ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *19*


ジーン・ティアニーとドン・アメチー


ファーストシーンからもうかがえるように、この「天国は待ってくれる」という作品はこれ見よがしに見せびらかせないというルビッチのタッチがすべてのシーンに行き届いたまぎれもない傑作です。豊かなノスタルジックさを見るものに喚起させる愛情に満ちたリラックスした雰囲気。フラッシュバックの中にまたフラッシュバックがあるという複雑な物語構造でありながら、それによって明快で論理的な作風が崩されることもありません。
映画は死んだ男の回想という形式で、長い人生の物語には友人や家族達の一生もたくさん描写されています。この映画はヘンリーの持っている腕白な不貞をベースに人間にとって不変のテーマである死ぬべき運命について語っているのです。
ヘンリー・ヴァン・クレイヴは温厚な人物ですが、家族の財産を女性への貢ぎ物に浪費してしまう悪い癖を持っている男です。ヘンリーの風変わりな性格はチャールズ・コバーンによって演じられた銀髪の祖父ヒューゴから受け継がれたものです。しかし祖父ヒューゴはヘンリーのそんな性格を妬みつつ自分は決してそのように生きられなかったことを認めています。
映画全体を通してみてみると、ヘンリーは自分の好きなように生きているように見える一方、女性達がヘンリーをコントロールしているようにも見えます。ヘンリーが実際に不貞を行っているにしても、その具体的な描写は曖昧にしてあり、言い訳も見え透いていてむしろそのずうずうしさが魅力的でもあります。ルビッチは女性遍歴を重ねるヘンリーを、純粋な少年性と大人びた計算高さをあわせ持つ、男というものの本来の姿を露呈させながら、好意を持って描写しているのです。
ルビッチはヘンリーがはっきりとしない問題のある人物であることをよく知っていました。だから従兄弟のアルバートやストレーベル夫妻のような性的魅力に欠ける人物を周りに配置することによってヘンリーのキャラクターを洗練したものに仕立てたのです。また主役のアメチーとティラニーに静かで自然な控えめの演技をするように求める一方で、他の年輩の役者達に大袈裟な芝居をさせ、観客達が主役二人に感情移入させやすくしたのです。
あまりにも豪華絢爛だった「極楽特急」のセットは例外として、ルビッチの舞台装置のセンスは決して派手なものではありませんでした。彼はセットや美術を通して多くのことを定義しています。5番街にあるヘンリーの邸宅は威風のある家として巧妙にデザインされ、そこに住む人々の気高さまで表現されるように考慮されています。それはカンサスに住むストレーベル夫妻のエドワード朝の骨董品や彫刻で埋め尽くされたけばけばしい家と好対照をなしていて、1915年ぐらいに作られたドイツ映画のインテリアのようでもありました。
物語の中ではさほど重要でない人物でさえも信頼されうる人間性を持っていて、ストレーベル夫妻は娘マーサがヘンリーの元を去り実家へ戻った時もうるさいことを言わず彼女を助けました。ルビッチは映画全体を通して気取りや見苦しい虚栄心だけをけなしているのです。昔は美しい足の持ち主だったと自慢する老婦人は、閻魔大王がボタンを押すと、床下が開き、叫びながら床下の地獄へと落ちていきます。
ルビッチにとっては初めてのテクニカラーでしたが、フォックス社特有のけばけばしい派手な色調にはならず、かなり抑制された色合いで仕上げられました。テクニカラーの技術はジーン・ティアニーの衣装の色に特にその威力を発揮し、ブルーやラベンダーなどの様々な色調が豊富に使われています。
ドン・アメチーには当初予定されていたレックス・ハリソンのような活動的でセクシャルな面が欠けていましたが、彼の優雅で洗練された声はルビッチとラファエルソンが脚本に書いたヘンリーのすべてのセリフにマッチしていました。アメチーもまたルビッチをこれまで仕事をした監督の中で唯一の俳優監督で同時に唯一の天才であったと言っています。
「天国は待ってくれる」は多くの批評家達に絶賛されました。サイレント時代のルビッチ映画を好んでいた批評家ジェイムズ・アジーは「この映画はルビッチの最高作ではない」と言いながらも好意ある批評を寄せています。「この作品にはきらめくような才気と洞察力がありこの上なく見事なテンポで物語が進められてゆく。本当に素晴らしい映画が作られていた昔の頃に引き戻されるような気分になるのはセットや衣装、小道具への時代考証が行き届いており、あらゆる面でこの当時を再現しているからです。人々の振るまい、物腰におけるルビッチのスタイルはこれまで見た彼の作品の中で最も素晴らしく、遠回しな洒落た表現のうまさも見事です」D・W・グリフィスもこの映画を見た時、嫉妬を忘れてエズラ・グッドマンにこのように洩らしています。「私はこの映画でルビッチが取り入れたカラーの撮影方法が気に入った。音もだ。」
アンドリュー・サリスによるこの映画の分析によると「すべてのシーンのタイミング、俳優達の仕草や動きは非のうちどころがないほどの正確さで簡潔に表現されており、それはすべての優れた古典的作品がやってきたことを更に押し広げたものでした。一見まとまりがないように見える構成も終わりに近づくにつれ目に見えない力によってまとめられていき、ルビッチの抑制された礼儀正しさに基づく超人的なセンスは賞賛せざるをえないものへとなっていきます。たいていの古い昔の映画は時代を経ると古くさくなる見えるのですが、ルビッチの作る映画は荘厳さの極みに達していてまったく古くさく感じないのです。」
「天国は待ってくれる」はルビッチの晩年の作品が表現している価値観を簡約しています。優雅さ、美しさ、生意気なウィットを卓越した精神で具現し、とりわけ笑い声という贈り物は登場人物達の特殊な道徳観−それは彼ら自身の善良さでもあるのですが−を引き出し、笑いこそが至福の場所への確実なパスポートとなるのだという思想で作られているのです。
優しいプレイボーイのヘンリーはルビッチ自身の理想像であり、美しく寛容的なマーサはヘンリーにはできすぎと言えるくらい幸福な出会いをしたパートナーでした。ヘンリー・ヴァン・クレイヴの人生が良いものであったかどうかはルビッチにもわからないことだったかもしれません。しかし、メリー・ウィドー・ワルツの調べに乗って美しいブロンド娘の腕の中で死ぬというこの世との終わりの告げ方がまんざら悪いものではないということは見ている観客にも伝わってきました。ルビッチ最後の作品となったこの映画は、最後にして最高の意志を表現しきったルビッチの遺言のようでもあります。

ドン・アメチーとジーン・ティアニー



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