『歌謡(うた)つれづれ』062
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■■■■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 2003.03.01 ■ ■■◇■ ◆■■ ---------- ■ 歌謡(うた)つれづれ ■◇ ■■ ■>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>◆ 0062 ■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ +++++ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。++++++ +++++ 等幅フォントによってレイアウトされています。++++++ ────────────────────────────── ────────────────────────────── ■□ 「だいのさか」が見つかったこと □■ ───────────────────────> 今号の担当 <                         宮崎 隆   ─────────────── わたしは、秋田県仙北郡で現在も行われています「掛唄」を研究し ているのですが、同じ秋田県の鹿角地方では、昔「大の坂」という 唄で「掛唄」が行われていたことがわかってきて、調査をしていま す。『日本民謡大観』の詞型は、 ◆ ────────────────────────── ◆     ここは大の坂七曲中の曲がりで日を暮らす     ゆんべ音頭あぎゃ何処誰だ大坂坂の上どや娘 ◆ ────────────────────────── ◆ というものですが、なんとこの唄は、新潟県北魚沼郡堀之内町にも あるのです。盆踊り唄「大の阪」がそれで、 ◆ ────────────────────────── ◆     大の阪七曲駒をよく召せ旦那様     天満町の橋に寝て笠をとられた川風に     お寺町後生願うおらも数珠買うて後生願う<以下略> ◆ ────────────────────────── ◆ という詞型が残っているのです。この「大の坂」について、町田嘉 声さんが「大の坂の唄を探し出すの記」という一文を『民謡大観』 に掲げておられて、堀之内の「大の阪」が「堀之内囃子」といっし ょに、元禄時代に京都から伝えられたと同様、鹿角の「大の阪」も 、その「囃子」といっしょに、二百年前に京都から伝えられたもの であろう、という推論をされています。 ところが、わたしが、現地等を訪れて調査したところ、この二つの 「だいのさか」の周辺に、いくつもの「だいのさか」があることが わかったのです。煩雑ですから詳しいことは避けますが、秋田県北 秋田郡比内町の「ダイノサカ」(デノサカ)、同郡田代町の「大の 坂音頭」等、そして、新潟県十日町市の「大の坂」などです。さら に、「ここは大の坂」と歌いだす唄が鳥取県や島根県で多数見つけ ることが出来たのです。この「だいのさか」という民謡の発祥地が 知りたくなります。そして、何よりいったい「だいのさか」とは、 どこのことだったのでしょうか。 この地名については、先の町田嘉声さんも、「南魚沼郡伊米七村大 の坂にある寺か」としか書いておられず、小寺融吉さんは「岩手県 の名だたる峠でもあろう」などと記すばかりです。堀之内町の識者 に尋ねても、郡内にそういう地名も寺も見当たらない、ということ でした。だから、わたしは、もしかしたら青森県南津軽郡浪岡町大 釈迦の地がそこではないかという推論を立ててみたりしたのです。 しかるに、このほど新潟県北魚沼郡小出町虫野に「台の坂」という ところがあるとわかったのです。 それで先月26日、現地を訪ねて、そこの桑野なおさん(80歳) に話を聞いてきました。彼女の幼年時代の遊び場だったというその 場所は、通称「やくさま」と呼ばれる小高い台地でした。虫野の識 者が書いた『虫野のいろいろ』という郷土誌には、「台の坂」とし て、 ◆ ────────────────────────── ◆ 桑原弥治右衛門は、楡井修理亮親忠の移封と共に越後に渡り、上田 庄(現在の六日町)坂戸城の出城板木城の砦、台の坂の陣屋に入っ た。昔の薬師山の道は台の坂と呼ばれていた。念仏踊りとして堀之 内町に残っている「大の阪」は、ここ虫野が発祥地であるという。 ◆ ────────────────────────── ◆ と明記されています。 虫野と堀之内は、すぐ近くなのです。それなのに何故今までこんな ことが分からなかったのでしょうか。もしかしたら、町田嘉声さん は、だれからか聞いていたのかもしれません。虫野は、前は南魚沼 郡で伊米ケ崎村だったのですから。ここの夢ケ崎山に桑原城があり 、そこの狼煙台のあった場所だというのです。江戸時代になって、 その台地に薬師堂が建立され、「ヤクヤマ」として村民に慕われ現 在に至っているということです。 ところが、現地の「台の坂」を見ても、わたしには、どうもここが 発祥地とも思えないのです。一つには、あまりにも小高くて、とて も「大の坂」と思えないことです。「七曲」など及びもつかないの です。つぎに、やはり「大」と「台」の違いが気になります。さら に、発祥地としては、この地名は人口に膾炙していないことです。 地元の人は、あくまで「ヤクサマ」と呼んでいて、あまり「だいの さか」とは言わないとのことです。もう一つ、虫野のでは、盆踊り でも何でもこの「大の阪踊り」が全く行われていないことです。な おさんの子どもの頃から、「よいやさ踊り」ばかりだというのです 。やはりこれは少し考えなくてはならないでしょう。   軽い失望を感じていると、なおさんが気になることを語るのです。 薬師信仰は今でも生きており、祭りのとき、女たちは、「夜篭もり 」に、みんな布団を持って出かけたものだというのです。大正11 年生まれの彼女は参加してことはないとのことでしたが、その風習 があったら、ここで掛け合いが出ても不思議でないのですから気に なります。さらに、さっきの『虫野のいろいろ』の著者の桑原克司 氏のご教示によると、「新編会津風土記」(文化6年)の記事に、 ◆ ────────────────────────── ◆ 昔は村民最首を賀するとて山上に登り酒を飲み、躍舞して山下に転 び落ちしとぞ、今猶上元に村民此山に集まり躍舞をなすことあり、 ◆ ────────────────────────── ◆ とあるのです。堀之内の「大の阪」も、明治年間に廃れてしまい、 日露戦争勝利を喜ぶ気風の中「よいやさ」一色なってしまったのを 嘆いた伝承者によって、昭和初期に復活せしめたのだと聞いていま すので、虫野で根絶していても不思議ではないのです。「大」と「 台」の違いも、たとえば、北秋田郡鷹巣町では「台の坂」なのです から、問題ではなくなります。 さあこうなるとまったく分からなくなります。いま少し、地元の伝 承を探ってみようと思っています。実際の地形からは、「七曲」の 句をどう解釈するかが問題ですが、つぎのような事例も考慮しなけ ればなりません。岩手県岩手郡葛巻町江刈の「山唄」に、 ◆ ────────────────────────── ◆  大の坂同じ目元もとろとろと酒瓶(すず)から移してよい酒を ◆ ────────────────────────── ◆ とあるのです。 今回、地名としての「だいのさか」が見つかったことだけは、間違 いありませんが、まだまだ「だいのさか」探しを続けねばなりませ ん。読者のみなさんの参加を待っています。 ────────────────────────────── >>>>>>>> 前号配信数 / 248 <<<<<<<<< ────────────────────────────── ▼ ひ と こ と ▼ 読者のみなさん、お久しぶりです。今年の初めに前号を配信して、 ほぼ2ヶ月が過ぎました。相変わらず、マイペースの本マガジンで すが、今の世の中少し早すぎるように、すべてにスローな編集子な どには思われますので、ウタが歌い継がれるごとく、みなさんにゆ っくりと受け止めていただければ、幸いです。m(_ _)m さて、今回は、宮崎氏がほんとうに地道に追い求めている掛歌、そ の一つである「大の坂」のルーツ探しです。現在広い地域でうたわ れるウタでも、最初からそうであったはずはなく、どこかで誰かが 歌い始め、それが広まったと考えるのが、やはり自然でしょう。。 歌謡研究の一つの目的に、このウタのルーツ探しがあります。その ウタが発生した「場」(人々や地域)を特定することで、これをより 深く理解できるようになるからです。 その方法一つが、今回のようなウタの呼称を目安にする方法です。 「大の坂(だいのさか)」というウタの呼称は、地名だと考えられる ことから、その地域でうたわれていたと考えるのは、わかりやすい 話です。 宮崎氏は、ねばり強い調査の結果、ウタにかかわる「大の坂」とい う場所を特定したのですが、それがウタの内容との関わりなどによ り、さらなる謎を呼ぶことになります。こんなこと書くと、宮崎氏 に怒られそうですが、なかなか結論が見えないところが、そのウタ に惹かれる理由であるような気もします。 あらたに見えたことが、次の謎を呼ぶ。ある意味で、永遠に続くか も知れない、謎解きの楽しみに、ウタという視点から皆さんもチャ レンジされてみてはいかがでしょうか。(編) ────────────────────────────── ▼ ご 注 意 ▼ このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ ていただくようお願いいたします。 各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者 のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから 引用される場合はその旨お記しください。 また、内容についてのお問い合わせは、執筆担当のアドレスにお願 いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに 返信すれば編集係にまず届き、次に執筆担当者に伝えられます。そ れへの返答は逆の経路をたどりますので、ご返事するまでに若干時 間がかかります。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■ □------◆ 電子メールマガジン:「歌謡(うた)つれづれ」 □----◆ まぐまぐID:0000054703 □--◆ 発行人:歌謡研究会 (末次 智、編集係) □◆ E-mail:suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp ■ Home Page:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/suesato/ □◆ 購読の停止、配信先の変更等は、上記Webにて可能です。 □--◆ また、歌謡研究会の例会の案内・これまでの内容、 □----◆ そして、会誌『 歌 謡 ― 研究と資料 ― 』 □------◆ の目次も、上記Webで見ることができます。 ■<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



まぐまぐ

前ペ−ジに戻る

歌謡研究会ホームに戻る