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■ 歌謡(うた)つれづれ−049 2002/03/22
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□□■ 歌謡、私のベスト3 ■□□
森山弘毅
□◆□ 比喩をもつ歌 □◆□
のっけから、余談で恐縮ですが、私が日常書いている文字の字体、
細かくて丸くてふにゃふにゃした、この形は、学生時代に講義をひ
たすらノートした時に出来上がったのではないか、と思っていまし
たが、近ごろ40年以上前の大学ノートをひっくり返して見ていて
、あらためてそのことを実感した次第でした。その頃の講義は、先
生がご自分のノートを読みあげるのをただ黙々と書き写していくも
のでした。一言も書き漏らすまいとしたものか、私のノートの一ペ
ージには45字(前後)×26行、約1200字が記されています
。一講で四ページ半前後、毎回5000字ほど(講義準備の先生の
ご苦労も思われるところです)を書き続けたことになります。自分
の字の形も決まってしまうのも、むべなるかな、という気がします
。
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つぎねふ山代女(やましろめ)の
木鍬(こぐは)持ち打ちし大根(おほね)
根白(ねじろ)の白腕(しろただむき)
枕(ま)かずけばこそ
知らずとも言はめ
(記61・紀58)
(〈つぎねふ〉山代の女が木の鍬で掘り起こした大根。その根が白
いように、お前の白い腕を私が枕にして寝なかったなら、私を「知
らない」といってよかろうが〈共寝をした仲ではないか〉。)
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学生時代のノートをひっくり返して眺めてみたのも、この歌との出
会いのことを確かめてみようと思ったからなのでしたが、狭い部屋
に閉じこめられるように、確かにこの歌は詰めこまれて記されてい
ました。いまは、亡くなっておられますが、若い時の大久保正先生
(注1)の「上代文学の諸問題」という講義ノートです。
この歌は、古事記・日本書紀では、仁徳天皇が、嫉妬して山代(や
ましろ)へ逃げ帰った磐姫(いはのひめ)皇后に贈った歌とされて
いるものですが、この時の講義で、この歌について「宮廷的なこと
は何一つ認められず、かえって木鍬で打つ大根の白さから白い肌を
連想する発想法は農民の生活を思わせるもの」と講じられたのが、
印象的でした。はじめて記紀歌謡の在り方について聴いた新鮮な驚
きがありました。
これを最初の出会いとして、その後も何度もこの歌に親しむ機会が
ありました。味わいは、どんどん深まります。山代の若い女が木鍬
を持って、というところからして、打ち起こす農作業の所作が目に
浮かびます。何より、その打ち起こしたばかりの大根の白さの印象
が女の腕に即座に結びついているのが愉快です。いまは、大根で女
性をたとえようものなら、それだけで振られてしまいそうですが、
この歌の大根は、実に愛着をこめて歌われ、女の腕も「白腕(しろ
ただむき)」という一語のもとに讃(ほ)められています。女の肌
の白さが、その時代から美しいものとして称えられている、という
のも愉快です。
この歌は、振られ男が未練がましく女に向かって、ヨリを戻してほ
しい、と歌いかけた農民歌謡だったのでしょうが、「大根の根の白
いように白い腕」と結びつく比喩がこの歌の面白さを引きたてるポ
イントになっていますね。いまの詩法の言葉でいえば、「〜のよう
な」の「直喩」の歌ということになります。上代歌謡のなかでもよ
く知られた歌ですので、ご存知の方も多いと思いますが、嘱目(し
ょくもく・目に触れること)的な直喩のこの歌が、今書いている私
の字体の形成とも重なって、忘れがたい出会いの歌になっています
。「わたしのベスト3」の一つとする所以(ゆえん)です。
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吉野川の花筏(はないかだ)
浮かれてこがれ候(そろ)よの
浮かれてこがれ候よの
(閑吟集・14)
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この歌は、「山代女」の歌と出会った半年ほどあとで、卒業論文を
中世歌謡に見当をつけて閑吟集を読んでいたときに強く印象に残っ
たもので、いまも親しみ深い歌の一つになっているものです。
突然、冒頭から「吉野川の花筏」と歌い出されているところが何よ
り魅力的です。「浮かれてこがれ候よの」と歌い続けて、「花筏」
が「揺れ浮きながら漕がれて」いることを歌うことで、それが自然
に「わが心も恋に浮かれ焦がれるばかり」の思いが重なるように伝
わって来ます。「花筏」は、吉野川に無数の桜の花が散りかかった
、水の上一面の花そのもの、とも、花の散りかかった筏、とも言わ
れています。冒頭に歌い出される美しさの衝撃にくらべると、どち
らでもいいようにさえ思えて来ます。あえて、どちらか、といえば
、吉野川の風物詩のような筏を思うと、「桜の散りかかった筏」の
方が似合いそうにも思えて来ます。真鍋昌弘氏も「花筏」に「花の
散りかゝりたる筏や」(俳諧御傘)を引いて注を付けておられます
(注2)。「漕がれ」と続く響き合いも自然かナ、とも思います。
ともあれ、この歌の魅力は、何の予告もなしに、主語も告げずに「
吉野川の花筏」と歌い出したところにありますね。「身は浮草の」
(105)、「身は近江舟かや」(130)など、「身はー」で歌
い出す歌も『閑吟集』中いくつもあるなかで、そう歌い出さずに、
見立てたもの、比喩そのものを冒頭に添えているのは、いま風に云
えば「暗喩」の詩法を生かした歌ともいえそうです。この暗喩の向
うにあるのは、あえて添えなかった「(わが)身は」ではなくて(
そうであれば、「わが身」の「花筏」が美しすぎるようにも思いま
す)、美しくも浮き立つ「わが恋の思い」そのもののようにも思わ
れてきますがーそれさえもまた言わぬが「花」か、ともいえそうで
す。
学生時代から引きずって来た歌の一つを、歌い出しの美しい「暗喩
」に惹かれて、「ベスト3」の一つに加えてみました。
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ます頭巾が笘舟(とまぶね)のぞく
桔梗(ききやう)の手拭が土手はしる
(鄙廼一曲・64 越後国 臼唄)
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この歌は近世の文化年間に菅江真澄によって編まれた『鄙廼一曲(
ひなのひとふし)』(注3)のなかの一章です。10年ほど前に註
釈を試みていたなかで出会ったものです。
「かます頭巾」は「叺(かます)」の形をした頭巾ですが、ここは
、その「かます頭巾」を冠った男をさしています。「桔梗の手拭」
は「桔梗花色の手拭」ですが、ここでは、それを被った女をさして
いるのですね。菅などを編んだ苫で屋根を覆った舟から、かます頭
巾の船頭が顔を出しています。その舟が走っているのに添うように
桔梗の手拭いを被った女が土手を走りながら、追いかけていく、と
いうのです。この男女二人の描写で二人のただならぬ関係を浮かび
上がらせるドラマの仕掛けが出来上がっているようです。
ここで注意されるのは「かます頭巾」でそれを冠っている男を、「
桔梗の手拭」といっただけでそれを被っている女を表現していると
ころですね。対象の付属物を歌って対象そのものを表現する、詩法
でいえば「換喩」の技法が、ここでは見事ですね。もっとも印象的
な一点を歌うことで男の表情、女の姿が生き生きと浮かび上がって
来ます。蕪村に「春雨やものがたりゆく蓑と傘」(句稿屏風)とい
うのがあります。「蓑」と「傘」はもちろん男と女をさしています
。手法は同じですね。こうした「換喩」の歌謡に出会うのも歌謡を
読む楽しみの一つといえるでしょうね。「歌謡 わたしのベスト3
」ということで、私の歌謡との出会いのなかから、とくに上代、中
世、近世のそれぞれの「比喩」の歌について触れてみた次第です。
■注1 大久保正先生は、上代文学研究者で、北海道大学教授を経
て国文学資料館教授、1980年没。歌謡学会会員でもありました
。「万葉集」での著書のほか、講談社学術文庫『全訳注古事記歌謡
』『全訳注日本書紀歌謡』などがあります。
■注2 新日本古典文学大系『梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡』
■注3 新日本古典文学大系『田植草紙 山家鳥虫歌 鄙廼一曲
琉歌百控』
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/242]
前回の配信から1ヶ月経ってしまいました。隔週配信なので、1回
抜けると、1ヶ月の間配信が無いことになってしまいます。読者の
皆さまをお待たせして、申し訳ございませんでした。
少し言い訳させていただくと、学校関係者が多い執筆者の皆さんは
、この時期いろいろとご多忙で、さらに編集子が、「ベスト3」な
どどいう企画を持ち出したものですから、従来の連載より準備がた
いへんになっています。どの執筆者の方も、面白いテーマをいつも
探して下さっているのですが、材料がすぐに手元にそろわなかった
りして、原稿執筆が遅れるということもあります。編集子は、督促
はしないという立場を基本的には貫きたいと考えておりますので、
読者の皆様も、なにとぞおおらかにお付き合い下さいますようお願
いいたします。
さて、今回のベスト3は、森山氏の学生時代の40年以上前の講義ノ
ートから説き起こした、比喩が巧みな歌謡3首です。第1首、第2
首は各時代を代表するよく知られた歌謡ですが、なるほどこうして
読み直しますと、氏の説かれるように比喩の深さといったものを感
じます。
そして、第三首目は『鄙廼一曲(ひなのひとふし)』という、当時
の民謡を集成した貴重な一書で、歌謡研究会で輪読しているのがこ
れです。そして、森山氏はこの研究の第一人者です。注3に引かれ
た、新日本古典文学大系では、『鄙廼一曲』の注釈を手がけられて
います。そのお仕事から教えて頂くことはいつも多いのですが、な
るほどこの1首は短い言葉の中に男女の情景を見事に浮かび上がら
せています。なかなか粋な歌謡ですね。
それにしても、学生時代の編集子の講義ノートは今はどこへあるの
やら……。(編)
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▼ ご 注 意 ▼
このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら
に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
ていただくようお願いいたします。
各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者
のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから
引用される場合はその旨お記しください。
また、内容についてのお問い合わせは、執筆担当のアドレスにお願
いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに
返信すれば編集係にまず届き、次に執筆担当者に伝えられます。そ
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