ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *17*


ポータブル・オルガンを弾くルビッチ


「天国は待ってくれる」製作中の数少ないトラブルのひとつにヘンリーの父親ランドルフを演じた俳優ルイス・カルハーンが巻き込まれました。カルハーンの最初のシーンは、らせん状の階段を血相を変えて降りてきて妻を呼ぶシーンです。しかしカルハーンは自分がライトに照らされる位置をさがすのに苦心しました。というのはテクニカラーのカメラではライトに照らされた場所だけでなく、セット全体が熱くなるほどの強い光が必要だったからです。
ディッキー・ムーアは述懐します。「このシーンは10回から15回の撮り直しがあって、カラハーンは自分自身に対してとても腹を立てていました。でもルビッチは誰に対しても決して苛立ちを見せませんでした。信頼されるべき礼儀正しさを持っていて、決して声を荒げることもなく、いつも紳士的な態度でいました。ほとばしるような才気と落ち着いた物腰を持っていたルビッチは、自分のしたいことを完全に把握していて、まるでチェスゲームみたいにどの駒をどこに移せばいいのかをわかっていたのです。彼は思いついたことを即興でやることもありましたが、それもまったくの即興というわけではありませんでした」
撮影の合間、スタッフが次の撮影の準備をしている時、ルビッチはいつもピアノを弾いて楽しんでいました。ある日、ムーアがルビッチに尋ねます。「どうしてピアノの練習なんかしているの?」ルビッチは答えます。「そりゃ音楽が好きだからさ、ディッキー。それと君も知っての通り、ハリウッドは変な商売がまかりとおってる奇妙な都市だ。明日何が起こるかなんて誰にもわからない。私がずっと練習を続けてるのは、いつ自分がカフェでピアノを弾くはめになるかわからないからなんだよ」
また別のある日、セットでルビッチとムーアが並んで座っている時、ルビッチは言いました。「いつか君が自分で映画を監督してみたいという日がくるかもしれないから、その時のためにアドバイスをしてあげよう。このテクニカラーという技術はとても興味深くて、ミュージカルやコメディといったジャンルの映画を作るのにはうってつけの素晴らしい技術だ。でもメロドラマやミステリーはテクニカラーで撮っちゃいけないよ、向いてないからね」
後になってディッキーはこう言っています。「私は白黒で撮られた「マルタの鷹」を見た後にテッド・ターナーがテクニカラーで撮ったメロドラマを見たのですが、ルビッチの言うことはまったく正しかった。50年経った今でも彼の言葉の正しさは証明されているのです」
「天国は待ってくれる」の撮影を終えた時、ルビッチの健康状態は良さそうでしたが、決して愛用の葉巻は手放さず「自分のやりたいようにできなくてどうするんだ」と言って暴飲暴食をしていました。ただ歩くことに関しては訓練することによってなんとかまっすぐに歩けるようにつとめていました。「私の思い違いかもしれないが・・」この年の7月にルビッチはヘッダ・ホッパーに言っています。「今でも自分が1922年に列車でロサンジェルスに到着してこの地に第一歩を踏みしめた時のように若いんだって感じるんだ。自分の運命を決定づけてくれたメアリー・ピックフォードという女性に感謝していたあの頃のようにね」
アメリカのスタジオで21年間働き続け、地位も上がりボス肌のプライドを持っていたルビッチは、映画というものはある瞬間のひとつの出来事にすぎないという考えを再び強調するようになりました。「時代が変わっても基本的なことは何も変わらない。演技のスタイル、脚本のスタイル、撮影や照明のやり方も同じで外面だけが変わるのだ。10年前に撮られた映画は今日ではおおげさに見えてしまうこともあるだろう。それがその時代ではどんなに偉大な映画であったとしても仕方がないことだ。」
ルビッチは脚本家のサム・ラファエルソンに一度このように語ったことがあります。「映画というものはそれがいい作品であろうとひどい作品であろうと一つの缶の中に収まっていて、倉庫の中に保管され10年も経てばクズになってしまう。サム、君が劇作から離れないでいるのは賢明だよ。大学で誰が映画について教えてくれるっていうんだい?でもドラマというのは文学なんだ。いつか君の書いた脚本が出版されて、誰かが君のことを発見して評価される見込みはある」
多くの優秀な監督が輩出されていたこの時代においてさえ、ルビッチは自分達ほど熱心にプロフェッショナルに徹して仕事をしている人間はいないと自負していましたが、そのように立ち振る舞うことには注意深くもありました。ルビッチは映画産業がレックス・イングラム、モーリス・ターナー、ジョセフ・フォン・スタインバーグそしてエーリッヒ・フォン・シュトロハイムのという先駆者達の才能をどのように潰してきたかを間近で見てきました。彼らは皆才気煥発で映画界に相当な貢献もしましたが、因習打破主義者でもあり自滅的な男達でもあったのです。ルビッチは彼らのように自分を芸術家肌の監督だといって災難を招く立場に立つことを望んでいませんでした。



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