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■ 歌謡(うた)つれづれ−012 2001/03/31
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□□■ 熊野旅行記 ■□□
西川 学
歌謡研究会創立15周年を記念して、先日の3月24日(土)・25
日(日)に和歌山県の熊野地方に行って参りました。参加メンバー
は、真鍋昌弘先生・永池健二先生・米山敬子先生・末次智先生・下
中一功先生をはじめ、学生4名の計8人でした。
3月24日の午前は、高野山麓の和歌山県九度山町にある慈尊院(
弘法大師の母公の廟がある寺)で集合し、車で高野山に向かい女人
堂などを見学しました。午後は、その日の宿である和歌山県龍神村
の龍神温泉へ向かいました。この龍神温泉は、役行者が修行中に見
つけ、弘法大師も龍神から教えられたという由来のある温泉で、現
在では美人の湯としても名高い温泉となっています。
龍神温泉では、研究会創立15周年を記念して、真鍋先生に「塩飽
本島民謡調査報告の脇に −瀬戸内海〈船乗りの民謡〉−」と題し
て、御講演していただきました。船乗りの民謡、特に酒盛などでう
たう歌に関する貴重な御講演をお聞きすることができました。この
塩飽本島民謡調査は、歌謡研究会が数年来取り組んできたもので、
近日中にまとまった形で発表される予定になっています。ご期待下
さい。
翌日の25日は、あいにくの雨でしたが、熊野本宮大社に向けて出
発し、伏拝王子(ふしおがみおうじ)・大斎原(おおゆのはら)を
見学し、この懇親旅行の最終目的地である熊野本宮大社に参詣して
来ました。
近年は健康ブームなどもあって「熊野古道」もハイキングコースと
して整備され、ちょっとした人気になっているようです。古代から
中世、近世にかけても「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど、熊野三山(
本宮・新宮・那智)に対する信仰が盛んで、たくさんの人々が参詣
していたようです。しかし、今のように整備されたハイキングコー
スを歩いて参詣するのではなく、京の都から往復で25日ほどかけ
て険しい山道や危険な獣道を難行・苦行を重ねながらの参詣であり
ました。
この熊野に向かうルートには、主に紀伊路(京→摂津国→和泉国→
紀伊国)と伊勢路(京→大和国→伊勢国→紀伊国)があったことが
『梁塵秘抄』256番の今様からもわかります。
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熊野へ参るには 紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば 紀路も伊勢路も遠からず
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紀伊路はさらに、大辺路(和歌山県田辺市から紀伊半島の海岸線を
まわるルート)・中辺路(田辺市から道を東にとって山中に分け入
り熊野本宮に向かうルート)・小辺路(高野山と熊野本宮を南北に
結ぶルート)の3つに分かれていました。けれども、中世期には中
辺路を通って、熊野詣をするのが大半であったようです。この他に
も、山伏や修験者の修行のための山岳ルートである大峰道もあった
ようです。どのルートにしても険しい山道が続き、艱難辛苦の末に
熊野三山に辿り着いて参詣していたのでした。
その険しい山道の中には、熊野九十九王子と呼ばれる熊野権現の御
子神を祀った王子社がありました。熊野詣の人々は、これらの王子
社を巡拝し、そこで休息をとりなが熊野三山に向かっていたようで
す。私たちも、その王子社の1つである伏拝王子に立ち寄りました
。この伏拝王子に立ち寄るために熊野古道を歩いたのですが、本当
に大変な山道で、普段から運動不足の私たちにとってはかなりの難
行苦行を実体験することになってしまいました。
この伏拝王子からは、大斎原(本宮旧社地のこと)の森が遠望でき
、参詣者たちはここから本宮大社を伏し拝んだといわれています。
実際、この王子は高台の位置にあり、伏し拝むようにすると眼下に
大斎原を見下ろすことができます。また、この王子には平安時代の
女流歌人和泉式部に関する伝説が残されており、現在は和泉式部供
養塔が残されています。その伝説とは、
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『風雅和歌集』巻第19 神祇歌 2099番
もとよりもちりにまじはる神なれば月のさはりもなにかくるしき
是は和泉式部くまのへまうでたりけるに、さはりにて
奉幣かなはざりけるに
はれやらぬ身のうきくものたなびきて
月のさはりとなるぞかなしき
とよみてねたりける夜の夢に、つげさせ給ひけるとなん
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熊野詣をしていた和泉式部は月の障りとなってしまい、「熊野詣を
あきらめることが悲しい」と和歌に詠みました。するとその夜、熊
野権現が和泉式部の夢に現れ「私は人々の救済のために人間世界に
現れているのだから、月の障りとて何の障りにもなるまい」という
和歌を告げた。というものです。熊野権現は、このように男女貴賤
の区別なく広く人々を救済する神として信仰され、熊野詣が盛んに
なっていったことがわかります。
次に見学したのは大斎原で、明治22年(1889年)の大洪水で
熊野川の中州にあった社殿が倒壊し、現在の本宮の位置に移るまで
はこの地に本宮がありました。よって、明治期以前の人々は、この
地にあった本宮に参詣していたのです。今では、当時の面影を残す
ものはほとんど残っていませんが、川に囲まれた広大な神域にあっ
た本宮は圧巻であったことが想像できます。
そして最後に、熊野本宮大社に参詣して来ました。この熊野本宮大
社は熊野詣の目指す最終地点であり、『平家物語』をはじめとした
多くの中世文学作品の舞台ともなった所です。熊野に関する今様に
ついては、前記の『梁塵秘抄』256番以外にも、
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257番 熊野へ参るには何か苦しき修行者よ
安松姫松五葉松千里の浜
258番 熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し
すぐれて山峻し 馬にて参れば苦行ならず
空より参らむ 羽賜べ若王子
259番 熊野の権現は 名草の浜にこそ降りたまへ
若の浦にしましませば 歳はゆけども若王子
260番 花の都を振り捨てて くれくれ参るは朧けか
かつは権現御覧ぜよ 青蓮の眼をあざやかに
413番 熊野の権現は 名草の浜にぞ降りたまふ
海人の小舟に乗りたまひ 慈悲の袖をぞ垂れたまふ
546番 紀伊国や牟婁郡におはします
熊野両所は結ぶ速玉
547番 熊野出でて切目の山の梛の葉し
万の人のうはきなりけり
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の7首があります。どの今様も熊野詣のつらさをうたいながら、熊
野権現の慈悲にすがりたいという当時の人々の思いを表したもので
あると思います。また『梁塵秘抄』を編纂した後白河法皇自身も、
33回熊野に参詣しており、その時の様子が『梁塵秘抄』口伝集巻
第10に収められています。
中世期の流行歌謡であった今様に計8首もの熊野権現や熊野詣に関
する歌謡が残されていたことからも、当時の人々が熊野三山に熱心
に参詣していたことが改めてわかると思います。また、実際に熊野
に訪れると、中世の人々が熊野の地に魅了されていたように、熊野
は人々を惹きつける力を持った土地であるということを実感いたし
ました。
〈引用・参考文献〉
□小山靖憲著 岩波新書『熊野古道』岩波書店 2000年
□加藤隆久編 『熊野三山信仰事典』戎光祥出版 1998年
□志田延義校注 『梁塵秘抄』(日本古典文学大系『和漢朗詠集
梁塵秘抄』所収)岩波書店 1965年
□新間進一 外村南都子校注 完訳 日本の古典『梁塵秘抄』小
学館 昭和63年
□小林芳規 武石彰夫校注 『梁塵秘抄』(新日本古典文学大系『
梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡』所収)岩波書店 1993年
□次田香澄 岩佐美代子編校 中世の文学『風雅和歌集』三弥井
書店 昭和49年
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▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/187]
会員の親睦旅行の様子を、奈良教育大学の大学院生西川学さんに書
いていただきました。熊野はとても不思議な雰囲気を、今も保って
います。これは、その場に身をおかなければ感じることのできない
ものではないでしょうか。情報化時代の今こそ、場の雰囲気という
ことの大切さを思います。歌謡の背後には、場のリアリティが深々
と横たわっています。(編)
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このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい
ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している
つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ
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に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ
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□電子メールマガジン:「歌謡(うた)つれづれ」
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