まことの法華経信仰

山川智應先生の「本化妙宗信條」要義より

                                                   「法華経の勉強室」に戻る   

本化妙宗の正しい信仰の要する十の箇條(十條)

第一條 宗徒の安心直ちに聖訓に根拠すべし

第二條 本尊の雑濫を厳禁すべし。
 違式の本尊を奉じ及び勧請を錯るもの、都て之を本尊の雑濫と為す。本化妙宗の本尊は聖祖親奠の正儀たる本門の本尊事の一念三千十界常住輪円具足妙法曼陀羅を正式本尊と為し、特に模範を佐渡始顕の広式に取る。末法依師の聖容を合祀するは妨げず。

第三條 修行の雑濫を厳禁すべし。
 非違の雑行を修し及び行軌を錯るもの都て之を修行の雑濫と為す。本化妙宗の修行は要法受持を正行となし、廣略四種を助行と為し、折伏立行を行意と為す。

第四條 本化妙宗信行の目的即身成佛 娑婆即寂光の大安心を決定して、人類と共に妙道に入り国家と共に成佛せんことを期するに在り。

第五條 一天四海皆帰妙法の祖猷を遂行するは、宗徒究竟の願業なれば、いかなる困難をも忍耐し、いかなる障害をも排除して必定成就せんことを期すべし。

第六條 身軽法重の宗憲を躰達し、呵責謗法の教旨を格守し、大慈道念以て権門邪教の非違を糾明一乗の正義を光揚すべし。

第七條 他教異宗の教義又は祭祀を信仰し、及び之に供養することを厳禁すべし。国家郷党の典禮に属する国儀例俗の祭祀にして宗教以外のものはおのづから本條の外とす。

第八條 自行化他宗風護持の要は必ず異體同心の祖訓を體現するにあり。
 同心とは聖祖に同心する謂にして宗徒相互の同心謂ふにあらず、若し聖祖を中心とすることを亡失して単に宗徒の同心を期するは、終に異體異心に帰す、宗徒億萬ただ克く聖祖に同心し了らば、相互の間亦期せずして堅実正大の同心を成ずべし。

第九條 本化妙宗の主義を以て修身経国の基本と為し、一身以て先づ国家人生の率先指導たるべく完全の行用を期すべし。

第十條 新旧古今の時弊を超脱し、背教失意の迷信妄儀を排除して、如法正当の宗儀教式を完備せる本化真正の教会制度に依りて、信仰安心を相続護持すべし。


 T 安心の根拠                                       ページのトップ

 第一條 宗徒の安心は直ちに聖訓に根拠すべし。

     い 宗徒の安心

 『安心』といふのは、経に『安住実智中其心安如海』(実智の中に安住して、其の心安きこと海の如し)とあって、佛の御智慧の中に『まかせきっている』(安住)時は、その心は全然風といふもののない海の如く安らかだといふので、全く風のない海はあまり我が国では少いが、時々見ることができる。私は三十六七年前に、三保の松原の最勝閣の前の海でそれを見たが、一里以上距たっている興津の海岸をあるいている人や牛馬までが映されている。だから富士山などもまことに近々と映るのである。

 印度は熱帯国で全く風のない蒸し暑い日は、決して珍らしくないが、その時の海は油のように動かず、萬象をそのままに映し出すこと掌中の如くである。そのように宇宙法則の真の相を、佛がそのままに観察せられるのを『海印三昧』といはれている。佛の実智の中に総てを信(まか)せきれば、その印度の風のない時の海のやうに、我等聖人の信者は自ら佛の実智を知ることはできないから、その本佛が我等に依止師として遣はされた神力品の『斯の人』たる本化聖祖の御智慧に信(まか)すのである。この外に安心のおきどころはない。ではその本化聖祖の御智慧は、どうして我等は伺ふことができるかといふ時、その為にこそ聖祖は遺文をおのこしになっているのだ。


     ろ 直ちに聖訓に根拠すべし                            ページのトップ

 それは「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」「撰時抄」「報恩抄」の五大部をはじめとし四百篇に近い御遺文。それは『御書』とも『御妙判』ともいはれるものを、お遺しになっている。その中で五十前後を除いてはみな弟子檀那に与えられた消息であるが、その中には偽書の疑のあるものも数十に達するし、古来相当に論議もされているが、大部分は全く聖人の真撰であり、現に真跡の存在しているものが、断簡を加へれば百篇以上に上っている。随って遺文の真偽を真に科学的に確定するのには、現に存在している真跡を悉く蒐(あつ)めて、その用語、文体、文脈、文勢、文気、文格にわたり、聖人のそれを定めてその標準に依って、既に御真跡の亡くなった遺文の真偽をも鑑識するやうにせねばならぬ。そこで私は現存の真跡を正しく読み取った、「標準御書」といふものを、編成しつつあるのであるが、それがまだ出来ていなくても、私の如く五十年來専ら研鑽を続けている者には、真偽についての大体の鑑別がつく。その真に聖人の遺文の聖訓について御智慧に接することができる。

 『直ちに聖訓に』とあるのは、聖人門下の者の中に六老僧といふ方々があり、また後世派といふものが分れた、その派祖の方々もある。それ等の方々にまたみなそれぞれの遺訓なり遺文なりがあるが、その六老僧なり派祖方の遺文や遺訓を本にしてその眼鏡で、御遺文を拝するといふことをせず、直ちに御妙判を本にするようにせねばならぬ。それは原則の第一、第二、第三に鑑れば、さうでなければならぬ訳が、おのずからわかるであらう。

 つぎに『依るべし』となく『根拠すべし』とあるのは、本化聖祖の御妙判はすでに数が多い上に、『佐渡已前の法門は佛の爾前経と思召すべし』(三沢抄)と仰せられ、そこに方便が含まれている。では真実の法門はといふと、『佐渡の国より内々弟子どもに申法門あり』との御仰せは、主としては「観心本尊抄」それについで「開目抄」の両著を仰せになったもので身延入山の後は真実を已に顕はされた後ではあるが、「法華経」にも『流通還迹』(流通分にはまた迹門にかへることあり)といふことがあって、たまたま還た初心の者の為、時に方便を用ひられることもある。また聖祖の御法門は深く大きいし、それをお顕はしになるのに、御一生中に漸次に序、正、流通を経て、お示しになっているから、一つの文やまたは一つの篇に依って、宗旨及び修行を立てられたものではない。それは恰も「法華経」の一つの経文や、一つの義によって立てられた宗旨ではないから、『法華経の教理に根拠し』とあるやうに、やはり『根拠すべし』といはれてある。

 U 本尊の一定                             ページのトップ

第二條 本尊の雑濫を厳禁すべし。違式の本尊を奉じ及び勧請を錯るもの、都て之を本尊の雑濫と為す。

     い 本尊の雑濫

 前にもいったが、法華経の本尊は一體何なのか、お祖師様、妙見様、帝釈様、毘沙門様、清正公様、鬼子母神様、等々が祀られているのだが、本尊は一體何なのか、と局外者からあやしまれる。勿論、お寺には本堂があり、その本尊は大抵は、中央に南無妙法蓮華経の宝塔があり、その左右に釈迦、多宝の二佛、それから上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩が上の段、その下に文殊、普賢二菩薩、四方に四大天王、中央の文殊、普賢の下の處には日蓮大聖人。中には文殊、普賢のない處、更に四大天王もない處もあるが、本堂の外に祖師堂のある處では、この中の大聖人のない處もあれば、本堂にも大聖人もあられ、更に別に祖師堂といふ大聖人ばかり祀ったお堂がある處もある。そして往々にこの祖師堂の方が本堂よりも大きい處がある。祖師堂が大きいだけでなしに、はやり神のお堂の方が、本堂よりも大きいのが、また往々ある。

 かうなると、日蓮聖人の宗教の本尊は、一體なになのか、といふことになる。このやうな本尊の雑濫を厳しく禁しめなければ、正しい大聖人の宗教といふことはできぬ。

 『雑乱』といふのは、聖祖が本尊としてお定めになった本尊に違ったものは、『違式』の本尊であり、仮に正式の本尊であっても、それを唯一の本尊としないで、多く他の佛神と並べて勧請したり、本尊の方を第二にしたりしたのは、みな『本尊の雑濫』といはねばならない。


     ろ 正式の本尊                                       ページのトップへ

 本化妙宗の本尊は聖祖親奠の正儀たる、本門の本尊・事の一念三千・ 十界常住輪円具足の、妙法曼陀羅を正式本尊と為し、特に模範を佐渡 始顕の広式に取る。末法依師の聖容を合祀するは妨げず。

 雑濫の本尊、違式の本尊がありとすれば、本化妙宗即ち本化上行の應化たる日蓮聖祖の定められた、正式の本尊とは一體どういふのかといふ時、それは聖祖御みづから『本門の本尊』と仰せになり、また正しい儀式を経て御親から御奠(さだ)めになった御本尊である。それをここに、符號をつけて書きわければ、『本門の本尊=事の一念三千=十界常住輪圓具足の=妙法曼陀羅=を(以て)正式本尊と為し、特に模範を佐嶋始顕の廣式に取る。』となるのである。以下これを略解しよう。

本門の本尊』といふのは、『法華経本門の本所尊』といふことで、本来に尊ばるべき御佛といふこと。「報恩抄」に『本門の教主釈尊を本尊とすべし』といはれたのと同一の意味で、『事の一念三千』以下は、「報恩抄」に『所謂宝塔の』以下にいはれた『形貌』えおば、ここでは『義理』から説明されているのである。

事の一念三千』といふのは、元来『一念三千』とは天台大師が、「法華経」によって顕はし出された、一切衆生の成佛の原理で、佛の教では、この法界即ち宇宙には、我等の眼に全然見えぬ世界が、地獄、餓鬼、修羅、天上の四つあるが、人間と畜生は常にあり、声聞、縁覚、菩薩、佛は、佛の在世には存在した。そこで地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、佛の十界ありとせられた。それ等十界の各の心中にみな十界の要素をもっている。人間が自己の心中に反省して見れば瞋恚(いかり)は地獄、貪欲(むさぼり)は餓鬼、愚痴は畜生、諂曲(この裏には嫉妬)は修羅、平静は人間、喜楽は天上、友人近親の不時の死に遭ひ、己れの無常に気づくは声聞、縁覚、顧る心の更にない悪人も、妻子の愛に我が身を忘れることもあるのは菩薩の心、堯とか舜とかいふ古への聖人の王は、萬民を偏頗なく慈しみ、我が子が王の器量がなければ、人民の中の徳の王たるに足る者を選んで、これに伝へるといった公正の心は佛の一分で、そこに人の心に十界の具つていることを知るべきでだ。

 そのやうに他の九界にも、みな十界の心をもっているから十界互具して百界、それにその一界々々に各別の相(外から見て別けることのできるもの)、性(そのものの特別のもちまへ)、體(相と性とをそなへている本體)、力(それのもつている力)、作(力のもっている作用)、因(さういふ相性體のもとになった内因)、果(さういふ相性體となった自果)、報(さういふ相性體として今ある環境)、本末究竟等(本の相と末の報(すなわち環境)との中に中間の八つのものは具はって等しく一つになっている)の十如是の法があり、一千の如是を具し、それが更に衆生・五蘊・国土の三世間に亘って存するから、三千世間となる。この三千世間は、十界の衆生の各の心の一念の持ち方によって、地獄の三千世間とも、修羅の三千世間とも、菩薩の三千世間とも、佛の三千世間ともなり得る原理があるといふことを、「法華経」の方便品にお説きになった。この『一念三千』を『佛知見』といふので、我等凡夫の身と国土とに、この『一念三千の理』が潜在しているから、坐禅観法して、それを覚り出す修行をするのが、『理の一念三千』といふ天台大師の開かれた宗の修行法である。

 今『事の一念三千』といふのは、『衆生は理に約し、諸佛は事に約す』といって、衆生の方はこの一念三千の理を聞けば、道理がわかり反省の心の正しくあるものなれば、その理だけはわかるが、さればといってなかなか瞋らないやう貪らないやうにしよう、と想っても、それは一々修養をしなければできぬように、容易にはできるものではない。それと同じやうに坐禅観法しても、やっとその理を真に覚り得るに過ぎない。然るに佛の境界になれば、事実の上に三千世間を、悉く佛界の功徳に化してしまはれることができる。即ち十界三千世間が、佛の覚りの境界に事実上になってしまっている。それをば『事の一念三千』といふのである。

 このやうに一念三千に、方便品の凡夫の心中の理の一念三千と、如来寿量品の本佛久遠の大覚の上の事の一念三千との二つあることは、「三大秘法抄」に明瞭に仰せられている。

 そこで本化妙宗の御本尊は、その寿量品の本佛が、久遠無始の昔に妙覚を得られて、十界三千世間を悉く佛の功徳に化せられた。その『事の一念三千』の正體を示されたものであって、その妙なる形貌はこれを法華経の従地涌出品第十五から嘱累品二十二の八品の間に、お顕はしになっているから、「観心本尊抄」に、
 『佛の事の一念三千の相は、南無妙法蓮華経を中心として、本佛化せる十界を、霊鷲山虚空会上の八品の間に示されてあり、それを上行菩薩に授けられた』(取意)

旨を示されている。その八品に示された相をば、「法華経」の自我偈に

 『一心に佛を見たてまつらんと欲して、自から身命を惜まず。(という衆生があれば)時に我れ及び衆僧、倶に霊鷲山に出づ』

と説かれてある。それが、久遠以来常住の本佛の常寂光土の、事の一念三千の相なのであるとて、「御義口伝」の『時我及衆僧、倶出霊鷲山』の文の下の御講に

 『御義口伝』に云く、霊山一会儼然未散の文なり。「時」とは感応(の意にて)末法の「時」なり。「我」とは釈尊、「及」とは菩薩、聖衆を「衆僧」と説かれたり。「倶」とは十界なり、「霊鷲山」とは寂光土なり。時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山(寂光土)に出づるなり。秘すべし秘すべし。本門事の一念三千の明文也。御本尊は此の文を顕はし出したまふなり。』とあるので、明かであらう。

十界常住輪圓具足』とは、かやうに本佛の大覚の上の三千世間であれば、一々の界が悉く『南無妙法蓮華経』と、佛の一念を我一念として中心に向ひ、各界の持ち前を我が本分として別々の活動をする。そこに十界悉く功徳の相を示し、常寂光土を現はすのは、恰も車の輪を為している幾本かの輻(え)の一々が、各みな中心の軸に向っていながら、同時にまた外部の輪に向っているやうなものだから、これを『輪圓具足』といったのである。

妙法曼陀羅』といふのは、『曼陀羅』とは梵語で『輪圓具足』または『功徳聚』といふ意味で、上の如く『南無妙法蓮華経』を中心としている十界が、『輪圓具足』の『功徳聚』(一大功徳化された境界)とせられたということで、畢竟『本門の本尊』とは、寿量品の本佛なることの名称で、『事の一念三千』とは、その本佛の単なる形貌でなく、本佛の精神即ち大覚の内容境界なることを示し、『十界常住輪圓具足』とは、その内容境界を示すのに、本佛の大覚の光明によって功徳化された十界が、悉くその大覚を中心として、各自の異った本分を、外部に活動せしめつつある意味を明し、『妙法蓮華経』とは、玄題中心の本佛の大覚の上の功徳聚の相である、といふことを以て結ばれたものである。これが本化聖祖の宗の『正式本尊』である。なぜ特に『正式本尊』といふかとなれば、前にいったやうに、聖祖は三十二歳から、本化上行菩薩の自覚内容の宗を、唱導しはじめられたのだが、御経の證拠が身に備はる以前にそのようなことをいふと、「大涅槃経」にも、魔王が佛弟子や菩薩や甚しいのは佛の形を示して、佛法を雑濫させるであろう、と誡しめられてもあるから、みだりに菩薩の覚りを得ただの佛から授かったなどといふべきではない、みな迷信妄信の根本となる。またたとひその自覚が『道理』と『経文』にかなっていやうとも、まだ『現證』にももはや動かすことのできぬまでに、その上行自覚をば御自身でも確認せられないところに、聖祖の宗教に、迷信妄信を許さぬ世界無類の堅実性があるのだ。だから、佐渡でも特に佐渡の国人が、みな聖祖に帰伏した文永十年以前には、この『正式本尊』を顕はされず、或は『南無妙法蓮華経』の七字。それに釈迦、多宝の二佛を添へ或は更に十方の佛、普賢菩薩等を添へたまへるもの、或は伊豆流罪の時に御感得の、立像の釈尊等をば本尊とせられていた。だが、それ等は『佛の爾前経』にひとしい『未顕真実の本尊』であるから、そこでこの『妙法曼陀羅』を『正式本尊』といはれたのである。

     は 模範廣式                    ページのトップ

 『特に模範を佐嶋始顕の廣式に取る』とあるのは、上の『妙法曼陀羅』をば、聖祖は文永十年七月八日に図し顕はされたが、その後も文永、建治、弘安の間にその勧請せられている佛、菩薩、その他の聖衆の多少もあり、また或は迹化菩薩以下を略せられたもの、六道以下を略せられたもの、或は人間、或は修羅、或は三悪道を略せられたもの等々種々あるが、『南無妙法蓮華経』を中央にして、釈迦、多宝、本化の四菩薩まであるものは、いかに略せられてあっても、「本尊抄」「報恩抄」によれば、迹化以下は本化に摂せられるから、『正式本尊』の書写方式の略せられたものである。また文永、建治、弘安の間に、佛、菩薩の存没があるのは、おのおの法門御顕発の意味の相違で、『正式本尊』たることは、何等異らないのである。
 ではなぜ模範を『佐嶋始顕の廣式』に取るかといふと、佐渡で御本尊を顕発したまうたのには、恩師先生は、事理七箇の理由を示された。まづ理の三義とは

1,経證身に具はれるが故に。

 佐渡流罪以前龍の口までで、勧持品の二十行の偈の中の国家的の『刀』の字まで悉く身に読まれたが、まだ国家的の『数々』の擯出がなかったのを、佐渡再流でそれも具はり、経文が上行菩薩の弘通の時の環境反応とせられていることを、読みをはられている。そこで翌年文永九年二月の「開目抄」に『日蓮といひし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ。これは魂魄さどの国にいたりて』と、佐渡の御身は凡身の転換、聖身の開発であることを暗示せられている。さすれば次に、上行付属の法をお顕はしにならねばならぬ筈である。

2、付属の任が確定せるが故に。

 その「開目抄」をお書き上げになった直後、鎌倉に百五十日前御預言の自界叛逆難が起り、佛の預言を読み悉された御身は、御自身の預言を事実によって證明せられたまうた。それによって佐渡の民衆が『神通の人か』と驚き、漸次に聖祖に親近してその人格に傾倒し、文永十年の春には、日本一国は聖人誹謗の逆縁の中に、唯佐渡島は聖人渇仰の順縁の地となった。そこでその二月十五日に「法華宗内佛法血脈」を撰して、御親ら『釈迦如来を本師と為し、結要の付属を考へ、上行菩薩の流れを汲んで、師資相承の血脈を列ぬる也』と、御自身が結要付属の自覚者たることを明らかにせられている。

 3、所付属の法門正しく顕発せられたるが故に。

 そしてその四月二十五日に、正しく上行付属の法門たる、「如来滅後後五百歳始観心本尊抄」を撰せられている。これだけの御準備をおそなへになって、七月八日始めて『本門の釈尊の観心の本尊』たる、大曼陀羅をお顕はしなされた。この御鄭重なる御顕発の順序次第をば、『聖祖親奠の正儀たる』と冠らせられているのである。

事の四義とは、

1、古伝に合せるが故に。


 文永十年七月八日始めて御本尊御図顕あったとは、現存最古の「元祖化導記」及び「日蓮大聖人註畫讃」の記す所だが、この一事は各派に否定説は全くない。

2,御座配の委曲周匝なるが故に

 七月八日御図顕の御本尊に、総帰命のものと四聖帰命(帰命とは南無の二字の冠せられたもの)のものと伝はっているが、特に四聖帰命のものは、二佛四菩薩十方三世の諸佛から、迹化の四菩薩、迦葉、舎利弗、梵天、帝釈、三光天子、第六天魔王、善悪等半の人界には転輪聖王と阿闍世王、修羅、龍神、鬼子母、十羅刹、提婆達多の十界。外郭として四大天王、不動、愛染、乃至、龍樹、天台、妙楽、伝教の三国相承、天照、八幡の本門顕発の国土の神等の座配が整々然として、模範廣式なることを示されている。彼の『弘安再治の御本尊』に『十方分身佛』や『三世諸佛』『善徳佛』等の迹佛のないのが、真に本門本尊だなどいふのは、「観心本尊抄」に『観心本尊』『本門本尊』の『體たらく』を顕はされ、その御図顕をせられたが、弘安に至ってあの迹佛を図したのでは、真の本門本尊にならぬから、再考の上に迹佛を除くことに改め、その後はそれに一定せられたなどといふのは、実に聖祖を愚にし奉ったもので、十方、三世の諸佛を見奉るとは、神力品の偈の明文ではないか。

3、御賛文丁重なるが故に。

 また御賛文に『佛滅後二千二百二十餘年の間、一閻浮提の内未曾有の大曼陀羅也』とあるはすべて同じだが、特に『如来現在猶多怨嫉況滅度後。法華弘通の者今世留難ある事、佛語虚しからざる也。文永八年太歳辛已九月十二日御勘気を蒙り、佐渡の国に遠流せらる。同十年太歳癸酉七月八日日蓮始めて之を図す』と、『二千二百二十餘年未曾有の大曼陀羅』を、始めて顕はしたまうた因縁がきされているが、『況滅度後』の佛語が虚しからずして、再び佐渡遠流となられて、預言せられた人たることが定まった。そこではじめて預言せられた法を弘められるわけだから恩師先生は『佛語不虚也』の五字をば、『三佛の生命に関する大問題で、これが虚妄となれば、寿量品も、神力品も、上行別付も、結要の妙法もみな土崩瓦解するのである』といはれた。また次に薬王品の『此の経は則ち閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病あらんに此の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん』の文が引かれている。「報恩抄」の『一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし』の意とピッタリ合ふのだ。

4、一機一縁の授与書なきが故に。

 始顕の御本尊は、教観両図とも授与書がないのは、一機一縁の為に授けられたものでないことを示してをり、無問自説の意匠であらせられ、公然始めて一閻浮提の一切衆生の為に、顕はされ授けたまうたものたるを証拠立てている。
 以上の理由から、佐渡始顕の廣式を以て、その模範とするのであるが、他の文永式でも、弘安式でも、聖祖の御真筆に成れるもの、またその御真筆のままを拝寫したものは、その拝寫の旨を明かにしたものならば、正式本尊たることを失はないのである。
 聖祖の御真筆のいづれかの御本尊に依るとしても、その拝寫者が勝手に他の神佛を除いたりしたものは『違式の本尊』であるし、またその拝寫者が自己の名を中央に書したものは、それはその授与を受けた者との師弟の契を示した『弟子曼陀羅』で、本尊ではない。本尊であれば、この法の依止師としての聖祖の御顕発でなければばらないことは、第四則の意味からも、最早多言の要はあるまい。

     
に、聖容合祀

 大曼陀羅の御本尊の中には、みな聖祖の名と御花押があって、その御顕発の依止師であられることが示されている。だが、人々の中にはやはり文字だけでなく、聖祖の御像をも安置したいといふ人がある。その場合には御本尊の御名のところへ御聖容を合祀し、御本尊と御一體として尊崇し奉るのを、意を得たものとせられたのが、『末法依師の聖容を合祀するは妨げず』といふ、『聖容合祀』の一項である。

 V 修行の粛正

第三條 修行の雑濫を厳禁すべし。非違の雑行を修し及び行軌を錯るもの都て之を修行の雑濫と為す。

     い 非違の雑行

 御題目を唱へても『法華経の心に背いて』唱へれば、それを『非違の雑行』といふ。

 聖祖の奠めたまうた修行は、正しい御本尊の御前に於てもまたいづれの處に於ても、修行としては御題目を唱ふるを正行とし、「妙法華経」の方便、寿量、乃至一品、一偈等の讀誦を助行とする。この外に弥陀、薬師、観音等の名を唱へ、他の経陀羅尼を読み、或は正式本尊ならざる神佛を礼拝し、或は御本尊を後にして枝末の神々に煩悩的欲願に耽り、御題目を唱へるからよからうといふ類は、みな『非違の雑行』で、これ等は断然止めねばならぬ。

 法華勧請の神々によって、本化聖祖の正しい信仰に導かれたとしたならば、正しい信仰の修行に導かれた因縁を謝する敬意を持しても正しい御本尊に帰した後には、その導いた神々もその御本尊の中にましますのだから、どこまでも枝末の神に執着していてはならないことは、見やすい道理であらう。

     
ろ 行軌の錯濫

 行軌といふのは、法華経の修行に聖祖のお定めになっている軌がある。それを錯まったり濫してはならぬことは、いふまでもない。

 聖祖は題目は『正行』二十八品は『助行』と定められている。然るにその『助行』の中で方便品は『迹門無得道』だから読まぬとか、『法華経を讀誦するのは謗法だ』などといふ類。または『正行』のお題目を唱ふるより、『助行』のお経を読む方が功徳が多い、その如く考へるなどは、みな『行軌を錯るもの』である。

 『正行』とは、正しく本佛から上行菩薩に付属せられた、佛種の法としての成佛の正しい行。『助行』とは、その正行が成佛の因たることを、佛が説かれた御経を読んで、行者の信心を助ける行である。

     
は 正しき行軌

 本化妙宗の修行は要法受持を正行と為し、廣略四種を助行と為し、折伏立行を行意と為す。

     ァ 要法受持正行

 『正行』は『要法』即ち上行所伝の御題目を、『受持』と純な心で『今身より佛身に至るまでよく持ち奉る南無妙法蓮華経』と受け奉ってから、『心に念じ、口に唱へ、身に持ち』て、身・口・意三業に、常に『南無妙法蓮華経であること』で、それは自分だけが持つのでなく、『自行化他にわたりて南無妙法蓮華経』とある故に、御本尊の十界が悉く輪圓具足で、車の輪の幅の一本一本が、みな内は軸に向ふ如く南無妙法蓮華経を中心とし、外は輪に向ふが如く十界十界の所業を妙法中心の心で働くといふ。その如くなればそれが佛の一念三千の中にはいったこと。即ち『事の一念三千』を行ずることなのである。『地涌の流類たらんか』といふのもその意である。

     イ 廣略四種助行

 『廣』とは「法華経」一部二十八品で、『略』とは「法華経」の一巻(八巻ある中の一巻)、一品(二十八品の中の一品)、一偈(自我偈、神力偈、勧持偈、などから、今此三界、此経難持、一心欲見佛の四句など。)までを含めていふ。『四種』とはこの廣略の御経文を、『読』と文を看てよみ、『誦』と文なしに暗誦にし、『解説』とその御経文の意を解きあかし、『書写』とその御経文またはその解説を書写して、遠方又は後の世に伝へる四つで、御本尊御寶前では読み誦し奉り、また他に対しては解説し、また自ら書き写して後に残すのは、悉く自己及び他人に対して、この要法受持の信心の心をいよいよ固うしますます精まして正行を助けることだから、これを『助行』といふので、要法の題目の御功徳を助ける行ではなくて、行者の信心を助ける行である。例へば要法の題目は薬で、四種の助行は効能書、また服用法、摂生法の如きであるともいへよう。

     ウ 自他折伏行意

 さてその正助二行ともに、この正法を以て自他の謗法を折伏して、唯一の妙法に帰するを以て修行の最肝心とする。御本尊は正しく釈尊、多宝の二佛、十方三世の諸佛といへども、『南無妙法蓮華経』と各自の別の心を捨てて、妙法に南無していられるのである。上行等の本化の四菩薩まづこれを奉じ、迹化菩薩以下の九界は、南無妙法蓮華経の無明の闇を破る佛智の光明に照され、その六道及び権迹の佛法の心を捨てて、『正直捨方便不受餘経一偈』と、自心を折伏せられて合掌帰敬し奉り、一切衆生をしても正直捨方便せしめられている姿である(日女御前御返事)。

 我等末法の行者も、また本佛大慈悲の観心の中の衆生となり、事の一念三千を修行するには、まづ自の身と心との「法華経」に背く所を折伏するのが、『約身』の折伏、つぎには父母兄弟等にこの法を伝へて、捨邪帰正せしめるのが、『約家』の折伏、やがては日本国を捨邪帰正せしめるが『約国』の折伏。そして遂に世界を常寂光土たらしめ、この世に御本尊の御姿を実現せしめるといふ、本佛と本化の御願を以て我が願とし、『其の跡を紹継しその功徳を受得する』(観心本尊抄)のが、正しき修行の目的なのである。

 但し特に『折伏行意』とあるのは、ただ今日において我等凡夫が、みだりに他に向って口に『念佛無間』等と、言ひ罵る形式的の折伏ではならないから、『行意』といはれているのである。今日においては、四個格言の如きも、聖祖の大慈大悲の御意を受け、その御真意を紹介し奉る意味において、これを伝へるのでなければ、成功しないのである。

 以上、五つの原則で、本化妙宗即ち聖祖の

 まことの法華経信仰

が、「法華経」のどういふ教理に根拠し、どういふ経路をたどって、宗旨を定め、修行を立てられたものか、といふこと。それは印度の「法華経」の文の上に預言せられ、漢土の天台妙楽両大師によって解釈せられた、その預言のままの時代、場處、環境に、出づべしと定められた、末法の依止師としての本化菩薩の使命を、ただ一人自覚は直覚といふやうな論理を抜きにした處から、みだりに主張されたものでなく、長い々々二十年の人間の理性と直覚との十分の融合と、事実の體験との上に、正当に帰着すべき處から発生したもので、而も亦その自覚を完うし確かめて、この宗旨を完成発表された時は、また二十年(三十二から五十二まで)の間に、聖人自身が経に預言せられた使の事実を體現されることの示された後であって、聖人がかかる歴史的人格である事実が、預言された本佛の実在と、現実の人間が菩薩の事を行ふことのできるものだとの、本法の実益を確実に示されている。

 だから聖祖の宗教の『信』は、聖祖を『絶対の聖境』とし随順し奉ることによって、本佛、本法、の御利益をも、今日の我が身に體験、體現し得るものなることを明し、その『體・用・力・作』をも規定し、さてその『信』の実践たる実際の修行の上に於て、『聖訓』根拠の必要、『本尊・修行』の正しくなければならぬことが規定されたから、以下は進んで

    四、妙宗信行の目的

    五、宗徒究竟の願業

    六、自行化他の用意

    七、信仰修行の節義

    八、異體同心の祖訓

    九、処世開顕の行用

    十、教会制度の護持

を規められたものである。


 W 妙宗信行の目的

第四條 本化妙宗信行の目的は即身成佛 娑婆即寂光の大安心を決定して、 人類と共に妙道に入り国家と共に成佛せんことを期するに在り。

     い 信行の目的

 では、『まことの法華経信仰』の、信仰修行の目的は何か、といふ時に、平安時代の天台、真言の『鎮護国家』でもなければ、鎌倉時代の禅、浄土、律等の、『自心の悟り』でも、未来の『極楽往生』でも、日常の『戒律実践』でもない。身は即身成佛、土は娑婆即寂光といふ、本佛の大覚を『信』ずる大安心。人類と共に妙道に入り、国家と共に成佛しようと念ずる、大理想である。だからこそ、『一閻浮提一同に』『一閻浮提の人ごとに』といふ漢土、日本の他の宗にない世界的宣言がせられているのである。そして真に個人の安穏は、国家の安穏を要するし、真に国家の安穏は、世界の安穏を要するのである。この事は今日の我等は、身にしみじみとつまされていることであろう。

     ろ 即身成佛、娑婆即寂光

 『即身成佛』といふのは、『どんな凡夫でも、男でも女でも、馬鹿でも利巧でも、皆その身即に法身の佛に成る』といふことで、『娑婆即寂光』といふのは、『この娑婆世界といふ、人は十悪と諸煩悩に忍ばねばならぬし、處は瓦礫、荊棘に忍ばねばならぬ、穢い悪い世界が、即に法身の佛の住處である常寂光土。永遠(常)に平和(寂)と光明(光)に充ち満ちた世界となる』といふことなのであるが、本化聖祖の『まことの法華経信仰』をするものは、みな一同にかういふ『大安心』を決定する。そんな『大安心』など決定したところで、その人間は十悪・五逆・謗法の凡夫であり、その国土は穢悪充満の瓦礫土であることには異りはないのではないか、といふものもあらうが、それは勿論かはりはないかも知れぬが、さういふ差別のあるのが人間だ、さういふ悪いのが此の世界だ、と思ひ定めているのが、『何でも一切を、己れたち自身の身勝手から見て、何時何事でも己れはよくて、先方が悪いと見て、我が身勝手を働らくか。でなければ、何でも御無理御もっとも、相手はあんな奴だから仕方がない、と泣寝入りになるのか。いづれかの方向の煩悩によって、お互ひに悪くしてゆく為に、いよいよ迷っている悪人、悪い国土となっている。』のでもあって、本来は人間はみなどんな悪人でも、悉く法身の佛の一部分として『佛性』を固有してをり、この世界は常寂光土なのである。

 たとへば「法華経」信解品にある、嬰児の時に人さらひにさらはれた長者の子が、心から全く宿なしの流浪の日雇ひ人足だと誤解しているやうなものだ。それを「法華経」を信じ行ずることによって、本来の我が身と我が国土を『信』じて、この長い生死の本たる、煩悩の睡りさへ除けば、本来の長者の子である境界に帰れることは、決して疑ひはないのだといふ、『金剛不壊の大安心』を決定することをいふのである。

 それを「法華経」の分別功徳品には、

 『若し善男子、善女人が、我が寿命の長く遠い五百塵點劫の昔から佛だといふことを聞いて、深い心に信じ解れば、佛は常に霊鷲山の虚空会にましまして、大菩薩と諸の声聞衆と共なる集団にかこまれて、御説法になってをり、娑婆世界はその地は瑠璃であって、坦然と平かに正しく、閻浮壇金の縄を以て八つの道を界ひし、宝樹の行列があり、諸の臺、樓、観など皆悉く寶をもって出来あがり、その菩薩たちがことごとくその中に處られることが見えるであらう。(そして自分もやがてその一員になることが、信ぜられるに至るであらう)。』

とあり、また「法華経」の結経の「観普賢経」には、普賢道場で法華三昧の修行をすれば、遂に空中の声として
 『釈迦牟尼佛をば、毘廬遮那遍一切處と名けたてまつる。その佛の住處を常寂光と名ける。(それはこの佛の)常波羅密によって攝め成された處、我波羅密によって安らかに立てられた處、浄波羅密が有の相を滅なされた處、樂波羅密が身と心との(相)異に住せられない處、有と無との諸法の相(異)を見られない處、如寂の解脱乃至般若波羅密によっての是の色(物質)常住の法(としての常寂光土)があるのである。』
と説くを聞くとある。この法身の佛は、『一切の處に遍ねくまします』のだから、我等衆生もその一分である。即身成佛であり、娑婆世界は常寂光土であるとなる。

 天台大師はこの『即身成佛、娑婆即寂光』を、「法華経」一部を本尊とし、普賢経の法によって、観ぜしめられるやうにせられたのが、「法華三昧」であり、迹化の妙宗である。日蓮聖祖は「普賢経の法華三昧」の観法によるのでなく、如来神力品の付属によって、如来寿量品の本佛を本門八品の儀相において、大曼陀羅を図顕して大本尊としたまひ、男女長幼、智愚善悪にかかはらず、一たび過去の迷ひを捨てて、不惜身命に本門の三大秘法を修行すれば、『此の御本尊の宝塔の中に入るべきなり』(日女御前御返事)と、本佛久遠の大覚の中に安住することを得せしめられる。それが本化の妙宗なのである。


     は 人類と共に妙道に入り

 だから本化妙宗の信仰は自己の心の悟りや、死して極楽に生れるなどの、個人的信仰でも、国家の安穏を祈るといふ、国家的信仰でもない。人類全體と共に、悉くこの『南無妙法蓮華経』の、一秘即三秘の妙なる道に入らうといふのにある。

 それは「観心本尊抄」に明かに

 『南無妙法蓮華経の三大秘法を受け持てば、本佛は自然にその本因本果の功徳を、修行者にお譲りになる。それが佛の大慈悲の教の声を聞いて、無上の寶の珠を求めないのに自から得られたと歓んだ、四大声聞の領解を身にすることでかように信を以て入りさへすれば、誰でもこの功徳を得られるやうにされたから、我れと等しく異らないものにしてやらうとの、我の昔の所願はこれですでに満足だ。一切衆生を化して皆佛道に入らしめることができた」との仰せはこの事だ。かうなると、妙覚の釈尊は、我等凡夫の血と肉との中に通ひたまふことになる。本因本果の佛の功徳は、信行者の骨と髄とになるであらうぞ。宝塔品に依れば、釈迦、多宝、十方分身の三佛は、末法悪世に、この法の弘まることを御願ひになって、御集まりになったのだが、その三佛は私たちの佛界であられるから、其の御願をば紹け継ぐ真の佛子たる法華経の信行者が、本佛の因果の功徳を得るのは当然である。法華経に須臾もこの法華経を聞いて信じたならば、即ち佛の覚りを究竟することができるとあるのは、このことである。』

とある。かやうに本佛並に多宝、十方の諸佛の『化一切衆生、皆令入佛道』の御本誓を私たち信行者の本誓とするのは、『其の跡を紹継し、其の功徳を受得する』所以である。


     に 国家と共に成佛を期するにあり

 さて世界のあらゆる人類と共に妙道に入りと、人種、民族、国家の同異にかかわらず、この法に少しも早く入らしむべきであるが、真に世界が同一宗教となるのには、この妙道の前には、各自の国家がその各自の国家我を忘れるところに、はじめて世界成佛の基礎ができるのである。然るに『我心我欲』の最も強きものは個々の人間だが、之の次ぎ或は之に越すものは国家的の我心我欲である。

 この『国家我』を正しき『佛法』の前に解消せしめるのでなければ、世界を真浄大法に統一することは、絶対的にできぬ。世界の宗教経典中に、明確に世界全體をその教に帰せしめることを期する旨を、宣言しているものは、基督教と日蓮聖祖の教の外にはないが、しかし基督教の経典には、国家そのものを宗教真理の為には、滅んでも厭はないと誓はしめるといふまでの訓へはない。これが基督教が羅馬をはじめ、世界の文明国の多くにその国教とせしめながら、遂に『基督教的個人』『基督教的家庭』『基督教的社会』はありながら、千九百年間『基督教的国家』を、いまだ現出せざらしめた所以だ。

 その『国家の宗教化』を、その経典中に有するものは、唯一つ日蓮聖祖の宗教における「三大秘法」あるのみだ。聖人の宗教の『立正安国』といふのは、平安朝の『鎮護国家』や、鎌倉時代の『興禅護国』『念佛護国』『戒律護国』戦国時代の『王法為本』などいふ、国家を第一義としている思想とは、根本的にその次元を異にしたものであるとは、大正四年(1915)の「日蓮聖人と耶蘇」(新潮社版)でいっておいたことである。

 本化妙宗の『立正安国』『戒壇建立』とは、真の国家の宗教化だ。そこで信行者は必ず国家と共に成佛することを期せねばならぬのであり、国家を諫めねばならぬのである。

 今日世界平和を真に期するには、これを各国家の連合より成る。『世界連邦国家』の如きものに委ねる。連邦国家は、国家間の紛争の起った場合、公正に事実を調査し批判し裁決して、これに適正なる處理を與へる。各国家は自己の不正に属する部分は、その部分の主権を放棄したものとしてこれを服するといふ如き、連邦国家の理想は、正義の前に国家の執我心自我欲を放棄せしめるもので、本門戒壇思想と、思想的に共通する所あるものである。

 この事実においても本化聖祖の宗教が、いかに特別なる宗教であるかを、日本人は、世界人類は、一日も早く覚るべきであらう。

 X 宗徒究竟の願業

第五條 一天四海皆帰妙法の祖猷を遂行するは、宗徒究竟の願業なれば、いかなる困難をも忍耐し、いかなる障害をも排除して必定成就せんことを期すべし。

     い 一天四海皆帰妙法の根拠

 『一天四海皆帰妙法』の八字は、昔は聖人門下の多くのお寺の門石に彫られていたものであって、鎌倉時代は勿論、室町時代も江戸時代も、一貫しての宗徒の間に忘れられずにいたが、今日ではその語を記憶しているものは、或は日本山妙法寺の人たち位かも知れない、かのやうになってしまった。

 だが、この語は誰がいひ出したのであらうかといふと、それは聖祖が、蒙古近く今年中に攻め来るであらうと、文永十年(1274)四月八日,北条幕府の内管領平の頼綱に預言して身延に入られた。その翌月二十四日に撰せられた「法華取要抄」(真跡存在)の終りに、

 『是ノ如ク国土乱レテ後、上行等ノ聖人ヲ出現シ、本門ノ三ノ法門之ヲ建立シ、一天四海一同ニ、妙法蓮華経ノ広宣流布疑ヒ無カラン者歟』

とあるのに依った成語であるが、聖祖が斯く仰せられた根拠はどこにあるかといふと、前にもいった「法華経」の如来神力品の上行菩薩應化の『斯の人』が出て、閻浮提の人の総てを『無量の菩薩』と化して、『畢竟して一乗に住せしめるであらう』との預言と、十神力の最後の『十方ノ世界通達無礙ニシテ一佛土ノ如シ』とあるのを、天台大師が預言的解釈を下して、佛の滅後に世界の国々が唯一の本佛本法の世界と化し、常寂光土の『理一』を示す時が来る象徴だ、としているのに依られたもので、前に明かに示したやうに、神力品の偈文を、人間の歴史事実の上に実現化せられ、その生誕と入滅が、空前の自界叛逆と他国侵逼の各翌年で、六十一年の生涯が歴史的宇宙的神秘に、充ち満ちている不可思議の聖者、日蓮聖祖をのぞいては、何人も為し得られない宣言だ。といっても宜しからう。


     ろ 信行の目的と究竟の願業

 その『一天四海皆帰妙法』を、宗徒究竟の願業とするとあるが、前條にすでに『人類と共に妙道に帰し、国家と共に成佛せんことを期するにあり』と、妙宗信行の目的をいっているのに、またこの條を立ててあるのは、同じことを繰り返したもので、煩はしい感じがする、どちらか一つでよいのではないか。といふものがあれば、それは自分の神経が粗雑なのだと省みるがよい。

 前條の妙宗信行の目的は、即身成佛、娑婆即寂光といふ、「法華経」の教理に基いて、その教旨が人類をひとしく、本佛の本誓の中に融一せしめることが目的であり、預言であり、それを現実にするにはどうしても、個人我と共に最も頑強な国家我といふものを、本佛本誓の中に自から融一し、個人我が身命を惜まなくなるが如く、国家我をも犠牲にして悔いないまでに至らしめる。そこまでゆかねばならない。その為の立正安国その為の本門戒壇なのだと、教理的に信行の目的を明かにしたものであるが、この條はその教理の上に立ち、その「法華経」の預言によって、人間の世に出て来られた末法の依止師、本化の上首上行菩薩の應化その人が、立宗究竟の願業即ち宗旨を建立せられたる根本誓願とし、出現化導の根本行業として、宗徒に異體同心を命ぜられたのも、その為だとせられたところで、前の教理的の信行目的が、今は修行的に宗徒一人一人のすべてに共通する、究竟の誓願であり、行業であるとなったのである。


     は 困難の忍耐障害の排除                               ページのトップ

 『一天四海皆帰妙法』とするには、どうしても他の宗教を信じている人々をして、その宗教を改めしめ、いまだ宗教を信じていない人々をして、新しく直ちにこの究竟の宗教を、信ぜしめるやうにせねばならぬ。この教をよいと考へたものだけ信じなさいといふのとは違ひ、さういふいはば信仰における『積極的』ともいってよい伝道法には、キットさまざまの困難や障害が出てくるに相違ない。それは聖祖の一生がこれを示し、その時の信者たちが、或は所を逐はれ、地所家屋を没収され、妻子を離散せしめられ、罵詈打擲せられ、刀杖を加へられ、身命を奪はれたものも少くはない。それは恰かも悔い改ためを宣伝し、偶像を尊ばず、多神を許さなかった、基督およびその使徒や信者が蒙むった迫害と、殆んど同じやうであった。この二つの教へは言論の上では、他の信仰を批判し折伏し公正に正義のある所を較べやうとしたが、決して暴力武力権力などを以て、他の信仰を迫害することはしなかった。また暴力や武力や権力やの前に、おのが信仰を改めることも決してしなかった。だから、武力者権力者がこの信仰を否定する者であるか、信仰に深い関係はなくとも、武力権力の前にも怖れないといふ點を憎む者であった場合には、常に伝道は勿論その信仰を維持することも困難とならう。そこで『不惜身命』がこの信仰の本體とせられる。しかし、身命を捨ててしまひ、寺院を焼かれ破却せられてしまへば、『一天四海皆帰妙法』はおろか、全然日蓮聖人の宗教といふものが、地上になくなるではないか。それを怖れて正しい聖祖の教法を所々変造し、権力者の下に屈したものが、江戸時代の聖祖門下の各派であり、その餘習が改められない為に、戦時中にも政府の暴圧に抗争し、戦後も正しい伝道を期していたのも少しはあるが、その大部分は、戦時中には政府に阿附し、戦後には現代佛教学の下に、聖祖の宗教を変造せんとしている宗団と、聖祖の御名の下に妄信迷信を鼓吹している新興宗教が、『新興自由』の名の下に頻々と濫出して来た。『信仰自由』となった今日は、権力武力の圧迫を忍び、障害を排ふ必要はなくなったと共に、時代がもたらせた、別種の困難と障害が、内外から強くかぶさって来ている。
 まづ内なる困難が五重にある。
(1) 聖祖の教学が、佛教各宗教学の中で最も深遠な『別頭佛教』で、一般佛教が汎神教的である中で、汎神教的なるものを地盤とした一神教的宗教であるといふこと。
(2) 而もそれが教学的にすら、十分に闡明せられたとはいへず、况して現代佛教学的には、殆んど明かになっていないといってもよいといふこと。
(3) 聖祖の伝記も古来他の宗祖伝と同じく、より多く信仰を深めるやうに有難く造りあげたもので、今日の科学的実證的史学からは、認め得られないものが多いが、科学的研究の結果が、まだ十分には発表せられていないといふこと。
(4) その中で一には恩師先生の「本化妙宗式目」があり、二には私の「日蓮聖人研究」があり、三には学位論文があるが、「式目」は立正大学では、大正年間富田海音氏の学頭の頃までは尊重していたが、昭和以後「煩瑣宗学』と呼んでこれを排し、「研究」は境野黄洋博士はこれを今後の新研究者は、必ずこの門を経ねばならぬと推賞し、姉崎博士は早くよりその説を取用し自説をも訂正されているに係らず、立正大学は常にこれを黙殺する態度に出で、学位論文は彼等に価値が判らない為とで、学生等は聖祖の宗教も真人格もわからないままに卒業するから、結局伝道者が人、法ともに解らないままに、稀には信仰ある者だけが、お座なり伝道をする外なく、また研究の志あるものも絶無だといふこと。
(5) 3までのことに心づいて誓願を立てた私も、鈍根且つ多障で、五十年にして漸くこれをまとめる時期に到り、今後数年の間に、可及的この困難を解消しようと心がけてはいるが、何等の背景もない老学究には、助手を養ふ力もないから、独りでやる外になく、はかどりが遅いといふこと。
 これに斉しく外なる障害も五重ある。
(1) 一般佛教の概念は、元来が汎神教的で、聖祖の唯一本佛的教学を、肯定することのできない立場にあるといふこと。
(2) 現代の佛教学の傾向は、真宗を除いての外は、或は原始佛教の三法印(無常、無我、涅槃寂静)に還らうとし、或は明治に行はれた『通佛教』の如く、佛教各宗に通じた新しい共通佛教を求めようとし、随って日蓮聖祖門下の者の中にも、時代的迎合者は、聖祖の聖訓を第二とし、何かそれ等と協調し得る、新しい教義を立てようとしているといふこと。
(3) 自然、文化の両科学とも、従来の佛教の教理とは、矛盾するかの如く見えるものが多いから、現代教育を受けた一般の青年僧侶は、理論としての佛教教理は習って見ても、信仰となっているものは少なく、况して聖祖の宗教は殆どわからぬ。導く筈の僧侶すらさうだから、真に熱烈な正しい信者は、絶無にひとしいといふこと。
(4) ことにマルクス主義が最近宗教否定から、宗教利用の態度を取り出して後は、僧侶中にもマルクス主義共鳴者が少なくないし、中には基督教の赤岩某氏と同じく、真の日蓮主義者は共産党員となるべきだ、ともいひかねない者もあるといふこと。
(5) 『広宣流布』は、さういふ反日蓮主義的思潮に対して、それを解消せしめるなどいふことでなく、ただ『南無妙法蓮華経』と唱へていれば、自然に『一天四海皆帰妙法』は、知らず識らずの間に来るのだとするものが、彼の狐狸その他のものを守護神として、信ぜしめるものの外にも相応に存在して、教義的伝道を無用とする傾向が多いといふこと。
 これ等の諸の困難を忍耐し、障害を排除せねばならぬ。それは曾て権力武力と闘ったその困難にも、必ずしも譲らないのである。

     に 必定成就を期すること
                                ページのトップ

 いかなる困難と障害があらうとも、この究竟の願業は、必定成就せしめねばならぬ。これ本佛の本誓でましまし本化の本願でましますから、その弟子檀那たるものは、世々生々このことを貫徹して、永久に平和と光明ある理想の世界を、現実化せしめねば止まないと毎に念じ常に願ふべきである。

 Y 自行化他の用意


第六條 身軽法重の宗憲を躰達し、呵責謗法の教旨を格守し、大慈道念以て権門邪教の非違を糾明し一乗の正義を光揚すべし。

 以上、妙宗修行の目的、宗徒究竟の願業といふものは、僧と俗、専門家と非専門家にかかはらず、苟くも聖祖の教を奉ずるものの信仰上、必要缺くべからざることだから、『今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異り、自行化他にわたりて南無妙法蓮華経なり』とも『末法に妙法蓮華経の五字を弘めん者は、男女は嫌ふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へ難き題目也』ともいはれてあるのだ。
 そこでつぎにこの『自行化他の用意』といふものが来る。その用意の第一は


     い 身軽法重の宗憲の體達

 『身は軽く法は重し、身を死して法を弘めよ』といふのは「大涅槃経」(菩薩品)の『王の使たるものは談論縦横に機智に富み、他国に使して王の命を完うするを要する如く、佛の法を伝へるものは、凡夫の中に身命を惜しまず、一切衆生皆佛性あり悉く成佛し得べきを説け』とあるを、章安大師が釈した語で、それは僧たり伝道者たるものへのことではあるが、日蓮聖祖の宗教ではそれが僧俗ともの覚悟でなければならぬことは、まさしく佐渡で「観心本尊抄」を著はされた直後の、「如説修行抄」の劈頭に、
 『其上、真実法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには、三類の敵人決定せり。されば此の経を聴聞し始めん日より思ひ定むべし。況滅度後(況んや滅度の後をや)の大難、三類甚しかるべしと。』
と誡しめられ、結文には『たとひ頸をば鋸にて引切り、胴をば菱鉾を以てつつき』等の法難の場合も、『命のかよはんほどは南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて唱へ死に死するならば』と、『身軽法重死身弘法』の覚悟を規められている。今日は本化妙宗を信じたからといって、生命に関するやうな事は絶対にないが、『身は軽く法は重し、身を死して法を弘めよ』との訓へは、本化妙宗の憲法として、これを『體達』と腹の底から会得していなければならない。僧即ち一般信者に魁けねばならぬ。『いかなる乞食とはなるとも法華経に疵をつけ給ふべからず』とは、所領を取あげられ浪人となっても、法華経の信を捨てませぬと誓へる四條金吾殿へ、更にそれを激励せられた聖祖の御訓へである。


     ろ 呵責謗法の宗旨を格守

 さて『身軽法重、死身弘法』の覚悟の體達でどうするかとなれば、『呵責謗法の教旨を格守し』とある。『呵責謗法の教旨』とは「法華経」を謗ることの罪を呵り責めること、不軽菩薩の往昔の如くせられたのが、日蓮聖祖の教への旨だ。不軽菩薩は、自分は菩薩行のできぬ人間で、決して佛とはならぬと堅く信じていた「法華経」法師品にいふ、『増上慢』の僧俗男女に遭ふと、恭しく礼拝して、
 『私は決して貴方を軽しめませぬ。なぜなら、貴方は菩薩道を行じて、佛となられるからであります。』
と唱へた。彼も彼女もはじめは『何だ? この狂ひ坊主め』と、対手にしなかったが、遭ぬ毎に必らずさういふので、遂に悪口罵詈し杖木瓦礫を以てこれを苦しめたとある。男女が『自分達は阿羅漢でよいのだ、決して菩薩道を修して佛とはなれない』と考へていることが、『我と等しく異ることなからしめんと欲す、我が昔の所願の如きは、今已に満足しぬ、一切衆生を化して皆佛道に入らしむ』との、「法華経」の佛の御教へを謗っていることで、合掌礼拝して『私は決して貴方を軽しめませぬ』等と唱へられることは、その謗法華経の妄信を呵責せられていることになるから怒るのである。かやうに先方の信仰と逆な言を以て、彼等の信仰を根本から動揺せしめることは、佛の種を最も深い心の八識心田に植える事だとは前にいったが、聖祖の四箇格言も先方の信仰の逆な事を聴かせる、謗法華経に対する呵責で、それによって佛の種を植えることである。しかしそれは他人に対する前に、先づ自己が謗法華経になってはいないかと、自己を自ら呵責することからはじめねばならぬ。それが前にいった『謗身』をのがれるといふことである。みずから『謗身』を説れて、そして『謗家』『謗国』を諫め改めしめるやうに、自行から化他へと、この教旨を『格守』とただし守ってゆかねばならぬ。
 しかしそれは凡夫の考へで、『わしの信じている宗教は、おみ達の宗教よりも勝れているぞ』といった、優勝観念などで対すべきではない、といふので次のことがある。


     は 大慈道念以て権門邪教の非違を糾明

 聖祖の呵責謗法は何の為であるか。『高橋入道殿御書』に、
 『怨をなす念佛者、禅宗、真言等をも、并びに国主等をたすけんが為にこそ申せ、彼等が怨をなすは、いよいよふびんにこそ候へ。』
といはれている。対手の人々の謗法華経の謬れる大罪を、脱れしめ救ひ出そうとしての呵責であるから、彼等が敵対し種々に

迫害し来るほど、これでもなほ判らぬかと、いよいよ不便に思はれるとの、この大慈悲の御道念。それの通ずるやうに、謗法の諸宗や、迷妄の邪教の非違。即ちそれ等が正に非ざること、道に違へることを糾し明らむべきである。


     に 一乗の正義を光揚すべし

 そのやうに呵責謗法をするのは何故かといふと、それは『諸乗一佛乗』といって、もろもろの宗教はあるが、元来は唯一本佛の六或の化導から出たもので、結局は唯一佛乗即ち一乗に帰してしまはねばならぬものだ。といふことを、『光揚』と明らかになるやうにせねばならないのである。
 この『呵責謗法(華経)』に就ては、前にも一度いったが、ここに今少し説明しておく必要がある。『呵責』を強くするには『謗法華経』が強いからで、『謗法華経』の心の強くない時は、呵責も随って強くなくてよい筈だ。鎌倉時代乃至江戸時代は、諸宗の宗義を信ずる者が多くて、謗法華経が強かった。それが明治の中頃までは続いていたが、明治三十六七年頃からは、大乗非佛説が定説のやうになり来り、各宗ともにその宗義を真に信じている僧たちは、殆ど少くなって、諸宗を信ずる為に『謗法華経』をしている者は、随って極めて少いし、たかだか聖祖の大慈折伏そのものの御真意を伝へる、といふことに主力を注ぐ方が、この條の真意にかなふのである。
 かく自行化他にわたって、呵責謗法の実行といふことになると、ここにまず自己の謗法を脱れる為に、信仰と修行の清節が、次に必要になる。


 Z 信仰修行の節義

第七條 他教異宗の教義又は祭祀を信仰し、及び之に供養することを厳禁すべし。

     い 他教異宗の教義又は祭祀の信仰の厳禁

 『他教』とは佛教以外の宗教、『異宗』とは佛教内の他の宗旨で、本化妙宗の信仰をする者は、それ等の教義は、悉くみな本佛の大覚に成る妙法因果の本理を知らず、唯一の本佛の実在を知らない、未究竟の宗教として、捨てられたところのものであるから、その一分をも信ずべき所はない。然るにそれを少しでも信ずるといふことになれば、その信仰は不純といふことになる。それではいけないといふので、聖祖は「秋元殿御書」に、信仰修行の純潔でなければならぬことを、たとへば凡夫の心を器とし、南無妙法蓮華経の佛の智慧の水を入れるに譬へる時、その器を『覆』とて覆へして水を出し、又は覆うて水を入れぬやうにする。これは不信仰者である。次に『洩』とて折角入りし水を漏らすとは、少しは信じても又悪しき縁に遭うて信心薄くなり、或はうち捨て、或は信ずる日もあれば捨てておく日もあるといふ類。次に『汚』とは、清き水を入れた器でも、それへまた糞を入れれば、その水を清き水として飲むこよはできなくなる。次に『雑』とは、妙法甘露の飯の中へ、石、砂、土などを多く雑へれば、それ等をえり出し洗はねば、正しい食事とはできない。そのやうに『覆、漏、汚、雑』の四つを誡められ、
 『法華経を信ずる人の、一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀佛なんど申は、飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し。法華経の文に、「但ダ大乗経典ヲ受持スルコトヲ樂ウテ、餘ノ経ノ一偈ヲモ受ケザレ」等と説くは是れ也。世間の学匠は、法華経に餘(の経の)行を雑へ苦しからずと思へり。日蓮もさ(も)こそ(と)思ひ候へども、経文はしからず。譬へば、后の大王の種子を妊めるが又臣下ととつげば、王種と民種と雑はりて、天の加護と氏神の守護とに捨てられ、その國破るる縁となる。父二人出来すれば王にもあらず民にもあらず、人非人也。法華経の大事と申すは是れ也。種・熟・脱の法門法華経の肝心也。三世十方の佛は必ず妙法蓮華経の五字を種として佛と成りたまへり。南無阿弥陀佛は佛種にはあらず。よくよく此の事を習ひたまふべし。是は雑也。この覆漏汚雑の四の失をはなれて候器を、完器と申して全き器也。掘つつみ漏らざれば、水うする事なし。信心の心全ければ平等大慧の智水かはく事なし。』
といはれている。他教異宗の教義又は祭祀を信仰していけないのは、糞で汚し砂石を雑へた水となり、后が王と臣との何れの種ともわからぬ子を生むやうなものだからである。


     ろ 他教異宗の教義又は祭祀に供養することの厳禁

 ただに教義又は祭祀を、信ずるだけではない。教義又は祭祀に供養することをも厳禁せられている。謗法華経の佛教諸宗、及び他教の教義又は祭祀に供養するといふことは、信仰するのでなく親戚知人に頼まれた、社交的のものとしても、それは厳禁せられなければならぬ。事実は信仰しないにしても、合掌礼拝などといふ信仰行為をしたならば、それは他をして法華経、日蓮聖人の信者も、他の佛菩薩をも合掌礼拝するものだと誤らしめることで、信仰の純粋を汚したものとして、謗法罪に数へられねばならぬのである。

     
は 国儀例俗の祭祀にして、宗教以外のものは例外

国儀例俗の祭祀にして宗教以外のものはおのづから本條の外とす。


     ア 神社神道は国儀例俗なり

 そこで問題となるのは、氏神の祭礼といふものが、我が国には何れの處でもある。これは宗教と認むべきか否かといふことが事実我が国各地方の氏神の祭礼といふものは、『国儀例俗』の内の『例俗』であり、決して宗教信仰としてやっているものではない。若し宗教信仰だといふことになれば、信仰の節義上、お祭りの町内費用を出すこともできないわけだが、この「信條」ではそれは『宗教』でなくて『例俗』としてやっているものと見るので、またいはゆる官幣、国幣の神社の如きも、これまた信仰ではなく、一つの『国儀』と認め、内務省が解釈していたが如く、宗教以外のものと見ていたのである。
 その理由は『宗教』と名けられるものには一定の『本尊』『教祖』『経典』『教義』がねければならぬが(どんなインチキ宗教でも似たものがある)、神社神道にはそれがない。ただ江戸中期から起り、平田篤胤翁によつて唱へられた国学神道により宗教化はせられたが、しかし翁を教祖ともできず、『経典』『教義』も整ったといへぬ。だから明治に祀られた別格官幣社の如きも、ただ国家の忠臣を祭祀するのに、佛教渡来以前の霊魂崇拝、祖先崇拝の儀式を推考し、祀ったといふにすぎない。これ我等が宗教としない所以である。

 終戦後その国家的祭祀となっていた神社神道『国儀』の方が『国家神道』とせられ、国家から独立して『神道』といふ宗教とせられた。だが、この「信條」の精神からは、神社神道や民族的の氏神祀りは、これを一つの宗教と認めていない立場で、その祭祀もその崇敬も、ともに宗教的信仰とは、認めないものであるが、おそらく何人も事実において、氏神の民族的慣習は勿論、神社の崇敬も、これを教派神道の信仰と比較したならば、その著るしく相違していることがわかり、而もそれは主として、『教祖』『経典』『教義』がないのに基づくことが会得せられるであらう。然るに今日神社が、宗教と認められてからいふと、伊勢皇太神宮に対する崇敬(この神ばかりはすべての神々が、みな両部神道により本地垂迹によって、佛教と僧侶で祀られたのに係らず、久しく別に扱はれていたといふことは、我が國に宗教以外の国家的国民的崇敬のあり得る所以を証しつつある)の如きも、宗教的信仰とせられて、本條の『他教』の信仰の範囲に入り、厳禁せらるべきものとなるわけだが、私は本質的に考えて『宗教』ではない『国儀例俗』の中にはいるものとして、その崇敬(宗教的信仰及び礼拝ではない)は本條の『信仰』『供養』の中にはいらぬものと考える。但し、大麻やお札を受け、これを崇敬するのは、『宗教』的行為となるから、本條の厳禁の中にはいるものとする。皇太神宮以外の、由緒正しき神社に対しても、やはり同じ態度を以てするのを妥当と認める。

 [ 異體同心の祖訓

第八條 自行化他宗風護持の要は必ず異體同心の祖訓を體現するにあり。

     い 自行化他宗風護持の要

 自行化他に就て『宗風護持』を必要とせられている。『宗風』とは嘗て恩師田中智学大先生が『祖道復古』といはれたそれで、『宗門の風習』といふことではない。若し『宗門の風習』となれば、現に著しいものは、『不受不施』(謗法者からの布施は受けずまた施しもせぬ)の如きは、いかな一致派のものも、室町時代まではそれを全宗門が実行し来ったことを、否むことができぬ。然るに一たび身延日暹師と池上日樹師との対論以後は、『信仰自由』の何ものたるかを知らず、すべてを政権の下に畏服せしめることを期した、封建武断的の幕府が、『不受不施』は幕命を用ひぬ不逞宗徒とし、これを厳罰することとしたから、その以後の『宗門風習』は、『不受不施』を以て以後二百年近くの間、僧俗ともに聖祖以来の異端なるが如く錯覚するに至ったが、事実は『受不施』(謗法からの布施も受けるが施すことはしない)こそ聖祖以来の禁制で『不受不施』が『宗門風習』だったのである。したがって『宗風護持』とは、『風習』とすれば聖祖以来の風習であって、正しくは『祖道復古』の意味と受けるのがよろしい。

     ろ 異體同心の祖訓の體現

 さてその『祖道復古』はどうすればよいかとなると、それは一言で足りるので、本信條第一條の、『宗徒の安心は、直ちに聖訓に根拠すべし』に依ればよいのである。『聖訓に根拠』と定まっていれば、たとひその聖訓について見解を異にする対立があっても、それは各自正しい理性に遵ってよい方に就けばよいので、理性は萬人妥当ぼものだから、執着を払ってしまへば、必ず一つに帰するし、若し理性上一つにならねばならぬのに係らず、感情で彼是いっているものがありとすれば、それはその者こそ自己の感情を主として、明確に『聖訓違背』を敢てするものだから、温訓し誘導し、厳戒し補掖して、尚ほ改めねば、涙を拭つて馬謖を斬るの意で、聖訓の離間者として、これを排際すればよいのである。
 そこで聖祖は萬年の後までも、『聖祖違背』を敢てする者のないように、「生死一大事血脈抄」及び「異體同心事」、並びに「諸法実相抄」に、この『異體同心』のことを、『一天四海皆帰妙法』の佛祖の本願成就の、根本用意であることを、丁寧に仰せになっているのである。「生死一大事血脈抄」に
 『総じていはば、日蓮、弟子檀那等、自他彼此の心なく、水魚の思ひをなして、異體同心にして南無妙法蓮華経と唱ふる處を生死一大事の血脈とはいふ也。然も今日蓮が弘通する所の所詮是れ也。若し然れば広宣流布の大願も協ふべき者也。剰さへ日蓮が弟子の中に、同體異心の者これあれば、例せば城者として城を破るが如し。』
とあるが、この御書において、
1,文言について、余計な捨てがなを添へて、とんでもない謬解を導いた、読み取り方の誤。
2,同じく文言について、余計な捨てがなは添へないが、師弟、主従、父子を、同等に考へた、とんでもない、読み取り方の誤。の二つの誤りから、日蓮聖祖の名を冠る六百年来のそれが、今日の如き『てんでん勝手な馬鹿げた、とりとめのない団體』、となりさがったのである。
 では、その二つの『読み取りの誤』とは、どういふことか。


     ア 『ガ』の捨てがなを添へた飛んでもない謬り

 まづ第一は、このはじめの『日蓮弟子檀那等』とある七字の、『日蓮』の脇へ、『ガ』といふ捨てがなを添へたのと、添へないのとの二種の「録外」本があったらしい。泰堂居士の「高祖遺文録」は、稿本も板本もともに、捨てがなを添へない方の『日蓮弟子檀那等』となっている。然るに加藤文雅氏の「日蓮聖人御遺文」(霊艮閣縮刷本)と、稲田海素氏の「日蓮聖人御遺文」(釈貫隆氏六百五十遠忌記念本)とは捨てがなを添へる方のに依って、『日蓮ガ弟子檀那等』としている。この『ガ』の捨てがなを添へると、とんでもない謬解を導くことになる。
 なぜなれば、『日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく、水魚の思をなして、異體同心にして南無妙法蓮華経と唱ふる處』となると、聖祖はおはいりになっていないので、ただ弟子檀那だけが、『自他彼此の心なく、水魚の思』となって、俗に『魚心あれば水心だ』といふ、お互に魚となり水となり、助け合はうといふ意味となって、何等の中心といふものがない。気の合ったもの同士が団結をするといふことになる。そこで彼等の団結が二つ以上できて争っても、決して聖祖がかやうに仰せになっているのに、それに反しているからいけない、などといふ論議は絶対にできない。ただおのれ達凡夫同士が、意見の相違で争っている、といふあり様が事実なのである。


     イ 『ガ』の捨てがなを添へない同じ謬り

 他方に『ガ』の捨てがなを添へないで、「高祖遺文録」の本文のやうに、『日蓮弟子檀那等、自他彼此の心なく、水魚の思をなして』と読み取っていても、この『日蓮弟子檀那』とある間に、師弟、主従、父子の関係があり、弟子、臣下、子女は師、主、親に従ふべきであるといふことに、全然考へ到らないで、ただ漠然水魚の思ひをいふもので、昔の一致、勝劣の派の異りが強かった時代では、一方で『一致無間』といへば、他方でも『劣派無間』といひ、どちらがどちらだか、『水魚の思』も何もあったものではなく、同一の派内でも身延だ、池上だ、中山だ、玉沢だと、流派の相異で、これまた対抗してをり、『水魚の思』は、ただ気の合った者同士の間だけでいっていたことは、前者と同じことであった。
 このやうに『同心』の中心がわからないのでは、いかに聖訓を體現しようにも、體現のしかたがないのである。かかる状態に対して、暗夜に天日を仰ぐが如く、盲目の眼のあいたやうになったのが、恩師智学先生の『異體同心』論であった。


同心とは聖祖に同心する謂にして、宗徒相互の同心謂ふにあらず。若し聖祖を中心とすることを亡失して、単に宗徒の同心を期するは、終に異體異心に帰す。宗徒億萬、ただ克く聖祖に同心し了らば、相互の間亦期せずして、堅実正大の同心を成ずべし。

     は 同心とは聖祖に同心するの謂なり

 そこで正しくこの聖訓を拝読するのには、『日蓮、弟子檀那等、自他彼此の心なく、水魚の思をなして、異體同心にして南無妙法蓮華経と唱ふる處』と、『日蓮』の御名の下に、余計な『ガ』の捨てがなを打たないでそのかはりに句読点を入れて拝し、聖祖と、弟子檀那の一人一人とが(即ち聖祖対弟子檀那)自他彼此の心なく、『水魚の思』をなして異體同心と、弟子檀那の體が幾十億百幾千萬億あらうとも、一人一人の悉くがみな、聖祖の御心に同心し奉るのを、それを『異體同心』といふのであって、聖祖の弟子檀那同士が、互に魚となり水となるのでもなければ、聖祖と弟子檀那とが、互に魚となり水となるといふことでもない。
 聖祖対弟子檀那等ならば、それがたとひ幾十乃至幾億人あらうとも、彼等弟子檀那は自他彼此の考へで、性質の同じ者、境遇の同じ者、處の同じ者、考への同じ者といふやうな者が、おもひおもひに団結などをすることなく、唯一人の『唱導の師』でましまし『依止の師』でまします聖祖を中心として、これに『同心』し奉ったならば、たとひ幾億萬の弟子檀那でも、悉く『異體同心』となれることは、大地を指すに外るることのないやうなものである。この肝心のところを逸し去っていたから、今日の如き精神にも集団にも、全く何のまとまりのない、烏合の衆にひとしい団体となり、互ひに尺寸の長を争ふみじめな貌となりをはっているのである。

     ウ 「異體同心事」によって證す

 そこで以下に、「異體同心事」と「諸法実相抄」によって、この恩師先生の解釈が、聖祖の正義にましますことを證すよう。「異體同心事」を拝すると
 『殷の紂王は七十萬騎なれども、同體異心なれば軍にまけぬ。周の武王は八百人なれども、異體同心なれば軍に勝ちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがひて成ずる事なし。百人千人なれども、一つ心なれば必ず一事を成ず。日本国の人々は多人なれども、異體異心なれば諸事成ぜんこと難し。日蓮が一類は異體同心なれば、人々少く候へども大事を成じて、一定法華経弘まりなんと覚へて候。』
とある。殷の紂王は七十萬騎の軍勢があったけれども、その七十萬は紂王軍といふ同體ではあっても、軍士の一々はみな紂王が人民を虐げ、姐己を愛し、忠臣比干を殺し、微子を庶人とし、箕子を逃げさせた、数々の悪事を見ているし、西伯昌即ち文王が、深く民を愛して安楽ならしめたから、諸侯も心多く西伯を敬っている。その西伯が死んで子の發が、西伯の木主を捧げ、天に代って一夫の紂を伐つと攻めて来た。それに対する防戦であるから、七十萬騎一人の心の底から、叛逆人西伯の子發を撃ち滅せとの紂王の命令を、自分の心としているものはない。思ひ思ひの自己の心を心とし、或は天道の上から、或は利害の上から、西伯軍の方へ心を通はしている者が多いから、紂王軍は名と形とは七十萬騎『同體』だったが、心からいふと紂王の心に同じものは、殆ど一人もない。即ち『異心』だから、忽ちの内に八百人の武王發の軍勢に負けてしまった。周の武王即ち西伯發の軍は八百人ではあったが、その八百人の『異體』が天に代って一夫の紂を伐つといふ、武王發の心に一人残らず『同心』していたから軍に勝った。一人の心ではあっても、あれをしようか、これもしようかと、二つ心が働けば、両方とも遂げることはない。百人千人の異體でも、心を一つにすれば、必ず一つの事は成就する。日本国の人々は数は多いが、異體であれば異心であるから、何事も成就する事はないが、日蓮が一類は、弟子檀那みな異體であるが、信心修行では日蓮の心に同じであるから、人々少いが、一定法華経は弘まるであらうと覚えるとの仰せだ、即ち『異體同心』の実例は、周の武王の軍を引かれているが、武王の軍は決して、軍の中の部將と部將、兵卒と兵卒、又は將士が、互に魚となり水とならうと、心を同うしていた、といふことではない。もしそうなれば將と將、士と士、兵と兵との八百人のお互ひが、決して一つの心になることのできるわけがない。一軍こぞりて武王の心を以て心としていたから、八百人の體がただ一つの心となることができたのだといふことは、何人も異論を挟さむ余地はないことであらう。さすれば聖祖の御門下の『異體同心』も、聖祖に同心し奉ることであるのに、異論することはできないであらう。

 エ 「諸法実相抄」について證す

 「諸法実相抄」には、前にも示した如く、
 『いかにも今度信心をいたして、法華経の行者にて、日蓮が一門となりとほしたまふべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩に定まりなば、釈尊の弟子たる事豈疑ふべきや。経に云く、我従久遠來、教化是等衆とは是れ也。末法に妙法蓮華経の五字を弘めん者は、男女を嫌ふべからず、皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱へ難き題目也。日蓮一人、はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へ伝ふる也、未来もまた然るべし。これ豈地涌の義に非ずや。剰さへ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とす。ともかくも法華経に名を立て身をまかせたまふべし。』
とある。たとひ『日蓮が一門』となりとほしても、『日蓮と同意(即ち同心)』でなければ、地涌の菩薩の流類でも久遠釈尊の弟子でもない。またその地涌の義の行者が二人三人百人と次第に唱へ伝へるのでなければ、『大地を的とする』広宣流布の時は来たらないと示されている。それはこの「生死一大事」にも、弟子檀那の異體が日蓮に同心して唱へ奉る處が生死一大事の血脈であり、『日蓮が弘通する所の所詮』であり、『広宣流布の大願も協ふべき者也』であるが、日蓮が一門といふ同體でいながら、日蓮に同心せずして、おのが心々の『異心』を抱く者は、『城者として城を破る者だ』と定められているのではないか。


 オ 水魚の誓に約して證す

 また、『水魚の思』といふことは、故事にすると、漢土の三国時代に蜀の劉備が、諸葛亮孔明を軍師とする承諾を得た時に、『寡人が先生を得たのは、猶ほ魚の水を得たやうなものだ』といったのに起るとせられているが、劉備が常に孔明の水を離れないやうにしていればよいのに、孔明の言を用ひずに魏を伐つて大敗した。これは水を離れた魚のみじめさだ。今「生死一大事血脈抄」の御誓での『水』とは聖祖の御心で、『魚』とは弟子檀那の『異體』幾十百千萬億である。その多数の魚も聖祖に『同心』といふ一つの『水』の中に居れば、はじめて彼等は妙法蓮華経の広宣流布に、大小強弱多少優劣さまざまの異はあっても、おのおの溌剌たる貢献をする魚だが、聖祖に同心し奉るといふ『水』を離れれば、ただこれ腐った多くの魚であるにすぎない。千年萬年待ったとて、『広宣流布』など来るべき時はないであらう。

   に、「生死一大事」における三重の血脈より之を證す 

 この「生死一大事血脈抄」には、教、行、證三重の生死一大事をお挙げになっているとは、三十餘年前に「日蓮聖人と親鸞」筆述の時に感得した法門であるが、よく同抄の御文を拝見するがよい。この三重血脈からしても異體同心の『同心』とは、聖祖に同心の義でなければならないのである。
 「生死一大事血脈抄」には、御文に明かに三度、妙法蓮華経をば『生死一大事の血脈也』と仰せられている。第一には
 『夫れ生死一大事の血脈とは、所謂妙法蓮華経是れ也。其の故は、釈迦、多宝の二佛宝塔の中にして、上行菩薩に譲りたまひて是の妙法蓮華経の五字、過去遠々劫より寸時も離れざる血脈也。』
とある。これ南無妙法蓮華経の本門の法寶を釈迦、多宝の二佛といふ本門の佛寶が、上行菩薩といふ本門の僧寶に、末法の唱導之師として、『如日月光明、能滅衆生闇』の利益を以て、広宣流布の魁けを為したまふべく付属せられたもので、即ち『末法救護の憲教』としての妙法蓮華経が、生死一大事の血脈であることを示されたものである。
 第二には、
 『されば久遠実成の釈尊と、皆成佛道の法華経と、我等衆生と、三つ全く差別なく、妙法蓮華経なりと解つて、唱へ奉る處を、生死一大事の血脈とはいふ也。』
とは、久遠実成の釈尊は本門の佛法妙、皆成佛道の法華経は本門の心法妙、我等衆生は本門の衆生法妙で、『心ト佛ト及ビ衆生ト、是ノ三差別ナシ』といふ、佛法の『證』を示されたものであるが、それは衆生が前の本門の三宝の『教』によて、衆生各自の心の妄心を『不自惜身命』(自から身命を惜まず)と、自から捨て去って、本佛の御心たる『南無妙法蓮華経』を以て我が心とし奉る時に、久遠本佛の體内に入り、『是レ真ノ佛子』(宝塔品)となるのであるから、自我偈にも『時我及衆僧、倶出霊鷲山』(時に我れ及び衆僧倶に霊鷲山に出づ)と、凡夫の信行者が久遠実成の唯一本佛の実在を、深き信の内に證り得ることを示されているのである。
 第三には、今の
 『ハじていはば、日蓮、弟子檀那等、自他彼此の心なく、水魚の思ひをなして異體同心にして南無妙法蓮華経と唱ふる處を、生死一大事の血脈とはいふ也。』
とは、日蓮(依師)と弟子檀那(弟子)と大法、即ち師、弟、大法の三即一を以て、修行の原則とせられたもので、この『行重』において『日蓮と同意』の『異體同心』を必要条件とせられているのは、前の『教重』において『證重』の一切衆生皆成佛は、偏へに本佛の心法妙なる『南無妙法蓮華経』を、『一心欲見佛、不自惜身命』と信ずるにあるが、その證を得るには、必ず『教重』に唯一の依止師として定められたる、上行の應化の『斯の人』たる日蓮聖祖に同心し奉るのでなければ、『一天四海皆帰妙法』の大願、末法において『心佛及衆生、是三無差別』を事実にし、この地上に永遠の平和と光明に輝いた、常寂光土を現出することはできないのである。それは『斯人行世間、能滅衆生闇、教無量菩薩、畢竟住一乗』の経文が、明かに豫言せられている。だから、「血脈鈔」には、重ねて依師中心の旨を結び、『南無妙法蓮華経、釈迦多宝、上行菩薩血脈相承と修行し給へ』と、仰せになっているのである。

   
ほ、聖祖を中心とするは第三則の聖祖絶対の意である

 ここに『聖祖を中心とする』とあるのは、第三則の聖祖を『絶対の聖境』と仰ぎ奉る心の実行であり、神力付属の『斯人行世間』の経意の遵奉でもある。『絶対』は一つでなければならず、『中心』もまた一つでなければならぬ。
 然るにこの大原則を忘れ、少し豪いような人が出ると、往々に軽々しく『高祖の再誕』だの、甚しいのは『今日蓮』などといふ、まことに本化聖祖の大きさを知らぬ。さういはれるものも、空おそろしく感じないのは、同じく聖祖の大を解しない罰当たりである。『末法の大導師』は一切経の中に、涌出品から嘱累品までの八品にしか、影も形も見せなかった高貴な大菩薩だ。御滅後そんなに度々出られる筈がないとなぜ考へない。売物買物の芸者のやうなものでも、よい芸者はおいそれとは、決して座敷に出て来ない。末法萬年の中で聖祖御滅後まだ漸く七百年だ。その僅かの間に度々出て来ねばならず、出て来られてもなほ今日の有様だといふ。そんなお粗末な『一天四海皆帰妙法』は、ドンキホーテに異らぬ。よく胸に手を当てて考へるがよい!
 派祖聖人たちは、みな偉人であり、本化の塵聖の一員であられることは疑ひない。が、『上行の應化』たる聖祖の『絶対の聖境』たり、『異體同心』の中心にましますことと較べれば、悉くこれ相対の賢聖だ。その大義に覚めねば、本佛、本化の大願は、遂にこれを実にすることのできないことは、上來の「生死一大事血脈抄」「諸法実相抄」の御文と現代までの史実に照しても、已に明白である。
 以上で、信仰修行に属する急處は、明確に規程せられた。次に『處世開顕』の応用と『教会護持』の実行である。

第九條 本化妙宗の主義を以て修身経国の基本と為し、一身以て先づ国家人生の率先指導たるべく完全の行用を期すべし。

   い 本化妙宗の主義を以て修身経国の基本と為し

 本化妙宗の信仰修行の規定は、前条までで終ったから、今度は一般世間に處する場合の精神態度の根本を規められたのがこの條である。
 『本化妙宗の主義』とは何であらうか。人生に対する主義には、『個人主義』『家族主義』『国家主義』『社会主義』『世界主義』『無政府主義』『人文主義』『人道主義』等々が種々唱へられてはいるが、さて我等本化聖祖の門下たるものは、いかなる主義を以て、身を修め国を経営し、世界人類に対する根本精神とすべきであるかといへば、個人も家族も社会も国家も世界も、みなこれ現前の事実である。事実である限りは、みな相応に存在理由を有するものだから、この中の一つを以て主義として他を規正することは、決して法華経の『諸法実相』ではない。人類の世界以上の、宇宙一貫の妙法蓮華経に南無し、その大理法を根本標準として、世界、国家、社会、家庭、個人のすべてを、在るべき所に在らしめるのが『南無妙法蓮華経』である。そして家族は個人の家族だから個人に摂し、社会は人類集団の組織化で、組織化せられれば多かれ少なかれ統制せねばならなくなる。その統制は国家的のものだから、社会は国家に摂すると、つまり個人と国家と世界の三となる。本化宗教の三大秘法は、前にもいった如く、本門本尊は世界寂光化の目標、本門題目は個人の妙法化、本佛本化化、本門戒壇は国家の妙法化、本佛本化化であるから、三主義を開顕して悉く妙ならしめるものである。そんなことができるかといへば、これを本化聖祖の御実践に仰げばよい。


 ろ 本化聖祖の人生国家における実践規範

 聖祖の人生と国家に対する態度は、私がいつも挙げる遺文だが、四十七八歳の頃、叡山遊学中の弟子三位公に与へられた「法門可申抄」にその一端を見ることができる。三位公は当時まだ、二十歳前後であったと伝説せられているが、秀才の誉れが高くて、公卿の持佛堂で説教をした。その時の事を通知して来て、その公卿(伝説では関白などといふ)を『上』といひその持佛堂で法門申したことが、『面目』なる旨を書いて来た、それに対する聖祖の御叱責の中に、門下たるものの態度が訓へられている。その叱責厳訓の要旨をいふと、
 『御持佛堂で法門を申したのが面目だなどと書いて来られたのは、返す返す不都合なことである。そのわけは僧となった(僧は王者をも拝さないほどの者だ)、その上(持つ所の法は)一閻浮提にも有り難い法門であるものを。たとひ等覚の菩薩であらうとも、憚りおもふべきではない。况して梵天や帝釈天などは、我等(娑婆世界の衆生の)親父釈迦如来の御所領を預って、正法の僧を養ふためにつけられているものである。毘沙門(天)等は四天下(守護)の主であるが、此等(梵天、帝釈天等)の門守りである。又(南閻浮提、東弗婆提、西瞿耶尼、北欝単越の)四州の王等は毘沙門天(等)の所従なのである。其の上日本秋津島は、(その)四州(を領する)輪王の所従にも及ばず、但だ島の長であらう。(その)長などに仕へるものどもに、「召された」「上」などと書く上に、「面目」などといふのは、かだがた詮する所は、日蓮(の法の上の位地を解せずに、僧位僧官などをもたないから、それ)を卑しいものと思うて書いたのか。』
「種々御振舞御書」にも、法華経の行者には『梵釈左右に侍り、日月前後を照したまふ』とも書かれてある。法の上にはこのやうに世間の階級などを、遙かに超越した位地を信じていられると同時に、臣民としては世間の階級を無視したやうなことは、決してせられていない。それはこの消息の次下に、
 『総じて日蓮が弟子等は、京にのぼると始は(かねての教訓を)忘れないやうだが、後には天魔がついて、物ぐるはしくなる。 少輔房のやうなものだ。和御房もそのやうなものになって、天のにくまれを蒙らぬやうなさい。上つてほどにもならないのに、実名を代へることは物ぐるはしい。定めて言つき、音おんども京なまりになっているだらう。鼠が蝙蝠になったやうに、鳥でもなければ鼠でもない。田舎法師でもなければ京法師にも似ない。少輔房のやうになったこととおもふ。言をばただ田舎ことばでいなさい。なかなかよくないやうである。尊成と(実名を)書いているのは、(これは)隠岐の法皇の御実名ではないか。かたがた不都合なことではないか。』
とあるのでわかる。鎌倉から叡山へ習学に登って、幾ほども経ない田舎の青年秀才が、その実名に後鳥羽法皇の御実名と同じものを使っても、僧位僧官ある僧達も何も咎めず、高位の公卿もその青年僧を持佛堂に講じてを聴聞する。かういふ僧たちは、到底前記のやうな僧の権威は夢にも思はぬし、公卿等もそんな僧が夢にもあらうとは考へてもいまい。ところが宗教上にはそれほど、権威を自任していらるる聖祖が『隠岐の法皇の御実名ではないか、かたがた不都合であらう』と、世間の大義名分の上から、前と同じく叱責していられる。即ち前は伝道者として、法の上の大義名分を正されたのであり、後のは日本臣民として、世間の上の大義名分を正されたのである。

 では、どうして法の上と世間の上との、両方の身分をもっていられるのか、といへば、それは人間が生れながら、身と心をもっているからであり、そして信仰心が、凡夫の心を『一心欲見佛、不自惜身命』して、本佛の御心に如同し奉ったから、『日蓮が頭には大覚世尊かはらせたまへり』となったからであった。したがって自分自身を、その法に如ふやうに、つづいて家を国を、法に如ふやうにと、広宣流布の実践をする、その心は『法華経の行者』として、梵天、帝釈に守護せられる霊的位地にある。だがその身その肉體のある位地も考へねばならぬ。僧といへども国民である限りは、民としての義を守らねばならぬ。だから聖人は諸處の御消息に、『日蓮は東夷東條安房国、海辺の旃陀羅が子也』(佐渡御勘気抄)。『安房国長狭郡東條郷片海の海人が子也』(本尊問答抄)『日蓮は中国郡の者にあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者民の子にて候』(中興入道消息)等と、常にその出身の素姓のことはいはれていないが、その位地のことはハッキリといはれている。そして国民たる限りその国の法律に随ふべきことも承知せられ、当時政法上必須とせられた「上観政要」「貞永式目」をもよく心得て居られ、それに背いたやうな行動はしてをられない。だから伊豆流罪の時などにも、その「式目」違反を論じられ、また富木、大田、曽谷三氏の何かの問註の時には、問註所の吏員であるらしい三氏に、問註の時の細々の注意をも與へられている。随って幕府が「式目」違反の処理をした場合も、『身は随へられ奉るやうなりとも心は随へられ奉るべからず』(撰時抄)と、昂然として精神の独立を唱へてをられる。そして世間の人々が、その父母の位地のことに関連して、その唱導にもよく聞かないやうな傾向のあることをも、「佐渡御書」に
 『日蓮は今生は貧窮下賤の者と生れ、旃陀羅が家から出た。心にこそすこし法華経を信じたやうだが、身(の方)は人の身に似て畜生の身である。(魚や鳥を取って生活していた父母の」)赤白二Hの中に識神を宿し(て生れ)た(佛教の十二因縁ではその様に説いた)。濁った水(身體)に月(精神)がうつったやうである。糞をつつむ嚢(身體)に金(精神)をつつんであるやうなものだ。心は法華経を信(行)しているから、梵天、帝釈をもなほ畏れ(多し)とは思はぬが、身は畜生(によって養われた所)の身である。身と心とが相応しないから、愚者のあなどるのも道理である。』
と達観していられた。そこに国家を超えた偉大なる法界的の霊的個人が、同時に国家の一臣民であり、而も下級の位地の出身であり、それをも自覚し、それに対する社会感情をも認識し、国家の法制を承認しつつ、その国家の精神的更正を、宗教面において要求することに邁進して、毫も退転しないと共に、それは言論討論において、正不正を決しようとせられた。而もその要求の為に、種々の難に遭ふは、一に国家世界を寂光土化して、本佛の大慈の中に救い取らうとする、本化菩薩の大慈悲の致す所だとすれば、その中には自由、平等、友愛の民主主義の三綱も、おのづからこの聖祖の御行動に含まれていることが、明白であるといはねばなるまい。

 は 一身以て先づ国家人生の率先指導としての完全の行用

 かやうに聖祖の御実践を模範とし、また弟子檀那に訓へられた御教示を参照し、これを現代訳すれば、我等本化妙宗の信行者たるものが、一身以て国家人生の率先指導として、完全の行動運用をすることも、必ずしも難しいことではない。
 今日の世界は資本主義と共産主義とが、ともに国家勢力となって、いはゆる『冷い戦争』を為し、いつ『熱い戦争』になるかを気支ひつつあるのが、思想的にも社会的にも、種々に争ひつつあるが、しかし共産主義を唱へている国家は、事実は理想的の共産主義を実行しているのでなく、多分に資本主義的の要素を残しているのであり、資本主義国家も、また相当に社会主義的要素を加味し来りつつあるので、若し各の我執をさへ去れば、両者は争よりも、互に砥礪して進歩するがよいのだ。
 ところで資本主義国は、共産主義国を積極的に滅さうといふことは考へていないが、共産主義国は資本主義国を消滅して、世界全体を暴力革命なり平和革命なりに由り、プロレタリア専制として、共産主義を世界的に実現せしめようといふのが、その理想なることを宣伝しているのだから、働きかけている者は共産主義側であり、防御しようとしている者は資本主義側である。その點では共産側を進歩とし、資本側を保守とすべきやうである。この進歩保守の見方も、マルクスの謂はゆるブルジョア専制から、プロレタリア専制を経て、共産主義の社会となるといふ、社会進化の法則を、そのまま肯定するのでなく、佛教的見地から見ても、自己の慾望のままに活動して、慾望のままに所有し、子孫にまで保有するといふ思想よりは、個人慾を放棄した共産社会の方を、一往進歩した思想とすべきだが、他方佛教的見地から見れば、佛教の無我の精神を體得しないものが、智慧能力多きものが、多大の社会的貢献を為したるに係らず、凡愚無能のものと全然一切において、同等の待遇を受くといふことに、安んじて自から居ることができるか。またそれができても、他のものがその人を、他と異らしめないでおくであらうか、は頗る疑はしいことで、ソ連の現実の状態では、到底そのやうなことは、考へ得られないやうであると、いへそうではなからうか。
 元来マルクスの共産主義は勿論、多くの社会思想は、社会が餘りに不平等不合理なるによって起ったもので、若しも社会が人間の先天的の倫理性、佛教的にいへば佛性=から見て不合理、不平等などが少ければ、社会主義も共産主義も起らないし数人乃至数十百人の人物や家族が、経済的独占的に社会国家の財物を集積し、専横を働く資本主義といふものも起らない筈だ。だから結局共産主義や社会主義の、革命を起らなくするのは、資本主義の不合理不平等のないやうにするに在る。若し資本主義の不合理不平等をそのままにしておいて、いくら共産主義、社会主義を防がうとしても、それは暴飲暴食を続けつつ、胃病の薬を濫飲する、癡け者にも斉しいことであらう。
 今日の日本は世界に類例のない無軍備の平和国家となったのだ。対外戦争のみでなく、国内戦争をも止めねば、真の平和国家とはいへまい。それには日本の資本家も労働者も、ともに覚醒することを要する。
 法華経の信仰は、妙法蓮華経に南無するにある。『一心慾見佛 不自惜身命』である。『十界皆成佛』の本佛の本願を以て、自己の本願とするものからすれば、不合理不平等の搾取は為し得られないと共に、真率に労働することなく、ただ時間だけ而もなるべく少く働いて、多き給料を得んとする、不合理不能率の怠惰を、濫りにすることもできまい。我等は人を使ふ側にあっても、使はるる側にあつても、ともに妙法を唱へる人は、模範的な合理的な、能率の高い平安和樂なる事業を実現して、率先指導をせらるる人の、続出することを期待するものである。
 以上で、本化妙宗の信行安心に就いての各方面、およびその世間法に対する開顕用意にも及んだから、終りに信仰修行の団体たる、教会についての規定で結ばれている。


第十條 新旧古今の時弊を超脱し、背教失意の迷信妄儀を排除して、如法正当の宗儀教式を完備せる本化真正の教会制度に依りて、信仰安心を相続護持すべし。

   い 新奮古今の時弊を超脱

 さて信仰修行の団體といふことになると、従来の『寺院』と、基督教や教派神道にあるやうな『教会』との二つの形式がある、今ここに教会といふのは、後者を指したかのやうに読み取る人があればそれは違ふので、『寺院』といふものも元来『教会』だったのだが江戸幕府約三百年の間、切支丹と不受不施の信仰を流布させないやうに、およそ日本人としての在籍者には、皆ことごとく『何宗何寺檀徒』といふ風に、宗教戸籍を登録させたのであった。その為に段々後になると『寺院』と檀徒といふものは、宗教上の信仰修行によっての団結ではなくて、ただ名儀上の宗教戸籍の所属者を含むやうになり、またその宗教的関係も、檀徒中に死者のあった時に、葬儀を依頼し、その後の命日の回向を頼むといふだけの関係となり、その教旨を聴聞し信仰修行をみがくといふ如き、宗教的関係は追々に忘られるやうになった。それが『寺院』と檀徒関係の制度の弊害であって、江戸時代にはそれでも『寺子屋』と名ける、幼年男女の文字読書算盤等を、お寺で教へたこともあり、また宗教戸籍所の関係もあり、また農業地方では何といっても、寺院の住職はその地方での、最高智識者の一人だった関係もあって、寺檀制度も直接その宗々の信仰修行の団体でなくても、精神的つながりをもっていたが、明治以後切支丹と不受不施の禁止が解かれ、小学校が出来てから、これ等の精神的つながりは全然なくなった。そこで寺院は単なる葬儀執行場、法要執行場の如くになった。これと教会といふ、宗教教義の信仰修行によっての団結とは、全く相異るやうになったが、しかし寺院の建てられた昔に遡れば、それは説教場でもあれば礼拝場でもあり、信仰修行の修練場であったことは、決して教会と異ったものではなかったのである。だからこの『真正寺院の護持』といふこととも、同じことを意味するものだ、と心得てもらひたい。