■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■
■ 歌謡(うた)つれづれ−048 2002/02/20
■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
★ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。★
************************************************************
□□■ 歌謡、私のベスト3 ■□□
宮崎 隆
□◆□ 忘れがたい人と唄 □◆□
************************************************************
泣いたとてどうせ行く人やらねばならぬせめて波風穏やかに
蝦夷や松前やらずの雨が七日七夜も降ればよい
江差追分
************************************************************
まだ学生のころ、「追分」を訪ねて、日本海を北上して歩いたこと
があります。新潟、本荘、秋田、鰺ヶ沢と廻り、青函連絡船で北海
道にまで足を伸ばしました。そのころは、まだ満員の乗客がデッキ
にまであふれている「十和田丸」でしたが、一人佇むわたしをかわ
いそうに思ってくれたのでしょうか、船員の一人が、そっと特2の
キップを渡してくれ、「国鉄がひいきしたと思われたら困るから」
とそっと言うのです。びっくりするやら、うれしいやらで、戸惑い
ながらも、リクライニングシートに身を預けたのでした。かれはど
こからか毛布まで持ってきて掛けてくれました。旅の親切は身にし
みます。
長旅の疲れも手伝って、すぐに深い眠りにおちいったのでしたが、
エンジンの音と波の音に混じって聞こえてくる音があります。まさ
に,恨むがごとく、訴えるがごとく耳に流れてくるメロデイ。まさ
にそれは「追分」だったのです。尺八が哀しく響きます。「鴎の鳴
く音にふと目を覚ましあれが蝦夷地の山かいな」、もう夜が明け、
函館の近くに来ているのでしょう。わたしははるかな旅情を十分に
味わったのでした。
函館からレールバスに乗って江差まで行きました。バスに乗り換え
、着いた江差の町は本当にさびしいとことでした。何を勘違いした
のか、宿のお上さんが、「兄さん、早く家に帰ってあげなさいよ。
こんなところにいたら駄目ですよ」と諭すのです。いくら「追分」
を訪ねてきたのだと言っても、信じてくれないのです。苦笑しなが
ら、町に散歩に出て、ふと見つけた理髪店に立ち寄りました。そこ
でもまた、「どうしてあんたみたいな若い人が追分を訪ねてくるの
」と聞かれます。挙句の果てに、「失恋でもしたのかな」と言うの
です。どう答えてよいのかわからず、わたしは顔を赤らめたのかも
わかりません。
突然、その床屋さんが、はさみを持ちながら、「どうせ行く人」と
追分を歌いだしたのです。またまたわたしはびっくりし、かつ、そ
の声のよさに呆然としてしまいました。そして、なにかほんとうに
恋しい人と別れてきたような、とても哀しい気分になって、涙がに
じむのでした。すると、その人はますます真剣に歌ってくれるので
す。そして、「やはり追分はいいなあ……」とつぶやくのです。そ
のとき以来、「追分」がわたしの心に入ってしまったのです。
***********************************************************
縁とほこりし八幡山に今宵荷方のうたまつり
来るか来るかと待またせておいてよそにそれたか夏の雨
仙北荷方節「掛唄」
***********************************************************
雪の横手の図書館。わたしは、その前の年(1980年)に初めて
知りました「掛唄」について調べにきていました。地元の高校生が
5、6人問題集を開いて受験勉強をしています。室内は、ストーブ
の燃える音がして、その合い間合い間に「梵天唄」が遠く近く聞こ
えてきます。ちょうど「梵天」奉納の日でした。「朝の出がけに東
をみれば黄金混じりの霧が降る」、これも「掛唄」のメロデイの「
仙北荷方節」の流れなのです。「梵天には、高校生は参加させませ
ん」とまじめな顔してだれかが言ってたのですが、飲酒への心配か
らか、受験勉強のからみなのか、よくわかりません。
しかしながら、こういうお祭りは本来高校生くらいの若者がやるこ
とではなかったか、などと思いながらいますと、ひときわ賑やかな
「梵天」が通過していきます。一本でなく、何本かが競っているよ
うです。「ジョヤサア、ジョヤサア!」というかけ声が飛び交い、
ホラ貝がボウボウと鳴らされます。と、一人の高校生が、「手につ
かねエもんね」と言いながら、窓を開けて見物におよびました。す
ると、もうみんな窓のところに集まってしまいました。中には顔見
知りに手を振って何か声をかけたりしています。わたしは、これ、
民謡の風土なんだと実感したのでした。
そして、即興の文句を掛け合う「掛唄」がいまだに秋田県の仙北平
野に生きていることを納得したのでした。昭和40年くらいの民謡
ブームも去り、農林水産のあり方も変容を余儀なくされ、もう労作
唄を唄う場も、口説きを唄って歩く人もいなくなって、とても日本
本土に「生きた民謡」はないだろう、と思っていましたが、それが
違ったのです。
横手市金沢の金沢八幡宮(9/14)と、仙北郡六郷町の熊野神社
(8/23)とで、毎年徹夜で行われます。金沢は戦前の昭和10
年頃から、六郷は昭和27年から今の形式でやっていて、今年は5
0回の記念大会が行われます。しかも、調べるに従って、「掛唄」
は、そのずっと以前から、おそらく幕末頃から、仙北郡の各地であ
ったこともわかってきました。で、わたしは、「掛唄」研究に熱を
上げることになってしまったのです。
それにしても、驚くことです。いきなり時事問題などを7775の
詩形にまとめて、歌い掛け、相手も間髪入れずに当意即妙歌い返す
のですから。いかに「荷方節」が悠長に唄うものであり、少々の字
余りや旋律の違いは許容されるものであるとしてもです。それは、
おそらく民謡における長い掛け合い伝統の力に負うところが大なの
だと思います。
「荷方節」ひとつをとっても、その伝播にはロマンがあります。新
潟から北前船が運んできたのでしょうか。秋田県各地にそれぞれの
「荷方節」があって、それぞれに歌い継がれています。しかるに、
仙北郡で「掛唄」とであったことが、この歌謡を大きく変貌させま
した。そして、そのことに関わった無名有名の農民たちのなんとす
ばらしいことでしょう。
みんな「おら、唄っこが好きで好きで仕方ないだけ」と謙虚ですが
、恋も仕事も生活も「うた」ひとつに託して生き抜いてきたたくま
しさが、即興の文化を支えてきたのでしょう。 わたしは、毎年、
「掛唄」の歌い手に会いに行くのを、もう仕事とさえ思っているの
です。
***********************************************************
ユビガ夜ヤノデドウオウラナーダハ
(ゆうべはどうして私の所においでにならなかったのですか)
雨バフリキドバナーヤキラルナーダルユ
(大雨が降ったので私は来られなかったのですよ)
トウバラーマ節
***********************************************************
90年6月、わたしは石垣島にいました。「アジア民族芸能祭〜い
しがき90」を見に行ったのでした。前述の「金沢八幡宮の掛唄」
も、「歌垣」の伝統文化を継承するものと招待されたのです。プロ
グラムには、タイのアカ族の歌垣、中国イ族の歌垣、沖縄本島の野
毛遊び、宮古のクイチャー、福島県の玄女節などがあり、「掛け合
い」の民謡を研究するわたしとしては見逃せないものでした。
その中のトリを飾るものとして舞台に出されたのが、若者男女によ
る「トウバラーマ節」だったのです。客席から掛け合いながら舞台
に上がっていく歌声に魅惑されてしまったのを今でも鮮烈に思い出
します。そして、かつては内地でも、たとえば、新潟県などでは、
「夜遊び歌」として、さかんに行われていたのではないでしょうか
。鹿児島県の串木野では、「さのさ」のメロデイに載せて、盛んに
恋の掛け合いがおこなわれていました。
この「トウバラーマ節」は、与那国の「ションガネー節」とともに
八重山の二大情節といわれるもので、150年ほど前のカナシ女を
めぐる悲恋から起こったとか。さまざまな変容を遂げながらも、毎
年石垣市で大会が行われるくらいに普及していると言います。そし
て、名文句や名唱は、長く人々の記憶に残り、愛唱されるのだとも
聞きました。
石垣といえば白保。翌日、わたしは白保の海岸を歩きました。この
美しい海を埋め立てて飛行場を作るなんて無謀もいいところなどと
考えながらも、昨夜の「トウバラーマ節」が耳について仕方ありま
せん。ふと立ち寄ったお店のおばあさんに、そのことなど話してい
ると、そのおばあさんが唄ってくれたのです。もちろん言葉は分か
らないのですが、埋め立て反対のような即興の歌詞でした。「ンゾ
ーシヌツウバラマヨウ」という囃子詞だけは印象的で、またまた忘
れられない歌と人に逢ったのでした。
************************************************************
▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/243]
歌謡は、人々の生活にふかくかかわっているからこそ、歌い継がれ
るのですが、それは「研究者」とて例外ではないのですね。先の米
山氏の選んだ歌謡もそうでしたが、今回の宮崎氏のベスト3は、宮
崎氏の人生と深くかかわる研究生活、その節目に出会ったうたうた
となっています。その「歌謡経験」は、宮崎氏個人のものでしかな
いのですが、同じ歌謡に何かを感じた人、あるいは今回の原稿を読
んでくださった皆さんに、これらの歌謡がなんらかの感慨を呼び起
こすとすれば、それは宮崎氏個人の体験が、歌謡を媒介とすること
で皆さんに共有されたからではないでしようか。これが、歌謡の大
きな魅力だと、編集子などは思います。
前号配信後、一読者の方からの丁寧なご感想、励ましのメールをい
ただきました。また、編集子が参加した飲み会で、「読ませてもら
っていますよ」という言葉もかけていただきました。編集子として
は、たいへんうれしく思ったと当時に、きちんと配信しなくては、
と身の引き締まる思いにもなりました。みなさん、今後ともよろし
くお願いいたします。
直前になりましたが、歌謡研究会の例会が、下記の要領で行なわれ
ます。発表内容などに興味がおありなら、ぜひご参加下さい。なお
、例会につきまして、HPでお知らせしてきましたが、最近余裕が無
く、更新できておりません。マガジンの方ではかならずお知らせし
たいと思いますので、よろしくお願いいたします。(編)
************************************************************
第91回 歌謡研究会例会のお知らせ
[日時] 2002年2月23日(土) 午後2時〜
[会場] 名勝大乗院庭園文化館
(電話) 0742-24-0808
[輪読] 菅江真澄 「鄙廼一曲」
淡海の国杵唄 臼曳歌にも諷ふ唄
五九 恋といふ字を車にのせて…
六○ わしとお前は羽織の紐よ…
小田 和弘
[研究発表]
平家物語の歌謡
西川 学氏
************************************************************
▼ ご 注 意 ▼
このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら
に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
ていただくようお願いいたします。
各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者
のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから
引用される場合はその旨お記しください。
また、内容についてのお問い合わせは、執筆担当のアドレスにお願
いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに
返信すれば編集係にまず届き、次に執筆担当者に伝えられます。そ
れへの返答は逆の経路をたどりますので、ご返事するまでに若干時
間がかかります。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
□電子メールマガジン:「歌謡(うた)つれづれ」
□まぐまぐID: 0000054703
□発行人: 歌謡研究会
□E-Mail: suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp (末次 智、編集係)
□Home Page: http://web.kyoto-inet.or.jp/people/suesato/
■
■ ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です。
■ ※また、歌謡研究会の例会案内・消息、それに研究会の会誌
■ 『 歌 謡 ― 研究と資料 ― 』のバックナンバーの目次も、
■ ここで見ることができます。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
|