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■ 歌謡(うた)つれづれ−034 2001/09/13
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□□■ 招霊供養歌考(1) ■□□
小田 和弘<odakazu@asahi.email.ne.jp>
今回からしばらくは呪歌または唱言(となえごと)、特に死者に向け
て掛けられる場合について考えてみたいと思います。文学において
は『万葉集』にみえる挽歌や『古今集』の哀傷歌、あるいは記紀の
倭建命の葬歌がすぐに連想されるかもしれませんが、上代の場合に
ついてはひとまず置いて、後代のものをとりあげることにします。
中世から近世における伝承文学のなかに、墓前で歌をよむと亡霊が
立ち現れる場面がみられます。東北地方に伝承されていた奥浄瑠璃
のひとつ『小幸物語』の五段目では、小幸(梅津の少将重成の次男
重定)が、彼に恋焦がれて死んだ幾代の姫を供養するため、墓所を
訪れる場面があります。
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▼△▼ 『小幸物語』五段目 ▼△▼
扨、金剛寺玄徳法印導師ニ頼ミ、一家一門残なく石塔に打向へ、泪
を流し念仏能に弔ひ給へける
小幸殿、姫の石塔に打向へ、泪を流し花を立、香を盛り、
南無阿弥陀仏、幾代姫とんしやう菩提とゑこふして、一首の歌に斯
斗り
死出の山三つの川にせきすへて小さじといふて帰れ此君
斯詠給へハ、不思議や、小松の影より、幾代の姫、白装速にひたへ
付、さも哀成姿ニて、うツヽの如く顕れ出給ふ
(坂口弘之編『奥浄瑠璃集 翻刻と解題』)
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念仏能という仏教的な死者供養の儀礼において、石塔の前で小幸が
よんだ歌には三途の川といった仏教的世界観が描かれています。そ
して、下の句の「小さじ」では「越さじ」と「小幸」が掛けられ、姫に再
びこの世に「帰れ」と頼んでいます。すると、姫の亡霊が顕れて、想
いを語ることとなります。小松の影からあらわれることにも意味が
あるのですが、それは後述するとして、まず、歌を契機として亡霊
が出現するということを押さえておきたいと思います。
さらに、浄瑠璃物語諸本のひとつ『しやうるり御せん物語』では、
浄瑠璃姫の廟所を訪れた義経と姫の亡霊とのやりとりがみえます。
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▼△▼ 「しやうるりこせんのさいこ」 ▼△▼
御さうしは、<中略>なきひとに、一しゆのうたをかけられける
われゆへに、よしなきつみの、あわとなり
きへうするこそ、あはれなりけり
と、あそはせは、ひやうしよの、うちよりも、へんかにかくこそ、
あそはしける
かりそめに、ちきりしひとは、けふはきて
こけのしたまて、とふそうれしき
とあそはして、かきけすやうにそ、うせにける
(『しやうるり御せん物語』 森武之助『浄瑠璃物語研究』)
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義経が廟所に向かけて歌をかけると浄瑠璃姫の亡霊が出現し、供養
に感謝する歌を返して消え去ってしまう。この場面でもやはり墓前
で歌をかけることが亡霊出現の契機になっています。この場合、さ
らに姫の亡霊も歌で応えるといった、歌問答の形であるところが注
目されます。
同じく浄瑠璃物語諸本のひとつである絵巻『上瑠璃』では、浄瑠璃
姫の四十九日の法要に際して、義経が浄瑠璃姫の五輪石塔のもとを
訪れて供養する場面となっています。
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▼△▼ 「五りんくたき」 ▼△▼
そのゝちに上るり御せんの、ゑかうのためとて、一しゆはかう
そ、あそはしける
いにしへの、こひしき人の、はかにきて、
みるよりはやく、ぬるゝそでかな
と、あそはし給へは、御はかところと、おほしくて、やかて、へん
かに、かくはかり
ぬるゝとも、そなたのそては、あれはみる
たゝくちはつる、身こそつらけれ
(絵巻『上瑠璃』 森武之助『浄瑠璃物語研究』)
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以下、4回八首の歌問答が繰り返されると、五輪石塔が砕け飛び、
義経はその奇瑞に姫の成仏を確信することとなります。
この場合では、義経の歌によって姫の亡霊が姿を現すことはないの
ですが、墓所のあたりから返歌の声が聞こえてきます。これは姫の
亡霊が歌をもって義経に想いを訴えているのであり、このことは、
義経が歌を塔婆や短冊に書くのではなく、声に出して詠まれた、ま
たはうたわれたことを示しています。声に出してうたわれたが故に
、それを聞いた亡霊が歌を返すこととなると考えられます。
これらの事例は、物語の終盤において死に別れた恋人と邂逅する悲
しくも感動的な場面であり、そこでは抒情性の高い「歌」による表現
が相応しいとする文芸的な手法の問題としてとらえてもよいでしょ
う。しかし、これら伝承文学においては基盤にある民俗・民間信仰
などをふまえた受容・伝承のあり方から考える必要もあります。そ
して上記の例における発想・表現についていうならば、墓前におけ
る亡霊との交流が歌によってなされているということであり、その
背景・基盤とはどのようなものかという問題があります。
結論だけいえば、この発想・表現の背景には日本各地において行な
われていた死者供養の様々な儀礼と、そこで用いられる呪歌・唱言
があるということです。しかしこのことは具体的な例をもって、そ
の関わり方を示す必要があります。
そこで、次回から、死者供養の儀礼の具体例を挙げて上の問題につ
いて検討したいと思います。
〈引用・参考文献〉
□坂口弘之編『奥浄瑠璃集 翻刻と解題』 和泉書院 1994.
□森武之助『浄瑠璃物語研究』 井上書房 1962.
□小田和弘「招霊の呪歌―絵巻『上瑠璃』「五りんくたき」の歌を
中心として―」『日本歌謡研究』第40号 日本歌謡学会 2000.
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/230]
それにしても、死者への呼びかけが、なぜうたなのでしょうか。う
たはこの世において人と人を結びつけるメディアだと、私たちはふ
つう考えていますが、今回のような例では、私たちが生活する世界
の外へ働きかけを見ることができます。この世の言葉が届かない死
者の世界に鳴り響くうた。うた表現の一側面が、この辺に典型的に
現れているような気がします。(編)
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