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■ 歌謡(うた)つれづれ−021 2001/06/08
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□□■ 初恋の歌謡史(2) ■□□
小野 恭靖<ono@cc.osaka-kyoiku.ac.jp>
前回は古い時代の初恋の歌として、『万葉集』よみ人知らず歌「朝
影に我が身はなりぬ玉かきるほのかに見えて去(い)にし児(こ)
故に」を紹介しました。初恋は現代では人生における最初の恋愛経
験のことを呼びますが、昔はひとつの恋の最初の段階を言いました
。つまり、人生において初恋は恋愛の数だけあったのです。今回は
初恋の歌を中心とした我が国の古典恋歌を紹介していきます。
「朝影に・・・」の万葉歌をもとにしたと思われる歌は後代の歌集
に何首か見出すことができますが、それらのなかには「恋すれば」
で歌い始めるものがあります。次の歌がその例ですが、人は誰かを
恋しく思ってしまった瞬間に、痩せ細ることになると歌います。こ
れは明らかに、初恋の歌と言えます。
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▼△▼『古今和歌集』巻11・528 番歌・よみ人知らず▼△▼
◇恋すれば我が身は影となりにけりさりとて人に添はぬもの故
○恋のために、このとおり影法師のように痩せ細ってしまった。
影なら人に添っているはずだが、私ではあの人に寄り添うわ
けにはいかない。
(小沢正夫・松田成穂『古今和歌集〔完訳日本の古典9〕』小学館
1983)
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この『古今和歌集』(以下、『古今集』と略称します)所収歌は、『
万葉集』所収歌と比較すると、発想に異同が認められ、それにとも
なって下句の表現に差異があります。つまり、『万葉集』の歌は痩
せ衰えてしまった原因を、自分のもとから隔たり行く恋人のためと
し、「ほのかに見えて」という表現と「朝影」とを有機的に結び付
けています。
一方、『古今集』の歌は、本来「影」であればその属性として、人
に寄り添うものであることを逆手にとって、この恋においては簡単
に恋人に寄り添うことが叶わないと訴えています。だからよりいっ
そう痩せ衰えるのだというのです。初恋の辛い悪循環の構図を、「
さりとて」で接続して、巧みに表現し得ていると評してよいでしょ
う。
このような発想は、後代の恋愛歌謡にも継承されています。例えば
、「隆達節歌謡」の次の二首などはその好例です。
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▼△▼「隆達節歌謡(小歌)」236番歌・413番歌▼△▼
△そなた故にぞ身を焦がす、さらば煙と消えもせで
○恋しいあなたのせいで、私はこの身を焦がしています。そうだか
らといって、この身が煙のように消え去って、この苦しさから
逃れることもできないのに。
△枕の海は波立つばかり、さらば見る目のありもせで
○恋しいあなたの訪れが絶えた私の枕は、涙の海で波が立つほどで
す。そうだからといって、海にある海松布(みるめ)と同音の
あなたの見る目(逢瀬)も叶わないのに。
(小野恭靖編『「隆達節歌謡」全歌集 本文と総索引』笠間書院
1998)
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「隆達節歌謡」では「さりとて」にかわって「さらば」という語を
接続に用いて、恋する者の逃れようのない切ない思いを歌っていま
す。
一方、恋しい思いが募って痩せ衰えるという発想は、冒頭に掲げた
歌以外にも『万葉集』に散見します。例えば、次のような一首があ
ります。
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▼△▼『万葉集』巻4・742 番歌・よみ人知らず▼△▼
◇一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべく我が身はなりぬ
○一重だけあなたなら結う帯さえも、三重に結うほど、わたしの体
は痩せてしまった。
(小島憲之・木下正俊・佐竹昭広『万葉集〔完訳日本の古典3〕』
小学館 1984)
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恋をすると、その思いのために痩せてしまうという歌は、このあと
日本の恋歌の伝統的発想のひとつとなっていきます。『万葉集』と
同じく帯を用いて表現した歌の例を挙げておきます。
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▼△▼「隆達節歌謡(小歌)」313番歌▼△▼
△情懸けうもの悔しやな、なんぼう恋には身が細る
○あんなに激しく愛情を懸けたのに、あの人の態度は悔しい
ことよ。恋をすると本当に身が痩せ細ることよ。
▼△▼『松の葉』巻1・裏組・八幡・第1歌▼△▼
△・・・なんぼ恋には身が細ろ、二重の帯が三重回る
○・・・本当に恋をすると身が痩せ細ってしまうことよ。もともと
二重の帯であったのが、今では三重回るようになってしまった。
▼△▼『山家鳥虫歌』河内国風・72番歌▼△▼
△こなた思うたらこれほど痩せた、二重回りが三重回る
○この人のことを恋しく思ったらこんなに痩せてしまった。もとも
と二重の帯であったのが、今では三重回るようになってしまった。
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痩せるほどの思いで始まった初恋が、大きく成長して行くか、それ
とも枯れ果ててしまうのか、それは様々です。日本詩歌における初
恋の経過もまた様々と言えるでしょう。それらについては次回以降
に述べさせていただきます。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/213]
「痩せるほど……」という言い方がありますが、それは歌表現のパ
ターンとして早くから存在したことがよくわかります。今の若者も
、恋すると痩せるのでしょうか。こそれとも、これは歌表現の世界
においてだけなのでしょうか。(編)
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