』とはどういふものか、といふことを示されている。
 聖人の御遺文の中にも
 『夫れ信心と申すは別にはこれなく候。妻のをとこをおしむが如く、をとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母をはなれざるが如くに、法華経、釈迦、多宝、十方の諸佛、菩薩、諸天善神等に信を入れ奉りて、南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、信心とは申候也。』(妙一尼御書)
といふような、別にむつかしいことのない信心をもいはれたところもある、が、それはいはば信心の門口で、信心の堂でもなければ、况して室ではない。はじめからむつかしいことをいっては入りにくいから、そこでやさしくいはれている。その類のも無論あるが、堂となり室となると、そんなに造作のないものではない。今「信条」といふことになると、標準的の『信』そのものを示さねばならない。それに五つの原則を立てられたのだ。

 Ⅰ 経文と教理と宗旨と修行との関係

 そこで『本化妙宗の信』、まことの法華経信仰を示されるについて、その信仰せられる対手の日蓮聖人の宗教といふものは、『法華経』に依って立てられているとし、『法華経』のどういふ處に依って立てられているのか。たとへば浄土宗や真宗などは、「無量寿経」の阿弥陀佛の四十八願の第十八願に、十方の衆生が、南無阿弥陀佛と念じて、極楽浄土に往生したいと願へば、必ず往生させてやらうとある経文や、又有ゆる衆生が、一念でも極楽浄土へ往生したいと願ふようになるのも、阿弥陀佛が至心に回向したまふからであって、南無阿弥陀佛と唱へることも、阿弥陀佛の大慈の他力に依るのだ。などといふやうなことは、経文に正しく書いてあったり、或は少し無理だが特別に訓ませたり、とにかく経文に依って宗旨が立てられているのだ。ところが天台大師の『一念三千の観法』だとか、又は聖人の宗教の『南無妙法蓮華経』とかいふものは、いくら「法華経」の経文をくり返しても見出すことはできぬ。では、どうしてその宗旨を立てられたのかといふと、

第一則 本化妙宗は、法華経の教理に根拠し、其の旨帰の命ずる所に於て宗旨を決着し、宗旨の定むる所に遵って修行を立す

     い 法華経の教理に根拠し

 本化の妙宗は、迹化の妙宗たる天台宗と同じく、浄土宗や真宗のように経文に依ったのでなく、「法華経」の教理に根拠したのである。ところが、その「法華経」の教理には、迹門と本門といふ二つの教理がある。

 「法華経」は多数ある佛の経の中で、唯一ちの総合統一の経典なので、二十八品といって二十八篇ある中の
 (一)はじめの十四品を迹門といふ。方便品第二を中心として、他の経典で絶えて成佛の許されなかった阿羅漢、辟支佛の二乗の聖者や、成佛の難しいとせられた五逆罪の三を犯した堕地獄の提婆達多や、五つの障りがあるとせられた、女身の畜生たる龍女なども、悉く成佛せしめられた。即ち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩の九界の衆生、悉く一つとして佛と成り得ないものはない。一切衆生皆成佛する唯一の経典だとせられた。これは西洋の宗教思想の分類でいふと、汎神教といふのに似た教理なのである。
 (二)つぎの十四品を本門といふので、就中、如来寿量品第十六を中心とするが、迹門は「法華経」以前の諸大乗経では、九界の衆生の声聞と縁覚の二乗は成佛は出来ない、菩薩乗の修行者のみは成佛するといってあるのは、佛の方便説で、真実は九界みな成佛できるとしたのだが、さて佛界にはまだ真実を示されていない。迹門は九界の衆生が妙法蓮華経を修行すれば、悉く佛と成るから、佛は十方三世に無量恒沙不可計の数があるとするのだが、本門寿量品ではそれは譬へば、海、河、湖、沼、川、池などあらゆる水の中に月は映るが、それは実體ではなくみな影で、実體はただ天上の唯一の月であると同じく、十方三世無量の佛陀は悉くみな水中の月の如く、真実の佛は五百塵點劫といふ無始の昔に、法界を妙法蓮華経なりと覚って唯一の本佛と為り、それ以来十方三世に或は佛の身を示し、或は佛の身を説き、或は佛の事を示し、或は九界の身を示し、或は九界の身を説き、或は九界の事を示して当に迷える衆生を救うこと暫くも休み廃したまはない。これを『三身常住 三世益物』といふ。かように唯一の本佛の実在を明されているのは、西洋の一神教といふものに似た教理なのである。


     ろ 其の旨帰の命ずる所に於て宗旨を決着し                 ページのトップ

 このように一つの経典の中に、二種の教理があるとすれば、その経典に依って宗旨を建てる場合には、この二つの教理の何れかを以て、その経典の旨の帰する所とし、他の一つの教理をそれに従属せしめることにして、『旨帰とした教理の命ずるままに宗旨を決着し』と、それを尊崇する帰着處、即ち『宗旨』とせねばならぬわけだ。
 そこで本化妙宗は、迹本二門の中で、本門寿量品を以て、一経二十八品の旨の帰する所とし、迹門方便品は未だ佛に於て真実を顕わさなかっただけでなく、九界に於てもまた未だ徹底した実を顕わしたとはいえない。といふのは、迹門では弥勒菩薩は、菩薩の位の四十一ある中、佛の妙覚に足らざることわずかに一等の等覚の位の菩薩。また釈尊の次に成佛して『佛の處を補ふ』といふ、『補處の菩薩』とせられている。ところが本門の初めの従地涌出品第十五で、恐ろしい悪世にこの法華経弘通の為に、佛に召し出されて、法性の大地の底から湧き出た、無量無辺の菩薩があってが、その中の一人をも弥勒菩薩は識らなかった。そこで『この菩薩は何れの国の何れの佛の弟子で、いかなる佛法を学びいかなる佛道を修行している人でございますか』と佛に問ひ奉った・すると釈尊が、『それは我が弟子だ』といはれたので、『これ等の菩薩は百歳の翁の如く、恐れながら釈尊は二十五歳の青年の如くにお見うけ申し上げますが、父が少うて子が老いているといふのは世を挙りて信じない所でございます。願わくは佛、これ等の尊い無量の菩薩を、いつのまに御教化なりましたか、お教へください』と問い奉った。そこで佛が寿量品の初めに、『弥勒よ。卿たちは、我をば釈氏の宮を出でて、伽耶城に近い處で、はじめて佛の妙覚を成就したと思っているのは、それは天・人・阿修羅の見地と同じことであるぞ。実は我は五百塵點劫といふ、無始の昔、独り先だって佛となったもので、この地から出た無量の菩薩は、その無始の昔から、お前の智慧では、まだわからない頃までに、教化したもので、それからこのかた三世十方の佛の身や、九界の身を示して、常に救いの事をしているのだ』と、真実の唯一根本の佛と、その佛の弟子たる、本化の菩薩とをお顕わしになった。そこで法華経以前の方便の経や、法華経でも、迹門の佛と菩薩は、月影や足迹のような仮の佛と菩薩だとなった。こうして涌出、寿量の二品を旨とし帰する所とし、その旨帰の命ずる所の本門を以て宗旨と決着せられたのが、この
 『本佛の所化の菩薩によって開かれた、妙法蓮華経の宗』
なのである。

     は 宗旨の定むる所に於て修行を立す                     ページのトップ

 かうして如来寿量品の本佛と、従地涌出品の本化菩薩の佛法を尊ぶ宗旨が開かれる。宗旨となると、恐ろしい煩悩の深い悪世の衆生も、この根本の佛と菩薩の法を佛の自在の智慧で、易しく修行のできる法として授けねばならぬといふので、そこで付属といふことがある。付属は如来神力品第二十一と嘱累品第二十二とにあるが、嘱累品は天台大師の方の迹門の付属で、本門の付属は如来神力品第二十一だが、佛はこの品で地を破って湧き出て来た本佛の所化の菩薩の、一番上位の代表者たる上行大菩薩に『南無妙法蓮華経』の一大秘法を、その恐ろしい悪世の中で、「法華経」をさまざまに謗る衆生にも、また前の世の因縁がよくて、信ずることのできる衆生にも、いづれの衆生にも通じる利益を授ける法として授けられたのが、それが『本化の菩薩の弘められる南無妙法蓮華経の宗』なのだ。
 そこで、その闘諍の心の最も強い、恐ろしい、悪世の衆生の中でも、方便の経や、法華経の迹門の法では救われなくなった時、白法(佛法の代名詞)は隠没とあって利益がなくなった時でも、この根本の一佛とその子の唯一の菩薩の深い妙なる法に、信仰を起す者はできる。そこで本佛はその一大秘法の『宗旨』から、三つの『修行』の為の法=三大秘法をも含めて、上行大菩薩にお授けになっている。それは今日でも正確に二千年以上の古い経典だといふことが、学術上確かにいへる「妙法蓮華経」如来神力品の中に、次のような佛の語として挙げられている。
 『如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事をば、皆此の経に於て、宣べ示し顕はし説いたぞ』
 これはこの経文だけでは、何の事だかわかりにくいが、今からおよそ千四百年前、我が聖徳太子と同じ頃に、漢土で迹化(迹佛の所化)の薬王菩薩の應化として出られた、天台智顗大師が自分は『迹化妙宗』としての、天台法華宗を開かれたが、後の『本化妙宗』の開かれる前仕度として、このお経文に、次のやうな解釈をせられてある。(法華文句巻十取意)

 『この経文の中には、「如来一切」という文字が四句あるが、これは此の法華経二十八品で宣べ示し顕はし説かれた法をば、この四句で四つの実質に要領よく結ばれたものであって、「如来一切所有之法」といふのは、およそ「法」(佛法では物でも心でも有でも無でも、みな法と名ける)としてありとあらゆるものは、「名」のないものはない。ところで如来の妙覚の上にはそのありとあらゆるものは「妙」でないものはないから、これは一切の法を「妙の名」に結ばれたもの。「如来一切自在神力」といふのは、如来は一切衆生を救われるのがお仕事で、それには形に現はすのと、声に現はすのとの形声両益の自在の神通の力で衆生の深い迷いの疑いを断って、正しい信心を起させられる。これは一切の法を「妙の用」(用とは、はたらき)に結ばれたもの。「如来一切秘要之蔵」というのは、唯一本佛如来の妙覚の境界は、迹門の佛や等覚の菩薩でもわからない深遠廣大なもので、本佛自らお説きになる外には、窺ひ知ることのできぬ境界だから、秘要之蔵といはれたので、それは宇宙法界の全体にわたる本有の実相であるから、これは一切の法を「妙の體」に結ばれたもの。「如来一切甚深之事」といふのは、およそ「事」とある限りは、その中に必ず因と果の関係が深く潜在している。「甚深」とあるから本有実相の因果であらう。この因果は諸の法が変化してゆく趣旨だから、これは一切の法を「妙の宗」に結んだものである。「皆於此経宣示顕説」といふなは、総じて一経二十八品の御説法を要領によって結ばれるときは、この妙の名・妙の用・妙の體・妙の宗といふ四つのみとなる。其の枢柄(四つの要領の中で更にまたその肝心の柄)を撮って、上行菩薩の弘通の法として授け與へられたものだ。』として、これを『結要付属』と名けられた。だがこの釈だけでは、「法華経」一部が『名・用・體・宗』の四つに、要領よく結ばれたといふことは明瞭だが、『其の枢柄を撮って』といふのが了解ない。そこで妙楽大師(天台大師から六代の法系で、三十七歳まで儒者で佛法を学び、正しい法華教学の衰へているのを見て、出家した人)が、この『枢柄を撮って』といふことを明確に扶け釈せられた。(法華文句記巻十取意)
 『「如来一切」等の四句で、名・用・體・宗の四つに結ばれた。その中で「妙の名」は此の「妙の用、妙の體、妙の宗」の三に冠さり、而もその三を総べることのできるものだ。一部二十八品の要領は四つだが、「名」の一要は、他の三要に冠さり 総べることができるから、妙法蓮華経といふ「名」こそ要中の要で豈とこれより過ぎた要はなかろう。だからこの「名」 を撮 って(枢柄としそれを「教」として)、そして(恐ろしい悪世末法の)流通を成就するように、(特に上行菩薩を撰んで)お授けになったのである。』
と、容易に了解せしめられている。
 即ち妙なる『用』と『體』と『宗』との三を以て内容とした、妙法蓮華経といふ「名」を「教」の本體とした『南無妙法蓮華経』の『一大秘法』を授けられたものだとの解釈だ。
 乃ち「法華経」の本門寿量品の教理を『旨帰』とすると、その唯一本佛は無始の久遠から過去現在未来の三世に、常に不可思議の教化をなされ、釈迦佛として出られても、初めに小乗、次に権大乗、それから「法華経」の迹門で五十年導き来られた声聞、縁覚以下の衆生をばまづ悉く菩薩に化し、終に寿量品で迹門の菩薩及び菩薩化せられた八界の衆生をも本門の菩薩の眷属と化して、出世本懐を遂げられたから、佛滅後の衆生の為に、この小乗、権大乗、迹門、本門の教を『是好良薬』として、正法、像法、末法と、漸次に知識は発達しても、煩悩の病の深まり行く衆生に対する、凡薬から漸次貴重薬として、『留めて此に置かれ』、それぞれの菩薩を遣はして、時代相応の教の薬を弘めさせて、衆生をお救ひになる。その中でこの上行菩薩への結要付属は、恐ろしい悪世即ち末法の初め、最後の五百年闘諍堅固白法隠没といって、他の佛法はあっても利益の没なる時に、始めて弘められるべき教として命ぜられたものである。いはば起死回生の最高貴の良薬で、それは佛法の最後帰着たる「妙法蓮華経」を、佛がこれが『悪世』、『恐畏世』、『恐怖悪世中』、『末法』、『悪世末法時』の衆生の良薬であるぞ。この経法こそが『已今当説最為第一』『諸佛秘要之蔵』『諸如来秘密之蔵於諸経中最在其上』『於一切諸経法中最為第一、如佛為諸法王、此経亦復如是諸経中王』と繰返し繰返し説かれ、龍樹、天親二菩薩もまたさう解釈せられているのに関らず、「法華経」は第二第三の経だ。声聞、縁覚の法で凡夫の修行する法ではない。況して末法悪世の衆生には、何の役にも立たないなどといふ、増上慢の比丘が大勢力を得て、衆生が殆ど法華経はそのようなものだと考へ、寿量品の譬への本心を失った狂ひ子の如くなった時に、上行菩薩汝は出現して夫れ等増上慢の衆生の謗法華経の思想に対し、『諸経は無得道、法華経独り成佛の法なり南無妙法蓮華経』と、この『名・用・體・宗・教』の具わった『一大秘法』の『是好良薬』を授けよ。それは前の常不軽品第二十の、常不軽菩薩の昔の化導の如く、謗る者も信ずる者も、共に利益するであらうぞといふのは、謗法の者に尋常に説いていては、到底も法華経に来らない。そこでこの激しい折伏をすれば、謗法の障り少ない者は、その折伏の理由を聞いて、法華経に帰するし、道理を聞くほどの余裕もなく怒る者は、その深い宗教心=八識心田へ、とにかく南無妙法蓮華経の佛の種が植えられる。謗法が改められないで、悪道に墜ちてもその植えられた佛種によって、必ず救われることは、地につまづいて倒れた者が、地を力に起き上がるやうなものだ。その為に今これを汝に付属するぞと与えられた。それが『其旨帰の命ずる所に於て宗旨を決着し』といふことで『南無妙法蓮華経の一大秘法』が、乃ち『宗旨』なのである。「観心本尊抄」に、
 『地涌千界は末法の初に必ず出現すべし。今の遣使還告は地涌也。是好良薬は寿量品の肝要、名體宗用教の南無妙法蓮華経是れ也。』
と仰せあるのは、その意である。

     に 『四句要法』と『一秘即三秘』との関係                      ページのトップ

 かく信謗ともに「法華経」によって得益せしめるのが、本化上行菩薩所伝の佛種の要法、即ち『宗旨』だ。さて謗法者は佛種を植られただけで修行をしないが、信ずる者には『修行』の法を与えねばからない。そこでこの『一大秘法』に含まれた『如来一切秘要之蔵』の『妙體』から、唯一本佛の妙覚の内容たり、日本乃至一閻浮提唯一尊崇の正境たる『本門の本尊』を。『如来一切自在神力』の妙用から、日本乃至閻浮提を悉く本門の本尊に帰依せしめ、人類の世界を本佛の国土の如くする、行者の本誓たる『本門の戒壇』を。『如来一切甚深之事』の『妙宗』から、行者が行住坐臥に身口意三業に受持し、本誓たる戒壇成就、人類世界を一日もはやく『本門本尊』化する為に、自行化他にわたって妙法蓮華経に身命を帰せて、生々世々この本誓を達せねば止まぬと、常念常唱常行する『本門の題目』の三大秘法を開き出された。『一大秘法』の中には名・用・體・宗・教の五つが含まれる中、内容に用・體・宗の三で、「妙名』は冠らせ総ぶる名で、「妙教」はそれを衆生成佛の唯一乗として南無することだから、『一大秘法』は謗信二機を利益し、信者の為にはその『一大秘法』を、我が物とする『修行』法として、『三大秘法』に開かれる。それは既定のことだから、『宗旨の定むる所に遵って修行を立す』といはれてあるのだ。

     
ほ 三大秘法を明されたる聖人の御妙判                      ページのトップ

 この『一大秘法』を『三大秘法』に開き顕はされることは、聖人御自身の本化上行菩薩の應化に相違ないといふことを、誰人も否定できぬやうになるまでは、決して口外せられなかったし、『南無妙法蓮華経』も上行付属とはいはれず、ただ三世の諸佛出世の本懐、一切衆生皆成佛道の妙法。『八萬法蔵の肝心一切諸佛の眼目』(法華題目抄)『其上法華経の肝心方便・寿量品の一念三千久遠実成の法門は此の妙法の二字におさまれり』(唱法華題目抄)とせられ、本尊をも南無妙法蓮華経の御題目とし、法師品・神力品に依るといはれ(唱法華題目抄)口唱の題目の外に智者は一念三千の観法をもすべし(十章抄)等といはれている。それは何菩薩の應化などいふことは、みだりにいふべきものではない。さやうなことは往々迷信妄信を導くおそれがある。故に聖人は慈恩大師は十一面観音の化身で牙から光を出したとか、善導和尚は弥陀の化身口から佛を出したとかいふことを、外道や道士でも通力を現したとの伝えはある。『但だ法門を以て邪正を糾すべし利根と通力にはよるべからず』(唱法華題目抄)と、これを排斥していられる。そこで佐渡以前には叡山天台宗の沙門として、「法華経」及び天台大師等の釈を本にし、神力別付上行所伝の宗なることはいはれなかった。即ち佛の爾前経とおぼしめせで、堅くこれを秘して、三大秘法のことは『さどの国より弟子どもに内々申』された「観心本尊抄」において、本尊を中心として顕はし、傍ら題目、密かに戒壇に及ばれてはいるが、明らさまに示されたのは下の両書が、やや詳らかでよくわかる。
 『問うて云く、天台、伝教の弘通し給はざる正法ありや。答へて云く、あり。求めて云く、何物ぞや。答へて云く、三あり、末法のために佛留め置き給ふ。迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、天台、伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云く、其の形貌如何、答へて云く、一には、日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂、宝塔の中の釈迦、多宝、外(塔外)の諸佛、並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には、本門の戒壇、三には、日本乃至漢土、月氏、一閻浮提に人ごとに、有智無智を嫌はず、一同に他事をすてて、南無妙法蓮華経と唱ふべし。此事いまだひろまらず、一閻浮提の内に、佛滅後二千二百二十餘年の間一人も唱へず、日蓮一人、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経等と声もおしまず唱ふるなり。例せば、風に随って波の大小あり、薪によりて火の高下あり、池に随って蓮の大小あり、雨の大小は龍による。根深ければ枝しげし、源遠ければ流ながしといふこれなり。周の代七百年は文王の禮孝による。秦の世ほどもなし、始皇の左道なり。日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は、萬年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教、天台にもこえ、龍樹、迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は、穢土一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は、末法の一時に劣るか。此偏に日蓮が智のかしこきにはあらず、時の然らしむるのみ。春は花さき、秋は菓なる。夏は暖かに冬は冷 たし、時のしからしむるにあらずや。』(報恩抄)
 『戒壇とは、王法、佛法に冥し、佛法、王法に合して、王臣一同に三秘密の法を持ちて、有徳王、覚徳比丘の其の乃往 を、末法濁悪の未来に移さん時、勅宣竝に御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れ也。三国竝に一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず。大梵天王、帝釈等も、來下して踏みたまふべき戒壇也。』(三大秘法抄)
「報恩抄」には、本門本尊と本門題目の『形貌』は示されているが、戒壇は『本門戒壇』といふ名によって、それが国立戒壇であることを示され、その『形貌』の釈はない。『本門本尊』の方は『本門の教主釈尊』と名を挙げて、その下に『所謂、宝塔の中の釈迦、多宝』等とあって、大曼陀羅の『形貌』を出されている。『上行等の四菩薩』の外に、文殊、普賢、乃至地獄までがないのは、本門八品の時はそれ等の九界はみな如来寿量品を聞き、上行等の菩薩の眷属となってしまっているから挙げられてない。「観心本尊抄」も然りである。また『本門題目』の方は、佐渡以前の方便の時は、有智の者は口に南無妙法蓮華経、心には一念三千の観法で、天台宗的であったのが、『有智無智を嫌はず、一同に(観念観法などの)他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱ふべし』と、『形貌』が明かに示されている。『本門戒壇』の『形貌』は、「三大秘法抄」に国家の法をこの『本門本尊』の唯一本佛の妙覚に冥通させ、佛法の心をば国家の法の上に合致させて、宇宙的世界的の佛の正法を護る為には、「涅槃経」にある乃往の有徳王及びその臣従の如くに、国王も臣民も、ともにその身は勿論、国家そのものをも犠牲としても、毫も悔いないといふやうに誓った時、王の勅宣と現実の主権施行機関の法制とを取そろへて、はじめて『本門戒壇』を霊山浄土に似た土地に建立したならば、日本だけでなく、閻浮提の人々、及び天の神もその唯一本佛の戒法に、随順するであろうといふのである。
 明治三十年に田中智学先生は、日蓮宗の僧や世間の論客の中に、『日蓮宗は国家主義の宗教だ』などといった者の誤解を正す為に、既に聖人みづから本門本尊を『日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし』といはれたのは、世界全体が如来寿量品の唯一本佛を本尊とせよとの意で、これは世界主義の開顕の宗教たるを示されたもの。本門題目を『日本乃至漢土、月氏、一閻浮提に人ごとに、有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし』とは、個人的に信仰自由の上から人毎の帰敬をいはれた、個人主義開顕の宗教たるを示されたもの。本門戒壇を『有徳王覚徳比丘の其の乃往を、末法濁悪の未来に移さん時』と、宗教を国家の奴隷とするのでなくして、国家を宗教の犠牲とするをも厭はぬ、国家主義開顕の宗教を示されたものとされたのは、まことに開顕の宗教の真髄を明されたものとすべきであろう。

     
へ さういふ内容の世界的宗教は日本人日蓮その人の創作か           ページのトップ

 日本の佛教は、南都六宗(倶舎・成実・律・法相・三論・華厳)平安四宗(天台・真言・融通念佛・新義真言)鎌倉七宗(浄土・真・真言律・臨済・曹洞・法華・時)の十七宗の中、明治の時代は倶舎、成実、律、三論の四宗は、事実寺がなくなって
いたので、十三宗といはれていた。この中で漢土以上に日本で新しい意義を加えられるか、又は全く新しく創立されたものは、天台、真言、融通念佛、新義真言、浄土、真、曹洞、真言律、法華、時の十宗であり、融通念佛、真言律、時を除いた他の七宗は、みなそれぞれ経典に根拠した、相当に立派な教義をもっているが、法華宗の他はいづれもそれを世界的宗教として、宗祖自から唱導されたものは一つもない。漢土にも天竺にもやはりない。法華宗のそれも日本人日蓮その人の創作かと考えると、そうではない。といふと、それはどういふことか?
 さういった世界的宗教をいひ出したのは、『日本人日蓮』その人でなくて、本化上行菩薩の應化その人であった。聖人が龍口で殺されそこなひ、佐渡に流罪せられると、
一には、末法の初めに出て、不軽菩薩の教化に倣つて、折伏逆化の方法で、『南無妙法蓮華経』を弘めたこと。
二には、その反応として勧持品の経文の通り、俗人、衆僧、高僧が官権と共に、罵詈悪口刀杖擯出等の、二十行の偈の豫言を具さに身に読んで、豫言せられた人たることが、事実上に定まり。
三には、のみならず自から十数年前から豫言し、近く百五十日前に豫言した、他国侵逼の三度の使も来り、自界叛逆難も実現して、豫言の能力ある人たることが事実上に証明せられたことになったこと。
 その時にはじめて、「観心本尊抄」で、みづから本化上行菩薩の應化たることを示され、はじめて世界的宗教はいひ出されたもので、その以前は日本の立正安国論が主であった。
 それは恰も耶蘇が、復活以前に於ては『我はイスラエルの家の迷える羊の外には遣わされず』(馬太伝十五章)といひ、十二使徒にも『イスラエルの家の失せたる羊にゆけ』(馬太伝十章)と、ユダヤの伝道を主としたのが、十字架にかかり復活の後に、『諸の国人を弟子となし、父と子と聖霊との名によって、バプテスマを伝えよ』と世界的宗教をいったのに似ている。


 Ⅱ 教権の所在と世学世想との関係                   ページのトップ

     ア 教 権 の 所 在


第二則 教法を判じ宗旨を決するは、専ら末法の依止師たる本化聖祖の知見指導に拠る。

     い 教法を判じ宗旨を決することは『日本人日蓮』の知見ではない

 佛教で宗旨を立てるには、どうしても佛の経教の中には、種々の異なる教理を説いた経々が、幾つか群を為している。そこで、それぞれの経法を分類して、幾つかの群と群との性質を判断して、何等かの體系に組織しなければばらなくなる。といふのは、それ等の経々は一人の教主釈尊の説かれたものとせられていたからで、そのやうに数百もある佛の経の分類をし、それを系統的に判断し位置づけすることを『判教』(教法を判定する)といふ。その結果いづれの経こそ、全佛教の統一をする経であるかと、今の時代には此の経法が最も適合するとかいふ意味で、『宗旨』といふものを決定して、それを弘める理由とする。諸宗の祖師はみなそれをした方々である。
 したがって「本門法華経」の宗は、その祖師たる日蓮聖人が、その判教をし宗旨を決定せられたものとすべきではあるが、ここには『教法を判じ宗旨を決す』ることは、
 『末法の依止師たる本化聖祖の知見指導に拠る』
とあって、特に『日蓮聖祖』といひあらはされていないのは、『日本人日蓮』の創作で無いことを示されたものである。
 日本人の思想には、『末法』もなければ、「涅槃経」四依品の佛滅後の四種の依止師といふ思想もない。この二つとも漢土にもない純然たる印度思想だが、印度でもその後発展しなかった思想だし、漢土でも四種の依止師の思想は、之を「法華経」如来寿量品の『遣使還告』の思想に通はして、本佛実在の思想化した展開者は、千八百年に亘る支那佛教史上、ただ天台智顗大師あるのみだ。そして『末法の依止師』といふ思想は、「法華経」を何等の予想なく、経自からをして語らしめたなら、この経は恐怖悪世の末法に弘通する為、地から湧き出た本化上行菩薩等に、神力品で上記の四句結要の付属をせられたことになってをり、而も明かに上行菩薩を『斯の人』と呼んで、その末法に出現して弘通する時の、判教の仕方までが記されているのである。

     
ろ 『三秘』『五義』は神力品上行化現の人の判教、宗旨である。          ページのトップ

 神力品の偈頌を拝見すると、下のように明かに示されている。
 『釈迦、多宝、十方分身の諸佛が、大神通を十種示して、佛の滅後に是の法華経を持つものを歓ばれ、是の経を上行等の菩薩に付属する為に修行者を讃美するのに(長行では経の功徳を讃美するのに)無量劫讃美しても盡しきれない是の人の功徳は十方の虚空の無辺際のやうであろう。能く是の経を持つ者は、我れ釈迦牟尼佛、多宝如来、十方分身の諸佛及びこの虚空会で教化せられた諸菩薩及び過去、現在、未来の諸佛を見奉り、供養し奉り、歓喜せしめ奉るのである。諸佛の道場に坐して、得たまへる所の秘要の法も、能くこの経を持つ者は、久しからずして得るであろう。能く是の経を持つ者は、諸法の義と名字と言辞と樂説との、四つの無礙の智と辨とを得て、風の空中に於いて、一切に障礙のないがようであろう。如来の滅後(時)において、佛の所説の経(教)の説かれ、また弘められる因縁(人に約すれば機、處に約すれば国)及び次第(序)を知って、義に随うて実の如くに説くことは、日月の光明の能く諸の幽冥を除くやうに、斯の人世間に行はれて、能く衆生の謗法華経の無明の闇を滅するであらう。かくてそれ等の衆生を無量の菩薩と化して、畢竟して悉く一乗に安住せしめるに至るであらう。』

 初めの釈迦、多宝、十方分身、三世諸佛、及び虚空会八品に列せる諸菩薩を見奉り供養し奉り、歓喜せしめ奉るとは、『本門本尊』大曼陀羅を『尊崇』し奉る者のことであり、諸佛秘要の法を久しからずして得るとは、『本門題目』を三業に『受持』する者のことであり、無明に蔽はれているものを悉く無量の菩薩とし、畢竟して一乗に住せしめようとは、『本門戒壇』を『本誓』とする者のことである。四無礙の智辨を得て、『時・教・機・国・序』の五義に随って、本佛の真実義を説くこと、日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行はれて、能く衆生の無明の闇を滅するであらうとある中の、『斯の人世間に行はれて』とは、この偈頌が上行菩薩に秘法を授与して、付属せられた時の佛勅であるから、即ち上行菩薩が末法悪世の初に出現せられる時の、『教法を判じ、宗旨を決せられる』、その判じ方その決せられ方を、経文が予言しているものなることは、経文の性質上、誰人も否定することのできぬものであらう。
 乃ち一秘三秘の『宗旨』だけでなく、五義の『判教』もまた、『日本人日蓮』の創作ではなく、印度産の「法華経」神力品の長行と偈頌とに、予言せられているものであった。
 そして経の十神力の第八の『咸皆帰命』、十方の衆生がこの娑婆世界の虚空会に向って、一同に『南無釈迦牟尼佛、南無釈迦牟尼佛』と合掌帰命したとある文を、天台大師は佛滅後に唯一本佛に悉く帰命すること、即ち『人一』のあることの象徴とし、第九の『遙散諸物』、彼等衆生がおのおの個々の持物一切を惜まず悉く遙かに散じて供養したとある文を、天台大師は、佛の滅後に唯一本佛に一切を供養する『行一』のあることの象徴とし、第十の『通一佛土』、十方世界が、その尊崇の本尊と、所修の行法を一にしたから、十方世界は通達無礙で、釈迦本佛の寂光土の如くになったとある文を、天台大師は、佛の滅後に寂光理通が事実となる『理一』のあることの象徴だとした。これは上に示した「報恩抄」「三大秘法抄」の三大秘法の釈と、これまたその意の一つであることを、正当には何人も否定することはできないであろう。
 かように判教の『五義』も、宗旨の『一秘三秘』も、随ってその『世界的宣教』も、けっして単なる『日本人日蓮』によっては創められたのではなく、神力品の預言に、明かに『斯の人』とある上行菩薩の應化の人としての自覚からせられた宣言であったのだ。
 つまり本化妙宗の教義は、『日本人日蓮』によって創められず、「法華経」の預言せられた、本化上行菩薩の應化の人の事であった。
 だから一切の教義の最後解釈権、即ち
         教権の所在
は、『末法の依止師たる本化聖祖の知見指導に拠る』となり、『御妙判』を重んずるわけなのだ。
 弘法大師、法然上人、親鸞上人、道元禅師等は、みな印度、漢土、日本の佛教界に亘って、抜群の偉大なる教傑であらう。一たびその人たちの所依の経たる、「大日経」、「浄土三部経」「法華経」等に、果してこれ等聖者の出現とその行動と教義とが、日蓮聖人の場合の如く、預言せられているか否かを考えると、いづれの方にもそれはない、といふのが、現前の事実なのである。

    
イ 世学世想との関係                                    ページのトップ

世間一切の学見思想を判ずるも、亦た本化の知見を以て能判能開と為す

 本化妙宗の信行者は、宗教については一切『本化聖祖の知見指導に拠る』として、宗教以外の世間一切の学見思想、即ち今日でいへば、科学、哲学、芸術、さては種々常識的のことなどについて、どうするのかといふ場合に、この項が設けられているのだ。
 そこで、之について疑問の出ることが当然なのは、『本化の知見を以て能判能開と為す』とある。その『本化の知見』をば御妙判で知るとし、それを標準として世間の科学、哲学を判じたり開したりするのは、それは到底もお話にならぬことで、日蓮聖人は七百五十年前の、日本化せられた佛教と、儒教、道教、両部神道、陰陽道などしか知らなかったお方で、今日の実証的の科学、哲学、芸術、思想などとは、知識内容がまるで異ふのだから、その間に関係をつけようとすることは、全然無理なことで、况して聖人の御妙判を以て能判能開とするなどとは、とんでもないドンキポーテ的企てで、宗教が自殺する外にあるまい。それは西洋中世時代に、教会が科学の発達を害したのと同じ思想の立場になるものではないかといふ。
 その理屈は一往もっともだ。しかし聖人はそれに就いては、予め下のやうな指導を与えられている。
 『予が法門は四悉檀を心にかけて申すなれば、強ちに成佛の理に違はざれば、且く世間普通の義を用ふべきか。』
といはれているし、また
 『佛法とは道理なり、道理とは主に勝つものなり。』
とあって、聖人の行動が常に三證具足、即ち道理、文證、現證が具はらなければ、事物を断定せられない事などは、今日の実證主義と同一の思考法で、また人間の思想や煩悩が、小乗より権大乗、権大乗より実大乗、迹門より本門、本門より観心といった風に、進歩した教義によらねば救はれないとするのは、直ちにこれ思想の進歩を認めていることで、佛を去るほど人間は愈々愚かになる、といふ退歩思想とは反対である。また『成佛の理』とは、妙法華経の円理、三諦三観、十界互具、一念三千、本佛常住、三世益物などいふことで、かういふ點以外は、世界悉檀(四悉檀の一、その時々の世間の道理)に依るべきだといふ意味であるから、聖人の事物の判断法たる三證具足によって、その時の世間知識の妥当なるものを肯定し、その偏見に属するものは、空、仮、中の三諦円融の義によって、これを判じまたこれを開し、三證具足を念とする聖人の一生の如く、慎重に考へてゆくならば、ドンキポーテ式には、決してなる筈はないのである。
 また聖人はその妙法蓮華経宗の建立に就ては、『本化の知見』により、佛教史上に類例のないほどよく経意を活かされてあるが、その『本化上行の應化』といふことは、決して本化上行菩薩の智慧を、百千萬分の一でも、天生にもって生れている『神秘な人間』だといふやうなことではない。「法華経」は聖人の弘通の例を常不軽菩薩品第二十で示されているがその不軽菩薩は、断じも伏しもしていない凡夫=「法華経」修行者の位では、最下級の初随喜品の位の人=とされている。だから聖人も成佛の理たる「法華経」の教義に関することでは、全く漢土、日本の人々の何人も究め出すことのできなかった、上行の出現を自ら覚り出されたが、その外の事では、一般凡夫とお異りはない姿を示されていることは、御真跡を拝しても、「法華経」の文字すら書き誤られたり、書物の著者の名を誤られたりされている。これは菩薩が人間に生れて来るのにも、願生、通生、應生の異りがある中に、通生の菩薩ならば人間に異つた所作もあらうが、應生の菩薩は法性の自然に應じ、その時代の衆生に應じて生れて来るのだから、佛法の肝心即ち『成佛の理』以外のことでは一般凡夫の如くでなければならぬし、その『上行菩薩の自覚』そのものすらもまた、人間の論理と事実とに背いたものであってはならない。そうであればこそ、聖祖はその遺文の中に、上行自覚の経路とそれの発表せられるに至った理由をも、おのづから示されている。であればこそ、成佛の理そのものすらも、人間共通の智慧道理を基準として、『智者に我義やぶられずば用ひじ』と、智者が『佛教に基いて』、我が立つる論理を破れば、いつでも我が主張は捨てるであらうと、公言せられているのである。こういふ無所著にして公正な『本化の知見』を、能判能開とすることは、世学世想においても、偏った私見私情に陥らない所以でもある。
 以上、第一、第二は、本化妙宗が法華経のどういふ所に根拠して、宗旨と修行を立てたか。またそれはいかなる人に依って佛教中で、権実、本迹が判別せられ、「法華経」に根拠して、宗旨が定められるに至ったかを明さにされたので、次の第三、第四、第五は、さういふ本化の宗に対して信心を起し、その修行を成就して、正しく本化上行の應化たる、日蓮聖祖の宗徒である、といひ得る信仰の『発生』と『成立』と、信そのものの『體・用・力・作』とを明かにせられたものである。

 
Ⅲ 信の発生                                         ページのトップ 

第三則 本化妙宗の信は、まづ依師(聖祖)に対して発生し、依師を透して以て本佛、本法を認む

     
 い なぜ信の発生をば規定するのか                         ページのトップ

 何にしても「法華経」がありがたい、「南無妙法蓮華経」と唱へるものでありさへすれば、それは『法華経信仰』であるし、さう唱へるものがふへてゆくのが『広宣流布』ではないか。といふものもあらう。それも一つの結縁とならぬこともないが、今日の如くに正しい本化聖祖の信仰修行が、みだれに紊れて、一體日蓮聖人の宗教の真意は何にあるのか。ただ口に『南無妙法蓮華経』と唱へて、災難を払ひ福を招くこと、昔の真言陀羅尼を唱へるのに代へるにあるのか。その本尊として拝むのは、鬼子母神なのか、妙見菩薩なのか、清正公なのか、日朝師様なのか、などと問はれて、何とキッパリ返答もできないやうな状態の時に、四百篇にも及ぶ遺文といはれるものがあるのに、本化聖祖の御真意を明かにして『まことの法華経信仰』の何ものたるかを判然とさせず、ただ『南無妙法蓮華経』と唱へる者をふやせばよいなどいふのは、果して聖人がお悦びになるかどうか、よく胸に手をあてて考へるがよかろう。
 そこで明治の中期日蓮聖人の宗教が復興しかけた時に、これを正そうといふ人々の中にも、また御本尊は『寿量品の釈迦牟尼佛』であるといふ学者と、『南無妙法蓮華経の七字』であるといふ学者とがあって、ともに『依止師たる本化菩薩』にそれほど重きを置かぬのであった。その人たちはその当時においては、田中智学先生と同じほどに世に重くみられていたが、先生の如くかういふハッキリした『信條』もこさへられていないし、その法の流れも今日はすでに絶えてしまっている。だがさすがに両氏とも相当に識見も高く学問も蘊蓄のあった方々だから、『本化』よりも、或は『本佛』を尊び、『本法』を尊ぶやうに見ゆる根拠の御文が、聖人御妙判の中にないこともない為であった。そこでこの「信條」の中に、再びさういふ誤りに陥らないやうにといふので、この第三則を示されたのである。

     
ろ 本化妙宗の信は依師たる本化聖祖を透さねば発生しない           ページのトップ

 前に「報恩抄」にも示されたやうに、本化の妙法華経の御本尊は、『本門の教主釈尊』即ち『本佛』でまします。しかしそれは単なる本佛ではない。『所謂、宝塔の中の釈迦、多宝、外の諸佛、並びに上行等の四菩薩脇士となるべし』とあり、大曼陀羅の『形貌』の本佛だとことはられている。多宝如来の塔の中に、『南無妙法蓮華経』といふ、『本法』を中心にして、常に説き常に示されているのが、即ち『本門の教主釈尊』なので、その『本佛』でなければ、大聖人の御本尊ではない。中央の『南無妙法蓮華経』は、即ち本佛の御證りで、三世十方の佛とある佛は、この本佛の御證りによって佛となるのだから、この『本法』を持つ者をば釈迦、多宝、十方分身の三佛並に三世諸佛も歓ばれ讃められると、神力品にあるので、本佛は『本門の佛寶』、本法は『本門の法寶』、本化は『本門の僧寶』である。だが佛の滅後に佛はましまさぬ。法はあっても迷ひの衆生はこの法が直ぐにはわからぬ。そこで佛はその時代々々の衆生の尊ぶべき佛寶も、受け持つべき法寶も、迷へる衆生の直接にはわからないのである。そこで依師といふものを遣はされ、その依師によってそれぞれの佛寶、法寶を尊び修行することになるのである。これは佛滅後の佛・法・僧の関係みな同じであるが、特に本門の佛寶たる『本佛』は、等覚の弥勒菩薩でもわからなかった境界であり、况してその所證の『本法』はいよいよわからない境界である。そこで前に出した神力品の偈のやうに、『斯の人世間に行われて能く衆生の闇を滅す』とあって、『本佛』も『本法』も、あやめもわからぬうば玉の闇で全然知らなかったのであった。聖祖以前に、天台宗でも如来寿量品の久遠本佛をいふけれども、その佛は「普賢経」にある、東方善徳佛及びその十方分身の佛、南方栴檀徳佛及びその十方分身の佛と同一級の釈迦牟尼佛、くらいにしか考へなかった。釈迦牟尼佛に五百塵點劫の本地があらうとまでにしか、寿量品の佛を認め得なかった。それで法身大日如来の方がすぐれているなどと考へた。然るに「大日経」にも「華厳経」にもいかなる経にも、『上行菩薩』等の弥勒が一人も知らなかった菩薩が絶えて出ていない。その弥勒菩薩は「華厳」の五十三知識の第五十一知識、普賢菩薩は第五十三知識で、同一レベルの菩薩で、「大日経」の菩薩の最上首金剛薩埵は普賢菩薩だとせられている。佛の浅深をその脇士の菩薩により判ずる時、法華寿量品の唯一本佛を、或は東方善徳佛、西方阿弥陀佛と同一視し、大日如来と同等に見ていた和漢の天台宗は、全く本佛を認め得なかったのだし、『南無妙法蓮華経」と唱へたところで、自行だけに唱へるので、これを自行化他に亘っての題目とはせず、上行菩薩付属のそれを認め得なかった。况して天台以外の他宗が認めるわけはない。我等は日蓮聖人の本化上行菩薩の自覚によってのみ、「法華経」神力品の御文の如くに、『本佛』『本法』を仰ぎ得たのだといふことを深く考へて、『日蓮は通塞の案内者なり』(彌源太殿御返事)との仰せのあったことを、忘れてはならないのである。かりそめにも『本佛』が本だとか、『本法』が本だとか考へるべきではない。それは本佛の神力品の御訓へに背くことで、『斯の人』として遣はされた、依師の教へによってのみ、『本佛』を拝し『本法』を持つべきだ。
 だから、たとひそのはじめの信仰が妙見菩薩によらうが、清正公によらうが、帝釈天によらうが、鬼子母神によらうが、お祖師様にやらうが、日朝様にやらうが、正しい
 
『まことの法華経信仰』
を求めるならば、本化上行菩薩の應化としての日蓮大聖人、その聖祖を透し奉りて、『久遠実成の釈迦牟尼佛』(本佛)、『結要付属の南無妙法蓮華経』(本法)を信じ奉るのでなければならない。そしてこそ妙見様も、清正公様も、帝釈様も、鬼子母神様も、日朝様も、ほんとにお悦びになるのである。


 Ⅳ 信心の成立                                         ページのトップ

第四則 本佛本法の功徳勝能は、悉く本化聖祖の知見身行に発現せられたることを確信して、之を絶対の聖境と定め、自己の色心依正を聖祖の大慈願 海に摂帰して、法界円融する之を妙宗信心の成立と為す。

    
 い 本佛本法の功徳勝能は、悉く本化聖祖の知見身行に発現せられたることを確信して

 
では、『本佛』も『本法』も、『本化』聖祖を透してのみ、これを拝しこれを行ずるやうになり得たといふことを、確かに信じくだいていへばていても、それだけではまだ、真の真が成り立つたとはいへない。
 本佛、本法の深く大きな御功徳、高く勝れた御力用も、本化聖祖の御知見と御身行とによって現れた。と確信するのでなければ、まことの法華経信仰とはならないのである。
 まず「法華経」には、陀羅尼品に法華経の修行者を護る誓をしたのに、四方を守る神の中で、東を守る持国天王と北を守る毘沙門天の二天だけだといふのは、この経は東北の方に弘まるといふ預言にひとしいもので、漢土から朝鮮、日本と弘まった。これは浅草の観音様はじめ、天台の寺には二天門があるのはこの為だが、同じ品に十羅刹女が、法華経の修行者を悩ます悪鬼どもは、退散せしめるのでなく、その頭を七分に割るといふ誓ひがせられてをり、それに対し佛が『汝等但だ能く法華の名を受け持つ者を擁護せば、福量るべからず』と題目の修行者を護れと附け加へられている。また「法華経」をば、『法欲滅時』即ち像法の後の五百年、『恐怖悪世』『悪世末法時』『我滅度後、後五百歳中』即ち末法の始めの五百年の中にと、両度流布させる。前の時は薬王菩薩等に付属して、『如来の智慧を信ずる者には法華経。信ずることのできぬ者には他の大乗経』といふ風に弘めさせ。末法の始には上行菩薩に付属して専ら法華経の題目を弘通せさせるとあって、その弘通に就ての詳しい事が、各七つずつ挙げられているが、日蓮聖祖は上行菩薩の自覚をせられて、三十二歳から三十年弘通の間に、この上行菩薩へ付属に就ての七つの事を、悉く実現して佛の預言を事実とし、佛の功徳勝能を示されたのみならず、御自身の預言がまた悉く実現せられて、預言の能力のあらるることも證せられた。そして御自身が末法の初めに生れられることも、その時が日本に於て佛法も世法も闘諍堅固をしたのみでなく、世界が全く前代にない闘諍堅固を示している。佛はそれを徹底して預言せられ、その時を救うべき上行自覚をする人間を、恰も東北の隅の日本の又東北に、未曾有の自界叛逆の翌年に生れしめ、未曾有の他国侵逼の翌年に入滅せしめられ、正嘉の大地震、文永の大彗星などの天変地夭も、龍ノ口の光り物、依智の星降り、佐渡で両日並び出づる気象変に至るまで、餘りにも偶然すぎる不思議な一生を示さしめられたのも、これ『本佛』不思議の功徳勝能であり、自己の欲を以て中心として生きるか、せいぜい親の為とか主の為に命を捨てるの外に、生き方を知らなかった凡夫が、『南無妙法蓮華経』と唱へている内に、いつかは本法を普及して、『一切衆生をして我と等しく異ることなからにめんと欲す』との、本佛の御本願と、『日蓮一人、はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へ伝ふる也。未来もまた然るべし』との本化の慈願に化せられ、身命を忘れ自我欲を忘れ、これこそ我等の生き甲斐なりとして、『本化の流類』となるに至らしめるといふ『本法』不思議の功徳勝能も、悉く本化聖祖の三十年間、口にし筆にしたまへる御知見、身にしたまへる御行動によってのみ、我等に伝へられることは、これは如何にしても動かし難い現実の事実なのだから、そこに確信を置いた時に、誰でもみな、『本化聖祖』を『絶対の聖境』と定め奉るに至らねばなるまい。
 『法華経は三世の諸佛、発心の杖にて候ぞかし、但し日蓮を杖、柱ともたのみ給ふべし・・・・・・・・・・・法華経の文の如くならば、日蓮は通塞の案内者なり』
との仰せもこの故である。さて『絶対の聖境』と帰依し奉りてどうするか。

     
ろ 自己の色心依正を聖祖の大慈願海に摂帰して法界円融する          ページのトップ

 ただ聖祖を絶対の聖境と仰ぎ奉るだけではない。その下に『自己の色心依正を、聖祖の大慈願海に摂帰して法界円融する、これを妙宗信心の成立と為す』とある。さうならねばまだまだ本化妙宗の正しい信者とはいへぬ。これをくだいていへば、信者の僧俗男女老幼智愚すべて、自分の身も心も、その境遇も地位も能力も、それに基づく営みの一切も、聖祖の大慈願海=即ち本佛の本誓願、本法の冥護力たる、一切衆生を悉く一佛乗に帰せしめ、一閻浮提を常寂光土化せしめる大慈願=に摂め帰して(信者の僧俗男女、老幼智愚がひとしく、聖祖のこの御本願を実現することが、その生存の目的だとなる時)、その信者の信仰心が、本佛本化の一念に同化して、三千世間みな妙法蓮華経ならざるはないとなる。それを『法界円融』といひ、本門の事の一念三千とも事観ともいふのであり、さうなればはじめて、『本化妙宗の正しい信心』が成り立つたことになるのである。
 「諸法実相抄」に
 『いかにも今度信心をいたして、法華経の行者にて、日蓮が一門となりちほし給ふべし。日蓮と同意ならば、地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩に定りなば、釈尊の弟子たること豈疑ふべきや。経に云く、我従久遠來、教化是等衆とは是れ也。末法に妙法蓮華経の五字を弘めん者は、男女は嫌ふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へ難き題目也。日蓮一人始めは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へ伝ふる也。未来もまた然るべし。是れ豈地涌の義に非ずや。剰さへ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とす。ともかくも法華経に名を立て身をまかせ給ふべし』
とある。
 『法華経の信仰修行』には、天台宗と日蓮聖人の一門との二つある。さて聖人の弟子檀那となっても、少輔房能登房名越の尼などといふやうな人々は、中途で退転した人々で、退転の同類は、佐渡流罪の時には、なかなか多かったやうだ。それは一門となり通さぬ者だが始中終聖人の門を離れなかった者にも、『日蓮と同意』のものと、『御一門は離れないが、さう聖人の仰せのままにもなれない』としているもの、とのまた二つがあった。その『日蓮と同意』=とはいっても、全然同意なら、地涌上首唱導之師の上行菩薩その人である。若し全然一つでなくても、聖人の御信心のままに一切を任せ奉る。深い浅い大きい小さいはあっても、大聖人の仰せのままに任せ奉り、凡夫の事とてしばしば煩悩になやむことはあっても、御訓へには背きませぬと、決定してをりますと行ふ人があれば、それは『日蓮地涌の菩薩の数に入らば、豈日蓮が弟子檀那地涌の流類に非ずや』(諸法実相抄)といふことになり、『地涌の菩薩(流類)に定まりなば釈尊の弟子たるこ豈疑ふべきや』といふことになる。即ち『日蓮と同意』といはれているのは、及ばぬまでも御訓の如く、大聖人の大慈の御願を我が願とし、大聖人の大慈念を我が心と仰ぎ、更に我見を立てないといふことで、即ち『自己の色心依正を聖祖の大慈願海に攝帰し』た人となるわけで、そこに『妙宗信心の成立』がある。
 そこでまた『日蓮と同意』とあるその『意』の内容は、一天四海皆帰妙法、一閻浮提常寂光相の、理想実現にあることが第二段に示されている。『聖祖の大慈願海』とは、日本一同世界一同の妙法蓮華経の広宣流布で、それは決して口に唱ふることの広宣流布ではなくて、十界互具妙因妙果平等大慧の本佛の実相世界、大曼陀羅の顕はしたまふ意味の人類の至樂境を実現する為、各個人、各家庭、各国民が、個人的、民族的、階級的、国家的等々の相対的のものを互いに没して、全人類的、全宇宙的の階調平和の原理たる、宇宙的秩序に即せる、絶対互助の融一體としての同一性たる、妙法蓮華経に南無する。即ち身も心も任してしまふ。常にさういふ意味で南無妙法蓮華経を心に念じ口に唱へ、法の為に必要の場合は、身命を捨てるも厭はぬ覚悟をもち、生々世々この本佛本化の大願達成の為に、誓って退転せぬとするに至って、生死を超越した精神の大安楽地に住し、自然に『法界円融』とて身心ともに本佛、本法、本化の冥護の中にあるに至るので、それをば『妙信心の成立』とするのである。で、その成立したる

 
『まことの法華経信仰』

の『信』そのものはどんあものか、といふことを明かにせられたのが、次の第五則だ。


 Ⅴ 信の體・用・力・作                                ページのトップ

第五則 本化妙宗の信は、不惜身命の心地を體と為し、随順歓喜の情念を用と為し、勇猛精進の意気を力と為し、純潔光明の意志を発作と為し、人法ともに雑乱昏昧を離れて浄心信敬の実を全うするに在り、其止作の要件を十条と為す。

     い 不惜身命の心地を體と為し                            ページのトップ

 『信』とは『まかす』といふことだ。『活かすとも殺すとも、どうともしてください』。これが真の『まかす』こと、『信』といふものの體だ。最も卑近な男女の色恋などといふことでも、そこまでゆかねば真の恋じゃない、とされるものだ。况して佛に成るか成らぬかといふ大事に、かりそめの『信』でどうならうぞといふ場だ。これは聖人の「開目抄」に
 『我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に佛界に至るべし。天の加護なき事を疑はざれ、現世の安穏ならざることを歎かざれと、我が弟子に朝夕教へしかども、(難来る時は)疑ひをおこして皆すてけん。拙き者の習は、約束せしことをまことの(難来る)時は忘るるなるべし。妻子を不便とおもふゆへ、現身にわかれんことを歎くらん。多生曠劫(の間)に親しみし妻子には、心とはなれしか(別れようと思って別れたか)佛道のために離れしか(よも佛道の為に離れたのであるまい)いつも同じ(心ならぬ)別れなるべし。(されば今この生の時こそ)我が法華経の信心を(難の為に)破らずして霊山(自我偈にも「倶出霊鷲山」とあるその霊鷲山。法華経の本門八品の虚空会で顕はし出された大曼陀羅の如き本佛の大覚境界即ち「本国土」)にまいりて還りて導けかし。』

と仰せられているので明かだ。『如説修行抄』にも、法敵の為に『たとひ頸をば鋸にて引切り、胴をば菱鉾をもてつつき、足にはほだしを打ちて錐をもってもむとも、命の通はん程は南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて唱へ死に死するならば』とあるので明かで、それが第四則で『成立』したと認められた、『信』そのものの體だ。この心が決定していないならば、それはまだほんものまでにはいたらぬ『信』なのである。

 
    ろ 随順歓喜の情念を用と為し                              ページのトップ

 『信』を『まかせる』こととすれば、その対手が自分に要求することは、何でもみなそのいふままにして、毫(け)ほども背く心が出ず、普通ならばどんなに厭なことでも、難かしいことでも、それがかへって嬉しいといふのが、真に恋するものの情念だとされている。そこまでゆかねば世間の浅はかなことでもだめなのだ。况して佛法の大事をや。かの工藤左近尉吉隆が、小松原に戦ひ死しても、却て聖人の御恙なかりしを喜び、妻の懐胎の子が男子なれば、聖人の御弟子にさせ給へと願った如き、また永享の頃、鎌倉の持氏公方が法華宗を迫害して、流罪死罪にも行ふべき旨を布令したらば、『我も法華宗ぞ 我も法華宗ぞ』と名乗り出たものが、忽ちにして六十余名に達し、あとよりずんずんと来た。役人どもが却ってあはてていると、持氏が高僧に胸をふまれて、誡められたと夢みて、その布令を取り消したが如きは、この情念をみな普ねく持つていた証拠ともできよう。さればこそ滅後二百数十年で、諸宗の中最も旺んで、京都に二十一の本山を有するにも至ったのであろう。

    
 は 勇猛精進の意気を力と為し                             ページのトップ

 
不惜身命の心を『體』とし、随順歓喜の情念を『用』となっていれば、自然に広宣流布の為には、とてもそんなことは及びもつかぬと思われるような事をも、為し得られる『力』が出るのである。六老僧の日持師が単身海外宣伝の旅に上ったり、同じ日朗師の弟子日像師が独り京都の弘通に出で立つたり、同じ日興師から勘当を受けた日尊師が、十三年間に全国に三十六ヶ寺を建立して勘気赦免を受けたり、久遠日親師が将軍義教を諫めて、種々堪へ難い苦刑を受け、遂に焼け鍋を頭に冠されたり、或は精進日隆師の弟子日興師が、領主を諫めて追放せられ、島民の石子詰の私刑に死したに拘はらず、法弟日良、日増両師が相次でその地に伝道し、遂に種子島屋久島を悉く教化し盡したが如き、近くば我が恩師智学先生が十九歳で還俗し寺なく信者なく、二十四歳で弧身奮然として東都に伝道し、祖道復古の大旆を立てられ、その後五十五年暫くも活動を止められず、「妙宗式目」及び「信条」を遺して、永世の行学の基を置かれたryが如き、勇猛精進の力の発作と為る。不肖が二十三歳に三誓を発し、五十年精進怠らず、漸次その願を充たさうとしている如きも、またその一分の実證ともいへよう。

    
 に 純潔光明の意志を発作と為し                          ページのトップ

 不惜身命の心を『體』、随順歓喜の情念を『用』、勇猛精進の意気を『力』とした本化の『信』は、必ず純潔光明の意志が『発作』とならねばならぬ。若しその信が、純潔でなく光明のない発作であれば、その『信』は決して本化妙宗の『信』ではなからう。「法華経」は『正直捨方便』の御経だ。それを修行する者も正直でなければならぬ。正直なれば純潔だ、純潔であればおのづから光明がある。
 聖人の当時、三位房は龍象房の説法の場へ行って、御不審の旨は何事にても問へとある語に、法門を申しかけて彼を閉口せしめた。龍象房の側の僧俗が騒ぎ立てたが、四條金吾殿がいたので、どうすることもできなかったので、彼等は金吾殿の主の江馬入道殿へ、四條金吾は龍象上人の説法場に、乱暴を働いたと讒言した。江場殿は良観、龍象両房の信者だったので、四條金吾、法華経の信仰を止むべき旨の起請文を書いて奉れと申し下された時、金吾殿は所領を召しあげられても、この信仰は捨てないとの誓状を捧げて、聖人の前にその対策の教示を仰いだ。その時聖人は金吾殿を讃せられ、『いかなる乞食にはなるとも法華経にきづをつけたまふべからず』と、更にその決心を奨励されると共に「頼基陳状」を代作せられ、金吾の父中務頼員は入道殿が曾て執権から不審を蒙むられた時は家臣も多く離散した中に、いづくまでも御先途を見届け奉らうとて、蟄居地の伊豆の江馬までもお供した者であり、自分もまた文永九年二月十一日の騒動の時は、江馬にいて十日申時に洩れ聴き、三時の中に箱根を越えて御前にて自害すべき八人の中の一人であった。常に冥途までもお供しようと存ずるとの、誠にかはりはない。それにつけても佛法の事は世間の事とは趣の異るものであるから、常にいづれの佛法が真実であらうかを求め、遂に日蓮聖人の佛法こそ、まことに生死を出づる道であると考へて、これを信じているのも、詮する所は、殿もし佛にならせ給はば頼基助けられ参らせ、頼基もし佛にならんには殿を助けまいらせんとの、御報恩の誠の外にはない。若し今殿の仰せに従って法華経の信を捨てれば、我が悪道に落つるにみならず、殿もまた法華経を捨てしめたまうた罪を得給ふことになって、いよいよ悪道に落ちたまふべきに定まるから、たとひいかなる御咎めを受けませうとも、この信仰を捨てることはできませぬ。その為いかやうの所罰があっても、聊も苦しとも存じませぬと申上げ、潔よく所領召しあげ主家退散を覚悟していた。江馬入道殿もこの純潔な信仰の動機といひ、その状に日蓮聖人と良観上人との雨請の事実、龍象房と三位房との問答の内容等も、詳しい陳述がしてあったので、その真偽にゆいても考へねばならぬ事となり、遂に江馬殿の方で起請文のことはその儘となり、翌年の冬には知行所加増まで受けるようになったのも、金吾殿の純潔光明の発作に、反対宗の信者たる主人も、その光りに包まれねばならなくなったものといはねばならぬ。所領を召しあげられて、乞食になっても法華経を信じ通さうとの、その信仰の節操は、異信仰の者をもかく動かし得るのだ。况して同信の者をやである。そのやうに人をも感化するのが乃ち光明なので、純潔でなければ光明はない、純潔でない偽光明は、やがて必ず剥げるものである。

     ほ 人法ともに雑乱昏昧を離れて浄心信敬の実を全うするに在り         ページのトップ

 
かやうな體・用・力・作を具へた本化妙宗の『信』は、法そのものが彼の蓮華が淤泥の中に生えても、決して淤泥に染みることのない、自性清浄であるやうに、いかなる無明も蔽ふことのできない、究竟法性の至正至純の境であり、佛がその法の因果を実現せられたる、唯一根本究竟の清浄身でましますから、信ずる者もまた雑乱と、信心に二つ三つを並べることが許されず、昏昧と法性無明の因果の道理に昏い、蒙昧のままの心で、は信じ得られない。最低限度にしても必らず正しいか正しくないかの、いかなる幼兒でももっている先天の佛性・良心の発動を要する。それが『本化妙宗の信』の固有の性質であって、それをば経に『浄心信敬して疑惑を生ぜず』(提婆達多品)とある。それは信ずる対手の法が、『真浄大法』(如来神力品)だから、当然の事なのだ。
 そこで、さういふ『本化妙宗の信』が事実の信仰修行の実践上には、

     
へ 其の止作の要件を左の十條と為す                        ページのトップ

と、してはならぬことの『止』と、せねばならぬことの『作』との要件が、十條ある。

 
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