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■ 歌謡(うた)つれづれ−035 2001/09/20
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□□■ 金素雲『朝鮮民謡選』と日本の歌謡(4) ■□□
森山弘毅
金素雲訳の『朝鮮民謡選』(岩波文庫・昭和8年〈1933〉)に
ついての第四回めです。前回(7月12日)は金素雲の日本語訳の
いくつかが、彼が師とも敬愛する北原白秋の詩句と融け合うように
重なっていることについて触れました。今回は、もう少し広くこの
『朝鮮民謡選』を生み出した、あの時代の歌謡の流行との関わりに
ついて触れたいと思います。突然ですが、最初に次のような歌をあ
げてみます。
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○逢いたさ見たさに恐さを忘れ
暗い夜道をただひとり
逢いに来たのになぜ出て逢わぬ
いつも呼ぶ声忘れたか
いつも呼ぶ声忘れはせぬが
出るに出られぬ籠の鳥(千野かほる「籠の鳥」)
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お若い方にはなじみの薄い歌かも知れませんが、少し年配の方々は
よく親しまれた歌ですね。大正11、2年(1922、3)に大流
行した「籠の鳥」ですが、この歌が『山家鳥虫歌』の次の歌を原型
にしていることは、知る人ぞ知る、ところですね。
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○逢いたさ見たさは飛び立つ如く
籠の鳥かや恨めしや(198信濃)
○籠の鳥ではわしやござらねど
親が出さねば籠の鳥(199信濃)
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これには、類歌が各地方に伝えられていて、大正の新作「籠の鳥」
がこれだけを参考にしたとは即断できないのですが、作詞の千野か
ほるがこの元歌を熟知していたから生まれた歌であることは確かで
しょうね。大正末期の、時代のある閉塞感ともあいまって大流行し
たことがうかがえます。
大正から昭和初期にかけて、芸術座の松井須磨子の劇中歌(「カチ
ューシャの唄」など)や地方の新民謡の隆盛、「赤い鳥」の童謡運
動、それに新しい歌謡曲(「船頭小唄」「出船の港」等々)の流行
がレコード産業の勃興やラジオ放送の開始などと重なって、まさに
新しい「歌謡の時代」の様相を呈していたことは、もうご存知のと
おりですね。
作詞者たちが、この時代の波のなかで、ちょうど大正四年(191
5)にあい次いで刊行された有朋堂文庫『近代歌謡集』(7月)、
阿蘭陀書房刊『小唄』(10月)によく親しんで参考にしていたこ
とは十分想像されますね。この双方に『山家鳥虫歌』が収められて
いますから、詩人たちが時代の風を感じながらこの歌謡集に向かっ
ていたことが思われます。上の「籠の鳥」もその一つだったのです
ね。
次の歌もよく知られた歌です。
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○磯の鵜の鳥や 日暮れにゃかえる
波浮の港にゃ 夕やけ小やけ
あすの日和は
やれほんにさ なぎるやら
(野口雨情「波浮(はぶ)の港」第1節)
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この歌は大正13年(1924)に発表され、昭和3年(1928
)に日本ビクターがレコードを出して、大ヒットしたといわれてい
ます。この歌には「日暮れにゃ」とか「港にゃ」など「には」が「
にゃ」という拗音になって用いられていますが、こうした拗音化の
傾向は、この時代の創作歌謡の特徴的な口調といえそうです。「コ
ンときつねがなきゃせぬか」(「叱られて」大正9年)「波にゆら
れりゃお船はゆれるネ」(「木の葉のお船」大正13年)など文字
どおり枚挙にいとまがありません。
注意されるのは上の「鳥や」のように名詞までが「トーリャ」と拗
音化しているところです。これは上に引いた「籠の鳥」の『山家鳥
虫歌』にも「わしゃござらねど」にもありました。『山家鳥虫歌』
には他にも「これが立たりょか子を置いて」(321 紀伊)「夢
に浮き名は立ちゃせまい」(67 摂津)など多くの歌がこうした
拗音化した口調で歌われています。
大正・昭和の創作歌謡の詩人たちは、こうした近世庶民の声調に学
びながら「現在」の日常語の口調を、より身近な歌謡のためにとり
入れていたのですね。金素雲もまた、たとえば「その卵さえ/拾え
たら/今年の科挙が/通らりょに」(「科挙」)などのほか名詞に
も「塀を越すときゃ/犬めが吠えて/しきい越すときゃ/鶏が鳴く
」(「逢瀬」)のように、拗音をふんだんに用いています。
直接間接を問わず、金素雲も『山家鳥虫歌』現象(?)に(いま風
にいえば)ハマっていたということになりますし、創作歌謡の、時
代の波のただなかにいたということにもなりますね。実は、上に雨
情の「波浮の港」を引いたのには、もう一つ理由がありました。末
尾の「やれほんにさ なぎるやら」の部分に触れようと思ってのこ
とでした。この「なぎるやら」は、二番には「いるのやら」とも歌
われ、五番にはまた「なぎるやら」がくり返されて終っています。
こうしたリフレーンが、波間に揺れるような、この歌の心もとない
思いを伝えてくれているようです。こうした気分を歌って白秋もま
た「やら」を早くから用いています。
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○昼は旅して夜は夜で踊り
末はいづくで果てるやら (白秋「さすらいの唄」より)
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これは四連めの後半、歌の末尾です。大正6年(1917)芸術座
公演の「生ける屍」小唄として歌われ、翌年レコードにされたとい
います。文法的にいえば「やら」は不確かな思いを表わす終助詞で
すね。劇中歌とはいえ「末はいづくで果てるやら」と結ぶのは、見
通すことができない不確かな、この時代の向うを見やっているよう
な歌いぶりです。翌年には芸術座の島村抱月自身が「沈鐘」の劇中
歌を書いています。
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○どこからわたしゃ 来たのやら
いつまたどこへ かえるやら
咲いてはしぼむ 花じゃやら
むれてはあそぶ 小鳥やら
(島村抱月・楠山正雄「森の娘」より)
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大正7年9月公演、中山晋平の曲で歌われたといいます。三連ある
うちの第一連です。冒頭から「やら」が四行も続いています。明る
いところが一つもない、時代そのものの不安感が伝わってくる感じ
です。こうした表現もまた『山家鳥虫歌』から触発されていたとも
云えそうす。
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○半季女子(はんきをなご)に心を置きやれ
どこのいづくで語ろやら(106 摂津)
○花の盛りをこなたでしまふた
どこを盛りと暮(くら)そやら(37 大和)
○花は一枝折り手は二人
わしはどちらへ靡(なび)こやら(39 大和)
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『山家鳥虫歌』には「やら」を用いた歌がほかにも4、5首はあり
ます。上の歌にも「どこのいづくで」とか「どこを盛りと」とか「
わしはどちらへ」とか、行方定めぬ、不安げな揺れる思いが「やら
」を用いて歌われています。白秋・抱月・雨情らがこうした気分を
感じとって、「今」の時代の歌謡に生かしていったことは十分考え
られるところです。上に引いた「末はいづくで果てるやら」(白秋
)にも、「いつまたどこへかえるやら」(抱月)にもそのまま映っ
ているようです。
『朝鮮民謡選』にもいくつか「やら」を含んだ歌があります。
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○高い廊下で
帛(きぬ)織る人は
誰を殺そと
いうのやら
器量自慢も
ほどよう なされ
見えて行けぬは
なおつらい (「器量」・意訳謡1)
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日本の民謡なら、美女に向かって「さんこさんこと名は高けれど/
さんこさほどの器量じゃない」(島根県民謡)などと、わざと意地
悪く歌って美女の気を引こうとしたりする歌もあるのですが、この
歌は純情な歌ですね。手の届かぬ美女をただ見ているだけで「誰を
殺そと/いうのやら」と歌っています。「いうのやら」には、見向
きもしない女への、男のやるせない気分が歌われていますね。これ
は「やら」の効用といってよいでしょう。もう一つあげてみます。
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○あれを見たかよ
北?(ほくぼう)の山に
墓が殖(ふ)えたよ
また一つ
十万億土と
ようも 嘘ついた
死なば南山に
行くばかり
歌がひびくよ
葬い歌が
通る柩(ひつぎ)は
誰じゃやら (「北?歌(ほくぼうか)」・叙情謡)
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「北?山」は注に「墓地のある山」とあります。どんな時に歌う歌な
のでしょうか。悲しい響きの歌です。「人生の無常」を一般的に歌
っているとも思われません。「ようも 嘘ついた」の句には不本意
な思いがこもっているようです。そうであれば「誰じゃやら」の句
には、故郷ではないところで不本意な死を迎えた、どこの誰とも知
らぬ同胞への悼みが歌われているようにも伝わって来ます。
金素雲はこの詩句に、確かめるすべもなく自分の力ではどうしよう
もない思いを表わす語として「やら」を用いることを、白秋や抱月
、雨情の歌から、また『山家鳥虫歌』からも示唆を受けたのだと思
われます。「誰じゃやら」の響きには抱月の「花じゃやら」の口調
も映っていますね。『朝鮮民謡選』にはなお数首の「やら」を用い
た歌が含まれています。
金素雲『朝鮮民謡選』は、民族のながい歴史のなかで生まれた民謡
の日本語訳ですが、この翻訳は日本の創作歌謡の流行という新しい
流れの中でこそ生まれ得た、といえるように思います。それはまた
翻訳詩(謡)というものがその国の時代の風を受けざるを得ないと
いう事情をも伝えてくれているようにも思われます。紹介すべき歌
は多いのですが、今回はこれまでにして、次回担当の折もまた『朝
鮮民謡選』で・・・・。
【参考文献】
■『新版 日本流行歌史』上
(社会思想社・古茂田信男 矢沢寛 他)
■『白秋愛唱歌集』(岩波文庫・藤田圭雄 編)
■『山家鳥虫歌』(岩波文庫・浅野建二 校注)
■『田植草紙 山家鳥虫歌 鄙廼一曲 琉歌百控』
(岩波書店・新日本古典文学大系62)
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/230]
ここのところ、テレビはアメリカでのテロ事件のことを放映し続け
ています。その画面を見ていると、やるせない思いにとらわれるば
かりです。「自分の力ではどうしようもない思いを表わす語として
『やら』を用い」ながら、「どこの誰とも知らぬ同胞への悼み」を
うたっているという「あれを見たかよ……」のうたは、あまりに今
回の事件と符合するような気がします。歌謡が流行したという大正
から昭和初期は、苦難への序奏の時期でもありました。そのような
なかで、金素雲はどのような気持ちで、『朝鮮民謡集』の原稿に向
かっていたのでしょうか。(編)
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