■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■
■ 歌謡(うた)つれづれ−025 2001/06/25
■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
※まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。※
*******************************************************
□□■ 天神林のこと(1) ■□□
宮崎 隆〈fwic7430@mb.infoweb.ne.jp〉
新潟県に今でも掛け合いの唄があるようだよ、と知人から聞いたの
は、もう4年前のことになるのです。その知人に便りを書いた新潟
県刈羽郡小国町の大久保茂さんから以下のような葉書をもらってい
た。
私がはじめて聞いたのは、10/12で、つれあいの亡祖父の三十
三回忌の席でした。5、60人の座で、宴の皮きりと締めくくりに
必ず唄われると後で知りました。はじめの唄は、朗々とひとりの初
老が唄い、相の手を廻りの者が入れてたようです。最後の唄では、
左右に分かれ座った者たちが、左が唄えば、それを受けて右の者が
唄うという型でした。何を唄っているのか、文句は私には分かりま
せんでしたが、あまりにもその唄が気持ちよかったので印象に残り
ました。
その伝承地、新潟県中魚沼郡川西町小白倉地区を訪ねたのは、98
年6月のことでした。三十三回忌(この地方では「お祝いごと」でも
あるとか)江口定之氏宅に、知り合ったばかりの大久保茂さんと、保
存会の鈴木義一さんが同席してくれて、その唄「天神林」について
、いろいろうかがうことができたのです。
************************************************************
目出度いものは 大根種 大根種 7/5/5
花が咲き揃うて 実れば 俵重なる 8/4/7
咲き揃うて実れば 俵重なる 9/7
天神ばやしの 梅の花 梅の花 8/5/5
一枝手折(たお)めて 笠にさそ 笠にさそ 8/5/5
笠にさそより 島や崎 女郎の手にある 7/5/8
************************************************************
これは、後日手に入れた「川西町天神ばやし保存会」の印刷物から
書き出したものですが、第一句の部分を音頭とりが独唱し、後は手
拍子だけで、みんなで斉唱するのです。大久保さんのお便りの中に
ある「しめ」の左右に分かれての掛け合いの実際は、触れ得べくも
なかったのですが、すぐに旧南部藩の「御祝い」(おゆわい/ごいわ
い)を連想してしまいました。いつかテレビで観たのは、なんと男性
が謡曲をうなり、女性は「さんさしぐれ」を斉唱していましたが、
多分、古い時代には、お祝いの席で、このような唄の競演斉唱が日
本の各地で行われていたのでしょう。
小白倉地区では、なぜか上記の二節のみしか唄わないそうですが、
保存会では13節を掲載しています。また、鈴木氏は他に10節を
収集されていました。そして、白倉では、170年くらいは唄い続
けて来たのだということでした。ところが、この唄も、そろそろ終
焉を迎えているようで、今のうちに調べておかないと分からなくな
ってしまいそうなのです。で、いささか紹介がてら皆様と考えてい
きたいと思うのです。
この川西町や隣りの十日町市あたりを古くから“妻有(つまり)郷"と
いうそうです。なにかロマンチックな名称ですが、『妻有の民俗芸
能』(昭和46年10月、郷土史料調査研究会)という資料によると、「
天神林」は、天保6(1835)年の『中古雑唱集』にも同じような詩型
を探れる古い唄で、400年くらいの歴史があるものだというので、驚
いてしまいます。
************************************************************
めでたきものは そばの花 7/5
花咲き実なりて みかどとなるぞ うれしき 8/7/4
************************************************************
そして、この地方の宴席では、「天神林」の斉唱によって始まり、
その音頭を取ることを「コエチラカシ」と称するそうです。「肥え
」と「声」の掛詞に笑ってしまいますが、別名「田打ち歌」ともい
うと聞きますと、元は労作唄であった可能性も濃厚に見えてきます
。
今、「天神林」とこの資料通りに使っていますが、各地で「天神囃
し」などと書かれたりするのですが、「天神ばやし」とするのが妥
当ではないかと、川西町在住の上村政基先生からご指摘がありまし
た。ただ、わたしなどは、ほとんどが「めでたきものは」と歌い出
すのに、「大根種」とか、「芋の種」とか言わず、「天神ばやし」
とか、「テホジバヤシ」とか、「オ−ナリ」とか呼ばれるのが不思
議なので、しばらく、この資料の表記に従っておきます。
上村政基先生によりますと、もうこの唄をちゃんと歌える人がいな
くなったのでは、とおっしゃっています。まず、歌い出しを先行で
きる音頭取りが減ってしまい、微妙な節まわしと、声の高低が揃わ
ない。合唱は出来ても、自分ひとりでは歌い出されない。また、地
域によって違うので、他所から来た人には、なかなか同調できない
。わたしなども、成人してずっと十日町市に勤務していたので、在
所の「天神ばやし」を歌う機会がなかった。一方、十日町市のそれ
は、細部の抑揚が単純で繰り返しもなく、また、二番三番と続ける
こともないので、単純ですぐ覚えられる。だから、各集落の若い人
たちにも、「ひとつ十日町方式で歌うことにして」と前置きがある
ようになった云々と、さびしそうに言われるのです。
そうすると、大久保氏が1997年に小白倉で見聞したのが、この
唄が生きていた最後だったのかも知れません。わたしは、また「庄
内節」のように、もう遅きに失した感をいだきながらも、あらため
て古謡の盛衰を探ってみようとしています。次回は、この唄の伝播
のさまと伝承について考えてみましょう。
************************************************************
▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/217]
掛け歌をめぐるフィールドからの新たな報告です。400年もの昔から
歌い継がれていた可能性がある歌ということですが、次回以降の展
開が気になります。それにしても、担当の宮崎さんには「掛け歌」
にかける(シャレではありません)熱意を感じます。
前回、編集子が自ら執筆するという「暴挙」に出ましたので、配信
パターンが少し崩れました。ご容赦下さい。(編)
************************************************************
▼ ご 注 意 ▼
このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら
に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
ていただくようお願いいたします。
各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者
のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから
引用される場合はその旨お記しください。
また、内容についてのお問い合わせは、執筆担当のアドレスにお願
いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに
返信すれば編集係にまず届き、次に執筆担当者に伝えられます。そ
れへの返答は逆の経路をたどりますので、ご返事するまでに若干時
間がかかります。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
□電子メールマガジン:「歌謡(うた)つれづれ」
□まぐまぐID:0000054703
□発行人:歌謡研究会
□E-Mail:suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp(末次 智、編集係)
□Home Page: http://web.kyoto-inet.or.jp/people/suesato/
■ ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です
■ ※また、歌謡研究会の例会案内・消息、会誌『歌謡 ― 研究と
■ 資料 ― 』バックナンバーの目次も、ここで見ることができ
■ ます。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
|