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■ 歌謡(うた)つれづれ−027 2001/07/13
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□□■ 金素雲『朝鮮民謡選』と日本の歌謡(3) ■□□
森山 弘毅
金素雲訳の『朝鮮民謡選』(岩波文庫・昭和8年〈1933〉)に
ついての第三回めです。前回(5月3日)、前々回(2月22日)
に引き続いてのものです。ご参照下さい。
金素雲が朝鮮民謡を日本語に翻訳するにあたって、『閑吟集』(1
518)や『山家鳥虫歌』(1772)など日本の中世・近世歌謡
の伝統的発想や口調・口吻をさりげなく生かしながら、見事な日本
語の民謡に移していることを、前回までにみて来ました。今回は少
し違った視点からみていくことにします。
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○ ぬしをたずねて
青楼(いろざと)ゆけば
番(つが)い蝶々(ちょうちょ)が出て迎う
(双蝶〈慶尚南道〉・意訳謡2)
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この歌の末尾には「遊女を蝶に見立てて」と注が付いています。「
意訳謡2」というのは、この歌のように日本の近世調歌謡(七七七
五)のリズムにととのえられた短い歌だけで編まれています。この
歌の「ぬし」というのは、女から男への、親密で、しかも敬意のこ
もった呼称で、夫や恋人など女にとっての「いい人」にあたります
。この歌では、その「いい人」が女のもとから消え去ったのでしょ
うか。ひょっとして、色街に誘いこまれ迷い入ったのかと、「私」
がたずねて歩くと遊女たちが連れだって、まるで「私」を迎えるよ
うだ、というのでしょう。勿論「ぬし」は探せないままです。「ぬ
しをたずねて」途方にくれている女の戸惑いのようなものが伝わっ
て来ます。
この「ぬし」という呼称がちょっと注意されるところです。『山家
鳥虫歌』には、この種の、女から男への親密な呼び方が多様に用い
られています。「殿」「殿御(とのご)」「様(さま)」「こなた
」「君」などですが、ここにいう「ぬし」というのは見当たりませ
ん。金素雲は「さまにもろうた/半幅じゃないか」(前回引いた歌
です。参照されたし。)のように「さま」を何度も用いていますが
、「恋し殿御を/夢路で逢うて」(「夢路」・意訳謡2)など「殿
御(とのご)」も、少ないですが用いています。これは「コイシト
ノゴヲ」(七音)のように「さま」では五七のリズムにしにくい場
合に限っているようです。
『山家鳥虫歌』をよく読んで参考にしていたと思われる金素雲(前
回参照)ですが、そこでは使われていない「ぬし」を彼はどこから
ヒントを得たのでしょうか。次のような白秋の歌が気になるところ
です。
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○ お茶は清水へ、お月さんは山へ
わたしゃ蜜柑(みかん)の、
ぬしと蜜柑の 花かげへ (北原白秋「ちゃっきり節」)
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ご存知「ちゃっきり節」は白秋作詩、町田博三(嘉章)作曲の静岡
の「新民謡」。昭和3年(1928)に『週刊朝日』に発表され、
昭和6年(1931)にはビクターから市丸が歌ってレコードが出
ています。上に引いたのは全17連(当初は24連だった)のうち
の一連です。「ぬしと蜜柑の 花かげへ」とあって、男女の風景が
ほほ笑ましくも明るく描かれています。ひょっとして、金素雲は白
秋の「ぬし」の句に惹かれて「ぬしをたずねて」の句に用いたので
はないか、と思われます。この一例では心細いので、もう一つあげ
てみます。
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○ 前の江(かわ)には
片帆(かたほ)が見える
後(うしろ)の江には
真帆(まほ)の舟。
片帆揚げたは
漁(いさ)りの舟よ
真帆で来るのは
ぬしの舟。 (真帆片帆〈京幾道〉・意訳謡1)
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「真帆」は風を満帆にして、順風を受けて走ること。「ぬしの舟」
はまっしぐらに「私」に向かって来ているのでしょう。愛しい男が
帆に風をはらませて近づいてくる様子が、女の浮き立つ期待感をも
はらんで歌われているようですね。この「ぬしの舟」が、白秋にも
歌われているのです。
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○ 舟はゆくゆく通り矢のはなを
濡れて帆あげたぬしの舟 (北原白秋「城ヶ島の雨」)
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これもご存知「城ヶ島の雨」の第三節めの詩句。初出は大正2年(
1913)『処女』誌、大正6年(1917)には奥田良三が歌っ
てレコード化され、この歌はひろく知られるようになった、といい
ます。「濡れて帆あげたぬしの舟」は、その前節「雨は真珠か、夜
明の霧か/それともわたしの忍び泣き」に続くもので、「濡れて」
いるのは、「わたしの忍び泣き」とも映り合っているようです。「
ぬしの舟」は遠く離れて行って、金素雲の「真帆で来るのは/ぬし
の舟」とは、女の思いは対照的なのですが、女が向ける視線のかな
たの「ぬしの舟」の景は、同じですね。金素雲は「ぬし」という単
語だけでなく、「ぬしの舟」という一句にも白秋に惹かれて、わが
訳詩のなかへ引いたのだ、と思われます。
この「ぬしの舟」の句が白秋詩との偶然の一致ではなかったろう
と思われるのは、次の歌でも伝わってきます。
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○ 宵の明星も
もう山越えた
灯り消さぬか
お寝(よ)らぬか。
明日の機(はた)には
かけねばならず
寝ては紡げぬ
糸ぐるま (夜なべ〈慶尚南道〉・意訳謡1)
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二連が対話するように唱和の形になっているようです。前段の「お
寝(よ)らぬか」の句には聞き覚えもあるでしょうか。次の白秋の
歌とすぐ結びつきますね。
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○ ちんちん千鳥よ、お寝(よ)らぬか、
お寝らぬか、
夜明けの明星が早や白む、
早や白む。 (北原白秋「ちんちん千鳥」)
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大正10年(1921)『赤い鳥』に掲載され、同年近衛秀麿が作
曲、昭和3年(1928)に曲譜を添えて出版されています。四連
の最終連がこれです。この「お寝(よ)らぬか」は、日常の口語で
は使わない言葉ですから、この句は、耳にした時からすぐ心にとま
ります。「御夜(およる)」の女房詞から出た言葉といわれ、敬意
がこもりますね。
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○ 音もせいで お寝(よ)れ お寝れ
烏は月に鳴き候(そろ)ぞ (『閑吟集』227)
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「お寝(よ)る」を歌謡でさかのぼれば、やはり『閑吟集』にたど
りつきます。「まだ夜半ですから、静かにお寝み下さい」と起き出
そうとする男を帰さずに引きとめている風情の歌です(この歌も第
一回めに引きました。ご参照あれ)。金素雲もこの歌を知っていた
のでしょうが、「夜なべ」の「お寝(よ)らぬか」の一句は、やは
り白秋がこの句を「現代」に甦らせた「ちんちん千鳥」の「お寝(
よ)らぬか」の句がそっくり映ったもの、と考えた方が自然ですね
。白秋詩とは「宵」と「夜明け」のちがいはありますが、「明星」
が共通の仕掛けになっているところなど、金素雲の白秋への思いが
推しはかられます。
金素雲が、この岩波文庫版『朝鮮民謡選』を出すきっかけになった
のは、白秋の肝入りで昭和4年(1929)『朝鮮民謡集』を出版
したことでした。このことは第一回め(2月22日)に記しました
。白秋は、金素雲の日本語訳の草稿を見た時から絶讃し、序文まで
書いたのでした。白秋は、金素雲にとって文字どおりの、敬愛して
やまない師だったといえるでしょう。白秋が金素雲の深い理解者で
あったのは勿論ですが、何より金素雲の方が詩人としての白秋に強
く惹かれていたことは確かなことですね。草稿を携えて門を敲いた
のが、ほかならぬ白秋であったことがそのことを何より物語ってい
るように思われます。
「ぬしの舟」「お寝(よ)らぬか」の詩句も、金素雲の詩心が、日
頃愛読し、あるいはレコードで親しんでいた白秋の詩に融け合うよ
うに、自然に重なっていったもの、といえそうですね。最後にもう
一つ。
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○ 姑(しゅうと)死ぬよに
願かけしたに
里のおふくろ
死んだそな (姑死ぬよに〈慶尚南道〉・意訳謡2)
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ちょっとユーモラスで、それでいて悲しくなるような、この味わ
いは、白秋の次の歌を思わせるものがあります。
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○ あの子もたうとう死んだそな
嫁とり前じゃに、なんだんべ。
蕪畑(かぶらばたけ)にゃ鰯(いわし)がはねる。
お墓まゐりでもしてやろか。
(北原白秋「あの子この子」)
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「鰯」は「肥料」だそうです。これは大正11年(1921)に発
表されたもので、翌年民謡集『日本の笛』(1922)に収められ
ました。作曲は平井康三郎。ここでも「死んだそな」の句が金素雲
の訳と重なっています。この句にこもるペーソスが金素雲の「里の
おふくろ/死んだそな」のフレーズに映り合っているように思われ
ます。「ぬしの舟」「お寝(よ)らぬか」の句とともに、ここでも
白秋が乗り移っているようですね。では、次回担当も、もう少し『
朝鮮民謡選』を・・・・・。
参考文献
『白秋愛唱歌集』(岩波文庫・藤田圭雄編)
『閑吟集』については、5月3日の「参考文献」を参照のこと。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/218]
素雲が訳語に用いた「ぬし」という語は、一見すると違和感がない
のですが、『山家鳥虫歌』のうたとのたんねんな比較から、それが
じつは異例であることを森山氏は浮かび上がらせます。さらにそれ
が、敬愛する白秋のうたへの深い共感に基づく用例であることが示
されます。「白秋の詩に融け合うように、自然に重なっていった」
という森山氏の表現は、うたを通した両者のコミュニケーションを
見事に示しているように思われました。
前号の配信からすこし日にちがあきましたのは、編集子の早とちり
により、一週間に二回配信してしまったせいです。ご容赦下さい。
(編)
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▼ ご 注 意 ▼
このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら
に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
ていただくようお願いいたします。
各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者
のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから
引用される場合はその旨お記しください。
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いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに
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