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■ 歌謡(うた)つれづれ−018 2001/05/10
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□□■ パライソの寺へ参ろうやれ
― 生月島・かくれキリシタンの歌オラショ― ■□□
永池健二
「かくれキリシタン」という言葉をご存じでしょうか。
イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルの来航(1549)以来、
日本全国に浸透し隆盛を極めたカソリック(キリシタン)の信仰も
、徳川幕府による禁教と弾圧の下で、日本の歴史の表舞台から姿を
消しました。しかし、そうした厳しい禁制の下にあって、すくなか
らぬ信者たちが、地下にもぐって密かに組織を作り、その信仰を保
ち伝え、明治維新後の禁教解除後も、元のカソリックに復帰するこ
とを肯んぜず、従来のキリシタンの進行を維持し続けています。
「かくれキリシタン」とは、そうした、禁教解除後も、なお禁制下
と同じキリシタンの信仰を保ち続けている人びとに対して、後の研
究者たちが、外から与えた呼称です。そうした人びとは長崎県下の
外海(そとめ)地方や五島、平戸、生月(いきつき)島などの島じ
まになお広く分布し、その数は、『長崎県のカクレキリシタン』(
長崎県教育委員会発行)によれば、1000人とも1500人とも伝えられ
ていますが、その信徒組織の多くは、近代化、都市化の波の中で、
消滅の危機に瀕し、現在もなお組織として旧来の信仰の形を維持し
ているのは、生月島のみだともいわれています。
この三月の上旬、時ならぬ寒波の襲来で日本列島が打ち震えている
ちょうどその頃、このかくれキリシタンの信仰の島、生月を訪ねま
した。生月島は、長崎県の西北部に位置する平戸島のさらに西に寄
り添うようにして横たわっている、面積16.5平方キロほどの小島で
す。かつては、西海の海原を支配した水軍松浦党の根拠地の一つで
あり、玄海灘の捕鯨漁の一大拠点でもあった所ですが、現在は、美
しい大橋によって、平戸島、長崎県本土とも地続きとなった、静か
な佇いを見せる農山漁村です。
さて、私が生月島のかくれキリシタンの信仰に強く魅かれるように
なったのは、数年前、平戸を訪れた折り、足を伸ばした生月町の博
物館の紹介ビデオで、次のような素晴らしい歌に出会ったからです
。
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ウー 参ろうやな 参ろやなぁ。
パライゾの寺にぞ 参ろやなぁ。
パライゾの寺とは 申するやなぁ。
広いな寺とは 申するやなぁ。
広いな狭いは 我が胸に 在るぞやなぁ。
ウー 柴田山 柴田山なぁ。
今はな涙の 先なるやなぁ。
先はな助かる 道で あるぞーやなぁ。
(「ダンジク様の歌」『生月島のオラショ 山田のオラショ一座』)
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いま、この歌を静かに、しかし、力強く唱和する信徒の人びとの歌
声をそのままお伝えできないのは、まことに残念です。しかし、こ
の歌の言葉を見ただけでも、パライソの神への一筋の思いをこのよ
うな歌でしか表出することができなかった人びとのひそやかな歌声
がその行間から聞こえてくるような気がします。
キリシタンの信徒たちは、布教時代に宣教師から習い覚えた異国の
祈祷の詞章を、禁制下にあっても失うことなく口伝えに受け継いで
きました。生月の人びとは、それを「オラショ」や「ゴショウ」と
呼んでいまも大切に伝えています。その大半は、節を伴わず口唱さ
れるだけの唱えごととなっていますが、その中には、節を伴って歌
われる「歌オラショ」と呼ばれる歌が、各地区に数曲伝えられてい
ます。上の歌は、その中でも、日本人の信徒によって作られたもの
と思われる珍しい日本語の歌で、生月島でも、山田地区の信徒の人
びとの間でのみ伝えられている二曲の日本語の歌オラショの一つで
す。地元では、船で島外に逃げようとして果たせず殉教した三人の
親子 ―ダンジク様― を偲び歌ったものと伝えられています。
私たち日本の歌謡を勉強する者の立場から見て興味深いのは、この
歌が、禁制されたキリシタンという異国の信仰をひそかに持ち続け
た人びとの生みだしたものでありながら、その表現が古代以来の日
本の歌謡の伝統的な表現類型をみごとに踏まえていることです。た
とえば、古く平安時代の宮廷貴族たちの間で愛唱された風俗(ふぞ
く)と呼ばれる一群の歌謡の中に、すでに次のような歌が見えます
。
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荒田に生ふる富草の花 手に摘みれてや
宮へ参らむや 参らむや
(風俗・荒田、承徳本古謡集)
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ずっと時代は下って、中世末から江戸時代初期、ちょうど生月のキ
リシタンの信仰が地下に隠れざるを得なかった頃にも、広島県安芸
地方の農村で神事として取り行われた儀礼田植の歌の中にも次のよ
うな一節があります。
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此(の)田にさくはつほくさのはなやれ
てにもりいれて御所へまいろうやれ
御所へ参ればあおひの花を手にもち
花を折(り)てはまいろう御所の御ていゑ
(田植草紙・昼歌一番・36)
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強い信仰や憧れの思いを、対象を空間的に想定して「〜へ参ろう」
とうたうのは、古代以来の日本の伝統的歌謡に特徴的に見られる一
類型といってよいものです。生月島のダンジク様の歌は、そうした
伝統的な表現類型を見事に踏まえながら、禁じられた信仰を長い弾
圧の時代を通じて持ち伝えた人びとだけが表出しうる独自の表現と
して見事に結実させていると思います。
人びとは、その信仰心の素直な発露のままに「参ろうやな 参ろう
やな」と歌いあげる。しかし、その参るべきお寺も拝所も、禁制下
のキリシタンの人びとにとって、それは現世のどこにも存在しない
のです。
「パライソ(天国)の寺にぞ参ろうやなぁ」という一句の表現には
、そうした人びとの一筋の思いが、極限まで純化され、珠玉の結晶
として歌い込まれているような気がします。
第一節の後半部の一句「広いな寺」は、分かりにくい表現です。あ
るいは、長い伝承の内に何か転訛があったものかもしれません。し
かし、それに続く後半の一句「広いな狭いは我が胸に在るぞやなぁ
」は、また、私に次のような歌を想起させます。
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極楽浄土は一所、勉め無ければ程遠し、
我等が心の愚かにて、近きを遠しと思ふなり
(梁塵秘抄 175)
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この世の諸々の苦しみや悩みを厭い離れて、ひたすら超越的な精神
の高みに至ろうとする人びとがおのが心と描き出す精神の軌跡は、
その信仰の内容にかかわらず、驚くほど同じかたちをとるものだと
思わずにはいられません。
私の当番の回には、「歌のある風景」と題して連載させて頂く予定
でしたが、生月島での取材の印象があまりにも強かったので、少し
脱線を。これも広い意味での「歌のある風景」の一つとして読んで
下さい。生月島の歌の話題はなお尽きないので、よろしければ次回
も何かご紹介したいと思います。
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/210]
参るべき場所が存在しないのに「参ろうやな 参ろうやな」と唱え
続ける人々の心に強く動かされます。
前回に少し増えたの読者の方の中には、編集子が配信していた「琉
歌詞華集」の読者の方が含まれていると思います。今後ともよろし
くお付き合い下さい。
当研究会の代表・真鍋昌弘氏が会長でもあり、研究内容も重なる、
日本歌謡学会の今年度春季大会の案内を下に記しておきます。近所
にお住まいで、発表内容にご関心のある読者の方はどうぞ聴講され
てください。研究発表会は原則として公開していませんが、聞きた
い方が居られれば、学会事務局の受付でその旨申し出てください。
(編)
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■■□ 日本歌謡学会平成13年度春季大会のご案内 □■■
[日時] 2001年5月26日(土)−27日(日)
[会場] 和洋女子大学(千葉県市川市国府台2-3-1)
■26日(土)
公開講演会(13:30-15:45)
歌謡と和歌の間 和洋女子大学教授 鈴木幸壽
お伽草紙絵巻に見る歌謡 和洋女子大学教授 緒方惟章
■27日(日)
研究発表会
(午前の部 10:00-12:00)
記四四・玖賀媛をめぐる歌謡 大阪桐蔭高校 内藤英人
音の潮流 ―厳島内侍考― 聖徳大学 清水真澄
白い砂の正月 ―琉球王府の民俗とうたを中心に―
四條畷学園短期大学 末次 智
(午後の部 13:00-14:30)
おもちゃ絵の歌謡 大阪教育大学 小野恭靖
南宮の今様圏 獨協大学 飯島一彦
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▼ ご 注 意 ▼
このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら
に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
ていただくようお願いいたします。
各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者
のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから
引用される場合はその旨お記しください。
また、内容についてのお問い合わせは、執筆担当のアドレスにお願
いいたします。アドレスが記されていない場合は、このマガジンに
返信すれば編集係にまず届き、次に執筆担当者に伝えられます。そ
れへの返答は逆の経路をたどりますので、ご返事するまでに若干時
間がかかります。
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□電子メールマガジン:「歌謡(うた)つれづれ」
□まぐまぐID:0000054703
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