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■ 歌謡(うた)つれづれ−045 2001/12/25
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□□■ 初恋の歌謡史(5) ■□□
小野恭靖(ono@cc.osaka-kyoiku.ac.jp)
「初恋の歌謡史」の連載も5回目となりました。今回から、近現代
の初恋の歌謡へと話を進めていきたいと思います。
さて、突然ですがクイズです。「初恋の日」は何月何日でしょうか
?読者の皆さんは「いったい何のこと???」と思われるかもしれ
ま
せん。実は「初恋の日」というものがあるのです。ご存知だったで
しょうか?
もちろん、その日は国民の休日にはなっておりません。したがって
知名度の低さは如何ともし難いものがあります。と、偉そうに言う
筆者も、その日をごく最近知ったばかりなのです。
答は10月30日です。どうしてこの日が「初恋の日」となったかとい
うと、今を遡る105年前の明治29年 (1896)の10月30日に島崎藤村
が『文学界』に「初恋」というタイトルの詩を発表したからだそう
です(ちなみに、この詩を収めた処女詩集『若菜集』の刊行は翌明
治30年8月)。藤村の「初恋」は日本の近代詩を代表する傑作と言
っても過言ではないでしょう。
誰でも冒頭部分は耳にしたことがあると思います。近頃、話題とな
ったベストセラー本『声に出して読みたい日本語』(草思社)にも、
この詩は採られています。
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▼△▼島崎藤村「初恋」▼△▼
△まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に汲みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
(『若菜集』[明治30年、春陽堂刊]より)
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藤村の初恋と思われる出来事は、明治26年からの2年間に起こりま
した。当時、藤村は明治女学校の教師を務めていました。その教え
子に佐藤輔子という美少女がいて、藤村は密かな恋心を抱いていた
と言います。藤村は当時22歳でした。その年、藤村は輔子への愛を
打ち明けることなく、女学校を退職します。
その後の2年間は、藤村にとって種々の苦難が待ち受けていました
。文学上の先輩北村透谷の自殺、兄秀雄の事業の失敗と未決監への
収容、郷里の大火による屋敷の焼失などでしたが、中でも藤村の心
に深い傷となって残ったのは、明治28年8月の輔子の病死の知らせ
でした。
「初恋」はこのような苦難の時代を通過して、漸くわずかに明るい
光が感じられるようになった時期に書き上げられた作品です。林檎
畑を舞台にした若々しくも、またすがすがしい初恋の詩は、その背
後に作者の大きな心の闇と、少しばかりの後悔とが存在していたの
です。しかし、一方でこの詩には新しい近代詩の世界を構築しよう
とする藤村の強い意志が裏打ちされていました。
ところで、この藤村「初恋」が歌謡曲となったことは御存知でしょ
うか?現在、中年を迎えている筆者の世代以上の方々ならば、きっ
と記憶があることと思います。そうです。昭和46年(1971)9月に発
売された舟木一夫の「初恋」です。作詞は藤村の詩をそのまま用い
、作曲は若松甲氏が担当されました。藤村の詩の発表から実に75年
の歳月を隔てて、新たな命が吹き込まれたのです。
しかし、舟木の歌はあくまで青春歌謡と呼べるもので、「高校三年
生」や「学園広場」で歌われた流行歌の延長線上にあったのです。
したがって、その原詩に文語的言葉遣いというある種の抒情を留め
ながらも、平和と繁栄の時代の若者の歌に他なりませんでした。そ
こからは藤村の苦難や、新しい詩の時代を切り開こうとする強い意
志は微塵も感じられません。もちろん、これには舟木や作曲者若松
氏には何の罪もないことです。
筆者は舟木一夫のファンで、むしろこの歌でも、藤村の詩を人々の
口の端に乗せた功績の方を評価したいと思っています。そして、そ
れにつけて思うのは、近代詩と流行歌の間には根本的な性質の相違
があるということに他なりません。それは時代の隔たりとは異なる
また別の何かでしょう。この点について、今はまだ確固とした考え
がまとまっていませんが、今後の課題として考えていきたいと思っ
ています。
ところで、明治の青春を生きたもう一人の文学者に石川啄木がおり
ます。啄木は早逝しましたが、歌人として非常に大きな業績を残し
たことは改めて言うまでもありません。
啄木は初恋を稔らせて結婚した羨ましい人でもあります。代表的歌
集『一握の砂』(明治43年[1910]刊)には、次のような有名な初恋
の短歌が収録されています。
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▼△▼石川啄木「初恋」▼△▼
△砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日
(『一握の砂』[明治43年、東雲堂書店刊]より)
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啄木が初恋の人堀合セツ(節子)と逢ったのは、岩手県立盛岡中学校
二年の時で、当時啄木は十三歳でした。啄木が短歌に本格的に取り
組み始めたのは十五歳の時でしたが、その頃からセツとの恋愛も急
速に進展を見せたと言います。その後、啄木は上京しましたが、セ
ツとの恋愛も続きました。そして遂に、明治38年(1905)に友人の
主催で結婚式を挙げることになったのですが、途中行方不明となり
、花婿不在のまま披露宴が行われたのです。
啄木の「初恋」の短歌は、誰もが一度は味わったことのある初恋の
痛みを、胸やお腹にあたる硬質な砂山の砂の感触に置き換えていま
す。甘いばかりではない初恋の本質の一面が見事に表現されている
と言えるでしょう。
この啄木の短歌が「初恋」という歌曲となったことは比較的よく知
られているものと思います。作曲は越谷達之助氏です。越谷氏はこ
の「初恋」の他、「ある日」「わかれ来て」など全部で15首の啄木
短歌に曲を付け、「啄木によせて歌える」と題する歌曲集をまとめ
ました。そして「初恋」はその第一曲目に置かれたのです。この曲
は今日多くの歌手によって歌われています。ちなみに筆者は錦織健
による歌が好みです。
以上、今回は明治の「初恋」の詩歌二編の成立の経緯と、それが歌
謡として歌われたことを紹介しました。初恋の歌謡史はいよいよ現
代の流行歌の世界にまで迫って来ています。次回をお楽しみに。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/241]
みなさん、ご無沙汰いたしております。
はじめに、この3週間のあいだ配信がなかったことについて、読者の
皆さんに深くお詫びいたします。年末ということで執筆担当の方々
がご多忙で、原稿の執筆ができないことが重なりました。
それにしても、「初恋の日」があるとは知りませんでした。ぜひ、
休日にすべきですな。藤村のうたを舟木一夫がうたっていたという
のもうかつにも知りませんでした。でも、藤村の「初恋」を「声に
出して読む」と、編集子などは、すこし頬が赤らむような気がしま
すね。そんな歳でもないか。
さて、今年の一月に配信を始めたこのメルマガも、気付くと最初の
一年が終わろうとしています。これも、毎週原稿を送って下さった
執筆ご担当の方々、そしてなにより読者になって下さったみなさん
のおかげです。深くお詫び申し上げます。
来年の配信についてですが、今年一年は週間を目指したこのメルマ
ガですが、来年は隔週配信とさせていただきます。これは、執筆ご
担当のみなさんへの負担を減らすためです。読者の皆さん、なにと
ぞご容赦下さい。
その代わり、というわけでもないのですが、来年の5月あたりまで
、「歌謡、私のベスト3」と題しまして、各執筆担当者の「極私的
ベスト3」を紹介してもらいます。それぞれの歌謡ジャンルに通じ
た執筆者のベスト3をお楽しみに!!!
最後になりましたが、この一年間このメルマガとのお付き合い下さ
りほんとうにありがとうございました。来年は隔週にはなりますが
、より面白いメルマガを目指して頑張りますので、歌謡研究会とも
ども、このメルマガをよろしくお願いいたします。
それでは、みなさま、良い年をお迎え下さい。(編)
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