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■ 歌謡(うた)つれづれ−032 2001/08/30
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□□■芥川龍之介の実験
― 古代歌謡へのアプローチ ―(4)■□□
米山 敬子
■ 「今様」の中に眠れる王女 ■
大正10年(1921)5月30日、中国の長沙から与謝野寛と晶子に宛てた
絵葉書に、29歳の芥川はこんな歌をしたためています。
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しらべかなしき蛇皮線に
小翠花(セウスヰホア)は歌ひけり
耳環は金にゆらげども
君に似ざるを如何にせむ
(『芥川龍之介全集』第11巻、P.155)
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そして、そのあとに、「コレハ新体今様デアリマス長江洞庭ノ船ノ
中ハコンナモノヲ作ラシメル程ソレホド退屈ダトオ思ヒ下サイ」と
記しています。この歌は、大正12年9月発行の『明星』に、「洞庭
舟中」と題して掲載されました。
「今様」は、この「歌謡(うた)つれづれ」で既に何度も登場してい
ますので、改めては解説しませんが、基本のリズムが七五調だとい
うことを思い出してください。そして、この七五のリズムが現代の
歌謡曲においても結構頻繁に用いられる、馴染みのリズムだという
ことも、「歌謡つれづれ−011 2001/03/22」の佐々木聖佳氏の記述
にあるとおりです。
馴染みのリズムだというのは、どうも芥川も同じだったようで、こ
れまでに紹介した「旋頭歌」や「催馬楽」のように五七を基本のリ
ズムとする歌謡に比べて、肩の力が抜けていて、比較的リラックス
して制作しているような感じが伝わってきます。というのも、友人
宛ての書簡中に書かれたものがいくつか拾いだせるからです。
同じ大正10年9月20日、時事新報社の佐々木茂索宛書簡には、次の
ような今様体の歌を末尾の方に記しています。
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西の田のもにふる時雨
東に澄める町のそら
二つ心のすべなさは
人間のみと思ひきや (『全集』第11巻、P.173)
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これは、「今日連日の雨晴れ」(ここ数日の日照り雨)を怨んでの
言らしく、歌の後には、「これは三十男が断腸の思を托せるものな
り 一唱三嘆せられたし」とおどけています。
また、大正11年8月21日の渡辺庫輔宛書簡には、
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ひとり遊びにめづるもの
ただ漢国のはにの壷
〔漢国の右横に「高麗〈カウライ?〉
(ハッキリオボエズ)」と書込みあり〕
ふぢををさむとおもへども
藤もなきこそせんなけれ
これは一燈上人の今様なり近代のひとのやうだろ
(『全集』第11巻、P247)
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と、自身の制作だけでなく古い今様を探していたらしい様子が見え
ています。
そうして、大正14年(1925)4月17日に修善寺から室生犀星に宛てた
書簡の中には、
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嘆きはよしやつきずとも
君につたへむすべもがな。
越(こし)のやまかぜふき晴るる
あまつそらには雲もなし。
また立ちかへる水無月の
嘆きをたれにかたるべき
沙羅のみづ枝に花さけば、
かなしき人の目ぞ見ゆる。 (『全集』第11巻、P.371−2)
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という二篇の詩を示して、「但し誰にも見せぬやうに願上候(きま
り悪ければ)尤も君の奥さんにだけはちよつと見てもらひたい気も
あり。感心しさうだつたら御見せ下され度候。」と、但し書きをし
ています。
ところが、このように言いながら4月29日、小穴隆一宛書簡に、「
又今様を作つて曰く、」として、第一篇を送っています。
実はこの今様、第一篇だけなら単なる挨拶の歌のようですが、二篇
並べてみると、「『旋頭歌』の中に眠れる王女」で紹介した、「越
(こし)びと」という作品と重なるものと思われます。「越のやま
かぜ」「かなしき人(身にしみていとおしい人)」という句が、そ
のことを連想させます。
また、室生犀星は、芥川が大正13年夏に軽井沢の鶴屋に滞在してい
た間の一時期、彼と同宿しており、「越びと」に対する芥川の想い
を感じ取っていたのでしょう。そんな犀星にだから、芥川は、二篇
連作の形で書き送ったものと考えられます。
さて、この二篇の内、特に意味深い第二篇は、芥川の詩歌を集めた
「詩歌二」(生前未発表と思われる作品を収録したもの)の中に、
「相聞」と題して載せられていますが、「詩歌二」には、「沙羅の
花」の題でもう一篇、とてもよく似た歌があります。
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沙羅のみづ枝に花さけば
うつつにあらぬ薄明り
消(け)なば消(け)ぬべきなか空に
かなしきひとの眼ぞ見ゆる (『全集』第9巻、P.462)
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「澄江堂雑詠」(『文芸日本』大正14年4月)には、こんな今様体
の二篇があります。
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恋人ぶり(相聞 二)
風に舞ひたるきぬ笠の(すげ笠の)
なにかは道におちざらむ。
わが名はいかで惜しむべき。
惜しむは君が名のみとよ。
同上(相聞 一)
あひ見ざりせばなかなかに
空にわすれてすぎむとや(やまんとや)。
野べのけむりもひとすじに
命を守(も)るは(立ちての後は)かなしとよ。
(『全集』第9巻、P.444。( )内は普及版)
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この二篇は、普及版全集(昭和10年発行)では「相聞 二」「相聞
一」と題されており、先の「相聞」は「相聞 三」とあったよう
です。そして、「或阿呆の一生」三十七「越し人」には、
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彼は彼と才力の上にも格闘出来る女に遭遇した。が、「越し人」等
の抒情詩を作り、僅かにこの危機を脱出した。それは何か木の幹に
凍(こご)つた、かがやかしい雪を落すやうに切ない心もちのする
ものだつた。
風に舞ひたるすげ笠の
何かは道に落ちざらん
わが名はいかで惜しむべき
惜しむは君が名のみとよ。 (『全集』第9巻、P.329)
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と記されています。
旋頭歌「越し人」誕生の裏には、今様体の相聞歌の連鎖があったと
いえそうです。
芥川の詩歌作品の中には、かなりの数の今様体の歌が見いだせます
。また、「新今様」ということばも気に入っていたらしく、先にも
紹介したように、時折用いています。もうひとつ、
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新今様
人を仏とあがむれば
豆の畑に茨(いばら)生ひ
粟の畑に薊(あざみ)生ひ
赤子は背むしと生(うま)るべし
凡夫のめづるみ仏は
円光まどかにかけ給ふ
おきなのめづるみ仏は
柏の餅をくひ給ふ
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「新」と言いながら、なんだか『梁塵秘抄』にありそうですね。こ
んなのもありました。
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暁
「ひとの音せぬ暁に
ほのかに夢に見え給ふ」
仏のみかは君もまた
「うつつならぬぞあはれなる」
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ちゃんと「 」つきです。
芥川の体内にある言葉のリズムは、七五を基調としていたようです
が、「眠れる王女」探索の結果として彼が見いだしたリズムは、ど
うやら五七調だったようです。次回はそのあたりのことを考察して
、最終回としたいと思います。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/226]
歌謡のなかでも、特に今様と呼ばれる歌は独特の魅力を秘めており
、それが近現代の文学者たちの心をとらえてきました。米山氏は、
芥川作の今様歌を読み続けながら、「肩の力が抜けていて、比較的
リラックスして制作している」と、芥川の制作態度について述べて
いますが、ここら辺に今様歌の魅力の一つがありそうに、編集子に
は思われました。(編)
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つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
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