ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *20*


撮影の合間に葉巻を吸うルビッチ


「天国は待ってくれる」の興行は成功し、フォックス社は101万ドルの制作費(テクニカラー映画としては割安のコスト)に対して米国内だけで237万ドルを稼ぎだしました。一時的にフリーとなっていたルビッチは不安定な処遇から抜け出し、新しいボスであるザナックを喜ばせました。ある日、フォックス社の重役用の食堂での昼食の席でザナックは自分の芸術論をもったいぶって話していました。「私は50回もルーブル美術館に足を運んでモナリザをじっくりと鑑賞しているが、あの絵のどこがいいのかわからないな」彼は皆の前でそう言いました。
ルビッチは葉巻をふかし、部屋の中にザナックに反論する者がいないか射るような視線で見回します。誰も反論しません。「私の家に置いてみたい3枚の絵があります」ルビッチは話し始めます。「一枚はモナリザの絵。2枚目はダリル・ザナック氏がモナリザを見ている絵。そして3枚目に欲しいのがモナリザがダリル・ザナック氏を見ている絵です」
この気取ったザナックに対するガス抜きのジョークに笑ったのはその席のごく少数の人間でした。ルビッチはそのうちの一人であるコラムニストのレオナルド・リヨンを夕食に誘います。「火曜日の8時15分。黒ネクタイ着用のこと」
招待された夕食の席でリヨンは各ウォーターグラスの上に違ったイニシャルが書かれていることに気付きました。ルビッチはそれらのグラスはある友人が自分にくれたもので、その友人の親友達のイニシャルがつけられているのだと説明します。しかしハリウッドでも戦争の犠牲者が多くなってきた時代だったのでルビッチは12人のイニシャルから名前を思い出すことができずにいました。「実際私はこの12のグラスを誰がくれたのかさえ忘れてしまった」ルビッチがそう言うと、テーブルの向こうに立っていたジャネット・マクドナルドが彼の記憶を呼び起こすように「私があげたのよ、エルンスト」
年老いつつあるベルリン人の抑制された悲しみは目に見えて深くなってきました。その夜、ルビッチはリヨンと二人でドライブに出掛けます。ビバリーウィルシャーホテルの前を通った時にルビッチは言いました。「すべてのことがここから始まったんだ。私達は世界中から集まってきて、わずかなお金と手荷物だけでこの地にたどり着き、このホテルに泊まった。それから私達の作った映画が認められ、絵画が買えるぐらいのお金ができて、一軒家に引っ越せるようにもなった。家が一人で住むには大きすぎるようになると結婚。そして離婚して再びわずかなお金と手荷物を持ってビバリーウィルシャーホテルに逆戻り。そして絵画が買えるぐらいのお金ができて、一軒家に引っ越せるようになり、家が一人で住むには大きすぎるようになると・・そんな風に何度も何度も同じことを繰り返すんだ」
ルビッチは自分が亡命してきた国アメリカに対して十分に安心を感じていたこともあり、「天国は待ってくれる」の次の作品として今日的な題材に取りあげることにしました。このプロジェクトは「All out Arlene」と題され陸軍婦人部隊(WACS:Women's Army corps)についての話でした。ルビッチは背景となるものを取材するためにWACSのキャンプへ短期間の旅行に出掛け、WACSの司令官だったオベタ・カルプホビー大佐と話をするためにワシントンにも行きます。しかしルビッチの女性達に対する見方が変わらなかったことは彼のレポートを見ても明らかでした。
「机の後ろには2つの大砲を脇に一丁の拳銃を持った男がいると思うだろうが、でも実際には私がこれまで見たことのないような美しい少女がいるんだ。礼儀正しくチャーミングなブロンドの美少女がね。そんなことがこの国では起こりうるんだよ。よそでは戦士達が何に対して戦ってるかをみせてくれるわけだが、ここでは彼女たちが何のために戦っているのかを見せてくれるんだ。」
この「All out Arlene」のルビッチとの脚本の共同執筆はヘンリーとフォエブのエフロン夫妻(*)によって行われました。若い二人はブロードウェーからの移住者でした。二人はルビッチの優雅な佇まい、行きつ戻りつしながらゆっくりとしたペースで進められる仕事のやり方を目の当たりにします。ハイ・フィリップスによるオリジナルストーリーは男女の性の役割を逆転させた「See Here, Private Hargrove」という作品でした。「このオリジナルストーリーは傑作ではない」ルビッチはエフロン夫妻に言います。「いい作品ですらない、ただタイトルだけが気に入ったんだよ。だから一から始めるようなものだ。私はこれまでもしばしばそんな風なやり方で仕事をしてきた。」
(*)このエフロン夫妻の娘がノーラ・エフロン監督で、彼女はルビッチの「街角」をトム・ハンクス、メグ・ライアン主演の「ユー・ガッタ・メール」でリメイクしている。
ルビッチはエフロン夫妻にオリジナルのプロットを無視して、ゲーリー・クーパーとクローデット・コルベールを念頭に置いて、中心となる出来事に集中して執筆するように言いました。「軍隊の中にいる婚約中のカップル。女が少佐で男が二等兵。二人の逢い引きは戦争に邪魔される。残りのプロットは君たち二人に任せる」
エフロン夫妻は脚本の中心となる出来事に三角関係を取り入れるために、オリジナルストーリーのもう一人の男性のキャラクターを強調するというアイデアを思いつきました。ルビッチもそのアイデアを気に入り、最初の脚本会議の終わりには二人をミスターエフロン、ミセスエフロンと呼ぶのを止めて、それぞれ親しみを込めてヘンリー、フォエブと名前で呼ぶようになりました。
3週間後、ルビッチは脚本の覚え書きから直接脚本を書きたがるようになりました。エフロン夫妻はまだエンディングもできていないのにと言ってそれに反対します。するとルビッチはこう言うのです。「三幕目がエンディングになるはずだが、その三幕目には二種類、あるいは三種類のエンディングがあり得るはずだ。私達は脚本を書きながらどれにするのか選ぶことができるんだよ」
エフロン夫妻はルビッチと一緒に働いた後はいつも夢心地のような幸福感に包まれながら自分達のオフィスに戻りました。「彼は紳士的で創造力溢れる人物でした」ヘンリーはそう言っています。



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