『歌謡(うた)つれづれ』030
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■    歌謡(うた)つれづれ−030 2001/08/12 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■    ★ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。★ ************************************************************ □□■ 占いの言葉、占いの歌謡 ■□□   佐々木 聖佳 ■ 瓢箪山の辻占 ■ 近畿日本鉄道の難波と奈良とを結ぶ大阪線に、瓢箪山という駅があ ることをご存じでしょうか。普通電車しかとまらない小さな駅です 。この瓢箪山に、辻占(つじうら)で有名な、瓢箪山稲荷がありま す。実は、この河内と大和の境に位置する生駒山の辺り−石切駅か ら瓢箪山にかけての界隈−は、商売、結婚、受験、病気などいろん な悩みを抱えた人の集う、占いの聖地なのです。 瓢箪山には東高野街道が通っており、この街道に面した「巫女の辻 」に、石の「占場」があります。黄昏時にこの辻に立ち、最初に通 った人の語った言葉や姿、性別、年齢、持ち物、連れの有無などを 、瓢箪山稲荷の宮司に報告し、託宣を受けるのです。 例えば、こんな話が伝わっています。ある人がどんな商売をしよう かと悩んで、辻に立ったところ、向こうから乞食がやって来て「腹 減った」と言うのを聞いたそうです。その時の宮司の託宣は、「ぜ いたくなものでなく、誰でも立って食べられるものを商いなさい」 というものでした。それで、大阪道頓堀の戎橋に寿司屋を開いて大 当たりした、というのです。 今も、やきぬき、おみくじ、あぶりだしの三枚セットの「読み辻占 」を売っています。機会があれば、一度訪れてください。 ■ 辻占、夕占、橋占 ■ 辻占の歴史をたどると、遠く、『万葉集』に、 ************************************************************  言霊の八十のちまたに夕占(ゆうけ)問ふ  占(うら)正(まさ)に告(の)る妹は相ひ寄らむ   (巻十一、二五〇六) ************************************************************ のように「夕占」をよんだ歌がみられます。日が暮れかかって通行 人の顔がはっきりみえなくなる夕方に行われた辻占を夕占といいま した。『二中暦』には、「ふなとさへ夕占の神に物問はば道行く人 よ占正にせよ」という歌を三度唱え、区域を区切って米をまき、櫛 の歯を三度鳴らして、そこに来る人や住んでいる人の言葉を聞いて 、吉凶を占ったという、作法が記されています。 また、陰陽道では、「行く人の四辻のうらの言の葉にうらかたしら せ辻うらの神」の呪歌を三回唱えた後、通行人の話のやりとりを、 それとなく聞いて、自分のことにあてはめて占います。この時、通 行人は二人までやりすごし、三人目で、二人以上が連れ立って話し ながら歩いている者を選ぶのが正式な作法だということです。 『大鏡』では、藤原兼家の娘、超子が若いとき、京の二条大路で夕 占をし、老婆から、「何事も思っていることが叶って、この大路よ りも広く長く栄えますぞ」と声をかけられたというくだりがありま す。超子は後に天皇の母となりました。 橋で行った辻占を橋占といいます。橋占で有名なのは、京都の一条 戻橋です。安倍清明が橋の下に、式神(占いや祈祷の時に使役する 神)を置き、これに吉凶の橋占を尋ねると、人の口に移って善悪を 示したといわれています。また、『源平盛衰記』には、平清盛の妻 、二位殿が、建礼門院の難産にあたって、この橋のたもとで橋占を 問うたところ、十四、五歳の十二人の童子が、西から東へ走り、手 を叩きながら、 ************************************************************  榻(しじ)は何榻、国王榻、八重の塩路の波の寄せ榻 ************************************************************ と四、五回歌って橋をわたり、飛ぶように消えてしまいました。二 位殿が帰って、平時忠に話したところ、「国王榻」というのだから 王子が誕生するという占いだと判じたということです。また、後に この王子、後の安徳天皇が幼くして壇ノ浦に沈む運命にあることを 考えあわせると「八重の塩路の波の寄せ榻」という言葉の意味もわ かってくる、と記されています(巻十、中宮御産事)。 ■ 辻占の言葉と童謡 ■ 辻占(夕占、橋占)では、通りすがりの通行人の何げない会話の断 片(時には、歌謡)が、人ならぬ存在の託宣として重要な意味をも っています。言葉そのものは、会話の断片ですから、不完全な、ど うとでもとれるようなものでしょう。『源平盛衰記』の歌謡も、様 々な解釈のできる曖昧な歌です。占いたい人に吉凶の判断を告げる 役割の者が、これらの言葉に意味を与えるのです。そう考えてくる と、古代の童謡(わざうた)と似ているなあと思います。 童謡というのは重大事件を予兆した歌謡のことなのですが、時の人 がその予兆を流行歌の中の言葉に見いだすのです。例えば、法隆寺 の火災を予兆したとされる『日本書紀』の童謡はこういうものです ************************************************************  打橋の頭(つめ)の遊びに出でませ子、           玉手の家の八重子の刀自  出でましの悔いはあらじぞ、出でませ子、           玉手の家の八重子の刀自 ************************************************************ (打橋のたもとの歌垣の遊びに出てらっしゃいよ、玉手のお屋敷の 八重子の奥さん、出てお出でになって後悔はないですよ、玉手のお 屋敷の八重子の奥さん) 土橋寛氏は、この歌は歌垣に女性を誘う歌垣の歌で、童謡としての 意味は「出でませ子」の句だけにあり、法隆寺が火事になるから、 早く出なさいという意味をこの句に見いだし、「童謡」としたのだ という洞察をされています(『古代歌謡全注釈 日本書紀編』)。 童謡の場合は、予兆の言葉が、リズムのある韻文であることと流行 したということで特別な呪力をもった歌謡の形であらわれます。辻 占の場合は、辻や橋という境界で、魔に出会うとされる夕方、米を まくとか歌を歌うといった呪法を行なったところで語られた断片的 な言葉に、将来を予見する不思議な力があるのです。いずれにしろ 言葉は単なる情報伝達の道具ではないと考える文化が存在するわけ で、そこに文学として研究する意味もあると思います。 ************************************************************ ▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/226] 読者の皆様、暑中お見舞い申し上げます。 さて、編集子もかねてから「瓢箪山」および石切神社のあたりが気 になっておりましたが、こんな興味深い場所なのですね。やはり一 度行ってみなくては。童謡と辻占の関係については、上で引用して いる土橋寛も触れていて、編集子も考察したことがあるのですが、 そういった信仰が特定の場所にこのようなかたちでまだ生きている ことが驚きです。人は自分ではどうしようもない問題を抱えたとき 、この世を超える力を呼び込もうとするのでしょうか。そうであれ ば、現在の日本では、生駒山は賑わっているのてしょうね。そうい えば、童謡(わざうた)らしき歌声がどこからともなく聞こえてくる ような気もします。(編) ************************************************************ ▼ ご 注 意 ▼ このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ ていただくようお願いいたします。 各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者 のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから 引用される場合はその旨お記しください。 また、内容についてのお問い合わせは、執筆担当のアドレスにお願 いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに 返信すれば編集係にまず届き、次に執筆担当者に伝えられます。そ れへの返答は逆の経路をたどりますので、ご返事するまでに若干時 間がかかります。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ □電子メールマガジン:「歌謡(うた)つれづれ」 □まぐまぐID:0000054703 □発行人:歌謡研究会 □E-Mail:suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp(末次 智、編集係) □Home Page: http://web.kyoto-inet.or.jp/people/suesato/ ■ ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です ■ ※また、歌謡研究会の例会案内・消息、会誌『歌謡 ― 研究と ■ 資料 ― 』バックナンバーの目次も、ここで見ることができ ■ ます。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



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