『歌謡(うた)つれづれ』004
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■ ■     歌謡(うた)つれづれ−004 2001/02/01 ■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■    ★ まぐまぐで読者登録された方へ送信しています。★ ************************************************************ □□■ 芥川龍之介の実験 ―古代歌謡へのアプローチ― ■□□                          米山 敬子 □ はじめに □ 芥川龍之介といえば、和服姿で、広い額に無造作にかきあげた長髪 、ちょっとシニカルな視線を右の方に向けて頬杖をついている、明 暗のコントラストの強いあの端正な顔写真を、皆さん、きっと一度 や二度は見たことがあるでしょう。 彼の文壇へのデビューは大正5年(1916)、24歳の時でした。あの 「鼻」を夏目漱石に激賞されて、「芋粥」「地獄変」「蜘蛛の糸」 と、日本の古典文学を題材に近代的な解釈をほどこした作品を次々 と発表する、華麗なスタートを切ったのです。しかし、彼の作家活 動はわずか10年ばかり、35歳で自ら命を断ったのです。 彼の作家としての本領はもちろん小説にあるのですが、俳句や短歌 や詩といった韻文にも、なかなかおもしろい作品を残しているので す。吉田精一氏の「日本近代詩鑑賞 下」(『吉田精一著作集15』 桜楓社 1975)によれば、「小説家芥川は、彼の感傷を、悲しみを 、心の痛みを、そして又生活の秘密を、多数の読者観衆の前にさら すことを死の直前に到るまで極度に嫌った。 そうしてその反対に、交渉ある女性や恋人に対するすなおな感傷を 、後には社会に対する正直な感慨を詩の中にもらした。それを彼は 別に世に発表しようとはせず、つくる事だけで満足し、僅かに極め て少数の知友に示したにすぎなかったのである。」といいます。 こういう謂わば裏側の作品群の中で、特に歌謡の影響を受けて生ま れたものに注目すると、芥川が日本語の音の世界へ歩み寄るために 試作をしていたのではないかと思えてくるのです。 現代の作家や詩人たちの中には、朗読とか群読といった方法で、自 らの作品を音声化する試みを行なっている人が大勢います。しかし 、芥川ほど、聴覚的な効果について真剣に真摯に向き合っている人 が一体どれくらいいるでしょうか。活字にすること、視覚化するこ とには熱心でも、日本語を音声化することには無頓着な人が多すぎ るように思います。 日本語の美を、音声面や聴覚的な面から具体化しておく必要があり ます。そうでないと、日本語は、無批判にどんどんアメリカナイズ されて行くでしょう。これは、大きな流れに棹をさす空しい作業か もしれません。でも、わたしたちはまだ、日本語そのものを失って はいないのだから、日本語のどこに美があるのか、我が事として自 覚しておきたいと思うのです。 芥川は、今から70年以上前に、この問題に取り組みました。これか ら、彼の詩や、友人たちにしたためた書簡を道しるべに、彼の耳に 響いた古代歌謡の世界を味わって? いえ、鑑賞してみます。では 皆さん、おつきあいください。 ************************************************************ ▼△▼「お伽噺の王女」▼△▼ お伽噺の王女は城の中に何年も静かに眠っている。短歌や俳句を除 いた日本の詩形もやはりお伽噺の王女と変りはない。万葉集の長歌 は暫らく問わず、催馬楽も、平家物語も、謡曲も、浄瑠璃も韻文で ある。そこには必ず幾多の詩形が眠っているのに違いない。(略) そこには必ず僕等の言葉に必然な韻律のあることであろう。 この眠っている王女を見出だすだけでも既に興味の多い仕事である 。まして王女を目醒ませることをや。(略)しかし僕は過去の詩形 を必ずしも踏襲しろと言うのではない。ただそれ等の詩形の中に何 か命あるものを感ずるのである。同時に又その何かを今よりも意識 的につかめと言いたいのである。 僕等は皆どういう点でも烈しい過渡時代に生を受けている。従って 矛盾に矛盾を重ねている。光は――少なくとも日本では東よりも西 から来るかも知れない。が、過去からも来る訳である。(略) 日本の過去の詩の中には緑いろのものが何か動いている。何か互に 響き合うものが――僕はその何かを捉えることは勿論、その何かを 生かすことも出来ないものの一人であろう。しかしその何かを感じ ていることは必ずしも人後に落ちないつもりである。 (「文芸的な、余りに文芸的な」〈二十六、詩形〉『芥川龍之介全 集』第九巻、岩波書店 初出は、『改造』第9巻第5号、昭和2(1927 )年5月1日) ************************************************************ この文章は、彼の最晩年である昭和2年(1927)に谷崎潤一郎との 論争として生まれたものですが、死の直前に、彼が到達していた地 点がよく分かります。催馬楽に、平家物語に、謡曲に、浄瑠璃に、 彼は、「お伽噺の王女」を見出だし、「緑いろの何か」を感じてい たというのです。 ではそろそろ、この「眠れる王女」たちに会いに行きましょう。                    (以下、次回担当号で)  ************************************************************ ▼ ひ と こ と ▼[前号配信数/176] うーん、「次号が読みたいっ」と思わせます。米山敬子氏も「前置 きだけで終わった」とおっしゃっています。氏の次の登場は、04/1 2の予定です。少し先ですが、楽しみにお待ち下さい。 また、このマガジンのバックナンバーが本研究会HPで閲覧できるよ うになりました。(編) ************************************************************ ■■□ 次回の歌謡研究会 □■■ 2月17日(土曜)14:00より 奈良市ならまちセンター(JR・近鉄奈良駅下車、猿沢池近く) 具体的な内容は、決まり次第お伝えいたします。 ************************************************************ ▼ ご 注 意 ▼ このメールマガジンは、歌謡研究会のメンバーが交替で執筆してい ます。よって、できる限り学問的な厳密さを前提として記している つもりですが、メールマガジンという媒体の性質上、かなり端折っ て記さざるを得ません。ここでの記述に興味をお持ちになり、さら に深く追求なさりたい場合は、その方面の学術書などに直接当たっ ていただくようお願いいたします。 各号の執筆は、各担当者の責任においてなされます。よって、筆者 のオリジナルな考えが記されていることもありますので、ここから 引用される場合はその旨お記しください。 また、内容についてのお問い合わせは、最後に記される執筆担当の アドレスにお願いいたします。アドレスが記されていない場合は、 このマガジンに返信すれば編集係にまず届き、次に執筆担当者に伝 えられます。それへの返答は逆の経路をたどりますので、ご返事す るまでに若干時間がかかります。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ □電子メールマガジン:「歌謡(うた)つれづれ」 □まぐまぐID:0000054703 □発行人:歌謡研究会 □E-Mail:suesato@mbox.kyoto-inet.or.jp(末次 智、編集係) □Home Page: ■ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ ■ suesato/kayouken_hp/kayoukenhp.htm ■ ※購読の中止、配信先の変更は上記Webから可能です ■ ※また、歌謡研究会の例会案内・消息、会誌『歌謡 ― 研究と ■ 資料 ― 』バックナンバーの目次も、ここで見ることができ ■ ます。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



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