あなたの傍に
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「お〜い、巨大イカの吸盤団子入りスープあがったよ!4番卓に運んでくれ!」
「はいは〜い、すぐ行きま〜す!」
「オヤジ、こっちに酒の追加を頼む!」
「あいよぉ!すぐにお持ちしますんで少々お待ちを!」
客からの注文を器用に捌きながら、店主は大振りな鍋を力強く振り、炒めていた野菜を豪快に混ぜ合わせた。女将は出来上がった料理を両手に持ち、賑わう店内を忙しなく行き来する。安くて美味いと評判の『ミタンダの店』は今夜も大盛況だ。
「ルーカス、これを6番卓と3番卓に持って行ってくれ!」
「はぁ〜い!」
調理場と店とを仕切る細長い配膳台に置かれた酒瓶を大事そうに抱え、赤毛の少年が慣れた様子でテーブルの間を上手にすり抜けていく。忙しい店にとって、ルーカスは小さいながらも立派な助っ人だ。客達はそんなミタンダの孝行息子を温かい眼差しで見守っていた。
「お待たせしました!」
「ああ、ありがとう。ルーカス、今日も店の手伝いかい?」
「はい!料理を沢山運ぶのはまだ難しいけど、僕でも酒瓶ぐらいならちゃんと運べるから。」
「ウチの息子と同じ年頃だと思うのに、いつも両親の手伝いをして偉いな。ウチのは甘えてくるだけで、手伝いをしようなんて全然思ってないんじゃないかな。」
苦笑いでそう言う男に、ルーカスは小さく首を振る。
「そんなことないと思いますよ、きっと。だって、僕の父ちゃんと母ちゃんは、いつもこの店に居るから・・・。ヘルゲさんみたいに、こうやって遠くまでお仕事に出てる父ちゃんなら、手伝いたくても手伝えないじゃないですか。」
「そうか・・・、そりゃそうだな。ルーカスは本当に賢くて優しい子だな。」
笑いながらも真剣に考えながら応えるルーカスに、ヘルゲと呼ばれた男は優しい笑みを返した。腕を伸ばして無骨な指で赤い髪をくしゃっと撫で、まるで仔犬にでもするように乱暴に掻き回してから、ふとまだ小さい手に残る重そうな酒瓶に目を向け問いかけた。
「で、その一本はどこまで運ぶんだ?」
「これは、エルマーさん達の卓です。」
「そうか。」
男は頷くとルーカスの手から、さっと酒瓶を取り上げた。
「おいエルマー!いくぞー!」
「おう!」
声と同時にヘルゲは無造作に瓶を放り投げる。少々乱暴な手段ながら、綺麗な放物線を描いて酒瓶は無事に目的の場所へと届けられた。投げられた方も手馴れたもので、飛んできた瓶を難なく受け取り、何事もなかったかの様に栓を開けて、空いていた酒杯に浪波と注ぎ入れている。
いつも品良く酒を飲んでいる王都から来た男たちの意外な一面に、ルーカスは信じられない様子で大きく目を見開いて呆然と見詰めていた。そんな少年に男は悪戯っぽく片目を瞑り、ぐっと親指を立てて見せた。
「ヘルゲさん、ありがとうございます!」
はっと我に返り、慌てて頭を下げるルーカスに、ヘルゲは普段は鋭いと言われる青い瞳を和らげ笑いかける。
「礼を言うのはこっちの方さ。ルーカスには色々世話になったからな。」
ルーカスはヘルゲのその言葉の意味に思い至り、くすぐったそうに目を細めた。その時、カランカランと軽快なドアベルの音が鳴る。
「いらっしゃーい!」
威勢の良い店主の声が店に響き渡り、ドアを背にしていたルーカスが新しい客に顔を向けるより前に、ヘルゲやエルマーら数名の客がすっと立ち上がり姿勢を正す。それを片手で何気なく制し、にこりと穏やかな笑みを浮かべて入って来た客に、ルーカスは一瞬だけ目を見張り、すぐに嬉しそうに相好を崩した。
「コンラート閣下!」
「こんばんは、ルーカス。」
「よう、ルーカス!」
「ミツエモン兄ちゃん!」
コンラートの背後からひょっこりと顔を出し、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら大きく手を振る存在に気付き、満面の笑みで駆け寄るルーカスを、有利も笑顔で迎える。
「今夜はあたしも一緒よぉ〜ん♪」
「あっ、グリエさんも!いらっしゃい!今晩は皆で来てくれたんだね。」
「おう、ここの料理は最高に美味しいからな。もう病みつき!」
「そりゃそーだよ、ウチの父ちゃんが腕によりをかけて作ってるんだもん!」
「だよな。今日も良い匂いしてるよなぁ〜。」
「また坊ちゃんの腹の虫が派手に騒ぎ出しそうですね。」
「ホントだよ。」
「じゃあ、ミツエモン兄ちゃんのお腹の虫が大騒ぎする前に、早く中に入って入って!」
そう言って、ルーカスは有利の腕を引っ張って、グイグイと店の奥へと誘う。もしルーカスにシッポがあれば、今は千切れんばかりにブンブンと勢い良く振られていることだろう。そんな姿が易く想像できて、客達はその微笑ましい姿に堪えきれない笑みを浮かべていた。
「これは皆さんお揃いで、ようこそいらっしゃいました。さあさあ、こちらのお席にどうぞ。」
忙しい最中だが、店主が前掛けで手を拭きながら厨房から出てきて、にこにこと愛想良く自ら席まで案内する。三人が席に着くと、ルーカスが今日のお勧めを書いた小振りの黒板を手にトコトコと卓までやってきた。
「今日のお勧めは、巨大イカの吸盤団子入りスープとネグロシノマヤキシーの焼き物です。両方とも父ちゃん得意の料理だよ。」
「じゃあ、ルーカスお勧めのその二品を貰おうかな。」
「塩漬け肉の煮込みと酢漬け野菜の盛り合わせもよろしくな。」
「それとヒレ肉のカツレツも食べたい!あれ最高に美味いんだよ。」
「ありがとうございます。今日は5本角の良質な牛ヒレ肉が入ったんで、最高のものをお出しできると思いますよ。」
「やった〜♪ああっ、想像しただけで口の中がもう幸せだ・・・」
「坊ちゃん、顔が緩んじゃってますよ。」
「それではすぐにお持ちしますんで、少々お待ちください。」
そう言って一礼し、店主は少しでも早くこの気持ちの良い少年の胃袋を満たす料理を用意しようと、大急ぎで厨房へと戻って行った。父親に倣って3人に一礼し、ルーカスも忙しい店の手伝いの為に忙しなく働いている母親の元へと掛けていく。その後姿を少し残念そうに見つめる主を気遣い、護衛達は有利の気を引きそうな話題を提供した。
「坊ちゃん、赤身肉の燻製は食べなんですか?」
「あっ、頼むの忘れてた!」
「じゃあ、料理が運ばれてきたら追加しましょう。他に食べときたいものないですか?」
「そうだなぁ・・・・、あっ、腸詰肉の盛り合わせ!」
「それと、食後に黄桃のクーヘンなんてどうです?」
「グリエちゃん、それナイス!」
そんな話をしていると、それほど待たされることなく女将が湯気の立つ料理を両手にやって来た。途端にテーブルの上に並べられた皿から漂う美味しそうな匂いが鼻孔を擽る。
「おっ、坊ちゃん、この巨大イカの吸盤団子入りスープは絶品だ。冷めないうちに食べた方が良いですぜ。」
「塩漬け肉の煮込みも柔らかくて、口の中で蕩けますよ。」
護衛二人が取り分けた皿を前に置くと、有利は口を付ける前にすんすんと食欲をそそる香りを大きく吸い込み、「いただきます」と言うと同時に肉団子を口いっぱいに頬張った。そしてすぐに大満足の笑顔をみせる。
「うぅ〜ん、美味い!」
「それは良うございました。」
惜しげもなく晒される美味しそうな顔に、女将は嬉しそうに目を細めた。
「もうすぐ他の料理もお持ちしますからね。もちろん、全部特盛りでご用意しておりますから。」
「いつもありがとうございます!」
気遣いの言葉に有利は素直に礼を述べる。有利のそんな飾らない態度に、女将は益々笑みを深くした。
追加の注文も済ませると、女将の言葉通り次々と料理は運ばれ、あっと言う間にテーブルは皿で埋め尽くされる。それをヨザックの旅の話や幼馴染二人の昔話、有利の地球での話などに花を咲かせながら食べっぷりも良く綺麗に平らげていく。
「お待たせいたしました、ヒレ肉のカツレツをお持ちいたしました。」
店主自ら恭しく供された料理は、有利待望の5本角の最高級ヒレ肉のカツレツだ。肉厚のカツから熱い湯気が芳しく揺れ、さっくりと揚がった衣にたっぷりと掛かったソースの香りが、育ち盛りの胃袋を刺激する。
「おお、これこれ!王都に帰る前にこれを食べとかないとね。」
有利は目を輝かせ、コンラートが切り分けた肉に早速先割れスプーンを突き刺した。口を大きく開け、切り口からあふれる肉汁と共に勢い良く肉に食らいつく。はふはふと口の中に空気を入れて冷ましながら咀嚼し、ゴクリと喉を鳴らして飲み込む。
「はふひっ!へもうまひっ!」
「坊ちゃん、美味しいのはわかりましたから、火傷しないように気をつけてくださいね。」
コンラートの忠告に一つ頷いて、ふぅふぅと息を吹きかけてから齧り付き、ニコニコと幸せそうな笑顔で、分厚いカツレツをどんどんと胃袋に収めていく。麗しい見かけや華奢な体躯に似つかわしくないその豪快な食べっぷりに、店主の顔に思わず笑みが零れた。
「坊ちゃんの食べっぷりはいつ見ても気持ちが良くって、わたしも腕の振るい甲斐があるってもんですよ。作り手冥利に尽きるって言うのは、こういう事を言うんですね。」
そう告げる目じりの下がった笑顔は、ルーカスにそっくりだ。店主の言葉に、有利は照れたように笑う。
「本当に美味しい物って自然と顔が緩んで、いっくらでも食べられちゃうんだよなぁ。この村に来て、ほぼ毎日ここで美味いものばっかり食べてるから、俺ちょっと太ったかもね。帰ったらしっかり筋トレしないとな。」
「坊ちゃんはまだまだ成長期なんですから、少々太っても大丈夫ですよ。」
「そうですよぉ、今はいっぱい食べて、し〜っかり身体を作る時期なんすから。」
「だよな。グリエちゃんの上腕二等筋も憧れるし、コンラッドみたいな固くて厚い胸板にもなりたいんだよなぁ。」
「あらぁ〜ん、坊ちゃんったら、嬉しいこと言ってくれるじゃなぁ〜いvでも、隊長の胸板が固くって厚いなんて、坊ちゃんはど〜して知ってるのかしらぁ〜んv」
「そ、そんなの普通見たらわかるじゃん。」
「そうかしら?隊長って結構着痩せするんですけど。」
「や、だから」
「ああそうか、あんなにし〜っかりが〜っしりと隊長と抱き合ってた坊ちゃんなら、そりゃ隊長の胸板の厚さや固さぐらいわかっちゃいますよねぇ〜v」
ニヤニヤと笑いながら、指先で頬をツンツンと突付いてくるヨザックに、有利は顔を真っ赤にして反論する。
「あ、あれは抱き合ったんじゃなくて、無事を確かめ合ったハグなの!それに、そんなので確かめたんじゃなくってー!ヒルドヤードの温泉入った時に見たのー!その時、凄げー綺麗な筋肉だったから、ちょ、ちょっと触らせて貰ったし・・・」
「きゃっv二人っきりで温泉!?」
「ちっ、違うって!あん時はヴォルフも居たし!そっ、そうだよ、グ、グレタだって居たんだからな!なあ、コンラッド!」
救いを求めるような眼差しを受け、コンラートはにこやかに頷く。
「ええ。そう言えば、足を痛めた坊ちゃんに、あの温泉をお勧めしたんでしたね。」
「そうそう。」
「ってことはぁ〜、坊ちゃんもあの水着を着用なさったってことですかぁ?あの黄土色の」
「あぁぁぁぁ、グリエちゃん・・・、あの水着の事は思い出させないで・・・・・。」
意地悪く笑うヨザックに、頭を抱えて情けなく顔を歪ませる有利。それを穏やかな笑顔で見つめているコンラート。そんな三人の様子に温かいものを感じながらも、店主はふと寂しげに表情を曇らせた。そんな店主の変化に気付いた有利が、気遣わしげに声を掛ける。
「おじさん、どうしたの・・・・?」
「ああ、すいません。皆様方とも今晩でお別れなんだと思うと、急に寂しくなりましてね。明日お発ちなんですよね?」
「はい、明日の朝には出立予定です。」
「そうですか・・・。」
答えるコンラートに、言葉通り寂しげな表情を浮かべ、店主はしみじみと呟く。
「盗賊どもがこの村を襲ってきて、一時はどうなる事かと不安に思っておりましたが、閣下や隊の皆さんのお陰でこの村も平穏を取り戻す事ができました。本当にありがとうございました。」
店主は、ここ数ヶ月ですっかり馴染みになった男達を見回してから深々とお辞儀をした。それに倣って、店に食事に来て居たこの村の住人たちも口々に礼を言い、同じように深く頭を下げる。
「どうか頭を上げてください。」
コンラートが穏やかな声で告げる。
「我々は民を護るという当然の使命を果たしただけです。」
「閣下・・・」
「いくら盗賊団捕獲の為にこの地を訪れたとは言え、兵士の滞在は不安を煽る。それなのに、村の方々は家族と離れて任に付く隊員達に温かい居場所を、この店は美味しい食事と寛いだ時間を提供してくれた。礼を言うのはこちらの方だ、本当にありがとう。」
店主に礼を述べるコンラートに倣い、今度は店内の其処此処に居る隊員達も起立し店主に礼をとる。コンラートや隊員たちの真摯な態度に心を打たれた店主は、嬉しさと感激に少し瞳を潤ませながらも満面の笑みを浮かべた。
「何分こんな片田舎のさびれた飯屋でございますから、普段皆さまが王都で召し上がっている豪華なお食事の足元にも及びません。わたしごとき庶民の作った飯がお口に合うかどうかと思っておりましたから、今のお言葉、身に余る幸せでございます。」
頭を下げる店主の言葉に、有利は緩く首を振る。
「おじさん、身分も地位も、そんなもの関係ないよ。身分が高かろうが低かろうが、誰が食べたって、おじさんの作る料理は美味しいよ。食べる人を幸せにしたい、そんな気持ちが溢れてるもん。」
「坊ちゃん・・・」
「この赤身肉の燻製も最高だよ。」
そう言ってスライスされた肉に先割れスプーンを突き刺し、店主に見せるように大きく開いた口へと放り込む。そしてゴクリと飲み込むと、満面の笑みで二人の供に顔を向ける。
「う〜〜ん、美味い!コンラッドもヨザックもそう思うよな?」
「ええ、本当に美味いですね。」
「良い塩加減で酒の肴にも合いそうですよ。」
有利の問いかけに、二人も大きく頷いた。それに頷きを返し、有利は店主に顔を向ける。
「ほらね。俺もコンラッドもヨザックも、地位や身分もそうだけど、生まれた場所も育ってきた環境だって違うんだよ。それでも皆、おじさんの料理は美味しいって思ってる。農家や牧場の人達が手間暇かけて大事に育てた食材を、食べる人に喜んで貰おうって心を込めて作ってる、そんなおじさんの料理が美味しくない訳ないじゃん。」
純粋で真っ直ぐな言葉に、店主の瞳はますます潤みを増した。
「坊ちゃん・・・、ありがとうございます。坊ちゃんにお会いできて、本当に良かった・・・。」
店主は少し汚れた前掛けを握り締め、深く深く頭を下げた。少し離れた通路で、女将も同じように頭を下げている。
「俺もだよ、おじさん。」
その声に店主はハッと顔を上げる。
「俺も、この村に、この店に、おじさんの家族に、出会えて良かった。」
有利はそう言うと、にっこりと無垢な微笑を店主に投げかけた。その言葉と笑顔に、目の奥がじわりと熱くなるのを感じる。店主は小さな声で何度も「ありがとうございます」と呟き、こぼれそうになる涙を堪えて、そっと目元を拭った。そんな店主を優しく見つめてから、有利は「さてと」と口を開いた。
「どの料理も美味いんだけど、ネグロシノマヤキシーの焼き物もタレが絶妙なんだよなぁ、・・・あれ?」
食事の再開、とばかりに卓上に並ぶ皿を見回していた有利が、一つの皿に目を止めふと動きを止める。
「どうしました?」
「ネグロシノマヤキシーの串、もう無いの・・・?」
「さっき俺が食べましたけど?」
「えぇ〜!食べようと思ってたのに・・・・」
「えぇ!?さっき坊ちゃんに聞いたじゃないですか、これ食って良いですかって。」
「あぁ〜、あん時か・・・。ゴメン、俺、熱々のカツレツ食べるのに夢中になってて、適当に返事したかも・・・。」
情けなく眉を寄せた有利の言葉に、ヨザックはプッと噴出し、コンラートも堪え切れずクツクツと笑い出す。自然と三人の遣り取りに注目していた者達も、つられて皆一斉に大きな笑い声をあげた。
「すまないが、もう一皿追加してもらえるか?」
「はい、すぐにご用意いたしますね。」
笑いを噛み殺し告げるコンラートに、答える店主の声も少し震えている。しかしそれは笑いを堪える為だけでなく、心優しい少年に対する店主の心の震えでもあった。美味い美味いと笑顔で肉を頬張る少年に再び深く一礼し、店主は自慢の料理を心置きなく堪能してもらう為に、急いで厨房へと向って行った。
その背中を見送り、コンラートは有利に視線を移す。有利を中心に客たちが集まり、楽しげな笑い声が広がる。惜しげもなく晒されるその満面の笑みは、その場に居る誰をも幸せにする。確かに盗賊団を壊滅させたのはコンラートや兵士達だ。しかし、この村に真の平穏をもたらしたのは、何よりもこの笑顔なのではないかとコンラートは思っている。
盗賊団に襲われた家屋の修復や復興も終わらないままで、この村の顔役は突然辞任をした。その娘であるエリスも、村人に何も告げず修道院へと送られていた。何も知らされない事や、次の顔役も決まっていない今、先行きにまだまだ不安を抱え、暗く沈んでいてもおかしくないこの村だ。それでも今、村人達が笑顔で前を向いて居られるのは、太陽の様なこの笑顔に照らされ、無意識の内にその温かな庇護を感じているのではないだろうか。そんなことを考えているとコツンとわざとらしく肘がぶつかった。その肘を辿っていくと、何もかもお見通しな幼馴染が、底意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべてコンラートを見ていた。
「大方、坊ちゃんは皆の太陽だ〜なんて思ってたんだろ。」
「・・・・・・」
小声の冷やかしも、図星とあっては反論のしようもない。しかしヨザックも同じことを考えていたのか、青い瞳に有利の姿を写し、その笑みを柔らかなものに変えた。
「しかしまあ、さすがは我らが坊ちゃんだな。」
「ああ、そうだな。」
「おや?俺だけの坊ちゃんだ、って言わねーのか?」
ヨザックのからかうような、しかしどこか確信めいた台詞に、コンラートの目が一瞬驚きに見開かれる。しかしすぐに爽やか、とは少し違う種類の笑みを悪友に向けた。
「今は、な。」
「今は、ね〜。今だけね。はいはい、そーゆー事ね。」
呆れたようなヨザックの呟きを掻き消すように、ドッと大きな笑い声が重なる。視線を向ければ、輪の中心で朗らかに笑う有利の姿。コンラートとヨザックは顔を見合わせて小さく笑い、この店での最後の民との語らいの時間が健やかであることを願い、育ち盛りの魔王陛下の旺盛な食欲をにこやかに見守った。
食後の菓子やお茶が運ばれる頃には店の喧騒も一段落ついたようで、店主や女将も料理を運ぶ傍らに客達との会話を楽しんでいる。そんな様子を感じ取った有利は、2つ隣の卓に酒瓶を運んでいたルーカスに向かって手を振り、大きな声で少年に呼びかけた。
「ルーカス!店のお手伝いが落ち着いたんなら、こっちで一緒にお菓子食べないか?」
「うん!」
嬉しい誘いに、ルーカスはすぐに大きく頷いて返事を返した。しかしすぐに、あっ!と思い至り、チラリと様子を伺うように両親の方に目をやる。すると二人は大丈夫だと言う様に笑顔を浮かべ、しっかりと頷いてくれた。それに破顔し、ルーカスは小走りで有利たちの元へ向う。ヨザックはすっと席を移り、子犬のように駆けて来る少年の為に有利の正面の席を空けてやった。
「ほ〜らルーカスちゃ〜ん、黄桃のクーヘンよ。ささっ、たぁ〜んと召し上がれv」
「・・・あ、ありがとうございます。」
うふふっ、と科を作ったヨザックが切り分けた菓子を差し出すと、ルーカスは一瞬絶句し、何とか礼の言葉を捻り出しながら両手で皿を受け取った。有利はその様子を見ながら楽しげに笑い、コンラートは呆れ交じりの苦笑を浮かべた。
皿の上の菓子を前に、有利とルーカスは幸せそうに微笑み、「いただきます」と言うと同時に先割れスプーンに乗っけた黄桃のクーヘンを揃って口に放り込む。口を動かすたびに、二人の顔は嬉しそうに綻んでいく。
「美味いなぁ、ルーカス。」
「うん!」
上機嫌の有利にルーカスも頷く。顔を見合わせニッコリと笑い合う。二口、三口、と口に運ぶ二人の顔はまさに幸せそうだ。嬉々として菓子を頬張る有利に、コンラートの愛しげな眼差しが注がれている。
「コンラッドはもう食べないの?」
「俺の事は気にせずに、坊ちゃんが食べたいだけ食べてください。」
「でも、せっかくなんだからさぁ、もうちょっとぐらい食べればいいのに・・・。」
皿の上の菓子を先割れスプーンで掬いながら、有利は残念そうに呟いた。コンラートはそんな有利のスプーンの上に乗る一口分に掬い取られた菓子に視線移し、それを指差しながら邪気の無い爽やかな笑顔で問いかけた。
「では、その一口を頂けますか?」
美味しい気持ちを共有したいと思っていた有利は嬉しそうにすぐに頷き、コンラートに請われるままに、自分の手に持っていた先割れスプーンを躊躇う事無くコンラートの口元へ運んだ。それをぱくっと口に入れ、コンラートは蕩けるような笑顔を有利に向ける。
「美味しいですね。」
「だろ?」
有利はパッと顔を明るくする。ニコニコと無邪気なその笑顔に、するりとコンラートの手が伸び、指先が有利の口元を優しく拭う。唇をかすめたその指を汚した黄桃のソースと菓子クズを、コンラートは自分の口元に寄せて、それをゆっくりと舐め取った。
「い、言ってくれたら自分で拭くのに!」
照れ隠しのように怒鳴り、コンラートを睨んだ有利の頬が、ポッと一気に薔薇色に染まる。しかしその声に険はなく、聞きようによっては甘えてるようにも聞こえる程だ。一方、文句を言われている張本人はと言えば、柔和な光をたたえた瞳で、愛しいただ一人の相手を映してニコニコと微笑んでいるだけだ。
何故か一気に口の中の菓子の糖度が増し、ヨザックには漂う甘い空気が見えると同時に、気のせいか胃がどんよりと重くなったような気がした。
「どうした、坊主?」
先割れスプーンを口に入れたまま、凍ったように動きを止めた少年に目を留め、小さく喉を鳴らして笑った声でヨザックは問いかける。
「ほ〜ら坊主、黄桃のクーヘンまだ残ってるぞぉ。も少し食うかぁ?」
「いや・・・・・、あの、僕、もう胸が、じゃなくって、お腹がいっぱいで・・・・・。」
「だろうなぁ・・・」
ヨザックは肩を竦めてそう呟き、傍迷惑で胸焼けしそうな空気に巻き込まれてしまい、恐らく自分と同じような症状に見舞われた気の毒な少年に同情的な視線を送った。
微妙な空気に気付いているのかいないのか、有利はニコニコと嬉しそうに残りの菓子を平らげて行く。明らかに気付いているはずのコンラートも、幸せそうにデザートを食べる最愛の主を見て蕩けるような笑顔を浮かべている。ヨザックはそっと溜息を付き、これ以上胃の重さが増さないように、さりげなく空気を変える話題を口にした。
「この店は料理もですけど、こういった甘い菓子の類も美味いですね。」
「そうだよな。これは隠し味にレモンか何か柑橘類が入ってるのかな?見た目と違って意外と甘くないしね。さっぱりとして凄げー美味い。」
どうやらこの話題は有効だったようで、甘い空気は霧散し、少し胃が軽くなった気がする。それを確かめる様に菓子を一口頬張り、ヨザックは言葉を続けた。
「俺は仕事柄色んな村や町に行きますけどね、こんだけ美味いもの揃って出してる店は、そう簡単には見つかりませんぜ。」
「へぇ〜、グリエちゃんが言うんなら間違いないな。」
「ありがとうございます!」
惜しみない賞賛の言葉に、ルーカスは照れくさそうに、でもどこか誇らしそうに笑った。
「ウチの店のお菓子は、全部母ちゃんが作ってるんです。母ちゃんは元々は王都に住んでて、老舗の菓子屋で修行してたんだそうです。」
「そうだったのか。」
「はい。その時に、たまたま向かいの店で修行してた父ちゃんと知り合ったって言ってました。」
「運命の出会いってやつだ。」
「で、夫婦になってオヤジの故郷で店を構えたって訳か。」
「はい、修行期間を終えた時、母ちゃんに求婚したって言ってました。」
「へぇ〜、夫婦に歴史あり、だな。でもさぁ、そんな二人の愛の結晶?みたいな大事な店をさぁ、ルーカスは継がなくても良いの?」
有利の素朴な疑問に、ルーカスは一瞬瞠目し、すぐに有利の言いたい事を理解したらしく、次の瞬間には顔を綻ばせていた。
「僕には兄ちゃんが居るから。」
「兄ちゃん?ルーカスって兄貴いたんだ!」
「うん。年の離れた兄ちゃんが居るんだ。今は父ちゃんが行ってた王都の店に修行に出てて、立派な料理人になったら、この店を継ぐ為に帰って来るって言ってる。」
「そん時は、坊主の親父みたいに、向かいの店で、菓子作りの上手い嫁さん見つけて帰ってくるかもな。」
ニヤニヤと笑いながら言うヨザックに、無きにしも非ず、と皆で笑う。ひとしきり笑った後、有利の顔がふと真顔になり、目の前に座るルーカスの瞳を覗き込む。それに気付いたルーカスも視線を合わすと、有利はゆっくりと、どこかうれしそうに微笑んだ。
「じゃあ・・・、ルーカスの夢、叶えられるんだな。」
「え?」
「店を継がなくていいんならさぁ、ルーカスの夢、軍人になるって夢、叶えられるよな。」
「うん!」
優しく包み込むような笑顔の問いかけに、ルーカスは戸惑う事無く大きく頷いた。
***
楽しければ楽しい程、時間の過ぎるのは速い。
この村での最後の夜はあっという間に過ぎ、まだ村人と兵士達入り乱れてもの宴席は続いていたが、有利たちは一足先に宿に帰る為に店を出る。村人たちに挨拶し、一緒に帰ろうとする兵達にもう少し宴席を楽しむよう告げてから店の扉を潜ると、店主一家がわざわざ外まで見送りに出てきてくれた。
「おじさん、おばさん、お世話になりました。」
「いいえ、こちらこそ。坊ちゃんと過ごさせて頂いた時間は楽しゅうございました。」
「ルーカスも、ありがとな。」
「ミツエモン兄ちゃん・・・」
泣きそうな顔のルーカスの頭を撫で、有利は膝を付いて少年に目線を合わした。
「絶対、また来るからな。」
「約束だよ?」
「うん、約束だ。」
そう言って、有利はルーカスを抱きしめた。ルーカスもギュッと有利にしがみ付く。その背をぽんぽんと叩きながら有利は言う。
「俺が今度来るまでに、野球の練習しとけよ。」
「うん。」
「あん時の腕の動き、忘れちゃダメだぞ。」
「うん!」
涙を浮かべて頷くルーカスの頭をくしゃりと掻き混ぜ、有利はゆっくりと立ち上がった。しかし離れようとするその右手を小さな手が掴み、ルーカスがゆっくりと有利の前で片膝をついた。
きょとんと見下ろすその手を握ったまま、少年は反対側の手を自分の胸に当てた。真剣な顔をしたその姿は、まるで小さな騎士のようだ。
「ルーカス・・・?」
「今は捧げる剣もないけど・・・、大人になって、りっぱな軍人になったら・・・、きっとあなたのお傍にまいります!そして貴方をお守りします!」
宣誓のように大きな声で告げ、恭しく掲げた手にぎゅっと唇を押し当てる。少々乱暴で、優雅な仕草ではないけれど、その仕草は忠誠の口吻けに他ならない。有利は大きく目を見開き、驚きも露にルーカスを見下ろした。しかし、真っ直ぐに見上げる真摯な瞳に少年の決意を知り、全てを理解した有利はすっと背筋を伸ばし表情を改めた。今までの人懐っこい朗らかな少年の顔から、底知れない覇気を纏う魔王のそれへと。
「ミタンダ・ルーカス。」
「はい!」
慇懃に名を呼ばれ、今まで聞いた事の無い、圧倒的な力を持つその声音に、ルーカスは緊張に身を硬くした。髪と瞳の色こそ違え、それは、そこに居る人が、紛れもなくこの国の頂点に立つ者であると確信出来るほど威厳に満ちた声だった。しかし、次に彼に掛けられた声は、ルーカスの予想に反して、深く心に染み入る、穏やかで優しい声だった。
「待ってるよ。」
ルーカスが良く知る柔らかなその声に、少年は俯いていた顔をはっと上げる。至高の人は、慈愛に満ちた包み込むような笑みを浮かべ、少年を真っ直ぐに見つめていた。
「ずっと待ってるからな。必ず、夢叶えろよ。」
「はい!」
ルーカスはポロポロと涙を流しながら、それを拭う事もせず何度も何度も頷いた。傅いていた少年に手を貸して立たせ、膝頭に付いた土をそっと払い除けてやる。そして小さな身体に両手を回し、そっとその身体を抱きしめた。温かなその胸で、少年は声をあげておいおいと泣きだした。
静かに二人の様子を少し離れた位置から見つめていたコンラートとヨザックが、すっと主の元へと歩み寄る。二人は穏やかに微笑みながら胸に手を置き、主に最上級の礼をとった。有利はそれに小さく頷き、ルーカスの身体をそっと胸から引き離した。そして赤い髪を整えるように梳く。
「元気でな、ルーカス。手紙書くよ。」
「うん、きっとだよ!」
袖口でゴシゴシと涙を拭って大きく鼻をすすり、ルーカスは一生懸命に笑顔を見せた。それに優しく頷いて、有利はクルリと振り返ると、一連の出来事を唖然と見ていたルーカスの両親にペコリと頭を下げた。
「おじさんも、おばさんも、どうかお元気で。」
年相応の少年の顔に戻った有利の笑顔に、店主たちも慌てて別れの言葉を告げる。
「坊ちゃんもお元気で。道中お気をつけて。」
「ありがとうございます。」
「色々とありがとうございました。それでは、これで。」
コンラートが最後に礼を述べ、三人は宿に向って歩き始めた。その背に向かい、店主夫婦は深々と頭を下げる。その横で、ルーカスは千切れんばかりに手を振っていた。何度も聞こえるルーカスの声に、その度に振り返っては手を振り返し、有利たちは名残惜しい気持ちのまま『ミタンダの店』をあとにした。
角を曲がり、完全に姿が見えなくなると、言いようのない寂しさがこみ上げる。有利はすっかり俯いてしまい、街頭に浮かぶ石畳をジッと見つめながら歩いていた。
そんな有利の手を温かいものがそっと包む。剣胼胝のある大きくて硬いその手は、魔力を全く持たない筈なのに、触れるだけで穏やかな気持ちになれる魔法を帯びているかのように、有利の心を温かくした。
「また、会えるかな・・・?」
寂しさについ緩んでしまいそうな涙腺を誤魔化す為に、有利はふと夜空を見上げた。
「会えますよ、きっと。」
涙の滲む目じりを、指先でそっと拭われる。見上げた空と同じ様に、見つめる優しい瞳の中で、満天の星が煌いていた。
「ルーカスにがっかりされないように、俺もがんばって立派な王様にならないとな。」
有利の言葉に、コンラートは緩く首を振る。
「立派な王様になんかならなくてもいいんですよ。あなたはあなたの思いのまま、この国を導けばいい。あなたがあなたである限り、この国は豊かで平和な国になるんですから。」
「コンラッド・・・、良いのかな、それで。理想ばっかで、俺、何も出来ないへなちょこだよ?」
有利の問いかけに、コンラートは柔らかな笑みで答える。
「民を思い、理想を語れるあなたは、決してへなちょこなんかじゃありません。そんな真っ直ぐなあなただから、皆はあなたのお傍に集うのです。あなたは笑っていて下さい。あなたの笑顔がこの国の民たちを幸せにする。あなたの笑顔は、俺が護りますから。」
そう言って有利に微笑みかけ、コンラートは繋いでいた手の甲にそっと唇を押し当てた。
「ありがと、コンラッド。」
照れくささからか、それだけ言うと、有利はまたしても俯いて石畳を歩き出す。俯いた髪からのぞく耳が夜目でも分かるほど赤く染まっている。それでも繋がれた手は振り解かれることなく、コンラートは唇に緩く笑みを刻んだ。
宿までの道を黙ったまま歩く。でもその沈黙は温かく、手の平はずっと繋いだまま。
「お二人さぁ〜ん、俺のことすっかり忘れてやしませんか?」
存在すら置き去りにされた男の小さな呟きは、二人の耳には届いていないようだ。いや、一人には届いているだろうが、完全に無視というところか。
夕焼け色の髪をがりがりと片手で掻き混ぜながら、ヨザックは溜息を付きつつ独りごちる 。
「しっかし、ガキに対抗して同じ場所にって・・・・、ホ〜ント、坊ちゃんのことんなると心の狭い男だよ。」
苦笑と供に呟き、肩を竦めて歩き出す。
「ま、幼馴染の骨拾うなんてめんどーくせーと思ってたから、由としますか。」
二人と少し距離を置いて歩く村の夜は、すっかり静けさと穏やかな時間を取り戻していた。
後日、『ミタンダの店』に血盟城から荷物が届いた。その箱の中には、野球用具一式と魔王陛下からルーカスへ宛てた手紙が入っており、何も知らされていなかった店主と女将は腰を抜かさんばかりに驚いた。しかし、畏れ多いと震える手で封を切った手紙に書かれた、美しい御手とは言い難いが、勢いと元気に溢れた文字が、温かな笑顔の少年と重なり、この国の民であることに涙を流して喜んだと言う。
その手紙を支えに、ルーカスは夢を叶える為に努力を重ねる日々を過ごし、両親もそれを全力で支え応援した。
血盟城の主が彼の護衛から、ロシュホール領シルベミナ村の飯屋の息子が部下に加わったという報告を受けたのは、それから数十年の後のことであった。
end
お待たせいたしました!
ウチのサイトのメインシリーズ(?)、『あなたの傍に』の第5話でございます。
これにて完結です。
本当はエピローグ的にちょちょいと補足的な短いお話で終わらそうと思ってたんですが、結局思いつくまま色々と詰め込んでしまい、最終的には今までと変わらない長さになってしまいました;;
ルーカスのことをちゃんと書いておきたかったんですよねぇ・・・。
はい、自己満足です。
やっぱり短いお話って書けないんだよなぁ、あたし・・・・。
でも、とりあえず完結できて良かった、良かった^^
なんとか二人もくっついたし、これで正々堂々コンユサイトって名乗れるww
今後もこの二人に関してはのんびりゆったり書いていくつもりですので、またお付合い頂ければ幸いです。
だらだら亀更新にも関わらず、ここまでお読み頂きありがとうございました。
okan
(2012/2/13)