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■ 歌謡(うた)つれづれ−023 2001/06/14
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□□■ 芥川龍之介の実験
― 古代歌謡へのアプローチ―(3)■□□
米山 敬子
□「催馬楽」の中に眠れる王女 □
「催馬楽(さいばら)」は、名の意味からして謎めいており諸説が
ありますが、平安朝の貴族たちが客を招いて行なった饗宴において
演奏・歌唱されたものです。また、日常の生活のなかでも徒然にそ
の曲を奏でたり口ずさんだりしたようです。
ここはひとつ、くだくだしい説明は抜きにして、次の二つの作品を
見比べてみてください。
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父ぶり
庭んべは
浅黄んざくらもさいたるを、
わが子よ、這ひ来。
遊ばなん。
おもちゃには何よけん。
風船、小鞠、笛よけん。
(「澄江堂雑詠」『文芸日本』大正14年4月)
我家(わいへ)
我家は
帳帳(とばりちゃう)も 垂れたるを、
大君(おほきみ)来ませ。
聟(むこ)にせむ。
御肴(みさかな)に 何よけむ。
鮑(あはび)栄螺(さだを)か 石陰子(かせ)よけむ。
鮑栄螺か 石陰子よけむ。
(「催馬楽」呂歌)
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いかがですか。催馬楽の「我家」は、年頃の娘を持つ男親が家内を
美々しくしつらえて新鮮な魚介の肴を用意して、なんとか聟殿をも
てなそうと心を砕く様子がユーモラスです。
これに対して芥川の「父ぶり」は、元歌の最後の繰り返しがないだ
けで、表現の構造が見事に対応しています。これほど相似た作品は
、芥川は他にはほとんど作っていませんが、この大正14年には、3
月で五歳になったばかりの長男比呂志と二歳の次男多加志という二
人の愛児がまとわりつくような生活が繰り広げられていました。
浅黄桜の淡い黄緑色がそのまま春の青空に溶け込むような穏やかな
昼間、縁側に差し込む光の中でいとし子と戯れる芥川。「おもちゃ
には何がいいだろう? 喜んで遊んでくれなかったらどうしよう」
と悩む「父ぶり」には、微笑ましいものを感じてしまいます。やさ
しいメロディーが聞こえてくるようです。
「父ぶり」と同じく大正14年4月の『文芸日本』に掲載された作品
群は、全体的に古代歌謡の影響を受けた習作のようです。では、次
をどうぞ。
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百事新たならざるべからざるに似たり
な古りそねや。
さ公(きん)だちや。
新水干(にひすゐかん)に新草履(にひざうり)、
新さび烏帽子ちやくと着なば、
新はり道にやとかがみ、新糞(にひぐそ)まれや。
さ公だちや。
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「あらゆる事柄が新しくなければならないようだ」という、題名ら
しからぬ題がついています。歌を現代風に訳してみましょう。「時
代遅れになってはいかんよ。貴公子たちよ。新品の仕事着に新品の
靴、新品の帽子をチャッとかぶったら、真新しい舗装の道にヤッと
かがんで、新品のウンコをひり出すのだよ。貴公子たちよ。」
新しければよいという風潮に対する苦々しさを、こんなに痛烈に表
現した芥川。現代にも、彼のような人がいてほしいと思うのは、私
だけではないと思います。
「さきんだちや」という句を持つ催馬楽は、律歌の中に七首ばかり
並んで配されていますが、ほとんどが末句のみで、芥川のように第
二句と末句に繰り返して用いたのは、「更衣(ころもがへ)」のみ
です。
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更衣
更衣せむや さきむだちや
我が衣(きぬ)は 野原篠原
萩の花摺(はなずり)や
さきむだちや
衣更えをしましょう。サキムダチヤ。私の衣は、野原篠原に咲い
ている萩の花を摺りつけた花色染めの衣ですよ。サキムダチヤ。
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この歌のひとつ前に配された「逢路(あふみぢ)」に、「近江路の
篠の小蕗(をふぶき)」とありますから、「野原篠原」も近江の地
名と思われます。そういえば、湖西の高島町に「萩の浜」がありま
すが、まぁこの詮索はまたの機会にしましょう。いずれにしても、
衣更えによって得られる爽やかさが、「萩の花摺り」の語の奥から
漂ってくるようです。
筆者は、10年近く前に、四天王寺雅楽の雅亮会の公演で、平安朝当
時のテンポを考える試みとして、現行よりかなり速いテンポに改め
た「更衣」の演奏を聞いたことがあります。メロディーも爽やかな
初夏の風のようでしたが、その公演では舞を伴っていて、若い公達
に扮した女性の舞姿が妙に色っぽかったのが印象に残っています。
ところが、芥川の描いているのは、全く異なる情景です。また、「
さきむだちや」の語は、催馬楽においては囃子詞と解していて、「
公達」に呼び掛けるような意味を付随させていません。でも、芥川
は、「さ公(きん)だちや」とするのが気に入ったらしく、もう一
例、作品を作っています。
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酒ほがひ
なさめそねや。
さ公だちや。
市(いち)に立ちたる磔(はた)ものに、
鴉(からす)はさはにむるるとも、
豊(とよ)の大御酒(おほみき)つきぬまは、
篳篥(ひちりき)吹けや。
さ公だちや。
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これは『全集』の解説によれば、先の「百事新たならざるべからざ
るに似たり」よりも三ケ月ほど早い、大正14年1月の日付があるよ
うです。現代語訳してみます。「酔い覚めするなよ、貴公子たちよ
。市に立てられた磔(はりつけ)の死骸に、烏がおびただしく群が
ろうとも、この饗宴のふるまい酒が空にならないうちは、酔ったま
ま篳篥(ひちりき)を吹き続けろ。貴公子たちよ。」
「磔(はた)もの」や「鴉」のイメージを作っていくにしたがって
、これも先の作品に負けないパワーを持った、おどろおどろしい雰
囲気を漂わせていることがわかります。どうやら芥川の脳裏にあっ
たのは、優美・華麗な宮廷貴族達の生活ではなくて、その背後にあ
る、平安朝の暗闇の世界だったようです。
芥川は、昭和2年(1927)4月30日発行の『日本文学講座』第六巻の
「鑑賞」欄に、次のような一文を載せています。
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僕等は時々僕等の夢を遠い昔に求めてゐる。が、王朝時代の京都さ
へ『今昔物語』の教へる所によれば、余り東京や大阪よりも娑婆苦
の少ない都ではない。成程、牛車の往来する朱雀大路は華やかだっ
たであらう。しかしそこにも小路へ曲れば、道ばたの死骸に肉を争
ふ野良犬の群れはあったのである。おまけに夜になったが最後、あ
らゆる超自然的存在は、――大きい地蔵菩薩だの女(め)の童(わ
らわ)になった狐だのは春の星の下にも歩いてゐたのである。修羅
、餓鬼、地獄、畜生等の世界はいつも現世の外にあったのではない
。……
(「今昔物語鑑賞」『芥川龍之介全集』第八巻 岩波書店)
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このように述べて、次の歌でこの一文を締め括っています。
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な醒めそねや、さ公(きん)だちや。
市に立ちたるはたものに
鴉はさはに騒ぐとも、
豊(とよ)の大御酒(おほみき)つきぬまは
な醒めそねや、さ公だちや。
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芥川の耳には、平安朝の夜の都大路で公達に化けた魑魅魍魎の口ず
さむこんな催馬楽が、本当に聞こえていたに違いありません。
今回の王女は、ひょっとしたら妖狐の仮の姿だったかもしれません
。こんな王女に出会うことになるとは、筆者自身も本格的に調べて
みるまで思ってもいませんでした。実に、歌謡とは、深くて恐いも
のです。
次回は、少し時代を下って、「今様」のなかに眠れる王女に逢いに
いきます。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/213]
ここで紹介されている作品を読んでいると、芥川の内面がよくわか
るような気がします。こころに住みついた魑魅魍魎は、いずれは芥
川自身を食らいつくすことになるのでしょうか。(編)
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