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■ 歌謡(うた)つれづれ−041 2001/11/08
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□□■芥川龍之介の実験―古代歌謡へのアプローチ―(5)■□□
米山 敬子
□体内リズムからの昇華□
芥川の盟友、佐藤春夫に、「箜篌の音」という随筆があります。昭
和3年(1928)11月1日発行の『若草』(第4巻第11号)に掲載され
たものです。やや長くなりますが、その引用から始めたいと思いま
す。
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この雑誌の前号の諸家の愛誦詩を見て、散文風な自由な詩を書く作
家も、愛誦する場合には不思議と定型的な韻律のあるものであった
のを知って、面白い事に思った、室生(室生犀星)の如き、自分は
愛誦などはしない――自分は韻を噛みつぶしてしまふと言った人で
さへ、挙げてゐるものを見ると『垣ほを見れば山吹や』といふ今様
体のものであった。自分は室生の言ひ分を面白いと思ふと同じに、
彼の矛盾をも猶面白いと思った。
日本語は音律に恵まれない国語だといふ。確に日本語には脚韻は乏
しい。外国語の音律を手本にすれば、日本語の韻はたしかに貧弱で
ある。それなら日本語は調子のある詩に用ふる言葉として、それほ
ど悲しむべきものであらうか、否(いな)! (中略) 日本語には
日本語自身の音律があり、それの秘密をさぐることが、少なくとも
詩人の仕事のうちの一つであることを信じてゐる。『垣ほを見れば
山吹や』の作者、芥川龍之介に作あり。
修辞学
ひたぶるに耳傾けよ。
空みつ大和言葉に
こもらへる箜篌(くご)の音(ね)ぞある。
(『定本 佐藤春夫全集』第20巻、p.193-4、1999.1刊、臨川書店)
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さて、前回は、芥川の馴染みのリズムが七五調であることと、「眠
れる王女」を探索した結果として彼が見いだしたリズムが、旋頭歌
や催馬楽に見られる五七調だったらしいということをお話ししまし
たが、いま挙げました佐藤春夫の文章の中に登場した、二つの芥川
の作品にも、その差異がくっきりと現われています。
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山吹
あはれ、あはれ、旅びとは
いつかはこころやすらはん。
垣ほを見れば「山吹や
笠にさすべき枝のなり。」
(『芥川龍之介全集』第9巻、p.457)
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室生犀星が愛誦したというこの詩は、大正11(1922)年5月の作のよ
うです。「山吹や笠に指すべき枝のなり」は芭蕉の句ですが、それ
が芥川の今様調の詩の中に取り込まれ、室生犀星も佐藤春夫も、承
知してはいたのでしょうが『垣ほをみれば山吹や』と七五の句だけ
を取り出してこの詩を誦しているというのは、二人のなかにも七五
のリズムがあったことの強烈な証明になるように思えます。
それに対して、「修辞学」の方はどうでしょう。
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ひたぶるに耳傾けよ。
空みつ大和言葉に
こもらへる箜篌(くご)の音(と)ぞある。(同、p.461)
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この詩は、近代詩の代表作と見做されるほどの高い評価を得ていま
す。五七・四七・五七という三行のもたらすリズムは、七音が後に
廻っていることで重々しい感じを発していますが、一方、三行とい
う短さには、なんとも言えない不安定な感じも窺えます。例えて言
えば、今まさに生まれようとして産声を挙げる直前にある。聞き手
は、その声を聞くべくその場に立ち合わされている。そんな感じで
しょうか。
この「修辞学」は、実は芥川の生前には発表されていません。かつ
て刊行された全集の日付注記には、「大正15年11月」とあるようで
す。そうすると、旋頭歌調の「越(こし)びと」、催馬楽調の「父ぶ
り」や「酒ほがひ」といった五七調の詩を発表した大正14年頃に、
ほぼ時を同じくして、あるいはこれらの試作品の到達点として、「
修辞学」が生み出されたという推測も成り立ちそうです。
しかし、佐藤春夫は、この二つの詩の決定的な違いには気付いてい
なかったのでしょうか。「箜篌の音」の「音(ね)」と「音(と)」と
の訓みの違いについても気になるところです。私としては、「kugo
none」よりも、「kugonoto」という後舌母音の隠った響きの連なり
を取りたいと思いますが……。
芥川の体内に馴染んだリズムは七五調であると、繰り返し申し上げ
てきました。そのリズムを培ったものは、彼の生活環境にありまし
た。芥川は、生後八ヵ月で生母フクの実兄道章の家に引き取られま
したが、その芥川家について、関口安義氏は、こう語っています。
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下町的な江戸趣味の濃い芥川家では、家族全員が文学や美術を好ん
だ。(中略)また、一家をあげて一中節を習い、芝居を観に出かけ
るなどしている。
(『新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介』p.6、1983.10刊)
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「一中節(いっちゅうぶし)」は、18世紀初期(江戸中期)に都太
夫一中を元祖として京、大坂で行なわれた浄瑠璃です。やがて江戸
に移りますが、後世の清元節や小唄などで上品な気分を表すときに
一中節の旋律を用いたそうです。明治時代になってからは、演奏者
も愛好者も多くはなかったようですが、温雅な京都趣味がインテリ
層の指示を受けて演奏の機会を持っていたようです。
芥川も、物心つくころからこのような芥川家の空気のなかで、自然
に、一中節や、芝居の中で語られる浄瑠璃とか清元などに、馴れ親
しんだことでしょう。
大正六年(1917)、25歳の芥川は、その前年7月に東京帝大英文科を
卒業し、同9月、『新小説』に「芋粥」を発表するという華やかな
作家としてのスタートを切っていました。7年に結婚する塚本文へ
も微笑ましいラブレターを贈るような心のゆとりのある生活の中で
、こんな作品を作っています。
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一中節 新曲 恋路の八景
(シテ)心なき身にもあはれはしみじみと (ツレ)たつな秋風面
影の何時か夢にも三井寺や入りあひつぐる鐘の声 (シテ)まづあ
れをばごらん ぜよ神代以来の恋の路 (ツレ)瀬田の夕照(せき
せう)いまここにぽ つと上気のしをらしさかざす屏風の袖さへも
女ごころの (三下り)花薄根ざしはかたき石山や (合ノ手)鳰
(にほ)のうきねの身ながらも (ナオス)あだに粟津のせいらん
とほんにせはしいころびねの (合ノ手シテツレ)あらしははれて
ひとしぐれぬれて逢ふ夜はねて唐崎の (コトウタ)松もとにふく
風ならで琴柱(ことぢ)におつる鴈がねは (ツレ)君が堅田の文
だよりああなんとせう帰帆(きはん)もしらできぬぎぬのはやき矢
ばせの起きわかれねみだれ髪のふじ額(びたひ)比良の暮雪(ぼせ
つ)をさながらにかわせどつきぬ初枕うるはしかりける次第なり
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近江八景の名所をちりばめた、なんとも色っぽい一中節です。これ
は、5月1日付け秦豊吉宛ての手紙にしたためられたものです。文
面には、さらに、
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論文をかき了って新曲をつくる愉味御高察下され度候この曲渋くし
て餘情ありまことに江戸趣味の極まれるものと存候御高覧の上は久
米(久米正雄)へも御序(おついで)の節御見せ下さる可く小生一
世一代の作と云ふばかりにてもその位の価値は可有之(これあるべ
し)と愚考仕候(つかまつりそうろう)
三伸「帰帆も知らで」は悪の如くに候へどこは文政頃より江戸にポ
ピュラアなる地口の一つに候へば用ひ候註釈まで
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などと、自信のほどを窺わせる表現が綴られています。
秦豊吉は、律儀にも久米正雄に見せたようです。『新潮』の大正6
年10月号に、「隠れたる一中節の天才」と題して久米正雄が芥川の
印象を語っています。
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……芥川は、何でも相応にやれる男である。妙なゴヤ的妖怪画も書
くし、露風よりうまい詩も作るし、茂吉張りの歌も詠むし、嘗ては
佐々木さんの門下となって、心の花へ「うき人は仄かなるかも、三
日月はかすかなるかも」と云ふやうな、旋頭歌の試作も掲げるし、
俳句は僕の一番弟子で、近吟に「青簾裏畠の花を仄かにす」と云ふ
駄句もあるし、本所で育って「大川の水」の匂ひを嗅いで来たゞけ
、泳ぎも五六町は出来るし、最後に特筆大書すべき事は、彼が隠れ
た一中節の天才で、嘗て聞きやう聞真似の節廻しを、思はず独りで
口誦んでゐた処、家の人々が教はってゐる宇治紫山に盗み聞きをさ
れ、先生から大いにお賞めに与り、正式に習ふことを薦められて困
ったそうである。僕も或る四畳半でたった一度拝聴したが、何さま
天才らしい呻り声だった。
(関口安義編『芥川龍之介研究資料集成』日本図書センター)
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久米正雄は、第一高等学校に入学した18歳の頃からの同級生で、長
い付き合いの間に芥川が見せた多彩な表情が、この一文から窺えま
す。芥川が斎藤茂吉の『赤光』によって万葉調の五七のリズムに開
眼したのは、『赤光』が発表された大正2年(1913)以降でしょう。
そうして、大正3年10月発行の『心の花』第18巻第10号には、「若
人」と題する旋頭歌体の歌12首が掲載されています。作品は、
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ほゝけたる花ふり落す大川楊(おほかはやなぎ)。
水にしも恋やするらむ大川楊。
香油よりつめたき雨にひたもぬれつゝ。
たそがれの銀座通をゆくは誰が子ぞ。
(『芥川龍之介全集』第9巻、p.416)
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といった、久米正雄の言う「試作」の域を出ないものですが、この
頃、既に芥川の体内には、自らの馴れ親しんだ七五調とは異なる、
五七調というリズムに対する創作意欲が芽生えていたと言っていい
でしょう。
それは約10年の時を経て、「越(こし)びと」25首という花を咲か
せ、さらには、「修辞学」という、宝石のような三行詩へと結晶し
たのです。
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ひたぶるに耳傾けよ。
空みつ大和言葉に
こもらへる箜篌の音ぞある。
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芥川は、「お伽噺の王女」を目覚めさせたかに見えました。しかし
、この詩を何度も読み返していると、「大和言葉」から奏でられる
はずの「箜篌」の音色が、まだ耳に届いていないもどかしさのよう
なものを感じます。五七調に篭められた古代の音律の不思議に辿り
着きながらも、「大力量の片歌の道守り」になれずして夭逝してし
まった芥川の死を、いまさらながらに悼みます。
(完)
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「修辞学」については、2002年3月頃発行予定の『芦屋ゼミ』第12
号に、拙稿「大和言葉と『箜篌の音』の響き―芥川龍之介の仕掛け
た修辞の罠―」を掲載します。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/234]
米山氏の、歌謡から見た芥川論が一応の完結を迎えました。近代が
産んだ作家の雄・芥川龍之介の中に、伝統的な歌謡の流れが脈打っ
ていることを教えてもらいました。これは、歌謡伝統の深さを証明
しているのではないでしょうか。氏の次のテーマに期待したいと思
います。
さて、先号でお知らせしたように、10月27・28日の両日、甲南大学
で日本歌謡学会の大会が開かれました。このマガジンの書き手の方
々も参加した、講演やシンポジウム、それに研究発表と、歌謡世界
の広がりを再確認した二日間でした。(編)
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▼ ご 注 意 ▼
このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら
に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
ていただくようお願いいたします。
各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者
のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから
引用される場合はその旨お記しください。
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