ルビッチ・タッチについて
− Laughter in Paradise − *14*
「天国は待ってくれる」ファーストシーン
ある日ルビッチとラファエルソンがフォックス社のスタジオの食堂でランチをとっていた時、ダリル・ザナックとばったり出くわします。「調子はどうだい?エルンスト」ザナックは尋ねます。「ゆっくりだけど、うまくいってます」するとザナックは言いました。「それはいいね。私が聞きたくなかった答えはひとつだけ−ひどくゆっくりだが最高にうまくいっているという答えだ」
「天国は待ってくれる」の脚本を書いている間、ルビッチは人生の楽しさを謳歌しながら年老いてゆく人生を描くというアイデアに魅了されていました。主人公ヘンリー・ヴァン・クレイヴのユーモアの鍵はセクシャルな話し方でした。ヘンリーの生き方は時代より15年先に進んでいました。1920年代に性的品行の乱れとされていたことが1935年には当たり前になっていた、それがこの喜劇の主だったアイデアで、脚本を書き終えたルビッチとラファエルソンはその出来映えを申し分ないもの(*)と自負していました。
(*)「天国は待ってくれる」はルビッチとラファエルソンの二人にとっては前例のないほどの試行錯誤の後にやっと完成した脚本でした。シナリオの第一稿は1942年8月24日に書き上げられており、そこにはヘンリーが再婚するという22頁にわたるシークエンスが存在していました。その再婚相手はパールという女性で、彼女は感じの悪い義理の妹を連れてヘンリーの家にやってきます。このシークエンスはヘンリーのバカ正直さから生じた受難を描いていていました。結局この再婚は喧嘩の末に終止符を打ち、ここからヘンリーが息子に本を読んでくれる女性をつけて欲しいと頼むシーンへとつながるのです。しかし、このシーンは長すぎるということと、マーサ以外の誰とも結婚する気がないヘンリーの性格を打ち出すためにも、不要と考えられカットされました。
「天国は待ってくれる」の脚本完成後、ルビッチは「我が敵、ドイツを知れ」と題されるフランク・キャプラ監督(当時中佐)の戦争高揚映画の準備作業に取りかかりました。この映画は1942年10月にフォックス社のスタジオ内で1週間かけて撮影され、試写も行われましたが、公開はされませんでした。出来上がった作品にはルビッチが書いた脚本が生かされてないように見えるとされていますが、内部文書にはルビッチはスタジオ内にあった組み置きのセットを流用して3万7千6百92ドル85セントの予算で7日間かけてこの映画を作ったという記録が残っています。
ルビッチはカール・シュミットという人物を通して近代ドイツの台頭を史実に沿って描くというアイデアを持っていました。当時の資料によると「我が敵、ドイツを知れ」はワーグナーの音楽で幕が開け、優美でありながら哲学的な題材を扱っていました。しかし軍はこの映画を気に入らず、決して公開されることはありませんでした。
2年後、このプロジェクトは再開され、脚本にも手が加えられ、その作業にはゴットフレット・ラインハルトとアンソニー・ヴェイラーが関わりました。最終的には「ドイツここにあり」というタイトルに改題され、1945年になってようやく公開されたのです。ルビッチの書いたシーンのいくつかは削除されましたが、カール・シュミットのキャラクターはそのまま残されました。映画自体はコスチューム・ドラマからニュース映画にいたるまでのさまざまなフィルムをつぎはぎしたもので、キャプラ監修の「我々はなぜ戦うのか」シリーズと同じつくり方がされています。
レアード・クリーガとドン・アメチー
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