○マンションの渡り廊下。宇月の家の前。
 ガンガン扉を蹴る佐竹汐子。ブチ切れて八つ当たり的に。
 隣近所が騒音苦情に顔を覗かせるので、代わりに相川菜摘が頭を下げる。

菜摘 「汐。もう止めなよ。うるさいって」
汐子 「(菜摘に構わず)居るのは分かってんのよ! 出てきなさいよっ!」

 ぺたぺたと足音がして振り返る菜摘。慌てて汐子の服の裾を引っ張る。
 汐子が気づいて顔を上げる。あ、と驚いた顔をする。
 壁伝いにゆっくりと廊下を歩いてくるのは宇月千也。額にガーゼ。殴られた痕。
 胸を手で押さえて、もう一方の手にはスーパーの買い物袋を下げている。
 汐子たちを見下ろして、ぼそぼそとしわがれた声で言う。

宇月 「……出かけてて、留守にしていたんだけど。……どうしたの、いきなり?」
汐子 「何よあんた。……元気そうじゃない」

○宇月の家の中。雑然としていて片づいていない印象。
 台所の流しの中には使った食器が洗わずに放置されている。
 床には脱いだままの靴下、カバン、新聞、雑誌などが散らばっている。

宇月 「うちの母親看護師でね、今日夜勤で帰ってこないんだよ。だから晩飯自分で調達しに
    行ってたんだ。ちょっと部屋散らかってるけど、その辺適当に座ってよ」
 
 買ってきたものを冷蔵庫に収めて、飲み物の用意をする宇月。
 菜摘と汐子がリビングのテーブルに見舞品を置く。

菜摘 「怪我人が気を遣わないでよ。あたしらお見舞いに来たんだから」
汐子 「そうだよ。ほら、お見舞いの品もあるんだよ。お菓子に漫画、暇してると思って買って
    きたの。でも、思ったより元気みたいね。外歩き回っても平気なんだ?」
 
 ガラスコップを出してお茶を入れようとするのを、菜摘が手伝う。

宇月 「ありがとう。……うん。笑ったり大声出したりさえしなければね。ホントは深呼吸するの
    も痛いんだよ。だからお笑い番組見るのも大変なんだ。まるで拷問だよ」
汐子 「へええ。それじゃあもうしばらく、学校に来るのは無理そう?」
宇月 「もうちょっと無理かな。もう熱は引いたから、来週には出られると思うけど」
 
 頷く汐子。菜摘が聞き耳を立てながらお茶の用意をする。
 宇月が汐子らの持ってきた菓子を広げながら、汐子に囁く。

宇月 「……あのさ。……相川さんにあのこと、話したの?」
汐子 「あ……うん。相談に、のってもらったんだけど……嫌だった?」
宇月 「……別に。……信じない人は、どうせ何を言っても信じないからね(微苦笑)」
 
 微妙な言い回しにとまどう汐子。沈黙。菜摘がお茶を持ってくる。
 居心地の悪い沈黙を訝しみながら、汐子とアイコンタクトで会話する。
 本題に入りたいが、どちらから切り出すか、無言で互いに押しつけあう。
 その珍妙なやりとりに気づきながら、宇月は無視して話を切り出す。

宇月 「ところで、今日はどうしたのいきなり。……学校で何かあった?」
汐子 「え、どうして? あたしら、お見舞いに来たって、言わなかったっけ?」
宇月 「うん、聞いた。でも、それだけのために来たわけじゃないんでしょう?」
汐子 「……あんたって可愛くない奴。(軽く息を吐いて)実は、あんたの怪我のことで聞きたい
    ことがあってね。……階段から落ちたって聞いたけど、それって本当なの?」
宇月 「……その通り、だけど?」
菜摘 「(汐子と視線を絡ませ、無言で相談して)ええっと、ズバリ聞かせてもらうわね。
    あのさ、宇月。あたしたち、宮本に聞いてみたのよ、あんたの怪我のこと。そしたら
    あいつ、『畑中がやった』って言ったのよね。でもって、自分は救急車呼んでやった
    だけだって。つまり宮本は、あんたの階段落ちを全面否定したわけよ。……ねえ宇月、
    いったいどっちが本当なのか、答えてもらえないかな?」
 
 瞠目する宇月。気まずそうに視線を逸らしてしまう。
 汐子と菜摘、あえて口を挟まず宇月の返事を待っている。
 居心地の悪い沈黙。時計の針の回る音と、外からの騒音しか聞こえない。
 やがて、今にも泣き出しそうな苦笑いを浮かべて、宇月が顔を上げる。

宇月 「やだなあ。知っていたのなら、初めからそう言ってくれればいいのに」
汐子 「それじゃあ、本当に、畑中一人にやられたのね?」
宇月 「うん。他の二人、木島と久須木はいなかったよ。その場に居合わせたのは畑中だけ。
    ……あ、いや、宮本もいたんだけど、でもあいつはいつも見てるだけで、直接手を出して
    こないんだよね……。あ、でもさ、あいつが救急車呼んでくれたのは本当なんだよ。僕は
    覚えてないんだけど、病院まで付き添ってくれたらしくて、看護婦さんに後で教えてもらっ
    たんだ。青司、ホントはいい奴なんだよ」

 汐子はふうん、と頷くだけ。コメントはせずに考え込む様子。
 理解されてなさそうだが、反面嫌味が返ってこないことに、困惑する宇月。

菜摘 「……まあ、宮本がいい奴かどうかはともかくとして、ねえ宇月、本っ当に、宮本は手を
    出してこなかったの?(何度も頷く宇月)ただの一度も?(今度は一度だけ)」
菜摘&汐子 「(考え込むようにして)う〜む。……そうなのかァ」
宇月 「……何? それが何か問題? ……どうか、したの?」
汐子 「(顔をしかめて)うん。ちょっとね。……どうかしちゃったのよね」
菜摘 「(肩をすくめて)ちょーっと、問題ありかもしれないのよ、実は」
汐子 「とは言っても、ささやかな嘘と、言えなくもないんだけどね」
菜摘 「でも、どうしてそんな嘘を吐いたのか、ちょっと気になるんだよねえ……」
汐子 「(一人言のように)……ホントあのバカ、何考えているんだかね……」
 
 二人ほとんど同時に、大きく溜め息を吐く。複雑な顔。
 わけが分からず、きょとんとする宇月。

宇月 「……何それ? ……どういうこと?」
汐子 「だから嘘なのよ、それ。宮本がさ、大嘘ぶっこいたんだよ実は。真相は」
菜摘 「(汐子に)それじゃ分かんないって。(宇月に)つまりね宇月、宮本は、正確にはこう言った
    のよ。『畑中と、二人がかりであいつをボコッた』って、そう言ったのよ、あいつ」
宇月 「……え? どうして? ……だって青司は、一度も殴ったりなんてしてこなかったのに。
    (独り言のように)もしかしたら、誰かに何か言われたのかな……」
汐子 「……誰かにって?」
宇月 「うん……どう言えばいいのかな。僕の母さん看護師だからね。階段から落ちたって
    言っても、顔にこんなアザがあるんじゃ、すぐ嘘が見破られちゃう。だから母さんには
    正直に、喧嘩したって話したんだよ。そしたら母さん、僕と青司の今の状況、何にも
    知らないわけじゃないから、かなり疑っててさ。……だから、それで」
汐子 「……まさか直接、宮っちに聞いたりできる人なの、あんたのお母さんって?」
宇月 「まさか! さすがにそこまではやらないよ。あの人は原則、放任主義だからね。でも、
    学校に休むって連絡してもらったときに、担任と何か話し込んでいたみたいだから、
    ちょっと気になったんだよ。……僕の噂のこともあるし……」
菜摘 「……ねえ、念のために聞くけど。畑中たちのこと、おばさんは知っているの?」
宇月 「ううん。知るはずないよ、そんなこと」
汐子 「(菜摘に)でも、あんたたちのクラスの担任は、知ってるよね?」
菜摘 「うん、多分ね。むしろ把握してなきゃ、教師失格だわ」

○時間を遡って二場面前。畑中らが待ち伏せしていた場所。住宅街の一角。
 宮本が少し緊張をまとって近づく。畑中ら、宮本に気がついて立ち上がる。
 サンバカの、どことなく剣呑な雰囲気。一触即発の気配。

畑中 「……よう」
宮本 「うぃっす。(無邪気に)つかお前ら、んなところで何やってんの?」
木島 「(誰も何も言わないので、仕方なく)……畑中が、宮ちゃんに話があるんだってさ」
宮本 「話? ……話って何だよ?」
畑中 「お前さ、学校で、何か聞かれなかったか?」
宮本 「何かって……ああ、この前宇月をのしたこと? どうして?」
畑中 「(吐き捨てるように)生活指導の山口から電話があったんだよ」
宮本 「ああ、それで。……いや、まだオレは何も言われてないけど。……あ、なるほど、
    (木島と久須木を見て)お前らもいるってことは、とうとうお呼び出しがかかったわけだ?
    明日、雁首揃えて職員室に来いって?」
久須木 「(肩をすくめて)そ。嫌になるぜ。木島と俺、そっちのことには関係ないのに」
木島 「同感。せっかく宇月が階段から落ちたって、誰かさんのために嘘吐いてくれたって
    のにさ。でも宇月イジメてんのは俺たちってバレバレなんだから、そんなことしても
    無意味なんだけど。――てなわけで、山口は何でもお見通しってわけだよ。でーも
    その実真相は、ちょーっと違うらしいんだけど?(くつくつと笑う)」
宮本 「まるで他人事だな。お前も呼び出されているんだろ、木島?」
木島 「そりゃだって、関係ないもん俺、この件に関してはさ。な、久須木?」
久須木 「だよなあ。(畑中を気にして)……まあ、あいつに普段やってること言われたら、
      ちょっと痛いかもしんないけどさ。でも今さら言うか、そんなこと?」
宮本 「でもカツアゲだろ? 山口が見逃してくれるとは思えんけど?」
畑中 「(低い声で)んなこたァ、いちいちお前に言われなくても分かってんだよ」
宮本 「(無理やり笑顔を作って)だよなあ。……で、どうすんの?」
 
 畑中が鼻で嗤って、冷ややかな視線で二人に合図を送る。
 久須木と木島が頷いて、くつくつと笑い出す。悪意ある笑顔。

宮本 「(訝しんで)……何だよ畑中。……お前らも、何がそんなにおかしいんだよ?」
木島 「だってさァ、どうすんの、なんて聞くんだもん。なーんか宮ちゃんって、俺以上に他人事
    だよね。もしかして余裕ありまくり?」

 無邪気を装って笑う木島。しかし目は笑っていない。他二人も、険悪な雰囲気。
 険しい顔になる宮本。いつの間にか三人に取り囲まれている。

宮本 「……別にねえよ、余裕なんか。……つーかそれ、どういう意味だよ?」
久須木 「いい加減、とぼけるの止めろよ。自分が言ったことも忘れたのかよ」
木島 「宮ちゃんってさ、ホント宇月のことならよく分かってるよね。さすが元・親友って感じ? 
    でも何か腹が立つんだよね、『宮っち』のそーゆー態度見てるとさ」
宮本 「……はあ? お前ら、何言ってんの? んな回りくどい言い方しないで、言いたいことが
    あるならはっきり言えよ。何だよ、前言ったことって」
木島 「だっからさァ、言ったじゃん。宇月は宮ちゃんを、警察には絶対売らないって。だから
    宮本は、余裕かましていられるんだろ? 俺たちとは立場が違うもんだからさ」

 言わんとしていることを悟って、すぐには言葉が出ない宮本。
 三人が酷薄に笑っているのを見て焦りつつ、慎重に言葉を発する。

宮本 「……は、はははははっ。んだよお前ら、俺だけ安全圏にいるのが狡いって言いたいわけ?
    器の小さい奴らだなァ。なあ畑中、俺さ、この前もそれ以前でも、お前と一緒にいなかっ
    たっけ? 目撃者だって全くいないわけじゃないんだぜ。それなのにどうして俺だけ、
    お咎めなしでいられると思えるんだよ。そうだろう?」
畑中 「……ああ、そうだな。だけどこの前は宮本。お前、俺のこと殴ったよな?」
宮本 「あれは……お前が人殺しになるところを、止めてやったんじゃねえか」
畑中 「嘘吐くなよ。宇月が気を失うのを見てビビって、だから庇ったんだろ?」
宮本 「庇ったって……。畑中、お前もなんか変だぞ。いったい何考えてんだよ?」
畑中 「はぐらかすんじゃねえよ」
宮本 「はぐらかしてなんかねえよ!」
畑中 「ホントにわからねえのかよ。だったら教えてやるよ」

 宮本の胸ぐらを掴む畑中。塀に背中が当たる。顔をしかめる宮本。

畑中 「俺はな、宇月やるのに俺たちを利用する、お前のやり方がむかつくんだよ」
宮本 「(愕然として)……何、言ってんだよ……?」
畑中 「ずっと聞きたいと思ってたんだよ。自分じゃ手ぇ汚さないで俺らにだけやらせておいてよ。
    ……なあ、宮本。お前ホントはどっちの味方だよ? 俺か、宇月か?」
宮本 「……はあ? つかどんな考え方したら、俺が宇月の味方になるんだよ?」
畑中 「だったら、どうしてあのまま放っておかずに、救急車なんか呼んでやったりしたんだよ? 
    (息を飲む宮本)……なあ、本当はお前が山口に話したんじゃねえの?」
宮本 「……はっ、んなわけないだろ! ふざけたこと言ってんじゃねえよ!!」

 畑中の手を乱暴に振り払う。だが、久須木に肩を突かれて塀に背中が当たる。

久須木 「ふざけてんのはそっちだろ。俺たちも付き合って、こうやって話し合いの場を設けて
      やったんだ。いい加減、とっとと吐いちまえよ。ほら、正直にさ」
宮本 「……んだよ、久須木。お前ら本当に、俺の言い分聞く気あんのかよ? さっきから
    しつこくしつこく、ち、が、うって言ってるだろ。違うもんは違うんだよ!」
木島 「――だったらさァ、証明して見せてよ」
宮本 「……は? 証明?」
木島 「そう、証明。簡単な話だよ。宮ちゃんが直接、宇月をもういっかい、のしてきたらそれで
    オッケー。何もアイツのこと、殺して来いなんて言わないから。ね?」
畑中 「そうだな。それができたら認めてやるよ。俺らを利用する気はなかったって」
宮本 「……んな、メチャクチャな……」
久須木 「何がメチャクチャなんだよ。いいじゃん、宇月に絶縁状渡してやれば。あいつと縁が
      切れたらそれでいいんだろ。お前そう言ったよな、この前」
木島 「そうそう。それにさァ、中途半端に優しさ見せるより、徹底して嫌ってあげた方が、
    すっきり別れられると思うんだよね。まるで恋人同士の中を切り裂くみたいな台詞だ
    けど。(くすくす笑って)でもこれってさ、キミのためでもあるんだよ? 分かる?」

 にやにやと笑う畑中、木島、久須木。
 眉をひそめて押し黙る宮本。

畑中 「――で、どうする、宮本?」
 
 宮本、口元を引き締め、拳を強く握りしめる。

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By Tacni Ririko copyright (C) All rights reserved since June 2006.