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■ 歌謡(うた)つれづれ−044 2001/12/01
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□□■ 金素雲『朝鮮民謡選』と日本の歌謡(5) ■□□
森山弘毅
金素雲訳の『朝鮮民謡選』(岩波文庫・昭和8年〈1933〉)に
ついての第五回めになります。前回(9月20日)は、金素雲の翻
訳した朝鮮民謡の口調が、日本の大正から昭和にかけての、新しい
歌謡の時代の流れと深くかかわっていたことについて触れました。
当時の歌謡の創作が、近世半ばの『山家鳥虫歌』(明和9年〈17
72〉)に歌われている庶民の声調から強い影響を受けていたであ
ろうことにも触れてみたのでした。『山家鳥虫歌』・大正昭和の新
しい歌謡・『朝鮮民謡選』、と並べると、何だか三題噺(ばなし)
めいて来ますが、今回もそのことに触れながら、このシリーズのま
とめにたどりつきたいと思います。最初に、白秋の次の歌をあげて
みます。
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○ ダンスしませうか
骨牌(カルタ)切りませうか
ラランララ ラランラ ラララ
赤い酒でも飲みませうか
(北原白秋「酒場の唄」より)
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この歌は大正8年(1919)1月、芸術座公演『カルメン』の劇
中歌です。中山晋平作曲で、同じ年の5月にレコードも出ています
。この歌は五連つづいていて、そのすべてが「〜ませうか 〜ませ
うか ララン・・・ 〜ませうか」の型で歌われています。白秋は
この「〜ませうか」の口調がよほど気に入っていたとみえます。こ
の口調の歌詞は、大正期の創作歌謡で一番早いものかも知れません
。もう一つ、一世を風靡したのは、ご存知、次の歌です。
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○ シネマ見ましょか お茶のみましょか
いっそ小田急で 逃げましょか
(西条八十「東京行進曲」より)
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これは映画「東京行進曲」の主題歌、第四連の前半です。昭和4年
(1929)ですが、この5月にビクターからレコードが出て、全
国的に大流行した、といわれます。小田急も開通したばかりの頃、
モダンな東京のハイカラぶりがよく歌われています。白秋の「〜ま
せうか 〜ませうか」が西条によって、少しテンポよく「〜ましょ
か 〜ましょか」と承け継がれて、再生したかのようですね。こう
した「〜ましょか」をくりかえす歌詞には、大衆文化が盛んになっ
て庶民の選択肢が広がっていった、大正・昭和の時代の風が反映し
ているのは勿論ですが、この時代の詩人たちが、『山家鳥虫歌』の
次の歌から触発されていたことも十分うかがえるところです。
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○ 心中しましょか髪切りましょか ヤアレ
髪は生えもの身は大事 ヤアレ ヤレヤレ
(139 伊勢)
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「心中しましょか髪きりましょか」などと、深刻に男への誠意を誓
う女の歌のようですが、後段では「身は大事」とばかり、死にもせ
ず、また生えてくる「髪」の方を選んだ女の計算ものぞいているよ
うです。それを「ヤアレ」とはやして歌っていますから、これは、
酒宴の歌なのでしょう。この明るい歌いぶりが、「モダン」に浮か
れている大正・昭和の気分と重なって、「〜ましょか 〜ましょか
」の型の歌を、「時代」の方が受け入れていったのでしょうね。各
地に類歌がありますが、大正4年〈1915〉有朋堂文庫『近代歌
謡集』発行のタイミングや前回にみた「籠の鳥」の歌の流行など、
やはり『山家鳥虫歌』が一つのきっかけをつくったことは確かなこ
とと思われます。
「〜ましょか」をくりかえさずに、一度だけ用いて静かに問いかけ
ている歌もありますね。
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○ 唄を忘れた金糸雀(かなりや)は 後の山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ
(西条八十「かなりや」より)
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ご存知「かなりや」は大正8年〈1919〉10月『赤い鳥童謡集
』に成田為三の作曲で世に出されました。「後の山に棄てましょか
」のフレーズのところが二連、三連で「背戸の小藪に埋(い)けま
しょか」「柳の鞭(むち)でぶちましょか」と少しむごい詞句で「
〜ましょか」がくりかえし歌われます。白秋にもあります。
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○ この子もたうとうおっ死(ち)んだ。
嫁入り前だに、なんだんべ。
花は馬鈴薯(じゃがいも)、うす紫よ、
鉦(かね)でも叩いて行きましょか
(北原白秋「あの子この子」より)
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大正11年〈1922〉の歌です。この歌は第二連めですが、第
一連めに「あの子もたうとう死んだそな」とあって、このシリーズ
第二回めにも引きました。ここでは「鉦でも叩いて行きましょか」
と歌って、嫁入り前に死んだ女の子を哀しく悼んでいます。八十の
「棄てましょか」も白秋の「行きましょか」も、優しく静かな、呟
きにも似た問いかけですね。こうした歌いぶりは、静かな意志・呼
びかけの次の歌とも映り合っています。
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雪のふる夜はたのしいペチカ。
ペチカ燃えろよ。お話しましょ。
(北原白秋「ペチカ」より)
かけましょ、鞄(かばん)を母さんの
あとからゆこゆこ鐘が鳴る
(北原白秋「雨ふり」より)
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「ペチカ」は大正12年〈1923〉、山田耕筰作曲。「雨ふり」
は大正14年〈1925〉の作で中山晋平の作曲。いずれも今もよ
く親しまれている歌ですが、ここの「お話しましょ」「かけましょ
」には傍にいる人に呼びかけ、誘いかける優しさがありますね。『
山家鳥虫歌』にも次のような「〜ましょ」の句をもつ歌があります
。
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○ みすじ風呂(ふろ)が谷朝寒むござる
炬燵(こたつ)やりましょ 炭(すみ)添へて
(338 讃岐)
○ 千世の前髪下ろさば下ろせ
わしも留めましょ振袖(ふりそで)を
(382 薩摩)
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このほかにも「わしがちょこちょこ通ひましょ」(308 安芸)
などとも歌われます。大正・昭和の「〜ましょ」の口調がこれらの
歌から直接影響を受けた、とは言い切れませんが、庶民の誰もが歌
える口語調のこれらの口吻が、白秋らの調べにも自然に同化してい
たとはいえそうですね。
こうした問いかけ、誘いかけの詞句をもつ歌が『朝鮮民謡選』にも
訳出されています。
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○ 小雨降ろうと
知りさえしたら
竿に生帛(きぎぬ)を
干しましょか
さまが旅から
かえると知れば
なんで閂(かんぬき)
かけましょか
(閂〈慶尚南道〉・意訳謡1)
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この歌、二連ですが、後段が主意ですから、前段の「竿に生帛(き
ぎぬ)を/干しましょか」は後段の「なんで閂(かんぬき)/かけ
ましょか」を誘い出す「序」といってもいいものです。ここには「
かなりや」の「後の山に棄てましょか」の口調が映っているのがみ
てとれますね。しかし、金素雲は、白秋、八十にもなかった反語調
で、「あなたが旅から帰ると分かったら、どうして閂などかけまし
ょうか」と、愛しい人を待つ思いを、静かな調べのなかにも強い思
いをこめて訳しているのが印象的です。次の歌にも「ましょか」が
入っています。少し長いですが引いておきます。
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○ 涼し木の下 樹陰の下に
水を汲もとて 出て来たら
知らぬ若殿 来かかって
水が所望じゃと申された。
聞いて見ましょか どちらのどなた
水営大監(スヨングテガム)の一粒息子
わしも聞きましょ どちらの娘
慶尚監司(キヨングサングカムサ)の孫娘、
木綿糸ではかけられず、
帛(きぬ)の機(はた)にはかけられず
帛の機でも糸ないときは
木綿の糸で織りもする。
(木綿糸〈慶尚南道〉・叙情謡)
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一時代前の「歌ごえ」の歌に「泉に水汲みに来て娘らが話していた
」というのがありましたが、それに少し似ていますね。ここでは一
対一の男女のようです。「聞いてみましょか どちらのどなた」と
若い娘が問いかけます。「わしも聞きましょ どちらの娘」とこん
どは男が問い返しています。「水営大監」は「水軍の司令」、「慶
尚監司」は「慶尚道の長」との注が添えられています。「木綿の糸
」は「身分の低さを喩えた隠語」ともあります。この歌は、身分の
違う娘のはかないのぞみの歌のようです。白秋・八十らの口調が映
り合った「聞いて見ましょか」「わしも聞きましょ」の会話の応答
が、実に生き生きとして、この歌に強い印象を残していることは確
かですね。もう一つ紹介します。
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○ 上田済んだか
下田(しもだ)はまだか、
田水やりましょ
送りましょ。
オゥホヤ ドゥングジ ロダ
(ドゥングジ〈黄海道〉・労作謡)
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これは四連が続く二連めの一節です。「ドゥングジ」には注があっ
て「旧暦の三月過ぎ、燕が低く軒をかすめる頃は、ゆるやかな余韻
を曳いて野のここかしこに響く楽しい歌声がある。それが「ドゥン
グジ」だ。見渡すかぎりの広い野面に、流れ寄り縺れ合う歌声は水
田に立つ農夫の胸にも春の夢を蒔いてゆく。」とあります。金素雲
は故国の野面の歌声にいっぱいの思いを馳せて「ドゥングジ」につ
いて注を書き添えています。「注」はまだ三倍ほどの長さで続いて
います。これは「田植歌」であり「草取歌」でもあるのですが、「
オゥホヤ ドゥング ロダ」の囃しには、弾むような拍子の歌声が
聞こえてきそうです。「田水やりましょ/おくりましょ」の詞句は
、ここではたくさんの農夫が互いに歌いかけ、呼びかけあう、協同
の声になっているともいえますね。「〜ましょ」の白秋らの口調を
移しながら、ここには静かな語らいや誘いかけから、「〜ましょ」
を広く明るい野面へ解き放っているかのようです。
金素雲は、「〜ましょか」「〜ましょ」の訳語でも、当時流行した
日本の歌謡の白秋や八十の詩句から離れることはできなかったとい
ってもよいのですが、しかし、日本の詩人たちとも異なる世界を、
せいいっぱいの民族の心に乗せて歌おうとしていた、ともいえそう
ですね。
そうではあるけれど、「ドゥングジ」のような民族の労作歌の翻訳
もまた日本民謡調の七七七五の調べで整えてもいるのです。当時の
日本の歌謡には、次のようなものも作られていました。
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○ 嫁に来るときゃ
島田で来たが
いまじゃ髪結う
ひまもない
(古茂田信男「嫁に来るときゃ」)
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昭和5年(1930)に作られたもので「草津節」の節で盛んにう
たわれた、といいます(『新版日本流行歌史』上)。新民謡といわ
れるものもこうした七七七五のリズムで作られ、歌われたものが多
いのですね。『朝鮮民謡選』の「意訳謡」の翻訳はそのほとんどが
七七七五でした。その意味でも日本の新しい歌謡の時代のさ中にあ
った、といえそうですね。
『朝鮮民謡選』の末尾に「朝鮮口伝民謡論」という力篇が添えられ
ていますが、そこには「朝鮮民謡の呼吸は四四調を基本」としてい
ることが詳しく分析されています。
「改訂版あとがき」には次のようにも記されています。
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民族の詩心の最も素朴な表現である口伝童・民謡が果たして翻訳で
きるものか、どうか、疑わざるを得ない。律調を離れて二分の一、
言語を変えることによってさらに二分の一―、ある程度の翻訳の功
を収めたとしても、期待できるのはせいぜい四分の一どまりである
。
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『朝鮮民謡選』を出してから40年後の感想です。苦い思いがみて
とれます。本来、朝鮮民謡の律調は四四調だといいますから、この
七七七五調の翻訳は、「日本の歌謡」のように読まれたにちがいあ
りません。「日本人」が読むように翻訳されたといってもよいかも
知れません。おそらく、このリズムでは一度も声を出して歌われる
ことはなかったでしょう。当時、日本に住むことになった朝鮮の人
々が、日本語を話すようになっていた、としても、この翻訳の日本
語「朝鮮民謡」を歌うことはなかったことでしょう。民族の内在律
とは全く異なるものでしたでしょうから。
「朝鮮の民謡を、この日本の歌謡調に翻訳することの難事」を「金
君は易々と仕上げている」と讃辞を送ったのは北原白秋でしたが、
この『朝鮮民謡選』への讃辞も、また、この翻訳そのものさえもが
、若き金素雲にとって、あるいは朝鮮民族にとって、言い知れぬペ
ーソスとも苦いものだったとも思われてもくるのです。
金素雲『朝鮮民謡選』と日本の歌謡・五回のシリーズにお付き合い
ただきありがとうございました。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/239]
編集子の都合で、配信が少し遅れました。スミマセンm(_ _)m。
森山氏の連載がいちおうの完結を迎えました。いろいろと教えてい
ただいたことが多いのですが、とくに、翻訳といってもそれは単に
言葉を置き換えるのではなく、言葉を担う共同体の歴史がそこに深
く影響をせざるを得ないことを教えていただいきました。なかでも、
歌謡(うた)の翻訳には、そういった側面が強いことも。連載、お
疲れさまでした。
歌謡研究会の例会が下記の要領で開かれますので、関心のある方は
ぜひご参加下さい。(編)
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第90回 歌謡研究会例会のお知らせ
[日時] 2001年12月8日(土) 午後2時〜
[会場] 名勝大乗院庭園文化館 2階
(電話) 0742-24-0808
[輪読] 菅江真澄 「鄙廼一曲」
淡海の国杵唄 臼曳歌にも諷ふ唄
五七 不二の裙野に西行の昼寝…
五八 山本山を山家じやとおしやる…
松村 嘉幸氏
[研究発表]
『日本三代実録』の童謡と識者
宮岡 薫氏
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▼ ご 注 意 ▼
このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら
に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
ていただくようお願いいたします。
各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者
のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから
引用される場合はその旨お記しください。
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いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに
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